自己利益を追う政治、官僚などの人の思考は一寸先も見えないようですが
人の能力は時空間を超えるという思考
身近な人から見通してるんだ
と囁かれるようなことがありました
死ぬほどの苦労をし亡くなった身近な人
石屋の仕事で腰を痛め仕事への不平不満がアルコールを呼び肝臓癌を呼び
大量吐血の治療のための内視鏡で細胞採取のとき痛さで医者をなぎ倒し緊急手術
医者に勧められる化学療法も効果なく
体力が低下しても腫瘍は活発に増殖していました
見舞いに行った時、孫たちの動画を楽しそうに見てくれました
帰り際、目の中を覗かれたと思いました
その2週間後ベッドから転び容態が急に悪化しました
一月ほど前に遠方より見舞いに来た息子に
死ぬほどの経験をすると見えてくるもんがあるんだと話していたそうです
動画を見せた家の孫には何も無かったのですが
会う機会のなかった名古屋の孫が危篤になった頃から泣きやまなかったそうです
最後のしらせはやはり有るものだと思っていると
家族葬で戒名だけ頼むことになり葬儀の業者が手配したのは
森町鷲の木 霊鷲院のお坊さん
そのお寺は、1時間ほどかかる所にあります
この鷲の木は縄文の環状列石があり、縄文の時代富士の形をした駒が岳のすそのが広く見え
一眼レフの写真を撮影に1月の真冬から通い始めた場所
霊鷲山はお釈迦様が瞑想に入り過去現在未来の三回を見渡したヴィジョンを金色の雲のなか説法したところ
その情景を現わした法華経
宮沢賢治は法華経を伝えるために色々な童話を作っており
春と修羅の中の一節 空には化石がある
そんな一節が頭によく浮かびながら鷲の木からの駒が岳を撮影していました
戒名の一番上には阿弥陀如来と千手観音を現わす種字キリークが書かれていました
梵字である種字は40以上あります
以前このキリークを使い何回かイラストを作っていました
こうべをたれ、感謝を捧げる気のイメージを感じていました
誰にも話していないことがあちこちに散りばめてあります
葬儀の会場で末息子が急に職場の悩みを話はじめました
自分はプログラムを作る才能があるのだが、才能のない新人ばかり教育係にさせられてうまく育てられずに困っていると
死ぬほどの経験をすると見えてくるものがある とは
死ぬほどの苦労をすると能力があたわると伝えたかったのではないか
しかし死ぬほどの苦労は耐えられる人は限られる
息子の能力のない後輩には耐えられる程度の苦労をさせろ
と言いたかったのかなと思ったりします
敵を弔う静男の舞は、ただ淡々と歩みを進める舞
弔う気持ちを淡々と書かせて戴きました
2日間、所用で札幌に行き、モエレ沼の朝日夕陽も撮影できました。
モエレ沼ギャラリ-にイサム野口氏の言葉が書かれていました
モエレ沼は神からのお告げとして
「 地球を刻め 」
そう感じていたと書かれていました
その言葉どうり受け取る人は何人いるのだろう
次回、モエレ沼の想いを描けたらと思ってます