現在、ウェブ歌会開催中!
詠草をご一読になったのち、コメント閲覧、ご投稿をお願いします。
●進行
☆参加者はまず、一人3首選。(作品と関係ない、投稿見本を示しました)
☆参加者からの批評があらかた示されてから、ギャラリーからのご発言を、お願いします。
☆作者明かしは、終盤、司会のほうからいたします。
☆いま力を入れている活動など、プレゼンしたいことのある方は、作者明かしの後で、お願いします。
☆詳細は、前記事をご覧ください。
☆コメントの閲覧とご投稿は、記事の右下にある、コメントをクリックしてください。
(投稿者名、件名だけで投稿できますが、長考するなど画面をひらきっぱなしにすると、4桁数字を何度も記入しないといけないかもしれません。お手数おかけします(*_*;)
●詠草
1 ペイルブルーの空ひとしずく胸病めば春は北から来る心地する
2 熱帯魚見つめるときの無口さで先生のようなひとに逢いにゆく
3 毎日を残さずにふる雪にサブリミナルのように食べるシリアル
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
5 しおからい頬のあなたがはりつめて大人のことばを聴こうとしている
6 小雪散るコンビニへの道ポケットの中でつないだ手が暖かい
7 おおみそかかくれてふたりいただいたかずのこおいしゅうございましたね
8 今宵また雪ふる胸の水面に角折れた馬走らせてゐる
9 天使でもゐたのだらうか陽射しあるトイレの中を見回している
10 ひとひ生くるよすがなるべし霜月の朝陽にしろき納豆の糸
11 この浜に車を停めて歩きだす日は暮れ Freedom, justice in Syria
12 冬ざれやしてはならないくちづけの長き影ふたつわたる宇治橋
13 勢いで言ってしまった「サヨナラ」が恋を見つけた今でも痛い
14 紅色の甲殻の脚刃にひらき肉しろければ口にすすりぬ
●参加者は、以下8名。(順不同)
七篠空
大石直孝
瀧口康嗣
小原更子
とみいえひろこ
和里田幸男
佐藤元紀
辰巳泰子
●選歌の結果
1……2点(和里田、大石)
2……3点(佐藤、和里田、大石)
3……1点(とみいえ)
4……2点(瀧口、七篠)
5……4点(佐藤、和里田、七篠、大石)
6……1点(辰巳)
7……1点(とみいえ)
8……2点(佐藤、辰巳)
9……1点(小原)
10……2点(小原、とみいえ)
11……1点(辰巳)
12……1点(瀧口)
13……0点
14……3点(小原、瀧口、七篠)
●詠草の作者
1辰巳泰子/2とみいえひろこ/3和里田幸男/4小原更子/5とみいえひろこ/6七篠空/7瀧口康嗣/8大石直孝/9和里田幸男/10佐藤元紀/11瀧口康嗣/12佐藤元紀/13七篠空/14大石直孝
詠草をご一読になったのち、コメント閲覧、ご投稿をお願いします。
●進行
☆参加者はまず、一人3首選。(作品と関係ない、投稿見本を示しました)
☆参加者からの批評があらかた示されてから、ギャラリーからのご発言を、お願いします。
☆作者明かしは、終盤、司会のほうからいたします。
☆いま力を入れている活動など、プレゼンしたいことのある方は、作者明かしの後で、お願いします。
☆詳細は、前記事をご覧ください。
☆コメントの閲覧とご投稿は、記事の右下にある、コメントをクリックしてください。
(投稿者名、件名だけで投稿できますが、長考するなど画面をひらきっぱなしにすると、4桁数字を何度も記入しないといけないかもしれません。お手数おかけします(*_*;)
●詠草
1 ペイルブルーの空ひとしずく胸病めば春は北から来る心地する
2 熱帯魚見つめるときの無口さで先生のようなひとに逢いにゆく
3 毎日を残さずにふる雪にサブリミナルのように食べるシリアル
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
5 しおからい頬のあなたがはりつめて大人のことばを聴こうとしている
6 小雪散るコンビニへの道ポケットの中でつないだ手が暖かい
7 おおみそかかくれてふたりいただいたかずのこおいしゅうございましたね
8 今宵また雪ふる胸の水面に角折れた馬走らせてゐる
9 天使でもゐたのだらうか陽射しあるトイレの中を見回している
10 ひとひ生くるよすがなるべし霜月の朝陽にしろき納豆の糸
11 この浜に車を停めて歩きだす日は暮れ Freedom, justice in Syria
12 冬ざれやしてはならないくちづけの長き影ふたつわたる宇治橋
13 勢いで言ってしまった「サヨナラ」が恋を見つけた今でも痛い
14 紅色の甲殻の脚刃にひらき肉しろければ口にすすりぬ
●参加者は、以下8名。(順不同)
七篠空
大石直孝
瀧口康嗣
小原更子
とみいえひろこ
和里田幸男
佐藤元紀
辰巳泰子
●選歌の結果
1……2点(和里田、大石)
2……3点(佐藤、和里田、大石)
3……1点(とみいえ)
4……2点(瀧口、七篠)
5……4点(佐藤、和里田、七篠、大石)
6……1点(辰巳)
7……1点(とみいえ)
8……2点(佐藤、辰巳)
9……1点(小原)
10……2点(小原、とみいえ)
11……1点(辰巳)
12……1点(瀧口)
13……0点
14……3点(小原、瀧口、七篠)
●詠草の作者
1辰巳泰子/2とみいえひろこ/3和里田幸男/4小原更子/5とみいえひろこ/6七篠空/7瀧口康嗣/8大石直孝/9和里田幸男/10佐藤元紀/11瀧口康嗣/12佐藤元紀/13七篠空/14大石直孝
これが、ひっぱる! と、そのとき直感し、自然の流れで、盛り上がりました。
小原さんの、日常から、ほんの少しでも勇気をもって踏み出したい思いに、皆さんも呼応し、さまざまに想いをお書きになったと拝察します。
話題作をありがとうございました!
打ち上げでお会いできますように
ネット環境のない田舎の家に1月2日から帰省しており、
スマホを持っていないので、帰宅して今みなさまのコメントを読みました。
上句説明的、など言われてみればそうだなあ、と思ったり、名詞が二つ続く点についての皆様がたのコメントには、自分では気づいていない点だったので、勉強になりました。
今回はあまり批評の面で貢献できませんでしたが、もし次にこのような機会があれば今度はもっと積極的に参加させていただきたいと思います。
このような機会を与えていだだき、ありがとうございました。また、よろしくお願いいたします。
それに、91歳のお祖母様のこと、うかがって、わたしのほうも、「胸病む」の歌を詠草にしてよかったと、戦前の世代を振り返る記事、書いてよかったと思えました。
偶然にしても、どこかでつながっているものですね。
お祖母様のおかげん、よくなられますよう。
つまり、POPな短歌を読むより、POPなポップスを聴いたほうがいいから、琴線に触れないのだと……。
でもあなたの書き込み、最高によかったですよ。
作品も、自分がそうなりたいと心から思っていれば、小細工しないでも、そうなっていきますよ。
今年じゅうに、リアル歌会できるようにしたいね。
今回のWEB歌会に参加させて頂き感じた事は、ジャズかクラシックあたりの重厚なムードのオーディションにエレキギター1本引っさげて迷い込んでしまったぜ俺(汗)とでもいったような、そんな気分で恐縮、萎縮の数日でした。
批評下さった方の言葉を受けるに、悲しいかな自分の歌は凡庸なのだと。
たとえば「最近の流行歌ってどれも同じ歌に聞こえるよねー」とか、
たとえば「AKB48って全員同じ顔に見えるよねー」みたいな、
興味のチャンネルが少し切り替わってしまうだけで凡庸さが浮いて出る、そんな軽さが自分の歌にも宿っているんだろうなぁと。
ただ、自分の目指すものは『POPな短歌』なので、誰でも知る七五調のリズムと口語表現をベースに(短歌など興味も無い)誰かが読んでもスルリと受け入れてもらえるような、POPな短歌、たんか、TANKA!!を詠んでいく為にももっと精進せねば……。
その上で、短歌を志していらっしゃる方の琴線にも触れるようなもの、それが創れるように頑張ろう!そう思いました。
今回はたいへん勉強になりました。
皆様、ありがとうございました!!
ps.
