山上憶良(やまのうへのおくら)が遣唐使として唐へ渡る丹比広成(たぢひのひろなり)に贈った送別歌
好去好来謌
標訓 好去(こうきょ)好来(こうらい)の謌
集歌894 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 載持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 道引麻志遠 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手行掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
訓読
神代より 云ひ伝て来らく そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめらぎ)の いつくしき国 ことたまの さきはふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の人もことごと目の前に見たり知りたり 人さはに満ちてはあれども 高光る日の朝庭 神ながら 愛(めで)の盛りに天の下 奏(もう)した賜ひし 家の子らと 選ひ賜ひて勅旨(おほみこと) 戴き持ちて 唐国(もろこし)の 遠き境に 遣(つか)はされ 罷(まか)り坐(いま)せ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領(うしは)き坐(いま)す 諸(もろもろ)の 大御神(おほみかみ)たち 船舳(ふなへ)に 導き申(まを)し 天地の 大御神(おほみかみ)たち 倭(やまと)の 大国御魂(おほくにみたま) ひさかたの 天の御空(みそら)ゆ 天翔(あまかけ)り 見渡し賜ひ 事畢(をわ)り 還(かへ)らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち懸けて 墨縄を 延へたる如く あぢかをし 値嘉(ちか)の岬より 大伴の 御津の浜辺に 直(ただ)泊てに 御船は泊てむ 恙無(つつみな)く 幸く坐(いま)して 早帰りませ
私訳
神の御代より言い伝え来ることには、空を見通す倭(やまと)の国は、皇神(スメラギ)の統治されるいつくしき国で、言霊の幸はふ国と語り継ぎ、言い継いで来た。それは今の世の人々もことごとく目の前に見て知っている。人は多く満ちているのに、高く輝く日の朝庭 カムナガラに最も愛され、天下を統治された家柄の子として、あなたをお選びになられて、あなたは天皇のお言葉〔勅旨は、大命(おほみこと)〕を奉戴して、唐の遠き国土に遣わされ出立されます。大海の岸にも沖にも神としてとどまり、支配される大御神たちは、船の先〔船舳は、フナノ〕に立って先導し申し、天地の大御神たちは、倭の大国神をはじめ、はるか彼方の天の御空から飛び翔けて見渡しなさるでしょう。そして無事に使命を終えて帰られる日には、またさらに大御神たちは船の先に御手をかけて、墨縄を引きのばしたように、あちかをし値嘉の岬を通って、大伴の御津の浜辺にまっすぐに泊まるべく御船は帰港するでしょう。
つつがなく幸せにいらっしゃって、早くお帰りください。
万葉集は八百万の神が森羅万象に現れると考えた人の想い
山に神を、川に神を、海に神を見て生きていた
言霊のさきはふ国と
今の世の人々もことごとく目の前に見て知っている
眼に見えぬ力が歌われていた
眼に見える物だけに囚われた時代に忘れられた 力
虚見通(そらみつ)
一般的には天皇の言霊の力が空に満つるという訳のようですが
虚を見通すとは
なぜ人佐播尓 満弖播阿礼等母 人は多く満ちていると使っているのに
満という字を避けて見通としたのか
インドでは「空白」「うつろな」を意味するサンスクリット語「Sunya」
サンスクリット語の般若心経では 名詞「Syunyata」が
空に使われています
虚見通(そらみつ)とは
日本にわたった般若心経
照見五蘊皆空 度一切苦役
サンスクリット(梵文)般若心経では
五蘊のあつまり その自性は空なりと正見体得した
インドでは、「空白」「うつろな」等を意味するサンスクリット語の「Sunya」が「ゼロ」や「無」を意味する言葉として使われていた
インドからアラビアに伝わった「ゼロ」(サンスクリット語でshunya シューニャ)は、アラビア語で sifr スィフル「空(から)」と翻訳された
言霊のさきはふ水穂の国の虚見通(そらみつ)
マントラを唱えるインドのゼロ、空の概念
いにしへには無から有を思考する概念があったと想うのは私だけだろうか
それは見えないものを大切にすること
言霊という視点から見ると
万葉集とはよろずの命を大切に祈る虚見通 倭國の言霊
虚見通 倭國の伝統は言葉の音を心に描き詠うことと囁いているように思えます