田川市石炭・歴史博物館のブログ

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ミニ企画展のお知らせ

2022年06月25日 | 日記

6月も残り少なくなりました。

今日は7月からの企画展のお知らせです。

 

色に魅せられた生・墳時代の人々」

田川市内で発掘調査で出土した赤色顔料について、分析の結果や福岡県内や周辺から出土した

関連資料をもとに、弥生・古墳時代の人々の色彩について、最新の発見と研究成果を紹介します。

 ●会期 7月12日(火)~10月2日(

 ●会場 田川市石炭歴史博物館 第3展示室

  ※開館時間などは、ホームページでご確認ください。

展示資料には、この企画展が初出品もあります。

詳細はこちらをご覧ください。↓ ↓

 


WEBシンポジウム

2022年06月19日 | 日記

アプリを使ったWEB上の会議や研修、講演会などは、会場に行かなくても遠隔地からパソコンの画面で参加できるものとして、コロナ禍の中で急速に普及してきました。

今年6月は、2つのWEBシンポジウム(講座)が開催され、画面越しですが、当館学芸員も講演(発表)を行いました。

6月11・12日は、台湾と日本の鉱業文化をテーマとした「臺日礦業文化國際交流研討會(ママ)」(台湾・文化部文化資産局主催、など)が開催され、当館学芸員が「世界の記憶」登録10周年の歩みについて講演を行いました。

6月17日は、「SDGsから考える脱石炭:いま筑豊炭田から何が学べるか」(アジア経済研究所主催、田川市・田川市教育委員会後援、など)で、当館学芸員が炭坑閉山後から田川市石炭・歴史博物館の現在に至るまでの歩みを発表させていただきました。

WEBによる講演会などは、会場への移動がなく便利である反面で、会場の雰囲気がわからず、空気が読めないので、逆に緊張してしまいました。今後もこのような機会は増えていくと思いますので、慣れていかないといけないとは思いますが、個人的には、やっぱり会場での対面の講演が楽しいかな・・・。

(※写真は、台湾WEBシンポジウムの様子です)


高校生就業体験☆ミ

2022年06月10日 | 日記

みなさま こんにちは

高校生さんが就業体験に来てくださいました

ブログに登場していただきます。

 

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改めましてみなさん、こんにちは

6月6日から5日間、インターシップで田川市石炭・歴史博物館にお邪魔しました。

今回のインターシップには、今後の進路選択に生かせたらと思い参加しました。

また、地元田川の博物館で働かれている学芸員の方の仕事内容に興味があったため、

田川市石炭・歴史博物館を選びました。

 

石炭・歴史博物館には小学生の時に一度来たことがありましたが、

当時は展示の人形が怖くてしっかりと見れていない部分がありました。

なので、あらためて学芸員の方の解説を聞いたりお借りした本の話を

照らし合わせたりしながら展示をじっくり見ることができて嬉しかったです。

 

また、炭坑の他にも学校の日本史では習わないような細かい部分の歴史のお話も

聞かせていただけることができてとても楽しかったです。

他にも、須恵器の中から好きなものを選んで実測図を描く作業をさせてもらいました。

少しのへこみも定規で測って図にする繊細な作業で、

出来上がったときにとても達成感を感じ、貴重な体験でした。

 

初日はかなり緊張していましたが、笑顔で声をかけてくださる方や

戸惑っていると優しく教えてくれる方など、心温かい職員の方々のおかげで

充実した5日間を過ごすことができました

そして、私たちが博物館に行くとき当たり前に感じること

(職員の方の接客・見やすさ・物の状態など)は裏で職員の方が

いろいろな工夫を凝らしてくれているものの上に成り立っているのだと強く感じました。

今回学んだことを今後いろいろな場で生かしていきたいと思います。


夏が来た

2022年06月07日 | 日記

カシャカシャカシャ、かき氷機が回り雪のような氷が積みあがっていきます。      

いちごシロップをかけて召し上がれ。

さて、夏の到来とともに「かき氷」が恋しいシーズンとなってきました。

ひんやりとした口当たりもそうですが、薄く削られた氷が涼しさを誘います。       

歴史上(記録されている)最初のかき氷は、平安時代の清少納言が記した『枕草子』に出てくる「削り氷」と言われています。

冷蔵庫や製氷機のない時代、ごく一部の人しか食べられなかったこの贅沢品は、冬の間に天然の氷を切り出して、

山中の穴ぐらや洞窟の奥に作った「氷室」に保存し、わずかに残った部分を少しずつ出してきたものでした。

 

明治時代に入ると製氷機が開発されたこともあり、やっと一般でも氷を手に入れることができるようになりました。

田川では、香春町で明治前半ごろの雪穴「呉中平(くれなかだいら)雪穴」が遺跡として残っています。

1878 (明治11)年、粗悪な氷の販売を取り締まるために内務省から「氷製造人並販売人取締規則」が公布され、

営業者は衛生検査に合格した氷の生産地・販売者名を示したのぼりの掲示が義務付けられました。

これが現在の「氷旗」のデザインの元になっています。

 

田川で氷といえば、「豊州製氷」さんです。田川伊田駅から彦山川へ歩いて「新橋」を渡ると見えるレンガ建物が目印です。

田川が石炭の町であったことは全国的に知られていますが、炭坑でけが人が出たときに患部を冷やすために氷の需要があったようです。

1923(大正12)年に氷製造配給組織を作り、大型の急速冷凍機と高い断熱性能をもった保冷設備の建物を整えました。

八幡製鉄所産の鉱さいレンガとポルトガル産のコルクを取り寄せた保冷設備が、今のレンガ作りの建物です。

                「田川市の近代化遺産基礎調査(第1次)報告書」より

 

この氷でのかき氷は、田川伊田駅前の喫茶店で食することができます。

伊田の駅舎を眺めながら、100年の歴史を噛み締めてみてはいかがでしょうか?