みなさん、こんにちは!
いよいよ夏休みまであと少しとなりましたネ♪
海に山に絶好の行楽シーズンとなりますが、田川市石炭・歴史博物館も元気いっぱい皆さまのご来館をお待ちしております♪
さてさて、当館では夏休みに合わせましてイベントを開催することとなりました!
その名も「博物館トーク2016」。
博物館の学芸員たちが、日々続けております調査や研究について、それぞれの研究課題を「アツく!」そして「わかりやすく!」語ります!
当館の学芸員4名と、付属研究所所長、副館長、館長の計7名によるリレートーク形式で、計4日間行なわれます。
トーク内容の『お題』につきましては、下記チラシをご覧いただきまして、興味を惹かれるものがありましたら、ぜひお気軽にご参加くださいマセ!
なお、ただいま博物館本館が改装工事中のためスペースが取れず、今回はイベントの開催場所が「田川青少年文化ホール」となっておりマス。
博物館から1kmチョイしか離れておりませんので、イベントに参加の際は、ぜひ、博物館の方にも遊びにきてくださいネ!
~イベント詳細~
★博物館トーク2016
参加費:無料
事前申込:不要(当日受付)
日程:8月7日~9月4日の毎日曜日(8月14日は除きます)
時間:13時30分~15時
会場:田川青少年文化ホール大会議室(博物館より車で5分)
◆MAP◆
みなさんこんにちは!
田川市は、言うまでもなく元炭坑町ですが、昭和39年の三井田川鉱業所の閉山からはや52年、半世紀もの時が流れました。
博物館のある石炭記念公園には、二本煙突や竪坑櫓などの「コレゾ!」といった炭坑の名残がありますが、ボタ山も整地され、往時を偲ばせるモノも少なくなってきました。
しかし、田川の町を散策しておりますと、意外と炭坑時代を感じさせるものがチラホラと残っています。
今回は、そんな「炭坑町の残り香」をご紹介したいと思いマス♪
まずは平成筑豊鉄道(旧国鉄)の「糒炭坑入口踏切」です(なんか字が違ってますが。。。)
田川と言えば「三井田川鉱業所」があまりにも有名ですが、実は中小の炭坑もアチラコチラにありました。
そんな炭坑のひとつ糒炭坑は、伊田からみて彦山川の下流にあり、昭和44年に閉山されるまで石炭を掘っていました。
西側のボタ山は、今は整地され住宅や団地として開発されています。
続いては地名ですが、田川市西部の後藤寺には「会社町」という住所があります。
ここは、三井田川の前身である「田川採炭組」の事務所社屋があったことに由来します。
田川採炭組から炭坑を買収した三井田川も、しばらくの間はここに事務所を置いていましたが、後に、後藤寺と伊田の中間に当たる場所(平松町)に本部を移転します。
その近くには「三井本部西」という、『そのままジャン!』ってな地名も残っていますヨ!
最後は有名ですが、その名も「六坑」バス停。
三井田川の六坑(夏吉)は、田川市で唯一、形がわかるボタ山が残っていることでも知られていますが、閉山後に国道が拡幅され分断されておりまして、このバス停は国道の北側にあります。
バス停からは田川のシンボルのひとつ「香春岳」の全体が見渡せることができます。
南側を向くとボタ山があるのですが、国道沿いにたくさんの建物が建っているため、あんまり見えませんネー。
と、こんな感じで今回は、炭坑町の残り香をご紹介してみました。
田川・筑豊にはまだまだ沢山のこんなプチスポットがありますので、また機会があればご紹介してまいりますネ!
皆さまこんにちは!
昨年、当ブログでもレポートさせていただきました「チクホウフォーカス2015」のイベント「青春の門」を観て語る田川集会では、田川市内外からたくさんの来訪者があり、映画王国「田川」の熱気を感じることができました。
あのイベントから約8ヶ月、またまた映画ファンをアツくさせるイベントが開催されますヨ!
その名も「懐かしの名画祭」。
第23回目の開催となる今回は、平成28年7月30日(土曜日)と31日(日曜日)の二日間開催されマス。
場所は田川青少年文化ホール、開場は午前9時30分、開演は午前10時で、入場料金は1日500円デス。
今回のプログラムは世界のクロサワとも呼ばれる「黒澤明」監督の作品4本。
(詳細は画像をご覧くださいマセ)
クロサワ映画といえば欠かせない、三船敏郎・志村喬両氏の演技が堪能できますヨ!
