発生時刻に12345の数字が並ぶ胆振の地震震源地
震源地に近い縄文遺跡からどのように見えるか
苫小牧市静川縄文遺跡を訪ねました
ドシャブリの雨が弱くなった昼に出発したのですが
15分ほどで豪雨の中へ、しばら~く続きました
今回はめまぐるしく天候が変わります
山や海の気を感じれるよう高速を使わなかったのですが
天気が晴れ渡った苫小牧市に入る一本道で渋滞40分、他に側道なし
側溝に落ちたような一台のプリウスがレッカーに乗せられちょうど発進するところ
夕陽に間に合わすため苫小牧西より苫小牧市東を高速で飛ばし
5時半静川遺跡入り口に到着
地図も有り、矢印に沿って進むようになっていました。
右曲がり矢印200m先とあるので草深い道を進むと帰り道の矢印
2回ほどグルグル回り回りの空間を探し、雨濡れた草むらそれらしき所探す
結構入念に探しました、何かおかしい。
さらに道なりに歩いて進むとなんと右矢印が
直進とすれば良いのに、この先200m右折の矢印
手前で右折していました。
やっと辿りつき
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10mほどの高さに土を盛った丘
苫小牧市の紹介に
静川遺跡
[しずかわ いせき]
縄文時代早期~続縄文時代
静川遺跡は東西2つの丘の上にあり、東の丘から4千年前の環壕、西の丘から33軒の住居跡が見つかっています。
環壕は上幅2~3m、深さ1~1.8mの溝が139m巡っています。なかには2軒の建物跡があり、聖域と考えられています。
縄文時代の環壕としては全国初の発見例で、当時の精神文化を知る上で貴重といえます。
• 縄文時代にも環壕(かんごう)が存在した!
• 縄文時代の大土木工事
• 何のためにこんな大きなものを造ったの?
静川遺跡は東西2つの丘の上にあり、東の丘から4千年前の環壕、西の丘から33軒の住居跡が見つかっています。
環壕は上幅2~3m、深さ1~1.8mの溝が139m巡っています。なかには2軒の建物跡があり、聖域と考えられてい
ます。縄文時代の環壕としては全国初の発見例で、当時の精神文化を知る上で貴重といえます。
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埋め戻された環濠を歩くとちょうど地平線が見渡せる高さ
その高さに合わせて丘を築いたように感じます。
200mに及ぶ土の量はすごい
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地平線が遠くに見渡せるよう長い時間をかけて
祭儀を行ったとされる東の丘の先は
7月1日23時45分に震度5を記録した安平の土地
東と西は雲が出ていますが静川遺跡の上は青空
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大地の気が天に昇るようです
広い土の上をゆっくり散策していると鹿の足跡がかなりあります
祈りを捧げていますと
厚くなった西の雲と地平線のわずかな空間から夕陽がさしてきます
少しずつ土と草花を染めていき
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ついには黄金色に全てを染めてゆきます
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すべては光にいかされているのだという心持になり
ひかりあまねき映し世
ふと上を見上げると青空だった空が一面厚い雲
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雲のまにまに太陽の目を拝ませていただいたような気持ちです
翌日、曇り空のなか、日の出を拝みに丘の上に行くと
10頭ほどの鹿、フューンと一声鳴いて林に走り出しました
大地と空の少しの隙間に日の出
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祈りを捧げていますと、あまねく映し出されました
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永い間、この地に祈りの営みがかつてはあった
そんな感銘を感じました。
静川遺跡の発掘資料が展示されている苫小牧美術博物館へ寄りました
静川遺跡の展示を見てから館内の展示を進むと
胆振の旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文文化、アイヌ文化、
北海道開拓使、苫小牧市の変遷の展示
北海道には弥生時代というのが無いのです。
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旧石器時代
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縄文時代
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続縄文時代
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旧石器時代3万年前より精霊の伝統を受け継いだ石器
稲作を行わなかったため土地の権利という争いはなかった。
ウィキペディアより
擦文時代
擦文式土器の使用の始まりは6世紀後葉から7世紀はじめ(飛鳥時代に相当)にあり、ここから擦文時代が始まる。前代の続縄文時代には、土器に縄目の模様が付けられたが、擦文時代には表面に刷毛目が付けられた。これは土器の表面を整えるため木のへらで擦ってつけたものと考えられており、これが擦文の名の由来である。
アイヌ文化
遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球民族で、次いで大和民族であり、大和民族とアイヌ人の共通性は約30%程である。
他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本人(アイヌ、琉球民族、大和民族)の特異性が示された。
北海道のオホーツク文化遺跡で発見された人骨が、現在では樺太北部やシベリアのアムール川河口一帯に住むニヴフに最も近く、またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャツカ半島に暮らすイテリメン族、コリャーク人とも祖先を共有することがDNA調査でわかった。また、オホーツク人のなかに縄文系には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプであるハプログループY遺伝子が確認され、アイヌとオホーツク人との遺伝的共通性も判明した。アイヌ民族は縄文人や大和民族にはないハプログループY遺伝子を20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していたが、これまで関連が不明だった。
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこからアイヌ民族に受け継がれたのでは」と推測した]。
アイヌ民族の成り立ちに続縄文人・擦文人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる。
アイヌ文化は石器時代、縄文時代の伝統を融合した精霊の文化
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土地、山、川に精霊を感じ
すべてのものは、神があたえてくれるもの
すべては、カムイのあらわれ
博物館に入る時は、青空の快晴だったのに展示を見ていると30分ほどで
大粒の雨の音が館内に響きました。
初めは、古い空調の音かなと思ったのですが
大粒の豪雨、雷も鳴り
窓から館内に雷の黄色の光
1時間ほどで帰ろうかと思いましたが
広い敷地にあり駐車場まではかなりの距離が
ゆっくり見学しろということかなと思いもう一度じっくり見学
さらに1時間近くのんびりしますが、同じような豪雨
何か忘れていると言われているのかと、以下の展示を撮りました
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すると小雨に
生きているアイヌの姿を見ろと言われたような気がしました。
無事17日に帰ってきたのですが、18日から黒点0の日が続いています。
昨日なにげなくアイヌと和人の争い
コシャマインの乱があった志海苔館の土豪を訪ねると
今日22日が和人とアイヌの霊を祀る例大祭の準備のテントが張られていました。
今日の丑三つ時、激しい豪雨と雷鳴の響き
頭のすぐ上で雷が鳴っているような音
どこかに落ちるのではと思う雷がつづきました
自然におこることはすべてカムイのあらわれ
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北の大地には精霊に祈る生きた感性がある
そう囁く
そのために、激しい水心となれと