田川市石炭・歴史博物館のブログ

〒825-0002 福岡県田川市大字伊田2734番地1
TEL/FAX 0947-44-5745

懐かしの名画祭を行います

2017年06月29日 | 日記

梅雨入りしたというのに、あまり雨が降らなかったのですが、今週はちょっとぐずついたお天気が続いてますね

 

さて、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、

当石炭・歴史博物館は、「田川市教育委員会文化生涯学習課文化係」という部署が所管している博物館です

この文化係では、博物館の運営のほか、芸術文化の振興に関することなどのお仕事もしています

その一環として、今年も「懐かしの名画祭」というイベントを行います

開始から24回目を迎える今回は、

平成29年7月29日(土)・30日(日)の両日、田川青少年文化ホールで開催します。

上映する映画は「めぐりあい(1968年)」、「約束(1972年)」、「八月の濡れた砂(1971年)」、「忍ぶ川(1972年)」の4本。

なお、上映開始は両日ともに10時(開場9時30分)からで、入場料は500円です。

詳しくは田川市のホームページをご覧ください

http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/kiji0034862/index.html

たくさんのお越しお待ちしていま~す


田川のコト 第十回:田川郡⑦福智町

2017年06月26日 | 日記

みなさん、こんにちは!

田川のコトを、少しでも多くの方々に知っていただこうというこのシリーズも、いよいよ今回が最終回となりマス。
ラストを飾りますのは、田川郡の北部に位置する福智【ふくち】町についてデス♪

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回 第六回 第七回 第八回 第九回

彦山川に中元寺川が合流し、町の中心部を大河が流れるこの福智町。
しかし、田川郡福智町と聞いても、いまいちピンとこない方も多いのではないかとオモワレマス。

それもそのはず、この町名が生まれたのは約11年前のことでして、それまでは「金田【かなだ】町」・「方城【ほうじょう】町」・「赤池【あかいけ】町」でありまして、平成の大合併と呼ばれた市町村合併において田川郡で唯一合併して生まれた町です。

町の由来は、北九州市の皿倉【さらくら】山から南へ連なる福智連山の最高峰である福智山(901m)から採られマシタ。

筑豊のご多分に漏れず、やはり大中小の炭鉱がたくさんありましたが、その中心となったのは旧方城町にあった「三菱方城炭鉱」デス。
1902年に開坑したこの炭鉱は、当時東洋一と言われた270mの竪坑を持ち、二瀬村(現飯塚市)の官営製鐵所の二瀬炭鉱、我らが伊田村(現田川市)の三井の伊田竪坑と合わせて日本三大竪坑と呼ばれてオリマシタ。

なお、福智町の炭坑は、筑豊炭田の中でも最も古い歴史持っていまして、江戸時代の小倉藩でも採掘されていた記録があるンデス♪

それでは、そんな福智町について、いくつかご紹介しまショー!

◆福智町の焼き物といえば「上野焼」。
わび茶の創始者「千利休【せんのりきゅう】」の高弟で、利休七哲のひとりでもある細川忠興【ただおき】公が小倉藩主の時代、朝鮮の陶工を招いてひらいた「上野焼」。
【うえのやき】と読んでしまいたくなりますが【あがのやき】が正解デス。

旧赤池町の上野エリアに行きますと、たくさんの窯元がアリマス。
しかし、やはりイキナリ窯元に赴くのはハードルが高いモノです。

そんな方は、上野の入口附近にある「上野の里ふれあい交流開館」に行ってみましょう。



ココに行けば、さまざまな窯元の作品をいっぺんに見ることができます。
値段については、大きいものやモノによってはウン万円するものもありますが、1000円台で買えるものもたくさんありますので安心してくださいマセ。
お隣には農産物の直売所もありますので、陶芸だけでなく地元の新鮮な野菜などもお安ゲットできちゃいます。
そこでお気に入りの窯元を見つけたら、ぜひ直接窯元まで足を運んでみてくださいネ♪

◆福智町の炭鉱遺構といえば「九州日立マクセル赤煉瓦記念館」さん。
先述の三菱方城炭鉱の跡地に残る、正真正銘110年以上に前に建てられた煉瓦造りの炭坑遺構デス!


