田川市石炭・歴史博物館のブログ

〒825-0002 福岡県田川市大字伊田2734番地1
TEL/FAX 0947-44-5745

年末年始のお知らせ

2016年12月27日 | 日記

みなさん、こんにちは!

いよいよ年の瀬も押し迫りまして、2016年ももうスグ終わりですネ!

今年の博物館は今年1月5日より、開館33年目にして初の大規模改修工事を行なわせていただきマシタ。
現在もまだ工事は続いておりますが、1年以上も本館部分を休館させていただきまして、産業ふれあい館(復元炭坑住宅)部分のみの開館とさせていただいておりましたが、そんな中でも、たくさんのみなさまにご来館をいただき、スタッフ一同、感謝・カンシャ・かんしゃでございマス♪

この場を借りまして、アラタメテ御礼申し上げます。
『ありがとうございました!!』



さて、年末年始の博物館ですが、12月29日(木曜日)から1月3日(火曜日)までの6日間は休館とさせていただきます。
2017年は1月4日(水曜日)より開館させていただきますので、来年も変わらぬご愛顧・ご支援のほど、ヨロシクお願い申し上げマス!

春には博物館本館が再オープンいたします予定デス。
リニューアル情報につきましても、当ブログで逐次発信してまりますので、コチラもぜひ、チェックしてくださいネ!


「煤・記憶」特展講座in台湾レポート その2

2016年12月23日 | 日記

みなさん、こんにちは!

前回のブログその1に続きまして、台湾レポートのその2をお届けいたしマス♪

今回「煤・記憶」と題した展覧会及び講座を開催しました『新平渓炭鉱博物館』は、台湾最後の炭鉱であった「新平渓炭鉱」の跡地に建てられています。
数年前から田川市石炭・歴史博物館との交流があり、ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)である「山本作兵衛コレクション」の展覧会も行なってきた友好館デス。

当日は、当館の福本学芸員が演者を務め日本語で講演を行い、隣で雲林科技大学の王新衡【ワン・シンハン】先生に通訳をしていただきました。



当日はあいにくの大雨で、飛び入りの受講者は少なかったのですが、事前に募集していた方々が熱心に聞き入っておられマシタ。

講義内容としては、日本の炭鉱と台湾の炭鉱の関わりや交流、その歴史についてなど。
また、山本作兵衛コレクションのユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)登録に端を発した近代化遺産、とりわけ旧産炭地への影響など幅広いものでした。

キーワードは「世界共通の『炭坑』」という言葉デス。

炭坑は技術と管理面が似通っているため、言語が異なる国同士であっても、お互いを理解しやすいという面を持ってイマス。
日本と台湾だけでなく、他のアジア諸国やヨーロッパといった、産炭地という共通の歴史を持つ国や地域であれば、炭坑を知らない世代でもお互いを理解することは難しいことではありません。

『炭坑』というキーワードを元に、世界各地の産炭地との交流を深めて行けるのではないか? という講演デシタ。

展覧会では、日本のコト、田川のコト、当博物館のコトとPRしておりましたので、台湾からのご来館者さまが増えてくれるとウレシイです♪



※田川市のホームページ「広報たがわ12月1日号」で、『台湾と日本~石炭がつないだ技術者たちの足跡』という内容で詳しく解説しておりますので、こちらもゼヒ、チェックしてみてくださいネ!

お昼ごはんには、新平渓煤礦博物館名物の「礦工便當」をいただきマシタ。





礦工とは坑夫のこと、便當とは弁当のことデス。
野菜もタップリで、濃い目の味付けでとっても美味。
ボリュームたっぷりで、大満足でした。

もし、新平渓に行かれることがあれば、ぜひ食べてみてくださいネ!

その3に続きまーす。


筑豊ポタリング 直方~鞍手~中間 前編

2016年12月20日 | 日記

みなさん、こんにちは!

