図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

函館空港遺跡 縄文早期大規模集落

2017-04-26 15:47:36 | 日記



函館空港の滑走路の下にある中野A・B縄文遺跡


縄文早期からの北海道で一番古い700棟以上の住居跡


青森県では三内丸山縄文遺跡が再現される頃


函館では一通りの発掘調査を終えて滑走路に変わります


なんとなくさみしく思っていたのですが、最近夕暮れに訪ねるといつも


車が5・6台停まり夕日に染まる滑走路に降りてくる飛行機の写真を撮影しています。


3kmほどの滑走路のライトアップ


がかがり火のような幻想を与えます







古への神事は夜に行われていたとされています。


縄文儀式の転写とも思えます






中野A・B縄文遺跡の特徴は60万点に及ぶ尖底土器や石器






土器というと煮炊きに使うと思いますが


そのような使い方をされたのは縄文後期


縄文土器のはじまりは、煮炊きに適さない縦長の尖底


尖底土器は有史以前の大切にしていたものへ使用されたのでしょう。



石器として石鏃や不定形スクレイパー類が多くあり、磨製石剣など特異なものもみられる。

また、石冠や半円状扁平打製石器などと共に、住居跡の中からは大型の石皿類の出土が多くみられる






石器とともに暮らし、大切にしていた。



磨きあげた石器からスラウェシ島のクリスを連想します



クリスは神秘的霊力を持ち、持ち主の霊性を守る






霊性を守るために土器や石器を儀式に用いていた



磨いた磨製石器を見ていると






石に心をこめた姿が連想されます



魂をこめた石をもちいると




尾道 岩屋巨石割れ目









金山巨石 岩屋岩陰





石は応えてくれる




それは霊性をとおして宇宙、自然、人がひとつに結ばれた思考がかつて有った。



忘れられた心の底の感性の力を磨く



今ある環境は億千万劫の魂の連鎖から産まれ



そのことに思い巡らすことが縄文では普通のことだった。



過去が連続していることを身の回りに感じることが



失われた霊性を取り戻す道のように感じます。









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象徴るとして務め

2017-04-12 19:54:23 | 日記




象徴としての天皇は、ただ何もせず存在するだけでよいという一般の認識があります


でも象徴として生き抜こうとし、実行している天皇


権力に祀られる魂ではなく、無名のまま散った魂を大切に弔う心


権力ではなく、心の光で祀りごとをする姿



それは古へのスメミオヤ(天皇の祖先)の本当の姿かもしれないと思いました


象徴としての存在が人の心を動かす


スメル(統める)皇




もくもくと象徴の務めに進むお姿に心を向ける人が産まれると良いなと思います









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だました岩戸開け

2017-04-10 19:48:19 | 日記




出したものが帰ってくるのが自然の理


だました岩戸開けはだます神が現れた



言葉を変えると天照大神の大部分は岩戸の中にある

真の岩戸開きはこれから起こる





今は、一部のことを全てと想い押し進めようとする方が目立ちます


その先に見えてくる争い


変化を求めるなら


隠れている部分に想いをめぐらすこと




震災の時に起きた大きな心の変化

時間がたつと忘れてしまう

神の力だけでやれば悲惨なことになるから

気付く時間を与えられていると思うのですが





昔からいわれる、魂を磨くために生きる

輪廻やカルマを思考するのは、魂の力を感じる感性がかつてはあった

魂の感性はお金で潰されたような気がします

お金に関係ないことに目を向けることが魂にむきあう道




一方的主張する人達がいるなか何に目を向けるか




日本の神話は、対なる思考が一方的な思考に変わったことを

イザナギとイザナミの黄泉の比良坂で象徴しています

黄泉の比良坂の岩戸を開けることが対なる思考にいたる

それは死生観を変えると




スサノオを荒ぶる神としていた時代から

破壊と創造を産む現ぶる神とみる視点

震災を創造の視点から観る




国作りの日本の神話は今の時代にも息づいている





ユングは生涯最後の著書に人間と象徴を残しています

1959年ユングのインタビュー放送がはじまりでした。

心理学の専門家ではない大人の人たちが、理解し興味をもてるように本に現わそう

その丁重な要請にユングはNOと答えます。

当時はフロイドの精神分析が主流

無意識をゴミ箱ととらえるフロイドに対しユングは宝の山というほどの違い