元々は炭坑内に空気を送る作業をしていた「坑務工作室」なのですが、現在も操業している九州日立マクセルさんの工場の中に位置し、現在も現役のショールームとして使われているため自由見学はできませんが、平日に限り前日までに予約することで、解説付きで見学を許可されてオリマス。

内部はリフォームされておりますが、外観はそのままですし、内部の鉄骨のリベットなども含めて、往時の炭鉱の様子を伝えてくれておられマス。

◆福智町のその他の炭鉱遺構
整備・保存されている遺構はありませんが、町の中を散策しておりますと、「コレって炭鉱遺構じゃね!?」と思われる残り香をアチラコチラで味わうことがデキマス。



運炭線の橋脚かなーって感じのコンクリート遺構トカ。



炭鉱全盛期にはたくさんの人たちで賑わってたんだろーなーってな、炭住(炭鉱住宅)前の商店だったりとトカ。
(ちなみに、現在も駄菓子屋さんと八百屋さんだけ営業中でしたヨ!)。

昭和生まれのスタッフには、何だかナツカシイニオイのする街角が沢山アリマシタ。

「文化財」という言葉は「人類の文化的活動によって生み出された有形・無形のモノ」とも解釈されますが、これらの人々の生きてきた街並みも、ひとつの文化財と呼べるのかもしれませんネ!

と、長々と10回に渡りましてお送りしてまいりましたシリーズ「田川のコト」。

遠方から田川市及び当博物館へ足を運んでいただいた皆さまに、少しでも田川を楽しんでいただこうと始めたシリーズなのですが、ワタクシ博物館スタッフも色々な場所をフィールドワークしてみて、今まで知らなかったコトを学べマシタ。

まだまだご紹介しきれないネタがたっくさんアリマスので、また機会があればご紹介させていただきますネ!


今年もやります!博物館トーク2017

2017年06月26日 | 日記

6月24日(土)9時30分から放送された「福岡人志、」、ご覧になられたでしょうか?

松本人志さんが当博物館を見学される様子がばっちり映ってましたね

松本人志さん、小峠英二さん、黒瀬純さんが見学した当博物館に、みなさんも是非ご来館くださいませ

お越しになる際は、事前に休館日情報をご確認くださいm(_ _)m

http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/kiji0034599/index.html

 

さてさて、もう6月も終わろうとしていますね。ということは、もうすぐ夏休み

みなさんご予定はもうお決まりでしょうか

今回は、夏休みの恒例イベントとなりつつある「博物館トーク」のご案内です

館長をはじめ当館が誇る学芸スタッフが、それぞれの研究テーマについて熱く語ります!!

7月30日(日)、8月6日(日)、8月27日(日)のいずれも13時30分から15時30分まで(7月30日は15時まで)、

田川市民会館2階視聴覚室で行います

参加費無料で事前の申し込みは必要ありません。当日会場にお越しください

詳しい内容は、田川市ホームページに掲載していますのでご覧ください

http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/kiji0034863/index.html

たくさんのご参加お待ちしています


お笑い界のレジェンドにご来館いただきました!

2017年06月14日 | 日記

だんだんと夜明けが早くなり、日没が遅くなって、夏の足音が聞こえてきそうな時期になりました。

博物館は、月曜日の休館日を除き元気に開館していますので、ぜひ足をお運びくださいね

 

さて、情報解禁のご連絡をいただきましたので、満を持してのお知らせです

実は、先月某日、当博物館にFBS福岡放送の方々が取材にいらっしゃいました。

番組名は「福岡人志、」

なんとなんと、あの「ダウンタウン」の松本人志さんがご来館されたのです

そして、「バイきんぐ」の小峠英二さん(田川郡出身)と「パンクブーブー」の黒瀬純さん(福岡県出身)も一緒にご来館されました。

短い時間でしたが、たくさんのスタッフのみなさんとともに、第1展示室と屋外展示場、産業ふれあい館を見学された3人。

中でも、第1展示室にある旧三井田川鉱業所伊田坑のジオラマ模型に興味津々の様子でした。

 

番組は、FBS(5チャンネル)で、平成29年6月24日(土曜日)午前9時30分から放送される予定です。

当博物館だけじゃなく、田川地域のあちらこちらをいろいろ訪れているみたいですよ~

番組のホームページもぜひぜひご覧ください。リンクはこちら→http://www.fbs.co.jp/fukuokahitoshi/


作兵衛翁と明神坂 その1

2017年06月10日 | 日記

皆さん、こんにちは。

当館に所蔵しています、ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)に登録されている山本作兵衛翁の炭坑記録画の意義のひとつは、明治中期から昭和戦中期にかけての『筑豊の炭坑の公的記録にない細かな様子が文章と合わせて描かれている』ことなのですが、もうひとつが、『当時の庶民の生活や考え方、風俗、文化、芸能、歴史』などが絵の中にちりばめられていることです。

その一例として、二枚の墨絵に出てくる「明神坂」という地名の話題をご紹介します。

田川市石炭・歴史博物館/田川市美術館発行の「炭坑(ヤマ)の語り部・山本作兵衛の世界~584の物語」という図録の中で、図録番号【166】「昔のヤマ人7(二日市温泉まで入湯患者を運ぶ)」、ならびに【181】「ヤマと狐(やけど患者の輸送)」と題された絵です。