過日、自転車での筑豊ポタリング第三弾といたしまして、直方から鞍手エリアをプラプラとしてまいりマシタので、カンタンにレポートさせていただきマス♪

第一弾はコチラ  第二弾はコチラ

筑豊という言葉を生んだ原点でもある『遠賀川【おんががわ】』は、直方市中心地で彦山川、下流域の植木で犬鳴川と合流します。
今から100年前には数千艘【そう】の、石炭を積んだ川艜【かわひらた】が行き交った遠賀川の河川敷駐車場から出発して、サイクリングロードを通って下流へ下ります。

まずは鞍手町にある「鞍手町歴史民俗博物館」へ。
ここには「鞍手町石炭資料展示場」が併設されておりマス。

入館料はどちらもナント無料♪

炭鉱の坑道を模したこちらの展示場、機械化された後の実際のサイズで造られています。
炭車や人車、風管などが実際のカタチに配置され、プチ炭坑気分が味わえマス。



ジオラマで仕繰【しくり】(坑道や支柱など修繕すること)の様子なども再現。



一番奥の展示では手掘り採炭時代の展示で、狭い坑道での採掘や運搬の様子が再現されています。

写真は、スラ(ソリのついた石炭運搬用箱)を炭車(石炭運搬用トロッコ)が待つ水平坑道まで引いて行く女性です。



入場無料ですが、展示内容は激アツですので、お近くまで寄られた際はぜひ遊びに行ってみてくださいネ!

せっかく鞍手町まで来たので、ちょっと寄り道して三菱新入炭坑の六坑の設備台座跡を見学。
残念ながら他の遺構は残っていないそうですが、住宅地の囲まれた小高い丘の上にある台座跡は、炭坑町の最後の残り香かもしれません。



お次はさらに遠賀川を下り、お隣中間市の埴生公園の蒸気機関車C11260にご挨拶へ。
当ブログでもおなじみ、直方市の汽車倶楽部さんが平成25年3月に修復されていらっしゃり、美しい車体で展示されておりマシタ。

小倉工場式のデフレクター(除煙板・SLの一番前の左右に付いている板)は、当館所蔵のクンロク・59684号と同じですネ!



直方から遠賀川の左岸を中間市まで下ってきましたが、次回後編では、遠賀橋を渡って右岸を上ってまいりマス♪


「煤・記憶」特展講座in台湾レポート その1

2016年12月16日 | 日記

みなさん、こんにちは!

先日のブログでもお知らせしました、当館と友好館協定を結びました台湾の「新平溪煤礦博物園區【シンピンシイ・メイコワン・ボウンユエンチ】(日本風に書くと新平渓炭鉱博物館)」にて、当館学芸員が「煤・記憶」と題した講座を開催いたしマシタ♪

タマタマではありますが、ワタクシ博物館スタッフが、当日観光で台北に行っておりましたので、当日のレポートをさせていただきマス♪

まず言葉の整理からですが、台湾で使われている中国語(普通語)の『煤【メイ】』は石炭、『煤礦【メイコワン】』で炭鉱という意味になります。

それでは、台北駅から博物館へ行ってみましょう。
一番カンタンなのはタクシーのチャーターで、1時間もあれば到着シマス。

道中を楽しみたいのであれば、台鉄(台湾国鉄)と、ローカル線として観光客にも人気の高い「平溪線」で行きましょう。
台北駅から東行きの列車に乗って、平溪線との接続駅である瑞芳【ルイファン】駅まで行きます。
ちなみにこの瑞芳駅は、映画「千と千尋の神隠し」のモデルのひとつではないかとも言われ、台湾でも人気の観光地「九份【ジョウフェン】」の最寄り駅でもありマス。

