田川市石炭・歴史博物館のブログ

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プレ・インターンシップde就業体験

2020年08月31日 | 日記

みなさん、こんにちは。

さて先日、地元の福岡県立大学の学生さんが、
プレ・インターンシップとして、当博物館に来てくれました
インターンシップは、大学3年生くらいで行うのが通常なのだそうですが、
福岡県立大学では、その前段階として、1年生を対象とした就業体験を行っています。

今回のブログでは、学生さんに博物館での体験を紹介していただきます

 

改めましてみなさん、こんにちは
8月26日から5日間、プレ・インターンシップで田川市石炭・歴史博物館にお邪魔しました。
今回のプレ・インターンシップには、
コミュニケーション力やビジネスマナーを身に付けることで、
視野を広げて将来を考えたいと思い、参加しました。
また、田川市の歴史や博物館の業務に興味があったため、田川市石炭・歴史博物館を選びました。

5日間の体験では、貴重な資料を大切に包んだり額に入れたり、発掘調査で出土した土器を洗うなどの資料整理や、
博物館での開館準備や閉館作業、窓口業務など様々なことを体験しました。

なかでも、印象に残っているのは土器洗いです。
この作業は主に学芸員さんの業務で、出土した土器を触るのは初めてのことでした。
崩さないように慎重に行いましたが、やっていくうちにどんどん楽しくなりました


また、資料を保管するために専用の紙で包むときには、
作兵衛翁が残した品物などを実際に包んでとても緊張しました。
額縁を吊るす紐の結び方にもコツがあるみたいで、かなり苦戦しました


そして、第2展示室での監視業務では、
緊張しながらもお客様に声をかけてご案内することもできて、とても良い体験となりました。
お客様からいただいた「ありがとうございました」の言葉が嬉しかったです

5日間を通して、初めは緊張して戸惑うことも多かったですが、
職員の方々が丁寧にかつ的確に指示してくださったことで緊張がほぐれ、毎日の体験が楽しみになりました。
また、職員の方々の優しさに触れ、職場における堅いイメージが払拭されました。
さらに、お客様に最大のおもてなしをするための様々な工夫を、体験を通して知ることができました。
今回の経験で学んだマナーやコミュニケーションの取り方などを、これからの大学生活に活かしていこうと思います。

 

5日間という短い期間ではありましたが、
当博物館での経験が将来のお役に立てることを、スタッフ一同願っています。

暑さはまだまだ続きそうです。
みなさんもくれぐれもご自愛くださいませ


炭鉱住宅(復元)☆ミ

2020年08月22日 | 日記

みなさまこんにちは

さて、先日から井筒和幸監督が、筑豊が舞台の映画を制作される…
と新聞等で報道されています。

それらによると、井筒監督は、
直方出身のライブパフォーマンスバンド「軍鶏SHA・MO・」さんの世界観に共感された、とか。

「軍鶏SHA・MO・」さんの曲には筑豊地域にある場所が歌詞に登場していますし、
「彦山川」という曲は筑豊弁で歌われています。(感動作です)

さて、この「軍鶏SHA・MO・」さんのCDジャケットの一つに、
当館の産業ふれあい館が登場しています。
産業ふれあい館と名付けられた復元炭坑住宅なのですが、
炭鉱住宅がほぼ原寸大で復元してある施設は、全国的にみてもとても珍しいものです

昔の暮らしを実感するにはとてもおすすめ

ちなみにこの炭坑住宅の住人のご夫婦は、以前ブログ記事に登場しています。
(↑2020年6月3日の記事です)

近寄ると話しかけてくれますよ田川弁で

 

 

 

※画像の無断転載はご遠慮ください。

 

 


ミニ企画展「発掘調査速報2020」のお知らせ

2020年08月11日 | 日記

みなさんこんにちは。

 

8月に入り、博物館では新たなミニ企画展「発掘調査速報2020」を開催しています。

場所は博物館の玄関入って右手になります。

令和元年度に発掘調査を行った上の原(うえのはら)遺跡群4次・5次、番町(ばんまち)遺跡の3遺跡について、

調査成果を写真パネルで紹介しています。

期間は9月末日まで展示しています。

来館の際は、こちらにも足を運んでみてください。

 