レンタルビデオやオンデマンドTVなどで、手軽にエイガを楽しめる時代になりましたが、やはりスクリーンで観てこその「映画」です!
ご興味がありましたら、ぜひ、お問い合わせくださいマセ!
また、田川にお越しの祭は、博物館にも遊びにきてくださいネ!
★追記★
ちなみのコチラの映画祭、文化庁および東京国立近代美術館フィルムセンターなどが推進する「優秀映画鑑賞推進事業」の一環で行なわれておりマス。
「スクリーンで映画を観てみたいけど、田川は遠かねー」
ってな皆さま。
こちらの事業、日程や上映プログラムはさまざまですが、全国各地で開催される予定になっておりまして、順次、「優秀映画鑑賞推進事業」HPで予定が公開されると思われますので、ぜひ、チェックしていただきまして、お近くの会場にお出掛けくださいマセ♪
みなさん、こんにちは!
当博物館がある田川市石炭記念公園にそびえ立つ、明治時代の鉄鋼製巨大建造物『竪坑櫓』。
田川市のシンボルとして、また古き良き時代の筑豊炭田を代表する建造物として親しまれています。
ところで、竪坑櫓とはいったいどのようなものなのでしょうか?
「竪坑」とは、垂直に掘られた坑道のことで、地下深部の炭層を採掘するために掘られます。「櫓」は竪坑上部に設置される建造物です。
竪坑は垂直ですので、ケージと呼ばれるエレベーターを使って石炭を巻上げ、人を昇降させます。そのケージを昇降させるためのもの、それが竪坑櫓です。
現存する竪坑櫓は、三井田川鉱業所伊田第一竪坑の櫓として1909年に竣工しました。
櫓自体の高さは最長高で28.4mです。イギリス様式のバックステイ型であり、巻上げ設備を別にするタイプの櫓です。
ケージを巻綱で吊るして上下させる巻上機室が櫓の西側にあったため、巻綱の引っ張られる方向に補強のバックステイが延びています。
この竪坑櫓は、三井が英国のアレキサンダー・ファインドレー社(ALEXANDER FINDLEY & Co Ltd.)に発注して製作したことが判明しています。その下請けでの製鋼メーカー名と思われる「GLENGARNOCK STEEL」と「LANARKSHIRE STEEL Co.ld. SCOTLAND」、「GLASGOW STEEL」の刻印を、現在でも櫓のあちこちで見ることができます。
日本国内でも、1901年、筑豊の石炭を利用する目的で、ドイツ式の「高炉」を備えた「製鉄所」が八幡で操業開始しています。国内産の鉄鋼を使う方が自然ですが、当初八幡製鉄所では鉄鋼生産が軌道に乗らなかったため、先進国であるイギリスから輸入した方が、工期的にも都合がよかったと思われます。
竪坑櫓の直下には、直径:約5.5m・深さ:約314mの竪坑が掘られ、降りたところから採炭現場へ続く坑道が延びていました。
竪坑櫓が現役の当時は、鉄製の二段式ケージがひっきりなしに竪坑内を上下し、石炭を運び出していました。
当時、日本三大竪坑と謳われた伊田竪坑の完成により、日本最大の産炭地であった筑豊炭田の中心地のひとつ田川に、欧米風の炭坑設備が出現しました。
各位好!
今天,向您介紹圖片上的設備。
當博物館的聳立於田川石炭記念公園(田川煤炭記念公園)、明治時期鋼鐵製高大挺拔的「豎坑櫓(豎井井架)」,作為田川市的象徵,以及古老且美好之時代的築豐煤田的代表建造設備,受到人們的喜愛。
可是, 「豎坑櫓(豎井井架)」,究竟是一種怎樣的存在呢?