日本でかつて使われていた石炭車・ホッパー車にも似た無蓋貨車【むがいかしゃ】も、沿線でチラホラ見かけましたヨー。



博物館に行くには十分【シーフェン】駅で降ります。
十分は天燈(スカイランタン)と、線路ギリギリに商店が並ぶ風景が有名な場所デス。



駅からは約2kmほどですが、上り坂で歩くとなかなかタイヘンですので、タクシーがオススメです。
車なら5分ほどで博物館に到着デス。



博物館のシンボルである炭鉱用の電気機関車、愛称「一つ目小僧」がお出迎えしてくれマス♪

その2に続きまーす。


石炭の運搬 その3 石炭車

2016年12月12日 | 日記

皆さん、こんにちは。

前回前々回と2回に分けてお伝えしてきました『石炭の運搬』についてですが、最終回となる今回は『石炭車』についてです。

明治20年代ごろから、筑豊では石炭輸送を目的にしたいくつもの鉄道路線が、炭鉱経営者の共同経営の鉄道会社(筑豊興業鉄道、九州鉄道、豊州鉄道など)によって建設されました。
これらはのちに統合され、戦前の鉄道院・鉄道省、戦後の日本国有鉄道(国鉄・JR)の路線へとなっていきました。

大手の炭鉱では、選炭場と上記鉄道路線の最寄駅までの区間を、自前の機関車と石炭車を運用している場合もありました。

日本で石炭が採掘されていた最盛期、蒸気機関車による石炭輸送では、多い時には50両もの石炭車を引いて、炭坑から消費地や積出港まで石炭を運んでいました。

筑豊の石炭は、門司港と若松港に集積されて西日本各地へ送られ、さらに海外にも輸出されました。
また田川の石炭は、豊前市宇島港や苅田港経由でも出荷されていました。

石炭を載せる貨物車を『石炭車』と言います。
石炭車を表わす記号は「セキタン」の頭文字「セ」です。
さらにこの記号の後に荷重(積載量)を表わす記号が付きます。

13トン以下は無記号
14~16トンには「ム」
17~19トンには「ラ」
20~24トンには「サ」
25トン以上には「キ」が付きます。
順に並べると「ム・ラ・サ・キ」となり、語呂がよくなるようにつけてありますね。

九州においての石炭輸送には「セ形」・「セム形」・「セラ形」の3種類が使われました。
これらは車輪が4個の比較的小型の貨車で、車両の真下に石炭を排出する形式の仕様です。

一方、本州と北海道では車輪4個の台車二組(計8個)を持つ大型の石炭車で、車両の両脇下部から線路両側石炭を排出する形式の「セキ形」が主に使われました。
「セキ形」に似てやや小型の「セサ形」は、のちに国有化された小野田鉄道でセメント輸送に運用されました。

なお、香春〜行橋間では、香春岳で産出される石灰石の輸送用として、北海道から転入した「セキ形」も使われました。また田川市船尾山の石灰石も一部「セキ形」が使われ、筑豊本線を経由して戸畑(現在の北九州市戸畑区)へ運ばれました。
しかし、石灰石輸送に使われた「セキ形」は、九州には保存車両がありません。
これは、炭坑が閉山し、かつ石灰石輸送の需要が減った筑豊で不用になったのち、当時まだ石炭採掘が行われていた北海道に戻されたためではないかと思われます。

石炭輸送には、上記の石炭専用貨車以外にもトラックの荷台に似た仕様の「ト形」も使われており、「ト形」「トム形」「トラ形」「トキ形」などの形式がありました。

 

写真はトラ45000形の模型です。トム、トラ、トキ形の保存車は九州には残っていませんので実物の写真は無理でした。

 

 


また、炭鉱の専用線で使われた「ト形」の仲間に、三井三池炭鉱の「ハト形」や、直方と宮田の石炭記念館などに保存されている貝島炭鉱の貨車で、採炭後の坑道を充填する土砂の運搬に使われた「ロト形」もありました。ロト形はセキ形のように線路両脇に土砂を排出するようになっており、石炭を運ぶこともあったそうです。

 

直方石炭記念館のロト22号

 

 

ここからは、九州で使用され保存されている石炭車をご紹介します。
これらは、全国でも数少ない貴重なものです。

1…セ1208 田川市石炭・歴史博物館

当博物館に蒸気機関車59684とともに保存展示されています。
荷重は10t、つまり積載量10トンなので記号はセ形で、1208号車となります。
三井三池炭鉱で使われていた社有の貨車で1両のみ残っています。



