歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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命日

2013-12-05 00:24:06 | 日常
三十三年前のきょう。



泰子の、おじいちゃんが、亡くなったんだよ~

亡くなる間際の9月に、短歌を始めたので、よく覚えています。

おじいちゃんの忌日を数えるのは、わたしにとり、短歌を続けた歳月を数えるのと、おなじになりました。

わたしが、三つになったか四つになったかの、正月のこと。

晴着を着、おじいちゃんに連れられ、散歩にでかけた……それが、なんと、駅前に来て、はぐれてしまった!

そのときのこと、覚えてる。
気がついたら一人ぼっち、十三の、京園の前にいた。
晴着姿で心は弾む。

でも、このスクランブルを渡ったら、あの世やな、ここ三途の川と。
三つ四つの幼心に、はっきり、あの世を感じた、、
それで、覚えてる。

渡っちゃダメだーー!!

……その後のことは、覚えていない。
おじいちゃんは、はぐれたとわかってすぐ、家に戻り、やっちゃまとはぐれたと、言ったらしい。
そして、「よく捜しもしないで」と、おじいちゃん、責められてるとこ、やっちゃま、なんと自力で、一人で、戻ってきたらしい。

家と十三駅の距離は、約700メートル。
あの町でよく、人さらいに遭わなかったものだ。
お正月の晴着を着ていたのが、目立って、かえって、よかったのかもしれない。

おじいちゃんは、「捜しもしないで自分だけ帰ってきた」と、その後も、かなり長い間、責められていたけれど、それはちょっと違うと、泰子は思ってる。
おじいちゃんは、杖なしで動けなかったし、目も耳も、かなりわるかった。
はぐれたこと、すぐに伝えようとしたのが、祖父の、冷静と誠実ではなかったか。

おじいちゃんといえば、新聞。
新聞といえば、おじいちゃん……というほど、祖父は、新聞を読むのを、好きでした。
目がわるいので、ずいぶん近づけて読んでいました。
そして、目がわるいせいか、気配に敏感でした。

ところで、ある子が、いうんです。
認知症になったおばあちゃんのことを、皆がわるく言うようになって、おばあちゃんが死んだとき、わたし悲しくなかった、それって、どうなんでしょう、って。

もちろん、即座に、こう答えたのさ。

あなたがもっと大人になって、おばあちゃんの人生に学ぶことが必ずある。
だから、ずっと、ずっと、折に触れ、思い出してさしあげて。
そのとき悲しむばかりが、弔いではない。
それにまた、その人の人生に学ぶ以上の、弔いは、ないって。

戦争の時代に、するもしないも、わたしたち自身ですね。
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