歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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美しい事

2012-06-17 07:36:14 | 日常
まだ草稿なのですが……。
「月鞠」12号、「歌論五」から、引用します。
よろしければ、皆様、ご購読ください。

…………………………

(前略)

旧かなを美しいと思ったから、旧かなだったのです。こうした動機を持つ者にとり、どちらが正しい、ふさわしいというのは、ひどくばかげて聞こえます。魅力というのは、元来、適切か不適切かによって、語られるものではないからです。とはいえ、適切という承認を受けなければ、媒体を失い、作品を周知させることができません。むろん、媒体の編集者、なかでも若い世代の人々が、こうした時代背景、歴史を知らないとするなら、残念なことですが、自分も、後で知ったのです。事情など、後で知ればいい。

(中略)

ごく私的な、打ち明け話ですが、そもそも、旧かなで書かれた物に触れた、いちばん初めは、なんであったか、思い出していました。それは、「太陽」という雑誌でした。「太陽」に組まれた、近代詩歌の特集に、わたしは、夢中になったのでした。小学校の中学年……十歳になったか、ならないかの頃でした。「太陽」は、母が営む喫茶店に置かれており、自宅から、喫茶店のある三国まで、踏切を越え、工場地帯を過ぎ、徒歩三、四キロも歩いて、日参したのでした。それが短歌であるという分野の意識を持ったのは、理知がはたらくようになってからのことで、その頃、つまり、説明する言葉を獲得する以前、魅入られてしまっていては、その以後に、何をどう語ろうとも、説明すること、すべて後付です。後付に過ぎないのに、これこれを自己の言説であると、とても言い通せそうになく、子供の足で、あの道のりを、おのずから歩かされた事実に触れるのみとするのが、いっそ誠実ではないかと、内心、思っています。

…………………………

子供の記憶で恐縮ですが、、、70年代は、近代詩歌の特集、ばんばんやってました。
白秋も啄木も、晶子も、「太陽」で、知りました。

ところで、お花。



もう咲いていた、夾竹桃。
早すぎ。
福島で原発の壊れた去年、町じゅう、夾竹桃の咲きが、わるかったです。
放射能のせい?

あぁ、でも、きれい。
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