歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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鬼さんノートその7

2023-03-12 23:48:53 | 月鞠の会
道徳感情と規範について、考え中です。

死刑制度について、ほとんど考えたことがないので、結論も無いのですが、死刑が無くなったら、遺族の感情にやり場が無さすぎるだろうと、現時点では思います。そしてじつは、その一方で、たとえば私の母が、殺されて死んだとします。そして犯人がつかまり死刑になります。私がこの世にいて、あの世の母を守ってやれないのに、わたしの手の届かないあの世で、母と犯人が遭遇するかもしれないのは、とてもつらい……。犯人には、生きたまま苦しんでほしいと、私であれば、思うのですよ。

殺人は良くない。これは道徳的な規範です。死刑も、国家による殺人だから良くないとする規範意識を裏打ちするのは、これも道徳感情からでしょうか。私は、それは道徳感情の要求するところではなくて、規範に真なる命題を求めているためだと思います。

規範は、真なる命題でなければならないものなのでしょうか。
(いまここでは、冤罪の可能性を省いています。冤罪かもしれない捜査や裁判をそもそもすべきでないという別な話になってしまうので。)


戦争の場合は、どうでしょうか。

戦争にまさる反道徳は存在しないでしょう。そもそも、戦争を構想する自体、殺人道具を大量に作ったり売ったり買ったりして儲けようということですし、戦争になれば、殺人ばかりか強姦、子どもの拉致、環境破壊と環境汚染を引き起こし、人間の社会ばかりか、地球を壊します。ありとあらゆる不正がまかり通って、その禍根は何世代もに受け継がれていきます。

戦争を悪とするところ、ほとんど純粋に道徳感情であるといえましょう。





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鬼さんノートその8

2023-03-12 00:44:52 | 月鞠の会
私は思いました。自分のこころを名付ける言葉があれば、本来は守られねばならない誰かが、鬼さんにならずには済むのではないか。

日本人が、歴史的に最も好んだこころを名付ける言葉が「恋」であることは、古典の詩歌をふり返っても、間違いありません。希求するところ満たされず、やり場の無い思いや愛欲を「恋」と呼ぶことで、人々が、どれほど慰められてきたか。和歌の世界も、部立は「恋」が、いちばん手厚いのです。そして、中世の連歌において、「恋」は、男女の垣根を越えて、母恋、子恋、あるいは世間恋しさ、人恋しさといったより抽象性の高い感情を呼び表す言葉として、その意味が拡大されました。

これと同じように、弱者いじめや不正へのえも言われぬ怒り、これを道徳感情と名付けることができれば、反論が可能なのです。

反論できなければ、私たちは、ルサンチマン、やっかみ、人間性の劣化、そのような名で他人からこころを決めつけられ、御上礼賛の言論人に、黙らされてしまうのです。


道徳感情という雑駁な表現しか、まだ、見つかりません。義憤という言葉に、そのまま置き換えることはできない。なぜなら、悲しいのです。義悲という言葉を造語するのは空しい。不動明王様のお怒りは、悲しみの相でもある。私のいう、道徳感情とは、悲しみの相なのです。




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