田川市石炭・歴史博物館のブログ

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Kid'sイベント「馬形はにわを作ろう」

2017年07月29日 | 日記

暑い日が続いていますが皆さんいかがお過ごしでしょうか

世間では夏休みということで「夏休みKid'sイベント2017」第1弾「馬形はにわを作ろう」を行いました。モデルは本館第3展示室にいるかわいい「馬形はにわ」です

作り方は簡単ストローで作った芯に粘土を巻きつけて形を整えるだけ最後にヘラで目や口を書いていきます

午前・午後ともたくさんのみんなが頑張ってくれましたできあがった作品は、とってもリアルなものから、芸術性がものすごく高いものまで素晴らしいものばかりでしたよ


志免の竪坑櫓が完成しましたよ!

2017年07月29日 | 日記

みなさんは、2月10日の当館のプログにてご紹介いたしました志免の竪坑櫓のペーパークラフトのこと、おぼえていらっしゃるでしょうか?

購入から随分と月日が経ってしまい、スタッフまでもが忘れかけていた?のですが・・・この度、ついに完成いたしました!

実は博物館再オープンの日(4/29)に完成しておりまして、ただ今は博物館受付にて、来館されるお客様をスタッフとともにお待ちしております。

とはいえ、1/300スケールのペーパークラフト、大きさもこのような感じですので、気づいてくださる方はそんなにいないだろうな~と思っていたのですが・・・思いのほか多くの方々が目を留めてくださって、嬉しい限りです。特に、志免町近辺から来られたお客様に喜ばれています。「カワイイ」と仰ってくださった方も!

製作にはかなり手こずりましたが、夜なべした甲斐がありました(笑)

その製作途中はこんな感じです。

作り方の説明書には、製作時間1~2時間の「初級」と、5~10時間の「上級」の2パターンがあり、今回は細かい作業がたくさんある「上級」を製作しました。特に難しかったのは避雷針で、ピンセットが必要なほど繊細な作業です。これからチャレンジされる方、ぜひ頑張ってください!

ちなみに、ご来館のお客様から「どこで売っていますか?」とのご質問が多いのでもう一度ご案内しますが、こちらのペーパークラフト、志免町のカフェ「家鴨軒【あひるけん】」さんで購入することが出来ます。

そして製作後、今度は本物が気になった私は、お休みの日に行ってまいりました・・・そう、志免へ。

 

やっぱり、本物はカッコイイですね!

でも!わが田川市の竪坑櫓ももちろんカッコイイですし、わが館の受付にあるミニ「旧志免鉱業所竪坑櫓」もカワイイですから、この夏、ぜひ見に来てくださいね!


作兵衛翁が描いた蒸気機関車 (その1)

2017年07月24日 | 日記

作兵衛翁が描いた蒸気機関車(その1)

 当館より発行された図録の「炭坑の語り部・山本作兵衛の世界(584の物語)」の中で図録番号【118】の墨画と【397】の水彩画(「田川市特設ホームページhttp://y-sakubei.com/からご覧いただけます)に作兵衛翁が子どもの頃見たと言う蒸気機関車が描かれています。

 どちらも同じ構図、ほぼ同様の説明書きですが、水彩画の方の左上に、「明治三十一年春 嘉麻川芳雄橋上を通る オモチャの様な汽カンシヤ 八屯ツミの貨車十二、三台 飯塚駅よりの緩坂を靑イキ 吐息で進行していた、 シンチュウのストンガップだけピカピカ光っていた、」とあります。
 今回は、この「明治三十一年(1898)春」と「嘉麻川芳雄橋」、「飯塚駅よりの緩坂」という記述と絵から、描かれた機関車が実在のものかについて考えてみました。
なお、この年代このあたりを通る路線で鉄道を運行していたのは、九州鉄道株式会社です。この会社が当時この絵にある様な機関車を運用していたかどうかも調べてみました。