いづれまた《月鞠ウェブ歌会 Vol.2》開催して頂きたいです。
個人的な事情で言えば、生活時間が進行とややマッチせずあっという間に閉会となってしまったので、次回は1週間~2週間とドンと腰を据えた歌会だったら楽しそうだな~って、そう思ったんですがいかがでしょう?
七篠 空
辰巳さん、佐藤さん、とても楽しい歌会、誠に有難うございました。次回あればまた参加したいと思います。
私ごとではありますが昨年、「五線譜もしくはストライプ」という五名(法橋ひらく、ぼんぼり、月夜野みかん、大澤サトシ、私)からなる短歌同人誌で文学フリマデビューいたしました。まだ若干の在庫が御座いますので、もしもご興味のある方がいらっしゃればお手に取っていただければ幸いです。
ご連絡はこちらまで。(fqfhg755あっとまーくybbどっとneどっとjp)
みなさま、宜しくお願いいたします。
詠草を送られたのとおなじメアド、
tatumiliveあっとまーくyahooどっとcoどっとjp
まで、お申し込みください
そろそろ時間なので、閉会しますが、コメント投稿は、締め切らず、このまま承認制で、投稿できるようにしますね。
和里田さん、「五線譜もしくはストライプ」の宣伝、してくださいね。
七篠さんは、いま、就寝タイムなので、また後で、書き込んでくれるでしょう。
小原さん、気が向かれたら、また書き込んでくださいね。
ご参加の方で、お会いしたことがあるのは、和里田さん、月鞠会員の佐藤さん、七篠さん(根本君)。
大石さんは、「星座」の方。しかも年男ですね。
「星座」主宰の尾崎左永子さんに、辰巳は、年来、お励ましをいただいております。
皆さまによろしくお伝えください。
とみいえさんの、作品も文章の達者なことに、驚かれました。
2011年の秋に実施したきりになっている、リアル歌会も、そのうちまた……。
本当に、皆さん、ありがとうございました。
そして、今年もよろしくお願いします。
ヒヒィ~ン
最大の反省点は、スマフォを使ったことですかね。読みづらいうえに書きづらかった‥‥‥。
最後になりますが、歌会の場を提供していただいた月鞠の会主宰・司会進行の辰巳さん、幹事の佐藤さん、そして歌会へ参加された皆様、どうもありがとうございました!そしてお疲れさまです。
大石さんの「手拍子」納得です。
そこに陥つてしまつたのは確かです。
拙詠まだまだつめるところあることがわかり
それに気付かせてもらつた感謝の念でいつぱいです。
かういふ催しに参加するのは初めてなのですが
いただいたご縁を大事にしつつ
今年も作歌に励む所存です。
皆様の御健詠を祈念しつつ
これからゆつくりコメントをよみかへしてゆきます。
またの機会にご一緒できることをたのしみにしてをります。
佐藤 元紀 拝
歌会ってなんやろう、という好奇心から、ほんとうに気楽な気持ちで参加させていただきました。
自作2首はどちらもかなり無理やり作り、中途半端な出来でした。推敲の仕方や方向性について沢山のコメントをいただき、ありがたく読ませていただきました。
また、議論に参加し、参加者の方々のコメントを読む中で、歌の読みが深まるという経験をすることができました。
短歌を読むとき、自分の中にある偏見からは逃げられない。コメントを読み返してみて、つくづくそう思います。
佐藤さんと辰巳さんのご差配に深く感謝し、参加者のみなさんのすぐれた言葉に触れられた幸せをかみしめています。いやー、楽しかった! 歌会はやはりいいものですね。
テキスト上のことにて、充分に意を尽くす
ことはかないませんでしたが、忌憚なく意見を述べられる場をいただいたことに、改めて御礼申し上げます。舌足らずな点はどうぞご容赦ください。
さて、私事ですが、「短歌研究」1月号から3月号まで、歌集評を担当しております。お目にとまりましたら幸いです。
またこうした機会にみなさんとお話ができることを心待ちにしております。
今朝、帰省先で祖母の体調が悪くなり、入院の手続き・支度などをしていたため、本日3日の議論には参加することができず、残念でした。
ただ、病院での待ち時間、皆様のコメントを読んでいました。これだけ長時間短歌のことを考えたのは初めてです。
辰巳さんお書きの「世代の記憶」について、91歳になる祖母の点滴を見ているあいだに考えてみたり。
和里田さんお書き:
辰巳さんの評では2組が良いとの事でしたが、僕は2組である理由が見つかりませんでした。
一組だと「してはならない」という部分が説明できるけれど、複数のカップルである場合、「してはならない」という歌の中の認識からずれていってしまうのではないかと思ったからです。
これはねぇ、作者は、宇治川の、河童ちゃんなんだよ。
、
「見ぃ~ちゃったぁ 見ぃちゃったぁ♪」
「い~けないんだぁ いけないんだぁ」
それで、第三者的なんだよ。あと、河童ちゃんも、一匹でないかもよ。
状況は理解できるのですが、この歌をどう捉えればいいのかがよくわかりませんでした。
描かれた通りでよいのでしょうか。
あと、やや語が多くはないかと思いました。
辰巳さんの評では2組が良いとの事でしたが、僕は2組である理由が見つかりませんでした。
一組だと「してはならない」という部分が説明できるけれど、複数のカップルである場合、「してはならない」という歌の中の認識からずれていってしまうのではないかと思ったからです。
または口づけをしている影は大方は静止しているので、、「わたる」と動くのはややつじつまが合わないのでは?
宇治橋という急な流れの川を渡ると言うくだりはなにやら暗示的ですね。
ぴりりと引き締まる想いで参加させていただきました。とても刺激的で楽しかったです(まだもう少し続きますが)。
3 毎日を残さずにふる雪にサブリミナルのように食べるシリアル
読めば読むほど好きになった歌ですが、シリアルと一緒に連想される牛乳の白色が雪とつながっているんですね。句跨がりも、「サブリミナル」の持つズレ感を醸し出していてわたしは好きでした。
恋歌って退屈だなーなどと今まで思っていたのですが、こんなにバリエーション豊かなんですね。わたしの価値観が退屈なだけでした…。詠まないともったいないなあと、考えを改めさせられました。
こんな機会があればまた参加させていただきたいです。これからもよろしくお願いします。
今年は朗読をやってみたい…。賞にも応募したい。勉強したい。いろいろ、出てきました。
気になる点がありました。
①「霜月」の必然性はあるのか
②納豆の糸に「生きるよすが」を人は見出すだろうか?
