道徳感情と規範について、考え中です。
死刑制度について、ほとんど考えたことがないので、結論も無いのですが、死刑が無くなったら、遺族の感情にやり場が無さすぎるだろうと、現時点では思います。そしてじつは、その一方で、たとえば私の母が、殺されて死んだとします。そして犯人がつかまり死刑になります。私がこの世にいて、あの世の母を守ってやれないのに、わたしの手の届かないあの世で、母と犯人が遭遇するかもしれないのは、とてもつらい……。犯人には、生きたまま苦しんでほしいと、私であれば、思うのですよ。
殺人は良くない。これは道徳的な規範です。死刑も、国家による殺人だから良くないとする規範意識を裏打ちするのは、これも道徳感情からでしょうか。私は、それは道徳感情の要求するところではなくて、規範に真なる命題を求めているためだと思います。
規範は、真なる命題でなければならないものなのでしょうか。
(いまここでは、冤罪の可能性を省いています。冤罪かもしれない捜査や裁判をそもそもすべきでないという別な話になってしまうので。)
戦争の場合は、どうでしょうか。
戦争にまさる反道徳は存在しないでしょう。そもそも、戦争を構想する自体、殺人道具を大量に作ったり売ったり買ったりして儲けようということですし、戦争になれば、殺人ばかりか強姦、子どもの拉致、環境破壊と環境汚染を引き起こし、人間の社会ばかりか、地球を壊します。ありとあらゆる不正がまかり通って、その禍根は何世代もに受け継がれていきます。
戦争を悪とするところ、ほとんど純粋に道徳感情であるといえましょう。
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死刑制度について、ほとんど考えたことがないので、結論も無いのですが、死刑が無くなったら、遺族の感情にやり場が無さすぎるだろうと、現時点では思います。そしてじつは、その一方で、たとえば私の母が、殺されて死んだとします。そして犯人がつかまり死刑になります。私がこの世にいて、あの世の母を守ってやれないのに、わたしの手の届かないあの世で、母と犯人が遭遇するかもしれないのは、とてもつらい……。犯人には、生きたまま苦しんでほしいと、私であれば、思うのですよ。
殺人は良くない。これは道徳的な規範です。死刑も、国家による殺人だから良くないとする規範意識を裏打ちするのは、これも道徳感情からでしょうか。私は、それは道徳感情の要求するところではなくて、規範に真なる命題を求めているためだと思います。
規範は、真なる命題でなければならないものなのでしょうか。
(いまここでは、冤罪の可能性を省いています。冤罪かもしれない捜査や裁判をそもそもすべきでないという別な話になってしまうので。)
戦争の場合は、どうでしょうか。
戦争にまさる反道徳は存在しないでしょう。そもそも、戦争を構想する自体、殺人道具を大量に作ったり売ったり買ったりして儲けようということですし、戦争になれば、殺人ばかりか強姦、子どもの拉致、環境破壊と環境汚染を引き起こし、人間の社会ばかりか、地球を壊します。ありとあらゆる不正がまかり通って、その禍根は何世代もに受け継がれていきます。
戦争を悪とするところ、ほとんど純粋に道徳感情であるといえましょう。
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