 蒸気機関車の形式を見るには石炭と水を積む炭水車の有無と動輪とそれ以外の車輪の数と配置が目印になります。
絵の機関車には炭水車はなく、運転室の後ろにボイラー用の石炭を入れる箱、ボイラーの横に四角い水タンクがあり、車輪は四列見えます。
内側の二輪が連結棒でつながり、その連結棒の前側に蒸気シリンダーからの動力を連結棒に伝える役目の主連棒という部品が蒸気シリンダー方向へ延びているように描かれています。
 以上から、この機関車は動輪が二組で、残りの前側が先輪、後ろ側が従輪という軸配置(軸配置記号2-4-2または1B1)のタンク式機関車と考えられます。
そこでこのような形態の機関車があったかどうか調べてみます。(その2に続く)

補足:軸配置記号「2-4-2」は先輪1組2輪、動輪2組4輪、従輪1組2輪を表わし、「1B1」は片側分の車輪配置を見て、先輪1、動輪2(B)、従輪1を表わしています。ちなみに片側動輪数を表わすアルファベットはB(2)、C(3)、D (4)、E(5)となっています。)

 


作兵衛翁と明神坂 その2

2017年07月04日 | 日記

皆さん、こんにちは。

前回のブログに引き続き、ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)『山本作兵衛翁 炭坑記録画』の墨絵(【166】番目と【181】番目)に出てくる「黒田如水【官兵衛】」が、関ヶ原の戦い(1600年)の後、息子長政との福岡入りをきっかけに整備したと伝えられる「明神坂」のお話しです。

炭坑【ヤマ】のガス爆発事故で火傷を負った患者を戸板で作った担架に乗せて、飯塚からこの「明神坂」を上って八木山峠を越え、はるばる二日市の温泉まで仲間を担いで行ったことが、上記二枚の墨絵に描かれています。

八木山峠の国道201号線飯塚側最終カーブそばにある「明神坂」の頂上については、以前地元の人に教えてもらいました。

飯塚側から上ると、最終カーブ右手から国道に合流する坂の頂上があります。

そこから少し下ると案内表示があり、付近には祠や石碑などもあります。

さらに下ると右手に廃屋があって、その先は荒れた急坂になり歩行には適しないようなので、それ以上の探索は困難でした。

◆廃屋付近から坂の頂上を見上げたところです。◆

そこで、未確認だった登り口はどこかと考えてみると、麓の地形から想定される場所に見当を付けました。
それは国道の飯塚側、その名も「坂の下」というバスの折り返し点の上、八木山峠の第一カーブ近くで、麓にある「蓮台寺【れんだいじ】の谷」の集落から上ってきて国道と直角に交わる古い細道です。

この道が上に繋がっているに違いないと、カーブに沿った駐車スペースにやってきました。
※ここには人気のスイーツ店と自動販売機があります。

蓮台寺の集落と反対側に建物に挟まれた小道があって、祠があります。
「明神」の言い伝え(坂の整備に係った黒田如水を地元住民が明神になぞらえた)と関係がありそうですが、案内板はないようです。

そこを抜けると舗装路があり、渡ると左方向へ山に向かう未舗装路が続いています。

未舗装路の入り口には案内板が。

そこから木々に囲まれた薄暗い坂を少し登ると木の柵で塞がれていました。



以上確認できたこの道こそが、黒田如水・長政親子の福岡入りの際に造られ、江戸時代から明治・大正と飯塚と福岡を結び、山本作兵衛翁も炭坑記録画で触れた「明神坂」そのものでした。

今回のフィールドワークで「明神坂」の入り口を確認することができ、筑豊の歴史の一部を掘り起こすことができました。

なお、「明神坂」は国道201号線で断ち切られて途中のルートがわからなくなり、また長く使われず、整備されていないので、通行はできません。

このように、作兵衛翁の炭坑記録画には、歴史書や公文書には残らない、当時の人々の歴史が描き込まれており、それらの背景に想いを巡らすことも、絵の味わい方のひとつではないかと思います。

なお、「明神坂」の麓の入口は、国道の脇でアクセスしやすい場所にありますが、すぐそばのスイーツショップと販売機に訪れる車も多く、奥には個人の住宅もありますので、訪問される際は周辺の方々の迷惑にならないようマナーを守っていただき、事故等には十分お気を付けください。