ただ、納豆の糸が肌寒い朝に光る映像はすがすがしいですね。納豆の糸という小さなものと生きるよすがというアンバランスな対比を味わうという歌でしょうか。
佐藤さんが言及してくださった「手拍子」について申します。
この歌の上句は、口にした時たいへん調子がよいですね。つくる際、その調子にひきずられて、着想したときの形のまま、作品の中においてしまったのではないかという懸念を表そうとしたものです。
音の気持ちよさや、着想の面白さのゆえに、あまり検討を重ねていないのではないか、という批判をするときに「手拍子のまま詠む」などと使うようです。
批評の用語というほどのものではありませんが、歌会では折々聞かれると思います。
1辰巳泰子/2とみいえひろこ/3和里田幸男/4小原更子/5とみいえひろこ/6七篠空/7瀧口康嗣/8大石直孝/9和里田幸男/10佐藤元紀/11瀧口康嗣/12佐藤元紀/13七篠空/14大石直孝
閉会(午後10時)までの進行を、ご連絡いたします。
いまから、作者明かしの後、コメント欄を、承認制にします。
ギャラリーからのご意見、ご感想の受付を、させていたたくため。
詠草を出された方へ……。
長丁場、お疲れさまでした!!!
承認制にしてからでも、追ってのご意見、会全体への感想、ご自身の宣伝したいことなど、何でもかまいませんので、任意に、お書き込みをください。
詠草を出されての参加者のコメントは、必ず反映しましょう。
作者が当たった、当たらなかったとか、「ふざけたこと」で、ぜーんぜん、かまいません。
本当に、ありがとうございます。
「長き」の代わりに、「熱き」かな~。
14 紅色の甲殻の脚刃にひらき肉しろければ口にすすりぬ
佐藤さんお書き:
12は、ムードで安易に結びつけてゐないか、二句の口語が浮いてゐないか、といふのがまづ気になります。
くちづけすると、影は、一つになります……。ですから、この「影二つ」とは、カップル二組ぶんです。
宇治川の流れは急で、その橋の上に、逢瀬の二組。作者は、一組として詠んだかもしれませんが、二組ぶんのほうが、絶対、いいです。直すなら、二組であると、はっきりする方向へ直しましょう。「長い」を削ると、はっきりします。
大石さんお書き:
14。内容としては蟹(だと思いますが)を食べているというだけの歌。それをわざわざ一首にしているのですから、措辞のみによって何かを立ち上がらせようとしてあるのでしょう。
そうした歌であるためか、「紅色」「しろい肉」の対比が作為的にも思えますし、4句の「ば」という条件は思わせぶりにも感じます。三句以下に「体言→用言」が3回現れるのも、うるさい気がします。
まったく、そのように思い、取りませんでした。
この歌には、アクションが二つ含まれています。一つは、刃で蟹の脚を切り裂くアクション。もう一つは、手づかみにすするアクション。
どちらも、強烈なアクションなので、これを一つに絞れば、紅の殻と白い肉の対比をどうするのがいいかも、見えてくると思いました。
10 ひとひ生くるよすがなるべし霜月の朝陽にしろき納豆の糸
大石さんお書き:
8、この結句は、少し音が緩むかなあと感じています。
初句「今宵また」は、「雪ふる」と「走らせてゐる」とどちらにかかるのか、ややあいまいかもしれません。
結句の「ゐる」は、3句めの」「ふる」と韻を踏むので、むしろ滑らかに氷の上をすべる感じ。調和していると思います。
「今宵また」は、「雪ふる」と「走らせてゐる」の両方にかかって、よいと思います。
「今宵」の詩情が、過剰かなぁと、少し思いました。でも、好き好きの範囲でしょう。
佐藤さんお書き:
10は瀧口さんのご指摘にある「生くるよすが」が大仰ではないか、といふ印象があります。たかだか納豆の糸にそんなものを見出すのは大袈裟ぢやないか。皆様の読みをうかがひたくおもひます。
「霜月の朝陽にしろき納豆の糸」、この下句だけで、十分な歌なので、上句が余分になってしまっています。
おおげさな感じは、そこから生じるのでしょう。
(このことは、7番の「おいしゅうございましたね」が、余分なのと同じです。)
はみだしてしまった、おおげさすぎるのでは、と感じるときは、もっと、はみだしましょう。
たとえば、「ひとひ」を「ひとり」と、仮に打ち間違えてしまったとします。
すると、「ひとり」にしたほうが、ほんまに毎日、納豆の朝ご飯を食べてる感じがします。このままずっと、朝ごご飯、一人なのかな、一生に、どんだけ、発砲スチロールのちぃこいパック、洗うんかな、という感じになります。
手書きの時代に、「ひとひ」を「ひとり」と変えてしまう推敲は、あり得ないでしょう。しかし、我々の世代には、それが、あり得ます。タイプミスしちゃったんだけど、読み返してみたら、これはこれでいいやの推敲が、あり得ます。
あり得るけれど、アリにするか、ナシにするか。
それもまた、好き好きでしょう。
13 勢いで言ってしまった「サヨナラ」が恋を見つけた今でも痛い
14 紅色の甲殻の脚刃にひらき肉しろければ口にすすりぬ
12は、大石さんのいふ「手拍子」が不勉強でわからないところはありますがムードで安易に結びつけてゐないか、二句の口語が浮いてゐないか、といふのがまづ気になります。
13は「恋を見つけた」が浮いてゐるやうにおもひます。「サヨナラ」のときの恋が一首中にないからです。上二句の説明を縮めて「今の恋」を際立たせるところから始めるといいのではないでせうか。理屈でいふと「今でも痛い」のはなぜか、新しい恋を得たことでどんなことに気付いたのか、といふ背景をふまへるともつと彫りこまれた一首になるやうにおもひます。
さて14。やはり「蟹」を出してほしかつたかな。「甲殻」だとぼやけるやうな気がします。どんな「蟹」かも気になります。紅との対比といふ指摘もあつた四句の「白」が理由設定といふ意味でも鑰なのでせうが、その白に何をみたのだらう、とおもひます。鬼の営為といふ読みも興味深く読みましたが、四句に迫るものが感じられず、選ばなかつた次第です。これも皆様の読みに学びたくおもひます。
この歌会を、自分は、そのように構想しました。
では、後半の読みに、入ります。
佐藤様が、曲解しない読み、基盤となる読みをご提示くださっているので、自由な読みが成立します。
10番の歌について、瀧口さんお書き:
納豆のパッケージにこの歌が書かれていたら、私は買います。
この読み方は、胸病む→はいけっかく、という世代に、「ふざけている!」と攻撃される読み方です。しかし、わたしたちは、この読み方を、少なくとも不自然には感じません。
前衛短歌以前の世代は、批評にアグレッシブでした。病気で死ぬか、戦争で死ぬかという生き死にの体験は、個人ではなく、まるごと世代の記憶でしょう。
一人、ふたり、鬼籍に移られ、もうここにはいない人たちも、ここにおられるのだという気持ちで、司会進行しております。
皆さまの真摯な読みが、応えてくださっていると感じております。
13 勢いで言ってしまった「サヨナラ」が恋を見つけた今でも痛い
14 紅色の甲殻の脚刃にひらき肉しろければ口にすすりぬ
12の歌。作者がどこに立っているのか、疑問を覚えました。つまり、長い影ふたつが橋をわたっているというのですから、素直に読めば作者は第三者としてそれを眺めている。
しかし「してはならない」と言っている以上は、第三者ではなく、当事者であると読める。
当事者であるなら、たとえば「長き影となる」などといったように描写しないと、捕まえきれないのではないでしょうか。
などと考えると、上句が手拍子で詠まれている気がして、うまく受け入れられませんでした。
13の作品は、過去の事象と現在とが併存しており、それをうまく叙述してあると思います。
ただ、つづめていうと「サヨナラが痛い」という文になる。本当は「サヨナラしたことによって〈何かが〉痛い」となるべきだと思います。そのため、少し舌足らずに感じます。
それと「恋を見つけた」というのは、慣用句的、散文的に響きます。
また、完了の「た」が2回用いられているのは口語の弱点かもしれません。
14。内容としては蟹(だと思いますが)を食べているというだけの歌。それをわざわざ一首にしているのですから、措辞のみによって何かを立ち上がらせようとしてあるのでしょう。
そうした歌であるためか、「紅色」「しろい肉」の対比が作為的にも思えますし、4句の「ば」という条件は思わせぶりにも感じます。三句以下に「体言→用言」が3回現れるのも、うるさい気がします。
9 天使でもゐたのだらうか陽射しあるトイレの中を見回している
10 ひとひ生くるよすがなるべし霜月の朝陽にしろき納豆の糸
