図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

未来の富士?

2013-07-23 16:11:59 | 日記



北海道駒ヶ岳は、北海道森町、鹿部町、七飯町にまたがる標高1,131 mの活火山(成層火山)である。かつては富士山型の山容で標高も1,700 mあったが、大噴火により山頂部が磐梯山のように崩壊し、現在のような2つの峰になり、馬蹄形カルデラと呼ばれる凹地ができた





3万年前より以前に活動を開始した。人間の活動に影響を与える噴火としては、約6,000年前に降下火砕物と火砕流を伴う活動をし、約5,500年前に降下火砕物の活動の痕跡があったが、以降は江戸時代まで、約5,000年間は活動を休止していた。

1640年(寛永17年) - 噴火にさきがけて大規模な山体崩壊が発生。大量の土砂は直下の噴火湾に流れ込み、大津波を発生させた。津波は、対岸の有珠湾岸へ押し寄せる。住民約700名が溺死。降灰による凶作は、寛永の大飢饉にも影響。噴出物量は約2.9 km3。火砕流は全方向に行き、ほぼ山全体を覆った。

駒ケ岳を美しく見渡せる場所に鷲の木ストーンサークルの遺跡があります。







縄文前期から縄文後期・続縄文までのかなりの長い時代の遺跡があります。

縄文前期には、噴火する鷲の木の富士として祀られていたのでしょう。

お天道様と大地の運行を天地の恵みとして暮らしていた。

天地の運行に沿って暮らしていたから長い時代息づくことができた。

3.11の震災を恐れる人はいますが、天地の運行を祀る人が現代はいるのでしょうか?

日月神示では天地と人の結びを次のように示します。

宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。 人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。
ひふみ神示 第三十巻 冬の巻 第一帖

  人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じ性を  もっているぞ、
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第五帖

  神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納得の行くように致して見せてあるでないか。
五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第八帖

  理とは三界を貫く道のことぞ。字宙にみちみつ のあり方ぞ。法則ぞ。秩序ぞ。神の息吹きぞ。弥栄  ぞ。喜びぞ。判りたか。 
ひふみ神示 補巻 月光の巻 第四十三帖

  理屈は一方的のものぞ。どんな理屈も成り立つが、理屈程 頼りないもの、力にならんものないぞ。理(リ)が  (カミ)の御能(オンハタラキ)ぞ、 
ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第三帖

  神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。 
ひふみ神示 第二十六巻   黒鉄の巻 第二十六帖

  そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。 
ひふみ神示 第 一巻  上つ巻 第二十帖


天地自然の理法にそって暮らし生きたい

そう願う人が産まれるといいですね。

それは、今なのでしょう。

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あたりまえでない天候の続く土用の入り

2013-07-19 15:43:09 | 日記


 ひふみ神示 第05巻  地つ巻 / (九二つまき) 
第三十四帖 (一七一)
 神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言波ほど結構な恐いものないぞ。十月十日、あめの一二か三。

目に見えぬ世界を想うとき
口と心と行と、三つ揃うたまことをつねにこころがけねば
踏み外す。

最近のスピ系ブログで一番人気のタイトルを見て、えっと思いました。
それは「やらせはしない」
大地に感謝して巨大地震を防ごうというような内容でした

現状の暮らしが物に捕らわれずに
天地自然の理にそって暮らしているのならいいのですが?
一つの想いで結ばれた天地自然の中で破壊が起こるのは
その理に背いているから
その理にそっているのなら創造が起こるはずです。

この方のブログでは、政治をあるべき姿にすると言いながら権力に固執し
自民党に敗北した首相を肯定していたり
経済が再生すれば、日本はよくなるという首相を肯定しています。
今の企業は、決算をよくするために人に投資しないという発想から
多くの人を職場から追いやっている状況を
個人の心の向きがずれているからと考えているのでしょうか

今の目に見える結果に捕らわれた社会で
どう辛抱して目にみえぬことを大切にできるかが
弥栄への道

苦労や辛抱が魂の心棒になる
それは、目に見える物を追いかける人を抱き参らせること
けして肯定することではない。

日本に産まれたということは
日本の魂の縁を産土の神が結んでくれたということ
日本の茶道、武道、華道、書道、能、神道は
その道にカムナガラでなりきること
その道は中国の道やインドの道とは別の道
日本には儒教や仏教が溶け込んでいますが
儒教のいにしえの祖霊の祀り
インドの彼岸と日本の彼岸を
日本的にアレンジした道





 ひふみ神示 第05巻  地つ巻 / (九二つまき) 
  第三十五帖 (一七二)
 日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、
神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、
昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護 神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。十月十日、ひつ九のか三。

日月神示では、日と月に象徴される太極のひびきに心を向けることの大切さ
それを説いていると感じます
すべては一つの想いから産まれていると

夏至をすぎるころから、あたりまえではない天候が続くことが気になっています。
太陽の極の反転も今の科学では捉えきれない状況になっています。
11年周期で変わる太陽の極の反転がいつもと違う。
よく十年経つと流れは変わるものです。
でもお天道様の対極が記録にない変化を起こしていることは
天の道の太極の反転が変わってきている
天のはたらきの変化が地に生きるものに変化を与える
19日今日の土用の入りは、これから土の気が盛んになる時

一つの想いから産まれる世界が

一つの神として祀られるよう努める時ではないのか

今のやり方でよいと思うてゐるのか、
分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。
神と人とが交流(まつり)合はしてのこの世


日本の伝統に基ずく立体的な一二三の理法が広がるといですね。


数を競うのではなく、心を競う時が来ると良いですね。





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すべては神結び

2013-07-07 16:28:36 | 日記



ひふみ神示 地震の巻(二日んの○キ)第七帖 (三八四)

総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、
歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。
弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである。
これが、生命の本体であって、
善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、
必然悪として生かすのである。
生きたる真理の大道であり、
神の御旨なることを知り得るのである。
己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、
その考えが悪的であることを知らねばならぬ。
来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる。
しかし、それが最高の理想郷ではない。
更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、
努力しなければならぬ。

2013年の夏至を過ぎ
二年ぶりに大きく満月が地球に近づく時を過ぎ
日月神示は何を示しているのか
ゆっくり思い巡らしたくなりました。

高く、深く、歓喜に満つ世界とは二つの逆の作用が調和する世界
多くの植物が夏至にいたるまで成長し、
冬至に向かってゆっくり実を結ぶ

実を結ぶ遺伝子があるから
それはあたりまえ
でもどうして実を結ぶのでしょう?

単なるあたりまえと思っていることが
全ては一つの想いの弥栄

あたりまえと思っていることに
弥栄をみつけだすことが
総てに大神の歓喜の中に存在すること

山や川に神を見出すことが流行になるといいな

明日は新月

自然のサイクルに神の御旨を見出すことができるといいですね。


先日のスーパームーン

淡々とした水のようなめぐみを感じました。











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