※なお、山本作兵衛コレクションの絵は、全て特設サイト『山本作兵衛氏 炭坑の記録画』でご覧いただくことができます。

バスも鉄道もまだ便の良くなかった明治の頃、ヤマ(炭坑)のガス爆発事故で火傷を負った後やや治りかけた患者を、湯治のために飯塚から二日市の武蔵温泉(現在の二日市温泉)まで運ぶために、近所の坑夫仲間が戸板で作った担架に乗せてこの「明神坂」を上り、八木山【やきやま】の急な峠を越えたという内容です。
八木山峠を越えてのち、篠栗、須恵、宇美、太宰府、二日市とたどれば約30kmもの行程となります。

これら二枚の絵は、狐が火傷のかさぶたを好んで食べるという当時の迷信を描いています。
狐に夜襲われることを恐れながらの難行苦行の道中だったそうです。

狐に関連した他の絵の脇書きに、明治時代の筑豊には狐がウヨウヨいたと作兵衛翁は書いていますが、私も八木山峠の頂上や麓で狐を見たことがあります。

上の写真は、『国道201号線』の八木山峠中腹の展望台から東方向の飯塚市街の眺めです。
遠景の右上に英彦山、その左やや下に「筑豊富士」と呼ぶ人もいる住友忠隈炭坑のボタ山も見えます。


福岡県東部の京築地方から田川・飯塚を経由して福岡に向かう場合、現在では、仲哀【ちゅうあい】峠を抜けて京築から田川に入り、田川から烏尾【からすお】峠を越えて飯塚に入り、さらに八木山峠を越えて、篠栗を経由して福岡へと向かう『国道201号線』が通じています。

ですが、この国道が整備される以前は八木山峠を、旧街道の「明神坂」で越える必要がありました。

この「明神坂」は、関ケ原の戦い(1600年)の戦功により、徳川家康の命で豊前から福岡へ加増転封【国替え】された「黒田如水・長政親子」が通る際に難儀したため、黒田藩の藩祖で父の「黒田如水【官兵衛】」が指揮して改修したものです。

当時の地元の人は、難所の道路整備を喜び、如水のことを「明神【威厳と徳のある神のこと。転じて人物のこと】」になぞらえ、この名で呼ぶようになったとか。

国道が出来たことで使われなくなり、寸断されて、よくわからなくなっている「明神坂」を今回、探索してみました。

その2に続きます。 


修学旅行で高校生がご来館

2017年06月06日 | 日記

4月29日から5月28日にかけて開催した、田川市石炭・歴史博物館リニューアル記念企画原画展「ユネスコへの27枚」。

期間中は4,000人を超えるみなさんにご来館いただきました。ありがとうございました。

気がつけば再オープンから1か月が経過し、早いもので、もう6月です。

田川伊田駅横の連絡通路から石炭・歴史博物館に向かうトンネルを抜けた先にあるアジサイももうすぐ咲きそうですよ。

機会があればぜひご覧ください。

 

さて、筑豊地区にお住まいの方は、新聞報道などでもうご存知かもしれませんが、6月某日、修学旅行として、神奈川県横浜市の私立浅野高校2年生に当博物館を訪れていただきました。

この日当博物館を訪れたのは、学校が設定した「北九州コース」、「門司港コース」、「筑豊コース」の中から「筑豊コース」を選択した55人の生徒のみなさん。

当博物館の館長や学芸員などが炭坑の歴史や坑内作業、山本作兵衛翁の炭坑記録画などを解説すると、興味深げに展示品を見つめていました。

また、石炭と石灰石などを運搬して近代化を支えた歴史を学ぶために、平成筑豊鉄道の貸切列車を利用した生徒たちを田川伊田駅まで送り迎えする道すがら、旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓や二本煙突にもご案内。

予想以上の大きさに、生徒たちも驚いた様子でした。

なにはともあれ、思い出に残る修学旅行になればうれしいなと職員一同願っています。


田川のコト 第九回:田川郡⑥糸田町

2017年06月02日 | 日記

みなさん、こんにちは!

田川のコトを、少しでも多くの方々に知っていただこうというこのシリーズ。
いよいよラスト前の第九回は、田川市の北西側に位置する糸田町【いとだ】についてデス♪

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回 第六回 第七回 第八回

中元寺川の左岸と右岸にまたがる糸田町は、田川郡で最小面積の自治体です。
古代より、田川と飯塚を結んだ主幹道である烏尾【からすお】峠で現在の飯塚市(旧頴田町)と接する糸田町は、筑前国と豊前国との国境【くにざかい】の町でもアリマス。

