天皇陛下のお言葉を拝聴して私なりに要約したものが、前ブログでも書いた以下の文です。
【高齢に伴い宮中祭祀や公務など国民に対して充分に行うことが困難になりつつある。崩御に伴う祭祀と新天皇としての公務は大変な重責であり、
"家族"にそのような思いをさせたくない。存命のうちに新天皇の公務だけでも国民の為にしっかり果たし負担をかけたくない。】
お言葉の中で唯一天皇の終焉としてのべられた「殯」(もがり)という崩御に伴う祭祀のことですが、これが2ヶ月にかけて行われ、その後
一年に渡って葬儀の行事が行われ、ここに公務が加わるのです。
写真は今年上半期の天皇陛下の祭祀と公務の日程表ですが、82歳になられこれだけの激務をこなされているのです。
つまり、次の天皇には自分の崩御でこのような祭祀と公務、葬儀が重なることにより、国民にも影響を及ぼすというある種の混乱が起こらないよう希望されていることが伺えるのです。
メディアはNHKのリーク報道に始まり横並びで
「生前退位」のタイトルで字幕付きでお言葉を放送しました。国民の声として数名のインタビューを付けそれを容認し易くするためにご学友や専門家の解説を加え視聴者を"退位"へと印象操作していたようにも感じます。
ここで注意すべきは、メディアがお言葉の発表直前に「生前退位との言葉は使われませんがお気持が滲み出たものになるでしょう」との前振りです。
受け取る国民は先入観から摂政を否定され、譲位か退位を望んでおられる、と受け止め思考停止してしまうからです。
実際には『国民と次の天皇さらには残される皇室に負担がかからないようにし、皇室の安定的継承と国民の安寧のために高齢化をどうすれば良いのでしょう。』との問いかけであり、『摂政をおくのならば問題解決にはならないのではないか、象徴天皇としての天皇、伝統としての天皇、高齢化してゆく天皇としての在り方を国民と共に考えなければならない時が来た』と言った感じでしょう。
お言葉を理解するには何故今上陛下は象徴天皇となられたのか、と言う戦後に立ち返って考えることと、宮中祭祀である神道にも重きを置いて合わせて考える事が必要なのです。
何故激務となったのでしょうか、戦後皇室祭祀令など戦前の皇室令は一旦全て廃止され宮内庁は内部通牒で「新たに明文の規定がなくなった事項は、旧皇室令に準じて実施すること」としています。
象徴天皇は戦後のGHQの影響下で成立した新しい皇室制度です。つまりこの象徴天皇自体も戦後レジームとの解釈が可能なのです。
2000年以上続く皇室を守る為にはあまり大きな変革は避けねばなりません。時代と共に天皇の高齢化は避けては通れません。
象徴天皇と此れ迄の天皇の違いを考えるとき、
宮中祭祀は変わらずにあり、今上陛下はそれに加え被災地にも赴き、国事行為を行い、海外へもいらっしゃいます。
政教分離下の象徴天皇は宮中祭祀など神道に関係する行事は公になりません。
要するに今上陛下は第一代象徴天皇であられ、
同時に125代天皇陛下であられるということです。ですから皇室典範を改正し退位なり譲位を検討するということは同時に象徴天皇を見直すということ、つまり明治期の大元帥陛下なのか、或いは国家元首に戻られることも議論に値すると言うことです。
次に今上陛下は象徴天皇であると同時に神道の王でもあられます。そのお考えは神道の中今の思想であると言われます。今を懸命に生きることが神の道、ということなのです。ここでいう今とは、過去と未来を内包して、永遠に続く中心点ととらえます。過去は過ぎ去った今、未来はこれからの今、人は常に瞬間の、今しか生きることができません。ですから宮中祭祀こそが皇室の真の形であり、如何なるときも陛下は全身全霊で祭祀に取り組まれるのです。
日本国民は戦後、正月は神道、クリスマスはキリスト教、葬式は仏教と、と節操のない教えと言われていますが、これこそが古神道であり、長い歴史の中で良い物を取り入れ、同化し、取捨選択の中 残った教え・思想・信仰、つまり、習俗であるのです。日本人に広まっていった教えではなく、教えの中から日本人が生まれた、と考えるのが自然です。
ですから日本国民の多くは無宗教であり、初詣、初宮参り、七五三、夏祭り、厄払い、春分の日・秋分の日、学業成就、おみくじ、すでに古神道の教えの中に生きている訳です。
思想や考え、伝統があっても神道そのものの「定義」はなく、象徴天皇下で宗教とし、政教分離して祭祀に関してあまり触れず、宮澤俊義の「天皇は目くら判を押すだけのロボット」と揶揄される不敬を許す由々しき事態を内包しているのではないでしょうか。
今、国民は2000年以上連綿と続く皇室の伝統をどうしていくのかが真剣に問われているのです。
