図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

万葉集

2019-07-15 18:30:37 | 日記



山上憶良(やまのうへのおくら)が遣唐使として唐へ渡る丹比広成(たぢひのひろなり)に贈った送別歌

好去好来謌
標訓 好去(こうきょ)好来(こうらい)の謌

集歌894 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 載持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 道引麻志遠 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手行掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢

訓読
 神代より 云ひ伝て来らく そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめらぎ)の いつくしき国 ことたまの さきはふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の人もことごと目の前に見たり知りたり 人さはに満ちてはあれども 高光る日の朝庭  神ながら 愛(めで)の盛りに天の下 奏(もう)した賜ひし 家の子らと 選ひ賜ひて勅旨(おほみこと) 戴き持ちて 唐国(もろこし)の 遠き境に 遣(つか)はされ 罷(まか)り坐(いま)せ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領(うしは)き坐(いま)す 諸(もろもろ)の 大御神(おほみかみ)たち 船舳(ふなへ)に 導き申(まを)し 天地の 大御神(おほみかみ)たち 倭(やまと)の 大国御魂(おほくにみたま) ひさかたの 天の御空(みそら)ゆ 天翔(あまかけ)り 見渡し賜ひ 事畢(をわ)り 還(かへ)らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち懸けて 墨縄を 延へたる如く あぢかをし 値嘉(ちか)の岬より 大伴の 御津の浜辺に 直(ただ)泊てに 御船は泊てむ 恙無(つつみな)く 幸く坐(いま)して 早帰りませ

私訳
神の御代より言い伝え来ることには、空を見通す倭(やまと)の国は、皇神(スメラギ)の統治されるいつくしき国で、言霊の幸はふ国と語り継ぎ、言い継いで来た。それは今の世の人々もことごとく目の前に見て知っている。人は多く満ちているのに、高く輝く日の朝庭 カムナガラに最も愛され、天下を統治された家柄の子として、あなたをお選びになられて、あなたは天皇のお言葉〔勅旨は、大命(おほみこと)〕を奉戴して、唐の遠き国土に遣わされ出立されます。大海の岸にも沖にも神としてとどまり、支配される大御神たちは、船の先〔船舳は、フナノ〕に立って先導し申し、天地の大御神たちは、倭の大国神をはじめ、はるか彼方の天の御空から飛び翔けて見渡しなさるでしょう。そして無事に使命を終えて帰られる日には、またさらに大御神たちは船の先に御手をかけて、墨縄を引きのばしたように、あちかをし値嘉の岬を通って、大伴の御津の浜辺にまっすぐに泊まるべく御船は帰港するでしょう。
つつがなく幸せにいらっしゃって、早くお帰りください。


万葉集は八百万の神が森羅万象に現れると考えた人の想い

山に神を、川に神を、海に神を見て生きていた

言霊のさきはふ国と

今の世の人々もことごとく目の前に見て知っている

眼に見えぬ力が歌われていた

眼に見える物だけに囚われた時代に忘れられた 力


虚見通(そらみつ)

一般的には天皇の言霊の力が空に満つるという訳のようですが

虚を見通すとは

なぜ人佐播尓 満弖播阿礼等母 人は多く満ちていると使っているのに

満という字を避けて見通としたのか

インドでは「空白」「うつろな」を意味するサンスクリット語「Sunya」

サンスクリット語の般若心経では 名詞「Syunyata」が

空に使われています

虚見通(そらみつ)とは

日本にわたった般若心経

照見五蘊皆空 度一切苦役

サンスクリット(梵文)般若心経では

五蘊のあつまり その自性は空なりと正見体得した


インドでは、「空白」「うつろな」等を意味するサンスクリット語の「Sunya」が「ゼロ」や「無」を意味する言葉として使われていた

インドからアラビアに伝わった「ゼロ」(サンスクリット語でshunya シューニャ)は、アラビア語で sifr スィフル「空(から)」と翻訳された


言霊のさきはふ水穂の国の虚見通(そらみつ)