※画像の転載等はご遠慮くださいますようお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 


【炭8】カッターマン

2020年08月07日 | 日記

博物館の縁の下の力持ちをご紹介する、【炭8(スミ・エイト)】シリーズ。

今回は、切羽(石炭採掘場)でコールカッターを操る「カッターマン」のお話です。
(前回の【炭8】は、6月19日のブログをご覧ください)

博物館第1展示室にある切羽の再現ジオラマで、この男性はコールカッターに顔を向け、黙々と作業しています。

 

 

コールカッター(截炭機)は、長壁式採炭(30~100mの炭壁をつくって採炭を行う方法)に用いられた採炭機で、炭壁の下部に切り込みを入れていくことで、炭壁を崩して採掘する方法です。

このように、機械を用いた切羽採掘は、能率向上を図るため(作業員1人あたりの採炭量を増やす)、大手の炭鉱では機械切羽を目指した技術が積極的に導入されていきました。
特に、田川市域に所在した三井田川鉱業所は、戦前期では最先端をゆく機械切羽の炭鉱として、全国的に有名でした。 

しかし、機械や技術の導入は、すぐさま効果が出るとは限りません。国内外で最新の機械が開発されたとしても、それぞれの炭鉱では地質や環境が異なるため、そのまま活用できるとは限りません。現場に定着して成績をあげるため、技術者らは試行錯誤を繰り返します。

三井田川鉱業所では、全国の炭鉱に先駆けて、1910年代にはコールカッターを導入しましたが、当初は固い松岩(珪化木)と低い炭層に阻まれて、使用が困難となりました。機体が大きいにも関わらず満足に仕事をしないコールカッターは、「牛」と呼ばれていたそうです。

その後の試行錯誤や改良、使用者の講習などを経て、ようやくコールカッターが効果を発揮するようになったのは、1920年代に入ってからでした。

 

 

如何に効率的に石炭を掘るか。寡黙な【炭8】カッターマンですが、その背中は炭鉱の運命を左右する技術者の使命と責任を物語っています。

 

※写真の転載等はご遠慮くださいますようお願いいたします。

 


白鳥山成道寺(じょうどうじ)にまつわる伝説

2020年08月01日 | 日記

みなさん、こんにちは

今回は、白鳥山成道寺(じょうどうじ)にまつわる伝説について話してみましょう。
成道寺は同寺縁起によると、最澄(伝教大師)による十八伽藍(がらん)の一つとして、弘仁5(814)年に建立されたと伝えられています。
この寺の境内には"鳴かずヶ池"とか"雨乞いの鳴かずヶ池"(正式名は泉水池)と呼ばれる池があります。どちらも池に残る伝説からついた名です。

 

まずは"鳴かずヶ池"です。
弘仁年間(810~824)のこと、最澄がこの地で坐禅修行をしているとき、池に住むカエルがあまりにも激しく鳴きたてるので、その声を一時的に封じたそうです。修行の間だけということで封じたのでしょうが、なんと、最澄が封を解くのを忘れてそのままこの地を立ち去ったため、それ以後この池のカエルは鳴かなくなったそうです

このことから"鳴かずヶ池"と名がつきました。
現在もカエルは鳴いていないかも? 確かめてみるのもおもしろいかもしれません(笑)

  

泉水池(鳴かずヶ池・雨乞いの鳴かずヶ池)

 

次に"雨乞いの鳴かずヶ池"です。
応永年間(1394~1428)に、大内・大友両氏の戦乱があったとき、成道寺は焼かれて寺の釣鐘が池に投げ込まれたそうです。
ある年のこと、村に雨が降らず干ばつで村人たちが途方にくれていたとき、「戦乱の時に投げ込まれたままになっている釣鐘の祟りかもしれない」と誰からともなく言い出した噂が広まり、村人たちは思いきって池に沈んでいる鐘を引き上げて祀ることにしました。朝から快晴の日に村人たちは総出で釣鐘の掘り出しにかかったのですが、鐘の龍頭が見えるかというところまでいくと、不思議なことに雨雲一つなかった空がまたたく間に暗雲でおおわれ大雨が降り出し、どうしても釣鐘を引き上げることができなかったということです。以来、干ばつが起こると村人たちは池を掘り、釣鐘を引き上げようとすると必ず雨が降ったということです。それで"雨乞いの鳴かずヶ池"とも呼ばれるそうです