二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。誠の神の国は、神の力でないと何んにも成就せん、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。
日月の神は、森羅万象と心を洗濯した誠の神が結はれていると示していると思います。
3.11の震災以来とかく天災を預言した部分が注目されていますが、誠を通して回りの環境に結ばれていれば天災は変更できると書いています。
心の中の戦が済んだ状態とは、回りの人や自然に不平や不満を持たずに受け入れ感謝する
カムナガラの暮らし。
難しいことなので上手くいかぬときは、ごめんなさいと天地にわびる心を持つこと。
何事も過去世の縁でつながりて よきに悪しきに結ばれていく
自らの環境がカムナガラに至る道が隠されているのでしょう。
天地(あめつち)の恵みゆたけくきわみなく このことわりが誠なりけり
日月神示ではよく三千年前に帰すと書かれています。
市場経済と民主主義という自己主張の時代の流れに染まって天地の恵みを忘れているのかもしれません。
現代の民主主義は、古代ギリシアにその起源を持つとされています。
「徳は知である」というソクラテスの犠牲があって成立している。
徳=知がなければ衆愚政治になると。
徳を説いた孔子は論語八イツ編において
八イツの「イツ」とは、一列八人で八列に並んだ六十四人の舞人(舞士)の列のことであり、国家を統治する正統な君子だけが八イツの舞踏の儀礼を司ることができる。
「八イツの儀礼」は正統な祖霊を祀らなければない。
一列が八で八列並んだものに易の八卦があります。
八卦は三本の陰陽の線の天地の二の組み合わせ。
古神道の祝詞「ひふみ…天地の数歌」に示される9=0
そのひふみ九九表では12345678が循環することで成立します。
それは形あるものが形のないものに循環する。
色即是空 空即是色
お釈迦様も八正道と八の段階を説いてますね。
日月神示ではひふみ(一二三)の力が作用すると書いています。
マヤ暦は二本の線と・3個で13を表します。
三つで表すというのは八卦の天地と同じです。
古代では、マヤのピラミッドで神に誠を捧げていたように
世界中のストーンヘッジやストーンサークルで神に誠を捧げていたのでしょう。
日月神示のいう三千年前に帰すとは、そのようなことを示しているのではないか。
誠は仁であり徳であり知であると。
天地(あめつち)の恵みゆたけくきわみなく このことわりが誠なりけり
今日は冬至 そんなことを思い巡らすのも面白きかな。