天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

天 皇

2016-08-09 14:36:20 | 時事
天皇陛下のお言葉を拝聴して私なりに要約したものが、前ブログでも書いた以下の文です。

【高齢に伴い宮中祭祀や公務など国民に対して充分に行うことが困難になりつつある。崩御に伴う祭祀と新天皇としての公務は大変な重責であり、
"家族"にそのような思いをさせたくない。存命のうちに新天皇の公務だけでも国民の為にしっかり果たし負担をかけたくない。】

お言葉の中で唯一天皇の終焉としてのべられた「殯」(もがり)という崩御に伴う祭祀のことですが、これが2ヶ月にかけて行われ、その後
一年に渡って葬儀の行事が行われ、ここに公務が加わるのです。


写真は今年上半期の天皇陛下の祭祀と公務の日程表ですが、82歳になられこれだけの激務をこなされているのです。

つまり、次の天皇には自分の崩御でこのような祭祀と公務、葬儀が重なることにより、国民にも影響を及ぼすというある種の混乱が起こらないよう希望されていることが伺えるのです。

メディアはNHKのリーク報道に始まり横並びで
「生前退位」のタイトルで字幕付きでお言葉を放送しました。国民の声として数名のインタビューを付けそれを容認し易くするためにご学友や専門家の解説を加え視聴者を"退位"へと印象操作していたようにも感じます。

ここで注意すべきは、メディアがお言葉の発表直前に「生前退位との言葉は使われませんがお気持が滲み出たものになるでしょう」との前振りです。

受け取る国民は先入観から摂政を否定され、譲位か退位を望んでおられる、と受け止め思考停止してしまうからです。

実際には『国民と次の天皇さらには残される皇室に負担がかからないようにし、皇室の安定的継承と国民の安寧のために高齢化をどうすれば良いのでしょう。』との問いかけであり、『摂政をおくのならば問題解決にはならないのではないか、象徴天皇としての天皇、伝統としての天皇、高齢化してゆく天皇としての在り方を国民と共に考えなければならない時が来た』と言った感じでしょう。


お言葉を理解するには何故今上陛下は象徴天皇となられたのか、と言う戦後に立ち返って考えることと、宮中祭祀である神道にも重きを置いて合わせて考える事が必要なのです。

何故激務となったのでしょうか、戦後皇室祭祀令など戦前の皇室令は一旦全て廃止され宮内庁は内部通牒で「新たに明文の規定がなくなった事項は、旧皇室令に準じて実施すること」としています。

象徴天皇は戦後のGHQの影響下で成立した新しい皇室制度です。つまりこの象徴天皇自体も戦後レジームとの解釈が可能なのです。

2000年以上続く皇室を守る為にはあまり大きな変革は避けねばなりません。時代と共に天皇の高齢化は避けては通れません。

象徴天皇と此れ迄の天皇の違いを考えるとき、
宮中祭祀は変わらずにあり、今上陛下はそれに加え被災地にも赴き、国事行為を行い、海外へもいらっしゃいます。

政教分離下の象徴天皇は宮中祭祀など神道に関係する行事は公になりません。

要するに今上陛下は第一代象徴天皇であられ、
同時に125代天皇陛下であられるということです。ですから皇室典範を改正し退位なり譲位を検討するということは同時に象徴天皇を見直すということ、つまり明治期の大元帥陛下なのか、或いは国家元首に戻られることも議論に値すると言うことです。


次に今上陛下は象徴天皇であると同時に神道の王でもあられます。そのお考えは神道の中今の思想であると言われます。今を懸命に生きることが神の道、ということなのです。ここでいう今とは、過去と未来を内包して、永遠に続く中心点ととらえます。過去は過ぎ去った今、未来はこれからの今、人は常に瞬間の、今しか生きることができません。ですから宮中祭祀こそが皇室の真の形であり、如何なるときも陛下は全身全霊で祭祀に取り組まれるのです。


日本国民は戦後、正月は神道、クリスマスはキリスト教、葬式は仏教と、と節操のない教えと言われていますが、これこそが古神道であり、長い歴史の中で良い物を取り入れ、同化し、取捨選択の中 残った教え・思想・信仰、つまり、習俗であるのです。日本人に広まっていった教えではなく、教えの中から日本人が生まれた、と考えるのが自然です。

ですから日本国民の多くは無宗教であり、初詣、初宮参り、七五三、夏祭り、厄払い、春分の日・秋分の日、学業成就、おみくじ、すでに古神道の教えの中に生きている訳です。

思想や考え、伝統があっても神道そのものの「定義」はなく、象徴天皇下で宗教とし、政教分離して祭祀に関してあまり触れず、宮澤俊義の「天皇は目くら判を押すだけのロボット」と揶揄される不敬を許す由々しき事態を内包しているのではないでしょうか。

今、国民は2000年以上連綿と続く皇室の伝統をどうしていくのかが真剣に問われているのです。

お言葉を利用し政権批判するリテラ

2016-08-09 00:44:27 | 時事

お言葉を受けてリテラがまたとんでも論を垂れ流している。この稚拙な記事は所謂東スポの宇宙人やUFOの記事よりも出鱈目で救いようがない。

その中身は単にお言葉を利用し、安倍政権と日本会議を批判し、貶めたいだけであるからだ。

事もあろうに、日本会議の小堀桂一郎氏と百地章氏のコメントを引用し、明治期の大日本帝国下の天皇とお言葉を比較し退位に否定的な両名を否定する。

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 また、安倍政権を支える「日本会議」などの保守勢力からはもっと激しい反発が起こっていた。たとえば、日本会議副会長の小堀桂一郎氏は産経新聞で「生前退位は国体の破壊に繋がる」との激烈な批判の言葉を発している。