2…セム1 直方市石炭記念館

荷重15トンのセム形の1号車です。
飯塚方面と田川方面の両方からの路線が合流する当時の直方は、筑豊の中心的な鉄道基地でした。





3…セム1000 JR若松駅前

同じく荷重15トンのセム形1000号車。
石炭輸送の終点であった若松駅前に、筑豊炭田と若松間で活躍した9600形機関車19633とともに展示されています。

4…セラ1239 JR門司港駅前九州鉄道記念館

セラ形1239号車で荷重17トンです。
セラの前の()は黄帯とともに最高速度65kmの制限を表わすために付けられています。

5…セラ1200 団体保有

セラ1形1200号車で, 門司港のものと同じ形式です。現在は公開展示はされていません。
写真は保管前のもので、団体の責任者の方よりご厚意で提供していただきました。

 

6… セラ2206 長崎県松浦鉄道たびら平戸駅展示

セラ形2206号車で, 4・5と同じ形式です。
長崎県の北松浦郡から佐世保にかけての北松炭田沿線の松浦線で使われたものです。



かつて石炭時代の田川では、蒸気機関車に引かれた数十両のセム形やセラ形の、長大な石炭列車が頻繁に見られました。
踏切で出くわすと、スピードが遅いため通り過ぎるのに長いこと待たされるということもよくありました。

そんな思い出のなか今回調べてみますと、現在残っている石炭車が6両だけとは、ちょっと驚きで、寂しい気がしますね。


田川市観光情報facebook

2016年12月09日 | 日記

みなさん、こんにちは!

さてさて、本日は田川市が発信しております観光情報のフェイスブックページのご紹介デス!

「tanto」田川市観光情報

facebookとは、ご存知の通りSNS【ソーシャル・ネットワーキング・サービス】のひとつで、ユーザー数が世界で16億5000万人、日本国内だけでも2600万人が利用する、実名登録式のインターネットサービスデス。

「シェア」や「イイね!」といった機能で、口コミで情報を共有しあえるのが最大の特徴で、田川市では2012年12月3日より登録をいたしまして、丸4年ほどコチラを使って情報発信を行なっております。
現在までに、1800人以上の方々に「イイね!」を押していただきつながってマス♪



市役所関連のホームページと言うと、チョット堅苦しいイメージがありますが、フェイスブックページでは、イベントを始め、ひとやグルメ、スイーツなどにスポットを当てて、ゆるーく田川市の魅力を紹介しておりマス♪

すでに「田川市大好き!」な方々には、今までにない切り口の情報をお届けし、 「田川市?どこだっけ?何があるの?」テキな方々には、田川市の魅力を知ってもらえるような情報をお届けしておりますデス。

なお、現在博物館のフェイスブックページはナイのですが、当ブログの更新情報なども、上記「tanto」田川市観光情報のフェイスブックページでもシェアしていただいておりますので、ぜひ、『イイね!』を押していただいて、最新情報をチェックしてくださいマセ♪


石炭の運搬 その2 鉄道時代

2016年12月05日 | 日記

皆さん、こんにちは。

前回のブログ「その1 川舟時代」に引き続き、鉄道が敷設されて以降の石炭の運搬についてです。

機械化された炭坑では、石炭は長い壁状の採炭現場で発破や「コールカッター」などにより破砕して掘りだされます(長壁式採炭)。

◆「コールカッター」


掘り出された石炭は、「チェーンコンベア」や「ベルトコンベア」その他の切羽運搬機などで水平坑道の炭車に積み込まれます。
その炭車を連結して、斜坑方式の炭坑の場合は、ワイヤロープと巻上機で「卸【おろし】(下降坑道)」を通って巻き上げられます。
竪坑方式の炭坑では、「竪坑櫓」から吊り下げられた「ケージ」という鋼製のカゴに炭車を乗せて、垂直の坑道から巻き上げられました。