マントラを唱えるインドのゼロ、空の概念

いにしへには無から有を思考する概念があったと想うのは私だけだろうか


それは見えないものを大切にすること


言霊という視点から見ると



万葉集とはよろずの命を大切に祈る虚見通 倭國の言霊





虚見通 倭國の伝統は言葉の音を心に描き詠うことと囁いているように思えます











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小暑

2019-07-07 20:30:12 | 日記




梅雨明けが近く、本格的な暑さが始まる頃。集中豪雨のシーズン。


蓮の花が咲き、蝉の合唱が始まる頃である。




季節の節目は変わりませんがより過激に変わるような




気象は気が象(かたど)ると書いた後、In  Deepさんブログを眺めていると


気象は意志を持つ : メキシコでの世界でもかつて例のない壊滅的な雹嵐から連想した「人類の意志が環境に介入している」可能性







その記事の後半に

「 2008年に、突然、雹による経済被害が前年の倍以上になった」






東日本大震災のあった 2011年もまた、「前年の倍近く」になっているのも印象的です。
ブルームバーグのタイトルにある「誰にもその理由がわからない」というのは、このように、なぜ、2008年に急激に雹嵐が増加して、そのままの状態が続いているのか、ということについての合理的な理由が、気象学からは見いだせないということなんですね。
しかし、私がこれで確信したのが、
「世が荒れる時には、雹による被害も増える」
ということだったりします。
というより、雹が降ること自体が荒れた気象状況を示しているわけですから、
「世が荒れる時には、気象は荒れる」
と。もちろん、これは合理的な理由云々の話ではなく、むしろ、聖書の世界云々の話のほうではありますけれど。
なお、上のグラフは、2004年からのものですので、それほど激しい上昇ぶりに見えないかもしれないですが、雹は「 21世紀の災害」なのです。

たとえば、下のグラフは、2018年の科学論文にありました「アメリカとヨーロッパの 1980年から 2015年までの雹による被害の推移」ですが、そのことがおわかりになるかもしれません。

アメリカとヨーロッパでの雹の被害件数の推移





地球の気象が「宇宙にコントロールされている」可能性が強いということについては、たとえば「気候変動は人為的なものではなく、「太陽と地球による究極の共鳴現象」であることを…」というような記事などで書かせていただいたことがありますが、最近の私は、それに加えて、「人類の意志が天候に関係している」と少し考え始めています。


気象とは気が象るというイメージを具体的に書かれていると思いました


数字で示されると伝わるものが大きいような気がします

噴火や地震も


1900年から噴火数推移






世界のマグニチュード6以上の地震の発生数推移






雹や豪雨、台風、豪雪、異常寒気、異常暖気、噴火、地震


この変化に


なぜ いにしへの人は自然を崇めたのかという想いが浮かびます



現代が便利になったのは、誰でも調べようとするとすぐ調べることができること


そこから何を選択するかは自由



その選択の結果が身の回りに現れる



異常な高温と異常な低温の鬩ぎ合い


火水のおりなす神秘


カミのおりなす神秘



言霊を伝える二本の感性の深さ





小暑の日


大沼に行き蓮を撮影





駒が岳登山道を登り






縄文遺跡のある鷲の木から山を眺めて








浮かんできた言葉は



スサノオの和歌


八雲立つ 出雲八重垣


 雲が幾重にも湧く出雲の地


雲の湧き出る地に八重垣つくる その八重垣を



八重垣とは暮らしの智慧のような気がしました














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自然のささやき

2019-07-03 19:55:57 | 日記




ゲリラ豪雨という言葉が自然になったり


50年ぶりの気象という言葉があたりまえになったこの頃


さらに最大雨量の更新



まるでブレーキを踏まない雷様の車の運転のような


気象という字は気がかたどる(象る)と書きます







自己の権利を主張して、他者の都合を考慮しようとしない


国の権力を握ろうとする人、自己の都合でトラブルを起こす人








いにしへの人と自然が命を通して結ばれているという思考からみると


行為の代償として災害が巡ってきてもなんら不思議ではないような



精神の障害を無意識と向き合うことで解決をめざした フロイド


エディプスコンプレックスは無意識に行う行為の象徴


 オイディプス神話は、おどす権力者父を殺し理想の母とむすばれる神話



理想とするもの中に無意識に沈めた衝動に目を向け昇華すること



精神障害の解決の道を求めたフロイド



そのコンプレックスの奥に魂の象徴を感じたユング



かつて普遍的にあった自然を崇める暮らし



自然の気象が魂を昇華するという思考ではないのか



災害は防ぐものではなく



みずからの心に何を産出すか向き合う時のような気がします
























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