北海道駒ヶ岳は、北海道森町、鹿部町、七飯町にまたがる標高1,131 mの活火山(成層火山)である。かつては富士山型の山容で標高も1,700 mあったが、大噴火により山頂部が磐梯山のように崩壊し、現在のような2つの峰になり、馬蹄形カルデラと呼ばれる凹地ができた
3万年前より以前に活動を開始した。人間の活動に影響を与える噴火としては、約6,000年前に降下火砕物と火砕流を伴う活動をし、約5,500年前に降下火砕物の活動の痕跡があったが、以降は江戸時代まで、約5,000年間は活動を休止していた。
1640年(寛永17年) - 噴火にさきがけて大規模な山体崩壊が発生。大量の土砂は直下の噴火湾に流れ込み、大津波を発生させた。津波は、対岸の有珠湾岸へ押し寄せる。住民約700名が溺死。降灰による凶作は、寛永の大飢饉にも影響。噴出物量は約2.9 km3。火砕流は全方向に行き、ほぼ山全体を覆った。
駒ケ岳を美しく見渡せる場所に鷲の木ストーンサークルの遺跡があります。
縄文前期から縄文後期・続縄文までのかなりの長い時代の遺跡があります。
縄文前期には、噴火する鷲の木の富士として祀られていたのでしょう。
お天道様と大地の運行を天地の恵みとして暮らしていた。
天地の運行に沿って暮らしていたから長い時代息づくことができた。
3.11の震災を恐れる人はいますが、天地の運行を祀る人が現代はいるのでしょうか?
日月神示では天地と人の結びを次のように示します。
宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。 人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。
ひふみ神示 第三十巻 冬の巻 第一帖
人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じ性を もっているぞ、
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第五帖
神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納得の行くように致して見せてあるでないか。
五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第八帖
理とは三界を貫く道のことぞ。字宙にみちみつ のあり方ぞ。法則ぞ。秩序ぞ。神の息吹きぞ。弥栄 ぞ。喜びぞ。判りたか。
ひふみ神示 補巻 月光の巻 第四十三帖
理屈は一方的のものぞ。どんな理屈も成り立つが、理屈程 頼りないもの、力にならんものないぞ。理(リ)が (カミ)の御能(オンハタラキ)ぞ、
ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第三帖
神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。
ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第二十六帖
そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。
ひふみ神示 第 一巻 上つ巻 第二十帖
天地自然の理法にそって暮らし生きたい
そう願う人が産まれるといいですね。
それは、今なのでしょう。