「豎坑(豎井)」,是垂直挖掘的坑道,是為了採掘地下深處的煤炭而開鑿的。「櫓(井架)」,是置於豎井上部的支架型鋼鐵設備。
豎井垂直於地面,因而需要使用被叫做「ke-ji」的昇降機來向地面運送煤炭,載乘人員上下。
支撐「ke-ji」昇降動作的,就是豎井井架。
現存的豎井井架,作為三井田川礦業所伊田坑的第一豎井的井架,於1909年竣工。
井架本身的高度,到最頂部為28.4m。設備樣式是英吉利風格的後支撐架,再另外設置捲揚機械。
因為使用鋼纜懸吊「ke-ji」使之上下移動的捲揚機室,位於井架的西側,所以於鋼纜的牽引方向延伸了增加強度的後支撐架。
該豎井井架,由三井礦業所向英國的ALEXANDER FINDLEY & Co Ltd. 公司預訂製造。被認為是ALEXANDER FINDLEY & Co Ltd. 公司下屬承包商的鋼鐵製品廠商GLENGARNOCK STEEL和LANARKSHIRE STEEL CO. LD. SCOTLAND,其刻印「GLASGOW STEEL」,即使現在,也能夠在井架的很多地方看到。
在日本國內,於1901年,以築豐的煤炭利用為目的, 備齊了德意志式「高爐」的製鐵所也在八幡開爐運轉。理所當然地,井架應該使用國產鋼鐵。可是,開爐當初,八幡製鐵所的鋼鐵生產尚未走上軌道,因而,決策者認為從先進國家的英吉利進口鋼材,在工期等方面,是最佳選擇。
於豎井井架的垂直下方,挖掘了直徑大約5.5m,深度大約314m的豎井,從井底走出昇降機的位置,一直到採掘煤炭現場,有連接不斷的坑道延伸著。
豎井井架大展身手的當時,鐵製的二層式昇降機一刻不停地忙碌於豎井內,把煤炭從井下運上來。
當時,因為被讚頌為日本三大豎井之一的伊田豎井的完成,日本最大的煤炭產地築豐煤田的中心地之一―田川,於是出現了歐美風格的煤礦設備。
日本語訳はコチラから
各位好!
今天,向您介绍图片上的设备。
当博物馆的耸立于田川石炭记念公园(田川煤炭记念公园),明治时期的钢铁制高大挺拔的「竖坑橹(竖井井架)」,作为田川市的象征,以及古老且美好之时代的筑丰煤田的代表建造设备,受到人们的喜爱。
可是,「竖坑橹(竖井井架)」,究竟是一种怎样的存在呢?
「竖坑(竖井)」,是垂直挖掘的坑道,是为了采掘地下深处的煤炭而开凿的。「橹(井架)」,是置于竖井上部的支架型钢铁设备。
竖井垂直于地面,因而需要使用被叫做「ke-ji」的升降机来向地面运送煤炭,载乘人员上下。
支撑「ke-ji」升降动作的,就是竖井井架。
现存的竖井井架,作为三井田川矿业所伊田坑的第一竖井的井架,于1909年竣工。
井架本身的高度,到最顶部为28.4m。设备样式是英吉利风格的后支撑架,再另外设置卷扬机械。
因为使用钢缆悬吊「ke-ji」使之上下移动的卷扬机室,位于井架的西侧,所以于钢缆的牵引方向延伸了增加强度的后支撑架。
该竖井井架,由三井矿业所向英国的ALEXANDER FINDLEY & Co Ltd. 公司预订制造。被认为是ALEXANDER FINDLEY & Co Ltd. 公司下属承包商的钢铁制品厂商GLENGARNOCK STEEL和LANARKSHIRE STEEL CO. LD. SCOTLAND,其刻印「GLASGOW STEEL」,即使现在,也能够在井架的很多地方看到。
在日本国内,于1901年,以筑丰的煤炭利用为目的,备齐了德意志式「高炉」的制铁所,也在八幡开炉运转。理所当然地,井架应该使用国产钢铁。可是,开炉当初,八幡制铁所的钢铁生产尚未走上轨道,因而,决策者认为从先进的英吉利进口钢材,在工期等方面,是最佳选择。
于竖井井架的垂直下方,挖掘了直径大约5.5m,深度大约314m的竖井,从井底走出升降机的位置,一直到采掘煤炭现场,有连接不断的坑道延伸着。
竖井井架大展身手的当时,铁制的二层式升降机一刻不停地忙碌于竖井内,把煤炭从井下运上来。
当时,因为被赞颂为日本三大竖井之一的伊田竖井的完成,日本最大的煤炭产地筑丰煤田的中心地之一―田川,于是出现了欧美风格的煤矿设备。
日本語訳はコチラから
Hi, there!