11 この浜に車を停めて歩きだす日は暮れ Freedom, justice in Syria
8、結句について、主体的に走らせているものだとばかり読んでいたので、瀧口さんの「走るがままにさせている」という読みになるほどと思いました。
ただ、この結句は、少し音が緩むかなあと感じています。
初句「今宵また」は、「雪ふる」と「走らせてゐる」とどちらにかかるのか、ややあいまいかもしれません。
9の歌は、「天使」がちょっと大仰な気がしてとりませんでしたが、目にしている空間すべてが真っ白で明るく、驚きがあって、好きです。狭い空間がうまく切りだされていると思いました。
10は、「納豆の糸」と比して「よすが」が大きすぎる感じがしてとりませんでした。「霜月の朝」という時間の設定は成功していると思います。
そのほか、「朝陽」となさっていますが、この語をそこまで目立たせる必要があったかどうか。
11の歌、辰巳さんがシリアの公用語で書かれてもよいとおっしゃっていますが、下句はたしかに英語である必然性が感じられません。作者がなぜ海に来てこうした感慨を抱いているのか、ちょっと手が届かない感じがします。
また、「日は暮れ」と言いさしになっていることで、文章の構造が不安定になっている点も疑問です。
10 ひとひ生くるよすがなるべし霜月の朝陽にしろき納豆の糸
11 この浜に車を停めて歩きだす日は暮れ Freedom, justice in Syria
9は皆様の読みに助けられて像が結びつくやうになつてきました。これが歌会の勉強の醍醐味だとおもひます。仮名遣は直すとして、陽射しが聖性を感じさせるまでの光景をなしてゐるところが眼目でせうか。腰が「ある」よりも「射す」ことを中心にした表現をとると一興が増すかとも考へました。
10は瀧口さんのご指摘にある「生くるよすが」が大仰ではないか、といふ印象があります。たかだか納豆の糸にそんなものを見出すのは大袈裟ぢやないか。皆様の読みをうかがひたくおもひます。
11の英語の部分は何かの標語・スローガンだとすればそのまま書いた理由になるかと思ひますが、それがわかりません。自由と正義自体辰巳さんの指摘することも含めそもそもがあやういものですが、内戦の暴虐に曝されてゐるシリアのそれに対する主体の関心が摑めず、いまひとつ他人事で終つてゐるやうにおもへます。海を媒介せずともそこがほしかつた、といふのが自分の率直な感想です。
演歌になるギリギリのところで踏みとどまっている歌、という印象でした。でも好きです。点を入れようか迷いました。「冬ざれや」と「宇治橋」、ここはとてもセンスがいい!と感じました。長き影はくちづけの長さ、恋情の深さを表しているのでしょう。影なので夕暮れでしょうか。それもまた絵になり過ぎる気がするので、早朝とか深夜とか、時間をずらすなどどこかにオリジナリティーのある背徳感が描かれていてもよかったと思います。
「天使」「陽射し」「トイレ」の組み合わせに味わいがあって魅力的です。ただ、どこか作られた歌、というにおいがしました。「天使でもゐたのだらうか」と思うかなあ、ということと、さらにトイレを見回すかなあ、と。トイレの陽射し。言われてみれば窓が小さいからか、いつも人がいるわけではないからか、とてもきれいな瞬間がありますね。「天使」という言葉を使わずその時間が表されていても素敵だなと思いました。しかしそれだと作者さまの意図から外れてしまうのかもしれません。また、「天使でもゐたのだらうか」とほんとうに思ってトイレを見回すようなひとも素敵です。
みなさんのコメントを読んでいて、だんだん近付けてきたように思います。雪がふるのに水面、角の折れている馬。雨でなく雪がふるとしただけで独特の詩情が感じられるものなのですね。しんしんと静かに悲しいとも苦しいとも言いきれない何かが降り積もる。水面は主体がもともと抱えていたもので、雪が降っても降っても埋もれることのない涙でもあるのでしょうか。自分の中の獰猛な部分、傷つきやすい部分を飼いならそうとせずに走らせてゐる、そんな時間が歌われているようです。
3 毎日を残さずにふる雪にサブリミナルのように食べるシリアル
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
なかなか書き込めずすみません。
1は、さらっと読んでしまいました。「胸病めば」のひとことで、胸を病んでいないわたし(読み手)が置き去りになってしまうような気がして。ああ、きれいな歌だな、と思っても、そこから先に立ち入ることはやんわり拒否されているような気もします。お書きのように胸病むということのロマンチシズムが絵になり過ぎるのでしょうね。「春は北から」はとても繊細な感覚とともに、希望も感じられます。
3 「都会人の日常」、なるほど。そうですよね、「サブリミナル」「シリアル」とくればそうです。「毎日を残さずにふる」は、日々人が生活することによってうまれる感情の起伏やノイズを、雪がその白さや静けさによってすっぽり埋めてしまう、包んでしまう、という意味かなととりました。その日いちにちを次の日に残さないように。いつも新しい、でも同じような朝が始まるように。という。
4 わたしは、妻が、さびしい夫を見ている歌と読んでいました。ああ、でもみなさんのご意見を読むと、妻自身がさびしさを感じているという読みのほうが自然に思えてきます。さびしいのは姓のせいにしてしまう、そこに無理があることは重々承知のうえで。まさか、と思うんですが、いやよく考えてみると自分のなかにもそれに似た感情の持ち方は案外いくらでもあるのではないか、と思いました。そういうところをすくった歌というのはすごいですね。
9 天使でもゐたのだらうか陽射しあるトイレの中を見回している
10 ひとひ生くるよすがなるべし霜月の朝陽にしろき納豆の糸
8は、ただ美しい光景の歌と思っていましたが、佐藤さんと辰巳さんのコメントを読み、なるほどと思い、もう一度鑑賞し直しました。
声に出してみると、助詞の省略でしっかりと定型に収めてあるためか、はりつめた空気が伝わってきます。
最後の「走らせてゐる」は、主体が馬を積極的に走らせているのではなく、馬が走るのを制止しない・走るがままにさせている、ととりました。
抗い切れない厳しい運命を受け入れた、静かな心のうちが表れているように思いました。
9の歌から、私は冷たい視線を感じました。トイレを見回しているのは誰なのでしょう。具体的に描かれていませんが、天使に救いを求めていそうな、求めるしかないような人でしょうか。主体は、天使なんてどこにもいないと考えているような気がします。
10は、とみいえさんと同じく私も「蜘蛛の糸」を連想しました。
とみいえさんお書き>10:納豆の糸の描写が美しいです。「よすが」から芥川の書いた蜘蛛の糸も想起させますね。歌意もわたしはとても共感できます。少し寒い朝の納豆。床に触れる足裏の冷たさ、厳しい季節へ向かっていく覚悟のようなもの、繊細でまっすぐな生き方が伝わってきました。
ただ、私は共感というよりも驚きがありました。「白い納豆の糸、キターッ!」というテンションの高さとは全然違うのでしょうが、「生くるよすが」というものをまだ実感したことがなく‥‥‥。
納豆のパッケージにこの歌が書かれていたら、私は買います。
6 小雪散るコンビニへの道ポケットの中でつないだ手が暖かい
7 おおみそかかくれてふたりいただいたかずのこおいしゅうございましたね
5は、辰巳さんのお書きになつた「だけど、ほんとは、ごまかすほうが子供で、そんな子供の話でも、わかっていながら、一所懸命聴いてやるほうが、ほんものの、大人なんだよ、って。」を背景に浮かべて読みました。
七篠さんの読みも興味深く詠んだのですが、自分の読みが子供の方に行つたのは「大人」の漢字書きをそのまま受け取つたからかなとおもひます。
(七篠さんの4の読みも、歌の表現からは限界があるのではとおもひましたが、想像力の自然な展開としてなるほど、とおもひました)
6は辰巳さん、和里田さんそれぞれのコメントに頷きつつも、まづ「温かい」ではないか、といふ小さなところに引つかかる自分がゐました。あへて「暖かい」としたならばその不自然を超えるものはあるのか、と。ちよつと細かすぎるでせうか。
7…辰巳さんの「猫」の読み、をもしろく受けとめました。それならば、わかる。自分は「おいしゅうございましたね」の敬語表現に何があるのだらう、とこれまたひつかかつてしまひました。柔軟性がないのかな。
またのちほど。
また、「無口さ」という語法は正しいのでしょうか?
