一二三神示 第07巻 日の出の巻 第三帖に次のように書かれています。
次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、一二(ひつき)の通基(二)の世ぞ。日暮よくなるぞ、日暮(一九れ)に祀り呉れよ、十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ。十二月二日、ひつくのかみふで。
夕に墓参りに行かぬよう、夕は死後の幽冥の世界につながっていると思われています。
物欲を育てお金の欲でバブルを築くまでは、目に見えぬ世界から目に見える世界へ御用の悪が許された時代なのかもしれません。
それは、幽冥の世界でバブルによるバベルの塔が築かれていたのかもしれません。
一二三神示では目に見える世界と目に見えぬ世界では、変化の順序が異なると書かれています。
幽冥の世界からバブルの塔が崩壊し、逃げ出した魔がこの世に来ているとしたら、平成の時代になってからの様々な事件が起こることも不思議ではないと思いませんか?
目に見える世界では、魔が欲に入りやすい時間だとしたら。
地位や権力の勝ち組についていれば、弱い者を責めるとよい。
そんな風潮が流行りになっている思いませんか?
検察の不正に目をとられて、原因である郵便の不適切な業務があったことがどこかへ飛んでしまう。
どちらも欲に囚われ魔がさした人のがいるのではないでしょうか?
船の衝突が国の衝突の原因を孕むのも集団の魔が潜むからではないか。
赤信号みんなで渡ればぶつかる時代なのです。
一二三神示では我良しの心の洗濯の大切さを重ね重ね書いています。
悪を抱き参らせよというのは、悪を責めるのではない。
我良しの風潮に汲みせず、今目の前の環境に喜びを見出すこと。
弱き者を大切にすること。
下の仕事を大切にすること。
すると目に見えぬ心の温もりを感じる時代になる。
次の世とは通基(月)の世のになると書かれています。
夕日に温もりを感じることができるでしょうか。
次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、一二(ひつき)の通基(二)の世ぞ。日暮よくなるぞ、日暮(一九れ)に祀り呉れよ、十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ。十二月二日、ひつくのかみふで。
夕に墓参りに行かぬよう、夕は死後の幽冥の世界につながっていると思われています。
物欲を育てお金の欲でバブルを築くまでは、目に見えぬ世界から目に見える世界へ御用の悪が許された時代なのかもしれません。
それは、幽冥の世界でバブルによるバベルの塔が築かれていたのかもしれません。
一二三神示では目に見える世界と目に見えぬ世界では、変化の順序が異なると書かれています。
幽冥の世界からバブルの塔が崩壊し、逃げ出した魔がこの世に来ているとしたら、平成の時代になってからの様々な事件が起こることも不思議ではないと思いませんか?
目に見える世界では、魔が欲に入りやすい時間だとしたら。
地位や権力の勝ち組についていれば、弱い者を責めるとよい。
そんな風潮が流行りになっている思いませんか?
検察の不正に目をとられて、原因である郵便の不適切な業務があったことがどこかへ飛んでしまう。
どちらも欲に囚われ魔がさした人のがいるのではないでしょうか?
船の衝突が国の衝突の原因を孕むのも集団の魔が潜むからではないか。
赤信号みんなで渡ればぶつかる時代なのです。
一二三神示では我良しの心の洗濯の大切さを重ね重ね書いています。
悪を抱き参らせよというのは、悪を責めるのではない。
我良しの風潮に汲みせず、今目の前の環境に喜びを見出すこと。
弱き者を大切にすること。
下の仕事を大切にすること。
すると目に見えぬ心の温もりを感じる時代になる。
次の世とは通基(月)の世のになると書かれています。
夕日に温もりを感じることができるでしょうか。