This photo shows a steel building of gigantic proportions in the Meiji era (1868-1912),
the “Shaft Head Frame” which soars into the air in the Tagawa City Coal Mining Memorial Park (Sekitan Kinen Koen)
where our museum is located.
It is popular as a symbol of Tagawa City and a building which typifies the good old days of the Chikuho Coalfield.
Now, what in the world do you think the shaft head frame is?
“Shaft” stands for “mineshaft” which means “a deep narrow hole that goes down to a mine (OALD).
“Head frame” is a structure which is built on the mouth of a vertical mineshaft. Through a vertical shaft, coal is wound up and workers were raised and lowered in a lift (elevator) also called a cage.
It is a shaft head frame that is built to hang and support the cage.
This remaining shaft head frame was completed in 1909 as the head frame for the Ita No.1 vertical shaft of the Mitsui Tagawa Mining Station (Ita Pit). It is an English-style head frame with backstays and 28.4 meters tall at the maximum. A winding machine pertaining to it was installed in a separate station. It has a pair of backstays on the west side, because the winding machine station was located on the same side to wind up and down a cage supported with wire ropes.
It developed that Mitsui ordered the steel to build this head frame from Alexander Findley & Co Ltd. in Britain.
We can find everywhere on the head frame punch marks to probably show the names of steelmakers as the subcontractors, such as "GLENGARNOCK STEEL," "LANARKSHIRE STEEL Co. Ld.," and "GLASGOW STEEL."
In Japan, the “Imperial Steel Works” with a “blast furnace” of German make came online in Yahata (Yawata) in 1901,aiming to use coal from Chikuho. It would have been natural for Mitsui if they had used domestic steel.
However, it seems that it was advantageous for them, also from the perspective of the term of construction, to import steel for the head frame from a developed country like Britain, because the newly built Steel Works could not supply enough steel to domestic users at first.
There was a vertical shaft approx. 5.5 meters in diameter and approx. 314 meters in operational depth beneath the head frame, and tunnels stretched to coalfaces from the depth.
When the shaft head frame was in operation, a two-storied steel cage went up and down the shaft without break to carry out coal.
By the completion of this shaft and the 2nd one which made the Ita Pit famous as one of the greatest pits with shafts in Japan, western-style mining facilities came into existence also in Tagawa, one of the centers of Chikuho which was the largest coal field areas in this country at that time.
日本語訳はコチラから
皆さん、こんにちは!
当博物館ですが、ありがたいことに福岡県内はもとより、九州・山口、遠くは本州や外国からもご来館をいただきます。
そのほとんどの方々は、車でのご来館なのですが、もちろん公共交通機関を利用していらっしゃる方も多くいらっしゃいマス。
ということで、今回は最寄り駅である「田川伊田駅」からの博物館までの歩き方をご紹介いたします♪
と、その前に、田川伊田駅までどうやって来ればイイのか?
田川伊田駅は、JR日田彦山線と平成筑豊鉄道(へいちく)の両方が乗り入れております。
ということで、東西南北色々なアプローチで来ることが可能デス!
まずは北は北九州から。
ルートはいくつかありますが、小倉からでしたらJR日田彦山線なら一本デス!
折尾からでしたら、筑豊本線で直方駅まで、直方駅からへいちく伊田線へ乗り換え。
北九州空港からでしたら、エアポートバスで朽網駅へ、JRで城野駅へ北上して日田彦山線で、もしくは行橋へ南下してへいちく田川線でもOKです♪
次は東、大分方面から。
JR日豊本線で行橋、へいちく田川線が一般的ですね。
南からも山を越えて来れますヨ!
JR日田彦山線は、夜明駅で久大本線と接続していますので、大分~日田方面、久留米を基点に熊本方面も大丈夫デス!