こちらをご覧いただければと……。
http://kotobank.jp/hanrei/daijisen/07.html
わたしはこれは、にんげんでなく、猫同士の会話している感じがし、少し、面白いなと思いました。取らなかったのは、「おいしゅうございましたね」の部分が、いらないので。
だって、二人でつまみ食いの隠れ食い、そりゃあ、格別うまいに、決まっています。
それから、二句め、「かくれてふたり」と、「ふたりかくれて」と、おなじ七音でおなじ意味でも、ニュアンスが違ってきます。「ふたりかくれて」と、したほうが、陰影が濃くなり、すると、「おいしゅうございましたね」の下句も、ニュアンスが変わってきます。
ダメ出しされた部分を取り換えるのではなく、微調整をまず、検討すると、丁寧に作れるようになります。
9 天使でもゐたのだらうか陽射しあるトイレの中を見回している
下句に、旧かな遣いの間違いがあります。もったいないですね……。
小原さんが、達者な読みをなさっています。
小原さんお書き:
9 「天使」のイメージの聖性と「トイレ」という汚濁のとりあわせがこの歌の魅力だと思います。イメージの方向性が正反対の二つの言葉が「陽射しある」という言葉でうまく無理なくつながっていて、新鮮に感じました。楽しい歌だと思います。
一面、まっしろな光景が浮かびます。
早速のコメント、ありがとうございます。
錯綜する時間帯ですが、気にせず、ご発言ください。連打になった場合、こちらで気づいて消去しますから。
3番の句またがりは、わたしにも無理でした。
「毎日を残さずにふる」の部分も、文意をつかめず、作者としては、あえて壊してあり、いい感じに壊れているかどうかを、問いたかったであろうかと推察します。
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
4番は、要約させていただくと、とみいえさんは、「夫を責めているわけではない、そこが魅力的」というご意見。
瀧口さん、姓のせいだなんて、非論理なのに驚き。
佐藤さんは、こう不自然(非論理とおなじ意味合いで)な言い方をされると、やはり、夫が悪いという意味に思えてしまうよ、ということでしょうか。
わたしは、この歌は、飛躍が欲しいと思いました。
飛躍とは、たとえば、「夫の姓」を、「今度の姓」と直してしまうとします。
4 十五年新たな友はできなくて今度の姓はさびしい名前
……あんた、前歴あったんかと。これぐらいぶっ飛ばしておくと、「さびしい」の意味合いも、がらりと違うものになります。ケセラセラ。
そろそろ5番、いきましょう。(1~4番について、追ってのコメント、また、6~8番への前倒しのコメントも受け付けます)
5 しおからい頬のあなたがはりつめて大人のことばを聴こうとしている
これは大変巧みな歌で、涙や汗とは書かず、「しおからい頬」に、想起させます。
七篠さんが、お書き。
5:真っ直ぐに読めば『叱られた子供』と見えますが、あえて曲解して。
不倫か、はたまた別れ話か、真実とは到底思えない《大人のことば》を投げかける男と女。いづれも情を断ち切れないでいる姿。そんな歌にも読め、愛・情・憎をとても上手く表現されている歌だなぁと感じました。
七篠さんの、このコメントを見てから、目からウロコで、2番の、「先生のようなひと」も、そのように読めるなと思ったのでした。
でも、そしたら、「大人のことば」って、ずるいなぁ~って、、
だって、「大人の関係」の意味の、オトナですよね。なんとか、はぐらかそうとしてるんだなぁ~って。
で、こんど逆に、男女でなく、文字通り、大人と子供の関係を描いてあるるとした場合、やっぱり、ずるい~
だけど、ほんとは、ごまかすほうが子供で、そんな子供の話でも、わかっていながら、一所懸命聴いてやるほうが、ほんものの、大人なんだよ、って。
件の「サブリミナル」について。
サブリミナル効果ってあの、映画なんかで視覚では認識できない1コマを挟み込み潜在意識に作用させるって奴ですよね?
3~4句のまたがりのおかげで『サブリミナル君』の自己主張がやたらと強すぎる割に、歌全体のイメージがいまひとつ捉えどころが無い気がします。
「サブリミナル」がどのように上句と結びつくのかが明確にイメージできないので句またがりに《否》が出されるんじゃないかなぁ?と、そう感じました。
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
「夫の姓はさびしい名前」これを読みまず真っ先に妄想しました。
主婦となり他人との触合いも少なくなる。子供繋がりでは○ちゃんのママと呼ばれ、その他世間様には○さん(夫の姓)と呼ばれ、自分の名前がすっかり行方知れずになってしまった。そんな哀しい15年をやんわりと振り返っている。
ふと昼下がりにでも独りになった時、さびしいって感じちゃったんだろうなぁ。このくらいの妄想を膨らませてくれる歌でした。
皆様に比べ稚拙な感想ですみません(´A`)
6 小雪散るコンビニへの道ポケットの中でつないだ手が暖かい
状況をそのまま歌にしたような作品で、辰巳さんの仰ることも判るものの、やはり「記憶に残る」と言う点において弱いのでとりませんでした。
7 おおみそかかくれてふたりいただいたかずのこおいしゅうございましたね
この歌も思い出をそのままトレースされたような感じでしたので下句の言い回しの工夫の他、心に留まるものが少なかったです。
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
「妻の方に友達ができない」と読みました。
「忌」とか「喪」とか名前についているのかもしれませんね。
名前のせいで友達ができないという理由付けがこの歌の淋しさの真の核心なのでしょうか。
僕が票を入れられなかった点は、上句が「説明過ぎ」という所と「読者が安易に同調してしまいがちな状況を作ってはいないか」という所です。
挽歌等もストレートすぎる者は苦手です。
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
6 小雪散るコンビニへの道ポケットの中でつないだ手が暖かい
7 おおみそかかくれてふたりいただいたかずのこおいしゅうございましたね
4について、私は「さびしい」が気になりました。上句で作った状況を着地させるところで、直截に「さびしい」と言ってしまうと、やや浅い感じがします。
6、順直に、遅滞なく述べてあって好もしいのですが、その分食い足りない感じがして、とりませんでした。
7は、ポエジーがどのあたりにあるのか、うまく受け取ることができませんでした。ひらがな表記は、会話文のようなつくりに合わせたものかと思いますが、そのことによって面白くなったかというと疑問です。
「会う」ではなく、「逢う」という語を用いていることより、主体は決して会いに行くことに否定的ではないのではないでしょうか。「先生のような人」とは、「いい意味にも悪い意味にも、なんでも知っていて自分には太刀打ちできないけれども惹かれる人」なのではと思います。相聞的な意味合いかもしれません。上句の表現がこれしかない、とは思いませんが、この上句が歌全体を台無しにしていることはないと思います。
また、「無口さ」という語法は正しいのでしょうか?
