和邇とは何か?
豊玉姫
海神・綿津見神(海若)の娘。天孫・邇々芸命が大山津見神の娘木花佐久夜毘売との間にもうけた火遠理命(=山幸彦)と結婚し、鵜茅不合葺命を生む。
出産の際に『古事記』や『日本書紀』一書では八尋和邇(やひろわに)の姿、『日本書紀』本文では龍の姿となったのを、火遠理命が約を違えて伺い見たため、綿津見神の国へ帰った。鵜茅不合葺命は、トヨタマヒメの妹・玉依姫神に養育され、後に玉依姫神との間に神倭伊波禮毘古命(=神武天皇)をもうける。
日本書紀では龍と書かれていますが
後の世の人は鮫とか鰐と論証しています。
音を漢字で表記した古事記や日本書紀では音の指し示すもの
それを推し量ること
尋は、主に水深を表すのに用いる。
それは約1.818メートルということになる。
八尋とは
いくひろもあること。非常に長いこと。
また、非常に大きいこと。
神武天皇の母と祖母は海の神 和邇を祀る系譜
神武天皇の皇后 ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)
その両親は古事記では
三輪大物主神(スサノオの子孫大国主の和魂とされる)と勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)の娘である。
『日本書紀』第6の一書では
「事代主神化爲八尋熊鰐 通三嶋溝樴姫 或云 玉櫛姫 而生兒 姫蹈鞴五十鈴姫命 是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也」とあり事代主神が八尋鰐と化し三嶋溝樴姫あるいは玉櫛姫のもとに通い、媛蹈鞴五十鈴媛命が生まれたという記述がある。
神武天皇の皇后は国津神の系譜
天照大神の子孫である神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命が結婚することで、
天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されることになる。
和合したことを強調しています。
和邇が登場する因幡の白ウサギは古事記には掲載されていますが
日本書紀には掲載されていません。
和邇の家族の数が多いとする因幡の白ウサギは掲載されず
国津神が奉還する事代主が八尋鰐であることを強調する。
日本書紀は、白村江の大敗、2千人の唐軍の進駐と云う状況下、失われた日本の国のアイデンティティを再構築するために、中国風の史書を作ることを目的としたものであり、原資料として多くのものを用いているが、王権にとって都合の悪いことを隠蔽すべく、意図的な取捨・改竄が随所に行われている。
天津神の象徴は 天 山 火
国津神の象徴は 大地 海 水
日本の大地は龍であり
水の中の八尋にいくひろも広がる龍を祀る人がいた
日月神示では
天ヶ下に積もりたものをスサノオの罪とした
八岐大蛇を悪として
龍が平面から立体として八尋から八岐に産みだすことを悪とした
国常立神の龍神としての御はたらきを悪とした
龍神を祀る人を悪とした
スサノオは破壊と創造の神
岩戸閉める御用を荒ぶる神とした。
ひふみ神示 第23巻 海の巻
第十一帖
だました岩戸からはだました神が出て、ウソの世となったのぢゃ、この道理判るであろう、ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ、世界の事ぞ、タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、日の本と云ふ事ぞ、キミの国ざぞ、扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、判りたか。地場を固めなならんぞ、五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、
マコトの八尋殿。
第十二帖
神は人民には見へん、たよりないものであるが、たよりないのが、たよりになるのであるぞ。時節来て居れど人民心でせくでないぞ、せくとしくじるぞ。あちらに一人、こちらに一人、と云ふ風に残る位むごい事にせなならん様になってゐるのざから、一人でも多く助けたい親心汲みとりて、早う云ふこと聞くものぢゃ。地に高天原(たかあまはら)が出来るのざぞ、天の神 地に降りなされ、地(くに)の神と御一体と成りなされ大日月の神と現はれなさる日となった、結構であるぞ、肉体の事は何とか分るであろが、タマは判るまい、永遠(とわ)にタマは生き通しであるから、タマの因縁の判る所は九九(ここ)の二(ふ)でより他にはいくらさがしてもないのざぞ。八月二十三日、一二 。
第十三帖
表に出て居る神々様に和合して貰ふて世の建替にかかりて下されよ、苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ。此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、火水(ひみず)のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現はれて来るぞ。あと七つの集団(まどゐ)が出来るぞ、一には 渦 のしるしつけよ、この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。八月二十三日、一二 。
心のおき所が変わるまで
秘密(火水)に地場を固める時