ひふみ神示 第18巻 光の巻 / (一火 キ)
第六帖 (四〇二)
今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それ位 判って居らうが、判りて居り乍ら他に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊(たま)から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。何んなよいこと喜ばして知らしても、聞 かせても、今の臣民人民 中々云ふこときかんものぢゃぞ。この道にゆかりある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。六月三十日、ひつぐの神。」
旧約聖書『創世記』 ノアの洪水と同様の『シュメルの洪水神話』(粘土板)における記述
壁のかたわらで、わたしはおまえにひとこと話そう。わたしのいうことを聞きなさい。わたしの教えに耳をかたむけなさい。われわれの・・・・・によ り、大洪水が聖地を洗い流すだろう。人類の種をたやすために・・・・。これが神々の集会の決定であり、宣言である。・・・・あらゆる嵐、しかもはなはだ強 大なのが、ひとたばになって襲ってきた。同時に、大洪水が聖域を洗い流した。七日と七夜、大洪水が国中を洗い流し、大舟は嵐のために大波の上でもてあそば れた。そののち、太陽神ウトゥ(英語版)があらわれ、天と地を照らした。ジウスドラは大舟の窓をひらいた。英雄ウトゥは光を大舟のなかにさしこませた。王ジウスドラはウトゥの前にひれ伏した。
旧約聖書『創世記』ソドムとゴモラと同様の記述も
ニネベの遺跡で見つかったシュメール人の古代の天文学者が粘土板に残した円形の星座板には、ふたご座・木星などの惑星と、アピンと名づけられた正体不明の矢印が書きこまれており、この天体配置があった日の明け方の5時30分ころに、4分半かけてアピンは地上に落下したという記述が残されている。
シュメール人は貿易による交易で
金銀宝石の財宝と都市国家
美術、医術、天文学
現代と変わらぬ豊かな生活基盤
異なることは
人間性のすべては神々のなすがままにあるということである。
ユダヤ教は国家を失うことにより
ソロモンの智慧を大切に伝えた
スメラ神国とユツタ神国と一つになりなされてとは
生きる上での豊かな物と生きる上での豊かな智慧
それを神よりの賜り物として
受け取ること
一つに結ばれる
根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになり
スメラ神国とユツタ神国と一つになりなされる
それは
天津神の御霊統と国津神の御霊統が一つになる
ひふみ神示 第23巻 海の巻 / ( 三の キ)
第十帖
この方 悪神、祟神(たたりがみ)と人民に云はれてトコトン落されてゐた神であるぞ、云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、此の方さへ改心いたしたのである ぞ、改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、誰によらん改心致されよ。改心とは まつろふ事ぞ、中行くことぞ、判りたか。今度は十人並のおかげ位では誠の信心とは申されんぞ、千人万人のおかげを取りて下されよ、千人力与へると申してあ ろが、大事な御先祖様の血統を皆世に落して了ふて無きものにして了ふて、途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ、まだ判らんのかなあ、人民もぐれんぞ。八月二十三日、一二 。
豊葦原の瑞穂の国
チグリス・ユーフラテスは葦の豊かな国
シュメールの古代遺跡には菊の紋章と同じ図形が冠されている
出雲大社と伊勢神宮は
国津神と天津神の格式と伝統を伝える
途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致してとは
血統ではなく霊統
なぜ渡りて来たか
古事記の二三行に書かれている
独り神 結び神が
宇宙に産まれる
波動から原子が産まれる
素粒子論を包含している
宇宙と一体の自然観が日ノ本の国にあった
戒律も教義もない神の道
ひふみ神示 第09巻 キの巻 / (キノ キ)
第十帖 (二六七)
山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所 愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民 自分でするのざぞ。一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ。三月十三日、一二 。
三万年前は訪ねることは難しいですが
三千年前のすべて神の賜りものに訪ねることはできそうです
今日は太陽太陰暦ではお正月
天地に感謝