【高齢に伴い宮中祭祀や公務など国民に対して充分に行うことが困難になりつつある。崩御に伴う祭祀と新天皇としての公務は大変な重責であり、
"家族"にそのような思いをさせたくない。存命のうちに新天皇の公務だけでも国民の為にしっかり果たし負担をかけたくない。】
お言葉の中で唯一天皇の終焉としてのべられた「殯」(もがり)という崩御に伴う祭祀のことですが、これが2ヶ月にかけて行われ、その後
一年に渡って葬儀の行事が行われ、ここに公務が加わるのです。
写真は今年上半期の天皇陛下の祭祀と公務の日程表ですが、82歳になられこれだけの激務をこなされているのです。
つまり、次の天皇には自分の崩御でこのような祭祀と公務、葬儀が重なることにより、国民にも影響を及ぼすというある種の混乱が起こらないよう希望されていることが伺えるのです。
メディアはNHKのリーク報道に始まり横並びで
「生前退位」のタイトルで字幕付きでお言葉を放送しました。国民の声として数名のインタビューを付けそれを容認し易くするためにご学友や専門家の解説を加え視聴者を"退位"へと印象操作していたようにも感じます。
ここで注意すべきは、メディアがお言葉の発表直前に「生前退位との言葉は使われませんがお気持が滲み出たものになるでしょう」との前振りです。
受け取る国民は先入観から摂政を否定され、譲位か退位を望んでおられる、と受け止め思考停止してしまうからです。
実際には『国民と次の天皇さらには残される皇室に負担がかからないようにし、皇室の安定的継承と国民の安寧のために高齢化をどうすれば良いのでしょう。』との問いかけであり、『摂政をおくのならば問題解決にはならないのではないか、象徴天皇としての天皇、伝統としての天皇、高齢化してゆく天皇としての在り方を国民と共に考えなければならない時が来た』と言った感じでしょう。
お言葉を理解するには何故今上陛下は象徴天皇となられたのか、と言う戦後に立ち返って考えることと、宮中祭祀である神道にも重きを置いて合わせて考える事が必要なのです。
何故激務となったのでしょうか、戦後皇室祭祀令など戦前の皇室令は一旦全て廃止され宮内庁は内部通牒で「新たに明文の規定がなくなった事項は、旧皇室令に準じて実施すること」としています。
象徴天皇は戦後のGHQの影響下で成立した新しい皇室制度です。つまりこの象徴天皇自体も戦後レジームとの解釈が可能なのです。
2000年以上続く皇室を守る為にはあまり大きな変革は避けねばなりません。時代と共に天皇の高齢化は避けては通れません。
象徴天皇と此れ迄の天皇の違いを考えるとき、
宮中祭祀は変わらずにあり、今上陛下はそれに加え被災地にも赴き、国事行為を行い、海外へもいらっしゃいます。
政教分離下の象徴天皇は宮中祭祀など神道に関係する行事は公になりません。
要するに今上陛下は第一代象徴天皇であられ、
同時に125代天皇陛下であられるということです。ですから皇室典範を改正し退位なり譲位を検討するということは同時に象徴天皇を見直すということ、つまり明治期の大元帥陛下なのか、或いは国家元首に戻られることも議論に値すると言うことです。
次に今上陛下は象徴天皇であると同時に神道の王でもあられます。そのお考えは神道の中今の思想であると言われます。今を懸命に生きることが神の道、ということなのです。ここでいう今とは、過去と未来を内包して、永遠に続く中心点ととらえます。過去は過ぎ去った今、未来はこれからの今、人は常に瞬間の、今しか生きることができません。ですから宮中祭祀こそが皇室の真の形であり、如何なるときも陛下は全身全霊で祭祀に取り組まれるのです。
日本国民は戦後、正月は神道、クリスマスはキリスト教、葬式は仏教と、と節操のない教えと言われていますが、これこそが古神道であり、長い歴史の中で良い物を取り入れ、同化し、取捨選択の中 残った教え・思想・信仰、つまり、習俗であるのです。日本人に広まっていった教えではなく、教えの中から日本人が生まれた、と考えるのが自然です。
ですから日本国民の多くは無宗教であり、初詣、初宮参り、七五三、夏祭り、厄払い、春分の日・秋分の日、学業成就、おみくじ、すでに古神道の教えの中に生きている訳です。
思想や考え、伝統があっても神道そのものの「定義」はなく、象徴天皇下で宗教とし、政教分離して祭祀に関してあまり触れず、宮澤俊義の「天皇は目くら判を押すだけのロボット」と揶揄される不敬を許す由々しき事態を内包しているのではないでしょうか。
今、国民は2000年以上連綿と続く皇室の伝統をどうしていくのかが真剣に問われているのです。