3 毎日を残さずにふる雪にサブリミナルのように食べるシリアル
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
5 しおからい頬のあなたがはりつめて大人のことばを聴こうとしている
4についての皆様のコメントを読んでいて思ったのですが、「新たな友」ができなかったのは妻と夫のどちらなのでしょうか。
私は妻ととりましたが、夫ととっている方もおられるように思いました。
5は選歌3首に入れようか、迷いました。
結局、「はりつめて」という表現がしっくりこなくて、選びませんでした。
子どもが泣いていて、大人が諭すとき、子どもはぴんと緊張した状態とは少し違う気がします。
まだ感情のコントロールが難しい中で、しだいに大人の言葉が耳に入るくらいまでに落ち着き、それを咀嚼し理解しようとする、それは無我に近いのではないでしょうか。
また、大石さんが「聴く」という漢字について触れられていますが、ここではききいれる、ききしたがうという能動的な行為だと思い、私はこの字でよいと思いました。
3 毎日を残さずにふる雪にサブリミナルのように食べるシリアル
4 十五年新たな友はできなくて夫の姓はさびしい名前
出遅れました。すみません。
2について辰巳さんの曲名を用ゐた批評はなるほどなるほどと理解しました。
ただ無口さの説明としては文字通りに受けとめたといふのが自分の読みです。
「先生のような」といふ直喩は「先生」といふ単語の持つイメヂ、つまり生徒との信頼関係が前提されてゐるといふことで「無口」が自然になる、と。
確かに「甘い」といへば「甘い」のでせうが。
3の句跨りは私には無理でした。「残さずにふる雪」のイメヂが掴めなかつたのもあります。
シリアルから都会生活を思つたのもたしかです。
4は女性特有以前にやはり上句に衝撃をうけました。
そんなのありか、と。
レアリテがどうしてもでてこないのです。
しかもそれを夫の姓に結び付けてゐるのが不自然ではないか、と。結婚前に考へなかつたのか、と。
余談乍ら自分の姓は日本一ありふれた苗字らしいのですが、かういはれたらなんともいへなくなつてしまひさうです。要は姓ではなく夫たる自分が悪いといつてゐるのではないかと思つてしまひます。
皆様の読み、ぜひうかがひたく。
自コメントの補足です。
私、この歌を読んでほんとに驚いたのです。
新しい友ができなかったこの15年というのは、夫の姓を名乗ってきた15年である。
この認識の仕方に、まず驚きました。そして「夫の姓はさびしい」。下句はウェットな感情ではなく「あーあ、このみかん安かったけどあんまり甘くなかったなー」っていうときの残念さと同じくらいの表現なのでは、と思ってしまい、さらに驚きました。
他の方の意見を読ませていただくと私の解釈は見当違いのようで‥‥‥。
ただ、もしこれが妻ではなく婿養子として入った男性の場合、「妻の性はさびしい」とは思わないと思うのです。「こんなもんだよ、俺の人生」と自己肯定的に諦めるか、「こんなもんなのか、俺の人生」と悩んだり、もがいたりする気がします。
さらにいえば。
そもそも、「熱帯魚」を「みつめる」って、ウソだと思うんです。みつめるほど好きなら、「熱帯魚」って、とらえ方に、ならないはず。
ですから、「先生のような」男のあいまいさがイヤなくせに、「逢いにいくような」女、って感じです。
そこで、歌謡ポップスのフレーズが、浮かんでしまうのです。
この歌は、好きな人は、そこが、好きでしょう。
とみいえさん、先にご意見、お書きですね。
失礼しました。
とみいえさんお書き。
4番について
独特の雰囲気があって気になっていました。七篠さまが「ただ下の句で《姓》と《名前》2つ重なっているのに少し違和感。」と書かれていたこと、確かに、と思いました。でも、ここにこの歌の雰囲気が宿っているのかもしれません。「さびしい名前」という言い方に優しさや静けさがこもっているようです。いつも、誰にでも「○○さん」と呼ばれるのでしょうね。妻である主体だけは夫の「さびしい名前」以外のものを知っているという意味もこめられているように感じました。「さびしい人」と言い切ってしまうような妻ではない。そこが魅力的です。
辰巳さんお書き>現実、事実、素材そのものからの距離感は、作品にも批評にも、掴めていてほしい。
この点は、すでに一周まわっていて、新鮮ではないかもしれないが、既視感にさいなまれるというほどではなくなっていると私は感じます。この歌が長く残るなら、なおその既視感は薄れることでしょう。
(ただし、このようなかたちで熱帯魚が登場する短歌は、比較的最近の作品から探せるかもしれません)
素材などからの距離感は、個人差があるということでしょうね。
いま、午後8時半から、深夜にかけ、4~7番へいきます。
いまから、4~7番について、どの歌が先でもよいですから、ご意見をうかがいたく。
その後、未明にかけ、8~11番へ。
さて、4番は、瀧口さんお書き。
4は、下句に驚きました。「夫の姓はさびしい」と言い切る作中主体に、男性にはない女性特有の意思が表れていると思いました。
七篠さんお書き。
4:身につまされるその『さびしさ』をひしと感じる歌で好きです。
ただ下の句で《姓》と《名前》2つ重なっているのに少し違和感。《姓》に対して『さびしさ』を強調する別の何かが来ればもっとグッと来る気がするんですが皆さんのご意見はいかがですか?