◆「チェ-ンコンベア」


◆「ベルトコンベア」


◆「ケージ」と「竪坑櫓」  深さ314mの竪坑が向こう側の四本の柱の下にあり、ケージも本来はそこに下がっていました。

巻上げられた炭車の石炭は選炭場へ送られ、まず選炭婦(夫)の手で混じっている「ボタ」と品質の劣る石炭をあらかた取り出し、さらに「選炭機」にて精炭作業を行ないます。

一般的な選炭機では、質の良い石炭ほど比重が軽いため、この比重の差を利用して、まず残った「ボタ」を分離します。

その手順ですが、可動する網に乗せたボタ混じりの石炭を、水洗機の中で水流により持ち上げたり落としたりを繰り返して、機械の中を移動するにつれて次第に上の層に石炭、下の層にボタがたまる仕組みになっています。
この際、水に大量に混じる「粉炭」は沈殿させて「豆炭」などに利用します。

こうして選炭され製品となった石炭は、ポケットと呼ばれる貯炭槽に一時溜めておきます。

貯炭槽の石炭は、ベルトコンベアや、直接落とし込む形で鉄道用の「石炭車」に積みかえ、蒸気機関車でけん引して若松などの積出港や各地の駅に運んで行きました。
また、田川の場合は宇島港(豊前市)や後年は苅田港に鉄道で運んでいました。

◆「石炭車」


以上、2回に渡って筑豊の石炭運搬のあらましをご説明しました。
次回、「石炭の運搬 その3」では鉄道用の「石炭車」について、詳しくお伝えする予定です。


FUTTEN@田川市美術館&伊加利竪坑櫓

2016年12月02日 | 日記

みなさん、こんにちは!

さてさて、先日当博物館の企画展『炭鉱絵画コレクション展 -アジアの視点から-』でもお世話になりました田川市美術館さん。
こちらが開館25周年を迎えることを記念しまして、現在展覧会を開催しておりマス。

その名も『アーティストの反骨精神「沸点」』



筑豊・田川が石炭によって繁栄を極めた時代の中、多くの人々が過酷な境遇に抗いながら生き抜いていました。
筑豊の礎を築いた者たちが秘めた「反骨精神」を思い起こし、今に投げかける展覧会デス!

日本の美術界を牽引してきた作家から、現在活躍中の作家まで、山本作兵衛氏の炭坑記録画はもちろん、上記ポスターのデザインを担当されたグラフィックデザイナーの松永真氏、写真家の土門拳氏、劇作家のつかこうへい氏、イラストレーターの黒田征太郎氏、版画家の池田満寿夫氏など42名のアーティストそれぞれが表現する「反骨精神」。

全国から気骨溢れる作品が集う力強い展覧会を是非ご堪能くださいマセ♪

日程は12月25日(日曜日)までとなってオリマス♪



と、ハナシは変わりまして、こちらの田川市美術館の裏庭には、いくつかの展示があるのデスが、その奥になにやら変わったモノが見えます。



鉄骨で創られたオブジェのようなこの作品。
実は、三井田川鉱業所の最後の炭鉱となった「伊加利竪坑」の櫓の鉄骨で作られているんデスヨ!



当館が所在します三井田川鉱業所伊田坑(第三坑)跡から直線距離で約2.5kmほど南東側で昭和30年に竣工した「三井田川鉱業所伊加利坑」は、当時東洋一とも言われた約700mの竪坑を持ち、櫓の高さは50m以上の大竪坑でアリマシタ。

しかし、三井田川鉱業所は昭和39年に閉山となり、伊加利坑では僅か10年足らずしか採掘していませんでした。
その後この竪坑櫓は、同じ三井の炭鉱である三池へと移設され、三池港に昭和40年に開坑した『四山坑』の竪坑櫓として活躍しました。
昭和62年、四山坑の閉坑から約10年後、平成8年にコールマイン田川プロジェクトにともなって鉄骨が田川市に里帰りし、それから平成18年までプロジェクトは続きました。

その際に製作されたオブジェが、田川市美術館に移されて残っているんデス♪

世界遺産となった「明治日本の産業革命遺産」に代表されるように、今でこそ近代化遺産の保存についての関心が高まってきておりますが、このプロジェクトがなければ伊加利坑竪坑櫓もまったく忘れ去られていたかもシレマセン。

もし田川市美術館に行かれることがありましたら、ぜひ前四山坑・元伊加利坑の竪坑櫓を見に行ってみてくださいネ!
また、その際はぜひ、当館の方にも遊びにきてくださいマセー♪