一二三神示 第03巻 富士の巻 (二二のまき) 第一帖(八一)では、
道はいくらもあるなれど、どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方ぞ、元の道は一つぞ、初めから元の世の道、変らぬ道があれば、よいと申してゐるが、どんなことしても我さへたてばよいように申してゐるが、それが悪の深き腹の一厘ぞ。元の道は初めの道、神のなれる道、神のなかの ・なる初め、 ・神は光の真中 ○に・の入った神は四の道、此の事、気のつく臣民ないなれど。「一が二」わかる奥の道、身魂掃除すれば此のことわかるのざ、身魂磨き第一ぞ。八月十日、 の一二 。
「どんなことしても我さへたてばよいように申してゐる」 とは、今の日本の首相の姿そのものと思うのは私一人でしょうか?
被災の方々からあれだけの反感を買い、被災地に心をむけるのではなく我のできることのみ目をむけているように感じます。
このような状況では、もうj少しも良心に基づいて生きれないだろうか?
そんなことを感じさせてくれる悪の御用と思うのは、勘違いでしょうか。
元の道は一つぞとは、「みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ」と一二三神示の冒頭にあるように普段の身の回りの生活にみたまを磨いてくれる種があり、暮らしの中でみたまを磨いてゆけということなのでしょう。
いつのまにか、国の利益、企業の利益を出すために人にできるだけ投資しない方法が流行となっているのが普通の身の回りの状況です。
組織の利益と一部ではなく全体の個人の利益が相反する状況のなかでいかに良心とのバランスをどうとるか。
それが回りの人や物に心を通わすみたま磨きなのでしょう。
古への時代、山や川、身の回りの存在に心を通わせ神を信仰していた時代に回帰するように想います。
かくいう私は、医療関係に身を置いていますので、はびこる成果主義と良心との答えをさがしている最中です。
そんな中でも、お天道様はいつも無償で与えてくれているのですね。
最近はよく太陽活動が活発なので日輪を見ることができます。
あまりに大きくて初めは彩雲と思ったのですが、しばらくしたら普通の日輪になっていました。
地震は地龍さまが、もっと身の回りのものに心を通わせて欲しいと伝えているのかもしれません。身の回りの人やものに心を通わせることで地震が止まると一二三神示は伝えているように思います。
お陰というのはたくさん受けて気付かぬこともあるものです。
ありがとう、ごめんなさい、許してください。
愛しています、大切にします。
そう思っていると内なる神が囁いてくれるかもしれません。