作者は、女性と推察されていますが……。
とみいえさん、小原さんに、同性として、どのようなご意見をお持ちか、うかがいたく。
わたしは、この句またがりは無理筋だと感じます。
(ちなみに、雪にサブ/リミナルのように、と読んでました)
ひとつには直前の「ふる雪に」が5音なので、前後を調整すれば句またがりにする必要がないと感じられるからだと思います。
もうひとつは「サブリミナル」が6音であり、十分定型に収められる形だからだと思います。
なにも、そんなに負荷をかけてまで、はみださせなくてもいいのではないかと感じています。
ついでながら「毎日を残さずにふる」の文意がまったくつかめていません。これはどなたか読みを提示していただけるとありがたいです。
とみいえさんお書き::読後、シリアルのサクサクサクという静かな音だけが、不気味さや閉塞感をともなった余韻として残ります。「サブリミナル」と「シリアル」の響き合いはなんとなくニヒルな印象です。上句、毎日降る雪が、その静けさで生活のノイズを残さずすべて埋めてしまうという意味ととりました。果てしなく単調な雪国での生活、それを受け入れながら生きているひとの営みを思いました。
わたしは、雪国での生活ではなく、都会人の日常を思いました。
毎日を/残さずにふる/雪にサブリ/ミナルのように/食べるシリアル
3~4句、またがる。この是非を、皆さんに、おうかがいしたく。
「熱帯魚」に、新鮮さがないと感じるのは、ウインク「熱帯魚」(わたしの~ 気持ちを ジョークにしないで~♪)のような、大ヒットした歌謡ポップスをまのあたりにしているからだと思うんです。
胸病む→けっかく!? という世代には、新鮮このうえないのでは。ほんでもって、「熱帯魚」の反対に、「寒水魚」とやられて、新しい! と思うかも。中島みゆき、だっちゅーの、、
ほんでもって、寒水魚は、シャケ、タラ、ニシン。ニシンといえば、「石狩挽歌」だっちゅーの、、、
「寒水魚」はアルバムの題名で、歌にはないけど、「石狩挽歌」(歌:北原ミレイ)は、ヨウツベで聴けます。
現実、事実、素材そのものからの距離感は、作品にも批評にも、掴めていてほしい。
さて、歌に戻りますと。
「熱帯魚」は、魚種の、明らかなほうがいいです。ピラニアでも、エンゼルフィッシュでも。つまりは、そこが、腕の見せどころなわけです。
辰巳さんお書きの「アイロニー」について。
なるほど、そうとるとしっくりきました。
おそらくこれは恋愛の歌で、恋から完全に覚めたわけではないけれど、相手からも恋愛自体からも少し引いて恋愛の中にいる主体が上句の「熱帯魚」からわかりますし。
ただそれでも、上句の比喩は新鮮さがないと思いました。また、上句を具体にすれば「先生のような」という直喩がもっと効果的やないかと。
(コメントをフォローしていただき、ありがとうございました。分かりにくくてすみません‥‥‥)
つまり、比喩だけでなく、具体(現実、事実)の提示が欲しい、ということですね。
ふと思いました。「先生のような人」は、アイロニーかもしれません。「センセイぶってんじゃないよ! アンタの本性はわかってるんだ!」ということかも、、、
この歌は、記名になると、力量のあるなしが、はっきりしてしまう歌と思います。
たとえば、歌集のなかにあって、不用意にあいまいにしてしまった作者なのか、確信犯的にぶっ刺す作者なのか、わかってしまうようなもの。
作者明かしが、たのしみです(´▽`*)
2 熱帯魚見つめるときの無口さで先生のようなひとに逢いにゆく
私は評価しませんでした。理由としては、上句、下句ともに比喩であることと、下句の字余りです。
感覚的なものがもやもやと膨潤することで歌の核が薄まり、散文的になっていると思いました。
ぜひ、ご活用ください。
正直のところ一読して心が少し揺れた一首でした。
大石さんのいふ「焦点がはっきりしない」で選びませんでした。
それぞれの言葉は心地よく響いてきます。
下句は安西冬衛の「春」と呼応しますね。
それと「ペイルブルー」のイメージが重なるのですが
「ひとしずく」「胸病めば」でイメージが拡散した観がありました。
「胸病めば」は結核に限らず心をひどく痛めたといふイメージでとりましたがそれでも下句と結びつきませんでした。
焦点が見えてくるとよりイメージが像を結んで受けとめられるとおもひます。
辰巳さんお書きの「ロマンチシズム」について。
初句「ペイルブルー」から、ロマンチシズムの強さにノレないところがありました。
ただ、胸病む=療養中の人間がロマンチシズムに傾くのはやむを得ないことである、と考えれば、歌全体が確かな主体像を結ぶものになっているのではないでしょうか。
和里田さん、大石さんお書きの下句の発想について。
下句の意味がいまいち分かりませんでした。北から春が来るというのはどういうことなのでしょうか。
胸を病むことで気圧・温度に敏感となり、北風の緩みから春を感じているのかな、と受け止めたのですが‥‥‥。
歌意に合っていないのかもしれませんが、この歌の韻律が好きです。初句7音、2句切れ、下句のカ音の多さが軽さを生んでいると思いました。
(現在、スマフォからコメントを書いてます。時間がかかるうえ、書きづらく‥‥‥直前のコメントを無視したような書き方になるかもしれませんが、お許しください)
「色合いの似通った言葉が並ぶ」、そのとおりだと思いました。
2番へいきましょう。
2 熱帯魚見つめるときの無口さで先生のようなひとに逢いにゆく
話題のポイントは、「先生のような人」と、あいまいにした表現が、成功しているかどうかですね。
大石さんは、あいまいさを積極評価。
佐藤さん、和里田さんは、あいまいさはあるが気にならないと、評価。
ここで、評価できない、もしくは、他に気になる点があるといった、反対意見をうかがいたく思います。
わたしは「逢いにゆく」の表現に、斎藤史「遠い春湖(うみ)に沈みしみづからに祭りの笛を吹いて逢ひにゆく」を想起し、この場合、想起させて成功していると思いました。「先生のような人」のあいまいさは、気になりませんでした。
この歌における「胸病めば」には、辰巳さんのおっしゃるような弱点がたしかにあると思います。
ただ、全体にぎちっと実景を詠んだ歌ではないように思えます。そうした歌には、このような表現も生かせる可能性があると感じます。もちろん、古いロマンチシズムに流れてしまっては台無しですが。
この作品において、「胸病めば」がしっかり生きてこないのは、最初から最後まで、色合いの似通った言葉が並び、焦点がはっきりしないからではないでしょうか。
ただし、外出、睡眠を摂られるなど、ご都合のある方は、連番にこだわらず、お書き込みください。
皆さん、件名に、○番と、お示しください。
どのご意見も、コピペで作品の掲出があると、ギャラリーも読みやすいと思いました。
どうぞよろしくお願いします。(*´▽`*)
https://twitter.com/tatumiyasuko/status/418629217010479104
作者明かしは、明日午後3時頃をめどにしましょう。
では、1番の歌から順に、話し合いましょうか。
1 ペイルブルーの空ひとしずく胸病めば春は北から来る心地する
わたしはこの歌は、「胸病めば」が、古臭くてイケないと思いました。病気といえば結核という時代の、文学的ロマンチシズムを彷彿とさせます。「胸」のどこらへんかが、もっと、見えてほしい。ロマンチシズムに、はぐらかされた感じがします。
間違いあれば、ご指摘くださいますようお願い申し上げます。
とみいえさん、佐藤さん、助かりました。ありがとう!