集合無意識、神話の元型、夢の象徴、魂の象徴

それらは、未開の人間のものというのが西欧の認識

フロイドに基づくアンドレブルトンのシュールレアリズムは夢や偶然性におもきをおき

自動手記を試みています

無意識が体系的思考のもとに象徴を産出していることとは異なります

現わすことの難しさを充分承知してのNO

ところが、テレビの上映を見たあらゆる階層の人から多くの手紙が寄せられました

さらに、ユング自身が夢に示されます

公共の場に立って多くの人たちに演説をしていた

彼らは熱中して聞き、それを理解する



臨床家や哲学者のためではなく、市井の人たちのために本にする

そうしてできた   「 人間と象徴 」



近代人はその合理性や能率性を持ちながら、自分の制御を超えた“ 原型の力 ”によって抑えられているという事実に気づかずにいる



ブエプロのインディアンは、自分たちは父なる太陽の子であると信じている
その信仰が、生涯を生き通す力となり、魂を育てる



神話は意識的に作りだされたものでない象徴によって成り立っている。

それは自然に生じたものである






一方的な思考が流行する今の世だからこそ


自分の制御を超えた“ 原型の力 ”


神話の力が求められる




古への対なる思考をもつ神話の象徴に目を向ける時と囁いているようです










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自然を定点観察することで産まれる目に見えぬ感性

2017-04-02 13:03:42 | 日記





ミマツダイヤグラム (Mimatsu Diagram) は、昭和18年(1943年)12月28日の活動開始から昭和20年(1945年)9月まで600日余りの日時で、406.9mの昭和新山が誕生していく過程を記録した多数の定点観測スケッチ画をもとに隆起の全過程を、今で言うハンドトレスの手法で一枚の「新山隆起図」にまとめたものである。
北海道有珠郡壮瞥町の郵便局長三松正夫によって作成された。この新火山は1948年(昭和23年)のオスロでの世界火山会議において報告された。そのおりに提出された「新山隆起図」は世界で唯一の火山誕生の記録として評価され、ミマツダイヤグラムと命名された。三松は昭和21年(1946年)に昭和新山を購入、自然保護に当たった。
<ウィキペディア>



昭和新山を定点観測した三松正夫氏に産まれた


自然界の中にある “ なにか ” を感じ取ってください。

火山活動を自然の悪、破壊的なエネルギーと見ない。
悪と思うのはそこに入り込んでいる人間であることを知って、この莫大なエネルギーを人間みなの幸福のために善用し、活用する道を考えてほしい。




昭和45年6月7日昭和新山のみ前にに立ち

新山すなわち神山と感じた

出居清太郎氏






人のこの世の争いを心配、気苦労、見るにみかぬる思いから

新山は、母の母体から子が生まれる如く産まれた

この日、三松正夫氏、壮瞥町長の出席のもと

心の底の魂の開発誓願の祝詞を昭和新山のみ前で奏上しています






目に見える観測より、目に見えぬ神秘に至った 三松正夫氏

目にみえぬ霊感により同じ神秘に至った出居清太郎氏



ともに昭和新山を単なる物見遊山の山としてではなく、


神秘的な誕生の秘密、偉大な自然の象徴として知ってほしいと伝えています。





昭和の時代、その方向性の違いにより悠久和石建立の話の途中で取り違いを生じています。








同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞ







イザナギ イザナミの黄泉の平坂よりはじまる一方的な思考


今起こっている争いはすべて一方的思考に基づいて起こっています


二つの思考を立体的に道として生きる人がうまれると


道が開ける






立春の朝日を丘の上で拝んでいますと


南の真正面に下弦の月


白く妙なる半月


目に見えぬ世界と目に見えぬ世界の象徴


そんなこと感じました。


昼に鷲の木にある環状列石を訪ねると


縄文の時代富士の姿であった駒が岳のたたえる水を拝見しました。





立春 巨石遺跡を検索すると



金山巨石遺跡に巡り会いました



なんと岩屋岩陰では太陽を定点観測していた



そこには一方的になる前の感性があるように思います。






岩戸閉めの前の姿



黄泉の平坂で菊理姫が囁いた言葉は何か?





カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさ




己の心を見よ 戦が済んでいるであろうか





我を消し切れているだろうか






神話とともにあったことを古代の遺跡はさし示していないだろうか










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