西からは飯塚がポイントになりマス。
博多駅から吉塚駅経由、福北ゆたか線(篠栗線と筑豊本線)でJR新飯塚駅へ。
乗り換え後藤寺線で田川後藤寺へ、さらに乗り換えで日田彦山線で田川伊田駅へ。
というなかなかハードなルートになります。
福岡空港からですと、地下鉄で博多へ出ないといけませんので、さらに乗り換えが(汗)
ちなみに福北ゆたか線の由来とは、「福(岡)北(九州)(筑)豊⇒ゆたか」なんだだそうです。
そんなこんなで、田川伊田駅に到着デス!
改札を出ると、実は博物館とは反対側に出てしまいます。。。
地下道を通って反対側へ向かいましょう。
ここが改札を出たところ。左側の柱に「田川市立石炭・歴史博物館」の看板が立っております。
左側に向かっていきますと、同じ看板がもう一枚。
左に曲がって、駅の反対側へ向かいましょう!
駐輪場兼の、石炭記念公園通路をズンズン進みます。
反対側はスロープと階段がありますので、地上に出ましょう♪
階段の上にも看板が。ドシドシ進んでくださいマセ。
横断歩道を渡って、右に坂道を登って行きましょう!
坂道の上には、伊田の竪坑櫓が見えています。
ちなみに、左手の壁の上は、立ち入り禁止ですが、伊 田斜坑の跡地です。
坂道を登ると公園の入口が。
二本煙突がお出迎えしてくれます。
そのまま公園を少し歩くと、オシリではありますが、先ほどまで乗っていた鉄道の線路を走っていた蒸気機関車「59684」号が見えてきますので、右へ曲がります。
蒸気機関車のヨコに、現在公開中の復元炭坑住宅「産業ふれあい館」がございますので、どうぞお入りくださいマセ♪
本館のリニューアルオープンまで、観覧料無料でご覧いただいておりマス!
時間がないと難しいとは思いますが、列車での旅というのもなかなかオツなものですヨ!
みなさん、こんにちは!
博物館スタッフの暁非(ギョウヒ)と申します。
今年の4月より、博物館で中国語の通訳・翻訳として働き始めました。
まだまだ、炭坑や山本作兵衛さんのことで、分からないことも色々とありますが、勉強してまいりますので、皆さま、よろしくお願いいたします。
私は中国の大連から日本に来ました。
日本へ来たばかりの頃は、日本と中国の文化や風習などの違いで、ビックリすることもありました。
例えば、人に対する呼び方ですが、中国では、自分の親くらい年齢の方にお会いした場合、かならず尊敬を込めて、男性には「叔叔 shu'shu(シュシュ)」・「伯伯 bo'bo(ボボ)」(おじさんの意味)、女性に「阿姨 a'yi(アイ)」(おばさんの意味)と呼んでから挨拶します。
私が日本へ来た二日目、お隣の方にご挨拶する際、自分は満面の笑顔で、片言の日本語を使って「おばさん こんにちは!」と声を掛けましたが、あまり嬉しくなさそうな表情でした。
ナゼ・・・?!
当時の自分は不思議でなりませんでした。
今となっては失礼なことと分かりますが、日本へ来た当初は、本当にトンチンカンなことを沢山やらかしたものでした。
思い出すのもハズカシイ
趣味は、横になってお菓子を食べながら小説を読むこと。
口癖は、「明日からダイエットします!」。
いつか、鈍行列車に乗って一人旅をしてみたいです
好きな季節は、寒い国からやってきたからか、やっぱり冬ですネ
写真は、今年の大雪の日に自宅の前に咲いている「南天の実」を写したものです。
中国語では「相思豆 xiang'su'dou(シャンスド)」と言います。
むかし、男女が愛情を伝えるために贈りあったことから、「相思」という名前がついています。
中国語の館内解説も行なっておりますので、ぜひ、博物館にお越しくださいませ
皆さんこんにちは!
さて、タイトルですが、何と読まれましたか!?
もちろん、「いわや」しょうにゅうどう!