では、質疑応答、コミュニケーション、自在にお願いします。
わたしは、6.8.11を選びました。
6 小雪散るコンビニへの道ポケットの中でつないだ手が暖かい
この歌は、いわゆる歌会で、まったく点の入らない歌の典型です。
ありふれた光景のうえ、表現に芸がないからですが、ありふれた世界を、そつなくまとめています。57577に、そつなくまとめるのは、意外に難しく、芸に走るうちに、実感の伴わない表現となることが、ままあります。
素直に、凝らさず書けている点を、評価しました。
8 今宵また雪ふる胸の水面に角折れた馬走らせてゐる
角の折れた馬は、あたかも、オルゴールの中の踊り子のようですね。胸をひらくと、角の折れた一角獣が、氷の上を走り出すのでしょう。
さりげないことですが、「角の折れた一角獣」とやってしまわなかった点を評価しました。角が折れてしまえば、一角獣でもなんでもなく、取り返しのつかない手負いの、「馬」でしかありません。
そのとらえ方の厳しさが、全体を、生かしたと思います。
11 この浜に車を停めて歩きだす日は暮れ Freedom, justice in Syria
野心作として評価しました。
しかし、なぜ、英語なのでしょう。日本語で、「自由」、「シリアの正義」と書いてよかったのでは。
思えば、日本の「自由」も「正義」も、危ういものです。前者は市民のエゴに利用され、後者は国家のエゴに利用されています。
シリアの公用語で書かれていてもよかったと思います。
いずれにせよ、海で世界のつながる印象の仕上がりが、欲しいと思いました。
すぐに得点集計し、親記事のほうへ反映しますね。
10分ほど、お待ちください。
気になさらないでください
またコメントを入れてください。
司会の辰巳さん、さてこれからいかがしませうか。
辰巳さんの選歌を先に出すか
多くの票を集めた歌からとりあげるか
一番から順に読み合つてゆくか
ご提示をおねがひしたく存じます。
独特の雰囲気があって気になっていました。七篠さまが「ただ下の句で《姓》と《名前》2つ重なっているのに少し違和感。」と書かれていたこと、確かに、と思いました。でも、ここにこの歌の雰囲気が宿っているのかもしれません。「さびしい名前」という言い方に優しさや静けさがこもっているようです。いつも、誰にでも「○○さん」と呼ばれるのでしょうね。妻である主体だけは夫の「さびしい名前」以外のものを知っているという意味もこめられているように感じました。「さびしい人」と言い切ってしまうような妻ではない。そこが魅力的です。
1、2、5を選びました。
1 ペイルブルーの空ひとしずく胸病めば春は北から来る心地する
2 熱帯魚見つめるときの無口さで先生のようなひとに逢いにゆく
5 しおからい頬のあなたがはりつめて大人のことばを聴こうとしている
1は「春は北から来る」という発想に惹かれました。
ただ、結句の「心地する」は無いほうが、より端的な表現になるのではないかと感じます。。
また、胸を病んでいるという状況において、「ペイルブルーの空ひとしずく」の音の明るさがマッチするのかどうか。この点、皆さんのお考えを聞きたいと思いました。
2は上句の比喩がきちんとしていますし、全体の構成に揺らぎがなく、好もしく思いました。
「先生のような」をあいまいに感じる方もあるかもしれませんが、私はむしろこの「ような」というおおまかな把握が好きです。
5は「しおからい頬」という表現に惹かれました。
一方、「あなた」は不要だとも思います。「しおからい頬」だけで一人の主体が確立できるのではないでしょうか。
これを削ることによって、聞いている主体の属性(たとえばこどもなのか大人なのか)をはっきりさせる言葉をいれられると思います。
もうひとつ「聴く」という漢字は、どちらかというと純粋に音を聴くときに用いられる傾向があるので、「聞く」という字のほうがこの歌には合っているのではないかと思いました。
7:おおみそかかくれてふたりいただいたかずのこおいしゅうございましたね
10:ひとひ生くるよすがなるべし霜月の朝陽にしろき納豆の糸
3:読後、シリアルのサクサクサクという静かな音だけが、不気味さや閉塞感をともなった余韻として残ります。「サブリミナル」と「シリアル」の響き合いはなんとなくニヒルな印象です。上句、毎日降る雪が、その静けさで生活のノイズを残さずすべて埋めてしまうという意味ととりました。果てしなく単調な雪国での生活、それを受け入れながら生きているひとの営みを思いました。
7:なんだかこわいです…。でもとてもきれいな日本語。すべてひらがなというインパクトも効いています。秘密の関係なのでしょう。深く静かな恨みも立ち上ってくる、不思議な歌。
10:納豆の糸の描写が美しいです。「よすが」から芥川の書いた蜘蛛の糸も想起させますね。歌意もわたしはとても共感できます。少し寒い朝の納豆。床に触れる足裏の冷たさ、厳しい季節へ向かっていく覚悟のようなもの、繊細でまっすぐな生き方が伝わってきました。
5:しおからい頬のあなたがはりつめて大人のことばを聴こうとしている
14:紅色の甲殻の脚刃にひらき肉しろければ口にすすりぬ
を選びました。
4:身につまされるその『さびしさ』をひしと感じる歌で好きです。
ただ下の句で《姓》と《名前》2つ重なっているのに少し違和感。《姓》に対して『さびしさ』を強調する別の何かが来ればもっとグッと来る気がするんですが皆さんのご意見はいかがですか?
5:真っ直ぐに読めば『叱られた子供』と見えますが、あえて曲解して。
不倫か、はたまた別れ話か、真実とは到底思えない《大人のことば》を投げかける男と女。いづれも情を断ち切れないでいる姿。そんな歌にも読め、愛・情・憎をとても上手く表現されている歌だなぁと感じました。
14:これを読んでまず思ったのが「カニ喰いてぇ!」でした(笑)
先に小原さんも書いていらっしゃいますが、心理描写が一切織り込まれておらず「こんなのアリなんですか??」と戸惑いました。が、自分には絶対できない表現だなと感じた事と、鮮烈にその映像をイメージさせる共感力に惹かれ選びました。
歌会に参加される皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
私は4、12、14を選びました。
4は、下句に驚きました。「夫の姓はさびしい」と言い切る作中主体に、男性にはない女性特有の意思が表れていると思いました。
12は、濃密な物語性に惹かれました。喚起力の強い語彙が続く中、最後の固有名詞が効果的と思うか、過剰と思うか、他の方のご意見をお聞きしてみたいです。
14は、蟹を食べている場面の歌だと思いますが、なんだか不気味でした。上句の即物的な描写も、下句「肉しろければ」とわざわざ書いてあるところも、鬼の行為を見ているような怖さを感じました。
9 「天使」のイメージの聖性と「トイレ」という汚濁のとりあわせがこの歌の魅力だと思います。イメージの方向性が正反対の二つの言葉が「陽射しある」という言葉でうまく無理なくつながっていて、新鮮に感じました。楽しい歌だと思います。
10 上の句で心情を詠い下の句で情景を描写する構成の歌ですが、下の句の冷たく清潔な感じに魅かれました。下の句に「霜月」の「し」、「朝陽」の「さ」、「しろき」の「し」と、鋭いエスの音が三度あることが清潔な印象を強めているように思います。
14 一首通して情景描写の歌です。心情描写をせず、少し無愛想なくらい描写に徹しているところが、もくもくと食べている様子を鮮やかに切り取ることに寄与していると思います。
以上です。よろしくお願いいたします。
2:熱帯魚見つめるときの無口さで先生のようなひとに逢いにゆく
5:しおからい頬のあなたがはりつめて大人のことばを聴こうとしている
1は北から春が北から来るという発想が効いているかと思いました。静かな歌ですね。
2は不思議さが余韻のように残る魅力がありました。「熱帯魚を見つめるときの無口さ」も「先生のような人」も判然としないけれど、心に残るものがあります。
5は技術的上手さが光っていると思います。5.大人のことばと、視点を変えた表現が良かったです。
2は第四句をどうとらへるかで悩むところですが
上句の美しさが印象に残りました。
その無口さが逢ひにゆく相手への懸想を示してゐるやうです。
5は腰が説明になつてゐるといふ評もでるかと思ひます。
ただ大人に叱られて泣いた後の子供の様が
上二句に的確に表されてゐて
その腰の「はりつめて」が際立ちます。
8は一角獣を出してもだもだの内面を表してゐると読みました。
解毒の角が折れてゐるところが鑰かとおもひます。
皆様のご意見をうかがひたくおもひます。
よろしくおねがひします。
例)
1、2、3を選びました。
1は、エッチな感じがしていいと思いました。しかし、○○という言い方を、一般にするでしょうか。短歌だから、こういう表現になるのでしょうか。皆さんのご意見を伺いたく思います。
2は、共感できました。
しかし、これだったら自分が作ればよかったというか、自分にはできない、してやられたというような、新味が欲しいとも思いました。
3は、第一印象、目立とうとしている感じが、イヤだなぁと思いました。
しかし、自分にはできないと思ったので、買いました。
皆さんは、どのようにお感じでしょうか。
…………
辰巳は、一応、主宰なので、自分の選歌は、最後に書きますね。
では皆さん、コメントをクリック!
出詠者と詠草への敬意に裏打ちされた
誠実な読みと発言をお願ひします。
内輪褒めにおはるのでもなく
否定に帰着するだけでもなく
参加者それぞれの今後の作歌活動に
一点の灯りをともす議論を期待してゐます。
それでは、よろしくおねがひします。