図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

縄文の世界観

2017-11-18 17:35:15 | 日記





早期縄文時代国内最大とされる函館空港中野遺跡


その丘に立ち気脈を感じる風景


撮影条件がそろっていないのでわかりにくいと思いますが


蓬揃山、蝦夷松山、雁皮山の三つの山が一つに重なり


冠のような地形が広がります








縄文前期から中期のサイベ沢遺跡から見るとギザギザの頂が横に広がって見えます


この山並みをちょうど縦一直線に見える位置に函館空港中野遺跡があります


縄文遺跡の東西南北に広がる山並みに自然に流れる気を感じます


そんな風景写真を撮影してみたいと思うようになりました。


撮影のコツも少しは覚えなくてはと感じてるところです。


縄文の世界観が


遺跡から見える山並みに現れるような気がします



自然と結ばれていることが当たり前のような





今の時代の当たり前を象徴するダヴィンチ「サルバトール・ムンディ」(救世主) 500億








聖なるものを求め、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など
様々な分野に顕著な業績と手稿を残した


フランス王フランソワ1世は最晩年のレオナルドを支え、レオナルドはフランソワ1世の腕の中で息を引き取ったという伝承が残っている。

ヴァザーリは『画家・彫刻家・建築家列伝』の1568年に出版された第2版のレオナルドの列伝冒頭で次のように紹介している。

多くの人々がそれぞれに優れた才能を持ってこの世に生を受ける。しかし、ときに一人の人間に対して人知を遥かに超える、余人の遠く及ばない驚くばかりの美しさ、優雅さ、才能を天から与えられることがある。霊感とでもいうべきその言動は、人間の技能ではなく、まさしく神のみ技といえる。レオナルド・ダ・ヴィンチがこのような人物であることは万人が認めるところで、素晴らしい肉体的な美しさを兼ね備えるこの芸術家は、言動のすべてが無限の優雅さに満ち、その洗練された才気はあらゆる問題を難なく解決してしまう輝かしいものだった。









「サルバトール・ムンディ」(救世主)はなぜ水晶という球体をもち




何気なく3本の指を示すのか







幾何学や円は聖なる形への希求



聖なるものを求め、霊感を与える生き方が500億というお金になる時代



「サルバトール・ムンディ」(救世主)から聖霊を感じることが


創作の意図ではないだろうか




権力を持つ者に忖度する人間が一番多くなった時代




精霊を拝むあたりまえが価値あることのように思えます



















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自然への調和 岩屋岩陰遺跡

2017-11-04 16:16:38 | 日記



22日夕方到着した岩屋岩陰遺跡は、雨のせいで渓流の音が鳴り響いていました。









午前3時に御前崎に上陸した台風21号

10月23日3時に上陸21号と123321と数字が並ぶ

台風も10月23日の霜降を選んだとも思えます。




中心に近いせいか夜明けには風は強いが天候は回復


岩屋岩陰の圧倒的な岩を巡ります。
















思ったより急な斜面に配置された巨石

太陽観測、天体観測が強調されていますが

岩を切り落とし天体の配置に合わせ岩を配置した

そんな感想を持ちました。









8時半頃より東の山に太陽を観測できる岩を探索

途中離れた所に林の中の石垣を見つけこの辺から登る小道を進みますが

急斜面に道を塞がれてしまいました。

東の山の巨石は行けなかったのですが、遺跡の回り広範囲の林の中に石垣を多数見つけました








縄文時代より江戸時代まで住人がいた跡のようです

それは石工の住人



「穴太衆」の技術を受け継ぐ粟田建設14代目石匠 粟田純司氏に貴重なお話

戦国時代、各大名がこぞって召し上げた伝説の集団、その名も「穴太衆(あのうしゅう)」。
戦国時代の城はその石垣の高さや強度さが戦いの士気を左右し、戦いを制するには「穴太」の力が求められた
「野面積(のづらづみ)」と呼ばれる自然の石を組み上げる石工術は、現代技術を凌ぐほどの強度を誇った
新名神高速道路の建設時、トンネルを掘ると大量の石材が掘り起こされたため、これを再利用して道路脇の防壁にしようとしたことだ。
大成建設さんにご相談して、京都大学さんのご協力も得て、穴太衆積とコンクリートブロックでの実証実験
加圧が始まると、200トンの加圧でコンクリートブロックにはクラックが入り、220トンになると、勾配の傾斜が厳しくなったという。結局コンクリート側は、これ以上の加圧は崩壊の危険があると、220トンで実験がストップされた。一方、穴太衆積みは、200トンはもちろん、220トンの加圧でも2、3カ所に小規模の孕みが出たのみ。230、240トンと加圧を順調に加えたところ250トンでなんと集荷装置が加圧に耐え切れずズレてしまったという。

「ルーツを遡れば、古墳時に日本にやってきた渡来人」だと粟田氏は説明する。朝鮮半島にあった「百済」では「穴太(あのう)」と名乗る部族がおり、それが土木工事や石工を得意とする集団だったという。
先代の言葉に考え直した純司氏は、大学卒業と同時に家業を継ぎ、現場に足を運んだ。そこで先代に言われたのは「石の声を聴け」という教えだった。
「最初はね、“石の声を聴け”なんて言われてもなんだか分からない。こっちはメジャーを持って石を測っては石垣に押し込んだりしてたんですわ。でも親父の場合は、集積場で石をじっと眺めては“はい、これそっちに持ってって”とはめるとストンと収まる。『親父なんで分かるの』と聞くと『わしは石と話している』というんですよ。なんのこっちゃと思ってましたが、自分が11年目の時に、安土城の修復を任されました。いつもだったらメジャーで測るのですが、その時は集積場で石をみていると、何度も目につく石がある。それであの石持ってこいって現場に運んだらストンと合いました。なんだかね、石が“ワシを使え”と手を挙げているように感じたんですよ。ああ、これが親父の言ってた石の声を聴くということなんか、と思いました」

渡来系の石と会話する人は残っているようです


「石と話す」縄文、弥生、江戸の人は

今は消えてしまった岩と話し、楔を打つ人

与那国の海底遺跡や葦嶽山のように今の時代に受け入れられにくい

巨石と会話する感性がかつてはあった


それは石も自然も同じ命の現れ



台風21号が残した赤城山を染める虹色






古への季節を祀る遺跡には失われた感性の囁きがあるようです



選挙では建前論だけで進む人ばかりが目立ち落ち着いたように見えますが





台風は寒気と暖気の激しいぶつかり合い






この冬の何かを示しているようです














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