散歩道にある、いつものお寺の門口で、撮りました。
真っ赤な鶏頭花。
この日は、鶏頭花を探しに出た日でした。
これが鶏頭花だという花に、逢いたい、逢いたいと、おもっていたのでした。
でも、この花は、花というより、じっと佇むひとのようで。
……それに、アスファルトが濡れています。
根方だけ。
撮って、なぜか胸騒ぎがし、しまってあった一葉。
しばらくして、ここのお寺のご住職が、亡くなられたとうかがいました。
夏には海芋の咲く池があり、そこには弁天様がいらして、鯉が棲み、花の寺といっていいほど、いつも花が咲いています。
そして、ご住職は、お見かけするときいつも、掃除をなさっていました。
手入れが大変だろうに、檀家やお参りの人だけでなく、一般の通行人にも開放されて。
わたしはただの通行人ですが、掃除をなさっているお姿を見かけるにつけ、ただ通るだけでも汚すのだから、少しの硬貨を、お賽銭箱に入れさせていただくことも、多かったんです。
亡くなられたとうかがい、鶏頭花の、根方が濡れていたのを思い出し、はっとしました。
花は、お寺の中に咲いたものでないのです。
門口の、アスファルトを打ち破って、自生したものでした。
それにも、水を、遣っておられたのだ。
茎が太くたくましいのは、今年限りの花で、なかったからでしょう。
ただそれだけのことですが、こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。
わたしの住まいは、首都の、旧農村部にありますから、大阪弁でしゃべっていれば、大阪人のくせに、余所者のくせにと、いう人だって、ありますよ。
だけど、皆が、ではない。
それを言うひとこそが、居場所のない思いを、なさっていたりするのです。
こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。
ご住職の、ご冥福を、お祈りします。
真っ赤な鶏頭花。
この日は、鶏頭花を探しに出た日でした。
これが鶏頭花だという花に、逢いたい、逢いたいと、おもっていたのでした。
でも、この花は、花というより、じっと佇むひとのようで。
……それに、アスファルトが濡れています。
根方だけ。
撮って、なぜか胸騒ぎがし、しまってあった一葉。
しばらくして、ここのお寺のご住職が、亡くなられたとうかがいました。
夏には海芋の咲く池があり、そこには弁天様がいらして、鯉が棲み、花の寺といっていいほど、いつも花が咲いています。
そして、ご住職は、お見かけするときいつも、掃除をなさっていました。
手入れが大変だろうに、檀家やお参りの人だけでなく、一般の通行人にも開放されて。
わたしはただの通行人ですが、掃除をなさっているお姿を見かけるにつけ、ただ通るだけでも汚すのだから、少しの硬貨を、お賽銭箱に入れさせていただくことも、多かったんです。
亡くなられたとうかがい、鶏頭花の、根方が濡れていたのを思い出し、はっとしました。
花は、お寺の中に咲いたものでないのです。
門口の、アスファルトを打ち破って、自生したものでした。
それにも、水を、遣っておられたのだ。
茎が太くたくましいのは、今年限りの花で、なかったからでしょう。
ただそれだけのことですが、こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。
わたしの住まいは、首都の、旧農村部にありますから、大阪弁でしゃべっていれば、大阪人のくせに、余所者のくせにと、いう人だって、ありますよ。
だけど、皆が、ではない。
それを言うひとこそが、居場所のない思いを、なさっていたりするのです。
こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。
ご住職の、ご冥福を、お祈りします。