ではなくて、「ごうや」しょうにゅうどう と読みます。
まぁ、だいたいの方は読めません。
モチロンワタクシも張り切って「イワヤ」鍾乳洞!と読んでおりました。
お恥ずかしい(汗)
ということで。
田川市のあまり知られてないマイナー観光地第二弾は、前回ご紹介したカルスト台地「ロマンスヶ丘」の北西側の麓にある、福岡県指定天然記念物「岩屋鍾乳洞」のご紹介です。
場所は田川市夏吉(なつよし)の北部にある岩屋地区。
夏吉という地名は当ブログでも何度も出てきていますが、古墳群ありカルスト地形あり鍾乳洞あり旧三井田川の六坑あり同ボタ山ありと、田川エリアの中でも指折りの、古代から近代までの、文化財の交差点のような場所です。
香春岳の麓でもあり、香春岳一帯を源流とし彦山川へ合流する「金辺川(きべがわ)」が流れる、昔ながらの田園地帯です。
★岩屋鍾乳洞MAP★
さて、鍾乳洞はどのようなモノなのでしょうか。
はるか昔、海底でサンゴなどが堆積してできた石灰岩が地殻変動によって隆起しました。
(ここまではカルスト地形の出来かたですネ。)
その後、地下の石灰石が雨水や地下水などで浸食され洞窟が出来ていきます。
石灰岩の主成分、炭酸カルシウムは水によく溶けるため、通常の岩石より激しく浸食されマス。
このような洞窟が、地殻地形の変化で地表からの入口ができたものが、一般的に知られる鍾乳洞デス。
カルスト地形と鍾乳洞はセットであることが多いです。
山口県秋吉台の秋芳洞や、北九州市平尾台の千仏鍾乳洞などが有名ですネ!
では、鍾乳って?
鍾乳とは鍾乳石のことでして、一度溶けた石灰石が液体になり、その後、晶出し固体になったものを言います。
石灰石は基本的に白いのですが、鍾乳石にはさまざまな色があります。
これは、一度溶けた際に不純物や土壌の鉄分などが混ざり込むことで着色されるそうです。
さて、それでは岩屋鍾乳洞を見てみましょう。
直方田川バイパス(福岡県道22号線)から一本東側の旧道、福岡県道419号夏吉直方線からスグです。
こんな感じで看板が立っておりマス。
ちなみに奥の山の上がロマンスヶ丘です。
県道から少し入りますと、もうひとつ案内看板が出ております。
須佐神社の境内を通っていくと分かりやすいかもしれません。
なお、整備された駐車場はありませんので、車の場合は近隣の方の迷惑にならないように十分注意されてくださいマセ。
神社の境内の左奥に、脇道が見えますので、ズンズン進みます。
すると、デッカイ看板が立っております。
ココが入口です。
看板の反対側に、電源ボックスがあります。
そのまま入ると暗くてなーんにも見えませんので、コチラで電源をオンにしてから向かいましょう。
なお、節電のため『お帰りの際には、必ず電源をオフにしてください!』ネ!
入口はかなーり狭いです。
チョットした関取並み体型のスタッフですが、何とか通れました(汗)
中はかなり広いデス(スマホカメラの限界が。。。)
壁面は鍾乳石が出来ておりまして、とってもヒンヤリしております。
洞窟はまだまだ奥まで続いておりますデス。
秋芳洞などに比べますと、かなーりコンパクトですが、入場料などは要りませんし、チョット遊びに行くには最適な観光スポットですヨ!
ちなみに、鍾乳洞の入口ヨコにある階段を昇りますと、市指定天然記念物である「バクチノキ」もご覧いただけます♪
葉が青々と茂ってよく見えませんでしたが(汗)
と、今回は田川市のマイナー観光スポット第二弾「岩屋第一鍾乳洞」のご紹介でした。
ん、第一?
ハイ。実は岩屋鍾乳洞は第一、第二、第三とみっつありまして、さらに山の中腹にあるそうデス。
第一と違い、照明施設などがありませんので、かなり上級者向けとのこと。
いつか機会を作って、川口探検隊並みの装備を揃えてチャレンジしてみたいと思いマス♪
※鍾乳洞は狭い場所もありますので、特に頭などぶつけないようにご注意ください。
※手や洋服などが汚れる可能性もございます。
※濡れている場所や昇り降りもありますので、足元には十分ご注意ください。
※事故等の責任は負いかねますでの、あらかじめご了承ください。