「何よりも、天皇の生前御退位を可とする如き前例を今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である。全てを考慮した結果、この事態は摂政の冊立(さくりつ)を以て切り抜けるのが最善だ、との結論になる」(産経新聞7月16日付)

安倍政権の御用憲法学者で、日本会議理事でもある日本大学教授も朝日新聞にこう語っていた。

「明治の皇室典範をつくるときにこれまでの皇室のことを詳しく調べ、生前退位のメリット、デメリットを熟考したうえで最終的に生前譲位の否定となった。その判断は重い。生前譲位を否定した代わりに摂政の制度をより重要なものに位置づけた。そうした明治以降の伝統を尊重すれば譲位ではなくて摂政をおくことが、陛下のお気持ちも大切にするし、今考えられる一番いい方法ではないか」(朝日新聞7月14日付)


そもそも生前退位というのは、江戸時代後期以前の皇室では、しばしば行われていた。ところが、明治になって、天皇を頂点とする国家神道を国民支配のイデオロギー装置にしようと考えた政府は、大日本帝國憲法と皇室典範によって、この生前退位を否定、天皇を終身制にした。「万世一系」の男性血統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りるなどということを許すわけにはいかない。終身制であることは不可欠だった。

 それは、この大日本帝國憲法の復活を最終目標にしている安倍首相と日本会議も同様だ。周知のように、自民党の憲法改正草案でも、日本会議の「新憲法の大綱」でも、天皇は「国家元首」と規定されている。彼らが天皇を神話的な存在に戻し、国民支配の装置として再び政治利用しようという意図をもっているのは明らかであり、生前退位を認めるというのは、その目論見が水泡に帰すこととイコールなのだ。

 (略)

 実際、この「お気持ち」表明の後、異常な早口で通り一遍のコメントを読み上げる安倍首相の様子は、明らかに不本意なときに安倍首相が見せるいつものパターンだった。

「安倍首相やその周辺の右翼連中はもともと、天皇陛下のことを『ヴァイニング夫人に洗脳されている、国体の破壊者だ』と言っていたくらいで、天皇陛下のお気持ちなんて一顧だにしていなかった。生前退位や女性宮家の問題もずっと裏で要望を出されていたのに無視されていた。それが今回、天皇に『国民へのメッセージ』というかたちで、問題を顕在化されてしまったうえ、憲法と象徴天皇制のありようまで語られてしまったわけですからね。いまごろ、はらわたが煮えくりかえってるんじゃないでしょうか」(ベテラン皇室記者)

 天皇が今回、この「お気持ち」を公表した裏には、単純に高齢化への不安から生前退位を実現したいという以上に、天皇という存在が皇太子の代になっても政治利用されないよう「日本国憲法における象徴としての天皇のありかた」を伝えておきたいという気持ちがあったと言われている。

 戦前回帰を企図する安倍政権がすんなりと生前退位を認めるとは思えないが、少なくとも国民にはその思いは伝わったのではないだろうか。
(エンジョウトオル)



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小堀氏と百地氏の意見は摂政と言う点で一致しており、確かに天皇陛下はお言葉の中で摂政を否定的に表現された。両名の意図する所は同質で、あくまでも"退位"に対しての懸念を述べているに過ぎない。つまり警戒しているのは皇室典範の改悪なのである。

したがって、『それは、この大日本帝國憲法の復活を最終目標にしている安倍首相と日本会議も同様だ。周知のように、自民党の憲法改正草案でも、日本会議の「新憲法の大綱」でも、天皇は「国家元首」と規定されている。彼らが天皇を神話的な存在に戻し、国民支配の装置として再び政治利用しようという意図をもっているのは明らかであり、生前退位を認めるというのは、その目論見が水泡に帰すこととイコールなのだ。』

この部分の安倍政権と日本会議が明治憲法の復活を最終目標にしている訳でも、国民を支配する訳でもなく、譲位を否定しているのでないことは誰の目にも明らかである。"生前退位"の造語に何かしらの企てを警戒しているに過ぎない。

私が気になっているのは「お言葉」のビデオのテロップを誰が何時いれたのか?あまりに整い過ぎた一連のリークからの報道体制に内閣は関与していたのか?と言うことである。

つまり、国民に広く議論が深まるのでなく、国民を一斉に"退位"へと印象操作しようとする整い過ぎた報道体制なのだ。

しかしながら、お言葉の真意は譲位の方向へ大きく舵を切っており、皇室典範の改正は必至となるだろう。ここで保守派が警戒せねばならないのが、皇室典範の改正で女系天皇の可能性を認めてしまうことだ。

伝統である皇位継承の危機が何故起きるのか、GHQによって11宮家が皇籍離脱されたからに他ならない。よって女系への継承の前に旧宮家の復活が優先されなければならないのである。

更に自民党草案にある国家元首の明記は象徴天皇から元首へと変わるのではなく、象徴であり国家元首でもあるとの明文化になる。

この様に保守派は譲位に反対している訳でなく、
戦前に戻そうとしている訳でもない。2000年以上続いた皇室を守りたいだけであり、国民の総意と何ら変わらない。

寧ろリテラのようなデマで天皇陛下を政権批判に利用したり、伝統を破壊していく危険性に警鐘を鳴らそうとしているだけだ。

ベテラン皇室記者などと匿名で語られている妄想はとても日本人とは思えない低俗で稚拙な内容であり、エンジョウトオルの纏めも酷いものである。


誤解の無いように今回のお言葉を私なりに簡単に要約してみた。御参考までに。


【高齢に伴い宮中祭祀や公務など国民に対して充分に行うことが困難になりつつある。崩御に伴う祭祀と新天皇としての公務は大変な重責であり、
家族にそのような思いをさせたくない。存命のうちに新天皇の公務だけでも国民の為にしっかり果たし負担をかけたくない。】