筑豊の他の町と同様に、糸田町にもいくつもの中小炭鉱がありましたが、大規模な炭鉱としては「豊国【ほうこく】炭鉱」が挙げられます。
明治時代の貴族院議員であり筑豊炭鉱王のひとり「山本貴三郎」が明治12年に拓いたコチラの炭鉱ですが、その後、玄洋社初代社長で後の衆議院議員「平岡浩太郎」の所有となります。
1907年(明治40年)、明治期最大の炭鉱事故となる365人の死者・行方不明者を出した痛ましい爆発事故が発生しましたが、そのあとは筑豊御三家の一人「安川敬一郎」の明治鉱業が経営を行い、昭和37年の閉山まで筑豊炭田の有力炭鉱として採掘が行なわれていました。

ちなみに上記の「山本貴三郎」が造った日本庭園が、北九州市小倉の老舗ホテルに残っておりマス。

そのホテルの名前は「ホテル ニュータガワ」と言いまして、北九州在住のワタクシ博物館スタッフもムカシから『なんで小倉にあるのにニュータガワなんだろー?』とギモンに思っておりましたが、そんな繋がりがあったんですネー。

それでは、そんな糸田町について、いくつかご紹介しまショー!

◆糸田町の人気スポットといえば「道の駅いとだ」さん。



飯塚方面から国道の烏尾トンネルを越えてスグのところにあるコチラの道の駅。
直売所の名前は「おじゅごんち市場 からすお」と言うのですが、「からすお」は「烏尾峠」からと分かりますが、「おじゅごんちってナンジャラホイ?」と調べてみましたところ、町の中心にある「金村神社」の「お田植祭」が3月15日に行なわれることから「じゅうごにち⇒おじゅごんち」となり、それを施設名にしたそうデス。

なお、コチラの名物といえば「石炭ソフトクリーム」300えん也。



石炭をイメージして開発された、漆黒でツヤなしのソフトクリームは、見た目はイマイチ(?)ですが、チョコレートをベースに作られておりまして、甘さもしつこくなくとっても美味ですヨ!
ただ、口の周りが真っ黒になりますので、ウェットティッシュは必須かも!?

◆糸田町の近代化遺産遺構
糸田町では、整備・保存された炭鉱関連の遺構は残っておりませんが、あまり開発が進んでいない町の西側には、2004年に廃線となった「三井鉱山セメント田川工場」の専用線(鉄道)の路線跡とレールが残ってオリマス。



田川市の「関の山【せきのやま】鉱山」【現在の池のおく園/中村美術館】で石灰石を採掘しておりました三井鉱山のセメントを、国鉄(JR)金田駅【現在の平成筑豊鉄道金田駅】まで運び、そこを経由して北九州市門司の田野浦港まで運んでいた全長5kmのコチラの鉄道。
廃線好きの方々にはオナジミの路線らしいのですが、スタッフは初めて足を踏み入れマシタ。
遊歩道や道路などに転用されることの多い廃線ですが、このようにレールが残っていると当時の情景を思い浮かべやすく、遺構好きにはタマリマセン。

なお、関の山の辺りの地名「見立【みたて】」と「金田【かなだ】」を結んでいたため、「金見鉄道」とも呼ばれていたそうデス。

※立入禁止の場所や私有地にあることもありますので、もし見学に行かれる際はマナーを守って、周辺の方々に迷惑にならないように十分ご注意くださいマセ!

◆烏尾峠と国境石
豊前国と筑前国を結ぶ重要な道路であった烏尾峠の地名の由来ですが、神武天皇の東征の際にこの峠で悪天候に見舞われ、一羽の烏【からす】に導かれ、無事に峠越えを果たしたという伝説からと言われます。



この烏尾峠の周辺には、筑前国の福岡藩が設置した「国境石」がいくつも残っています。
石に刻まれた文は「従是西筑前國」、意訳すると「こっから西側は筑前の国ばい!」と書いてあります。
このような国境石が、現存するだけで5ヶ所確認されているんデス。



ナゼニこんなにイッパイあるのかとモウシマスト。

福岡藩はいくつもの国境【くにざかい】での紛争を抱えておりました。
1693年に肥前国佐賀藩との国境である背振【せぶり】山で領地の争いがありましたが、江戸幕府の裁定で負けてしまいマシタ。

最初にこれらの国境石が設置されたのは1700年に設置されたそうなのですが、前述の紛争に敗れた福岡藩が、今後同様の紛争が起きないように、国境の論争のあった烏尾峠やその他の国境に重点的に置いたようデス。

筑豊には、この筑前国と豊前国との国境の他に、豊後国日田藩との国境などもありまして、機会があれば各地の国境石を見てみたいなーとオモイマス♪

と、今回は「糸田町」についてご紹介させていただきました。

田川市郡をご紹介するブログ「田川のコト」も、いよいよ次回で最終回とナリマス。
近日、最終となる「福智町」についてレポートいたしますので、ご期待は控えめに、お待ちくださいませー♪