天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

生前退位の有識者会議

2016-09-23 19:50:47 | 時事
1.今井敬・経団連名誉会長

2.小幡純子・上智大法科大学院教授(行政法)

3.清家篤・慶応義塾長(労働経済学)

4.御厨貴・東大名誉教授(日本政治史)A

5.宮崎緑・千葉商科大教授(国際政治学)

6.山内昌之・東大名誉教授(国際関係史)



今回の生前退位の有識者会議を考える前に以前小泉政権下における皇室典範改正の有識者会議について触れておく。


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1.岩男壽美子(武蔵工業大学教授・慶應義塾大学名誉教授、男女共同参画審議会会長 女性学の大家)
2.緒方貞子(国際協力機構理事長)
3.奥田碩(日本経済団体連合会会長)
4.久保正彰(東京大学名誉教授・日本学士院会員のち院長)
5.佐々木毅(学習院大学教授・元東京大学総長)
6.笹山晴生(東京大学名誉教授)
7.佐藤幸治(近畿大学法科大学院長・京都大学名誉教授)
8.園部逸夫(元最高裁判事・外務省参与(監察査察担当)・座長代理)
9.古川貞二郎(元内閣官房副長官)
10.吉川弘之(産業技術総合研究所理事長・元東京大学総長・座長)


・女性天皇及び女系天皇を認める。
・皇位継承順位は、男女を問わず第1子を優先とする。
・女性天皇及び女性の皇族の配偶者も皇族とする(女性宮家の設立を認める)。
・永世皇族制を維持する。
・女性天皇の配偶者の敬称は、「陛下」などとする。なお、女性天皇の配偶者の具体的な呼称については触れられていない。
・内親王の自由意志による皇籍離脱は認めない。


【読売新聞】は社説において、「皇室制度の存続が危ぶまれる事態を回避しなければならない。将来にわたって安定的に皇位を継承していくための最善の方策として打ち出されたのが、今回の結論である」と評価した。
【毎日新聞】は社説において、「女性天皇を認めれば、女子の皇族は多いので天皇制も安定し、継承問題の悩みも解消する。有識者会議としては時代を反映させた自然な結論と言ってもいい」と評価した。


【産経新聞】は社説「主張」において、「日本の天皇は125代にわたり一貫して男系(父親の系統)という唯一の原則によって継承され、このことにより天皇は特別の存在として、畏敬されてきた」と述べ、報告書については「この長い間受け継がれてきた原則を一気に変えてしまうことになる。将来、天皇に対する国民の敬愛の念が薄れ、日本という国家のありようを危うくすることになりはしないかと危惧する」と懸念を表明した。
【寛仁親王】は有識者会議が女系天皇容認の方針なの受けて、私的な見解と前置きした上で、女系天皇に明確に反対し、旧皇族の皇籍復帰などを求めたが、吉川座長が「それによってどうということはない」と述べ、皇族の意見に対して歯牙にも掛けない吉川の態度が問題となった。

小泉首相は皇室典範改正案の成立に積極的だったが、与党自民党では“ポスト小泉”の総裁候補がいずれも改正に慎重な態度を示した。当時内閣官房長官だった"安倍晋三"は、有識者会議が「男系維持の方策に関してはほとんど検討もせず、当事者である皇族のご意見にも耳を貸さずに拙速に議論を進めたこと」を批判し、フジテレビの番組では「ずっと男系で来た伝統をすぐ変えるかどうか、慎重になるのは当然ではないか」と発言した。麻生太郎・谷垣禎一らも改正に慎重な姿勢を示した。
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如何であろうか、秋篠宮悠仁親王殿下のご誕生によりこの皇室典範改正の有識者会議は跡形も無く消滅したと言っても良い。この当時のメンバーが今回の六人には含まれていない。とんだ有識者である。

皇室の危機つまり、日本の危機をまた皇室が救ったと言え、一度目は終戦であるが、三度目は無いと思った方が良い。

しかしながらその舌の根の乾かぬうちに、生前退位の有識者会議が結成された。メンバーを取り上げて一人一人批判しても意味は無いだろう。

有識者会議のメンバー以外で皇室典範改正、生前退位に否定的な共通する人物が最も信用出来る。
皇室典範問題研究会代表 小堀桂一郎氏





飛虎将軍の分祀

2016-09-23 07:48:05 | 歴史
飛虎将軍
日本では聞き慣れないし、目にしません。私も初めてこの存在を知りました。

飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう、正式名称:鎮安堂飛虎将軍廟)は、台湾台南市安南区同安路1にある民間信仰の廟で日本軍人が神として祀られているそうだ。


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昭和19年年台湾で日本海軍の兵曹長で茨城県水戸市出身の杉浦茂峰は、台湾沖航空戦に出撃。10月12日午前、台南上空でアメリカ空軍を迎え撃つも撃墜され畑の中に落ちて戦死した。軍靴には「杉浦」と書かれていて、その後第二〇一海軍航空隊分隊長の森山敏夫大尉の協力で、この飛行士が「杉浦茂峰」と判明。

第二次世界大戦後、村のあちこちで不思議な夢を見たという噂が広まった。白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したら、同じ夢を見たという者が数名名乗りでた。その後の有志が集まり、その海軍士官がを戦火から救うために、自分の生命を犠牲にしたことが判明。そして1971年、杉浦茂峰を祀るためにこの廟を建設した。

現在は毎日管理人が朝夕二回、タバコを点火して神像と写真に捧げて、日本の国歌「君が代」、午後は「海ゆかば」を祝詞として歌っている。

2016年9月21日には神像が高雄空港から成田空港を経て水戸市に運ばれて里帰りを果たし、翌22日には茨城県護国神社で慰霊祭が営まれることになった。これは、2016年春に廟を訪ねた日本人作家の夢枕に杉浦が立って「水戸に帰りたい」と告げたという話があり、それを受けて廟の管理委員会が神像に伺いを立てたところ「その通りである」との託宣を得たことによる。神像は台湾に戻されるが、茨城県護国神社には茨城県に関係した軍人・軍属が合祀されていることから、飛虎将軍廟から護国神社に分祀しようという計画もあるという。

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軍神との呼び方は英霊よりも当時の軍国主義の色彩が強い為日本では使われていませんし、英霊でさえ抵抗感を現すのが戦後の日本なのです。

里帰りのニュースを知った当初、小野田さんの時のようになるのではとの一抹の不安がありましたが、自分や家族の命の恩人を神に祀るという当時の日本、台湾では当たり前の行為であったことを台湾の"日本人"から強く教えられた思いがしました。

是非とも護国神社のみならず靖国神社へも分霊して頂きたいものです。