天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

象徴を軽視してきた日本人

2016-09-27 08:42:24 | 時事

皇室のきょうかしょ
vol.79 憲法第一条【天皇の地位・国民主権】①
を完コピ
竹田恒泰


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『今回は日本国憲法第一条について掘り下げてみることにしましょう。

 日本国憲法第一条
 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

 天皇が日本国の象徴であることは誰でも知っていることですが、これを記す日本国憲法の原文はこのようになっています。
 天皇が「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であるということは、どのような意味なのでしょう。
 海外から飛行機に乗って日本に帰国するとき、窓から富士山が見えることがあります。富士山を見た日本人は「あ、富士山だ! やっと日本に帰ってきた!」と思うことでしょう。富士山を見ることによって「日本」を感じるわけです。
 でもよく考えてみると、富士山は物質的には岩と石と砂の寄せ集めに過ぎないのです。富士山とう具体的なモノを見ることにより、日本とう抽象的なモノを感じるということは、「富士山は日本を象徴している」ということに他なりません。
 それ以外にも、桜の花びらを見ると春を、入道雲を見ると夏を、紅葉を見ると秋を、そして雪を見ると冬を感じるのも、桜や紅葉という具体的なモノが、春や秋とう抽象的なモノを感じさせるわけですから、「桜は春を象徴する」といえます。
 それと同じように、天皇を見ると、歴史・文化・宗教・言語・習俗などを内包した「日本」を感じるわけです。天皇という具体的存在を見ることで、日本国という抽象的なモノを感じる。これが「天皇は日本国の象徴」ということなのです。同様に、天皇を見ることで「日本国民統合」という抽象的な概念を感じる。これが「天皇は日本国民統合の象徴」の意味するところです。
 日本国を象徴するのは天皇だけではないでしょう。たとえば、国旗や国歌なども日本国を象徴していると考えられます。
 国際社会において、国旗や国歌は国を象徴しますが、天皇や国王など、具体的な人間が国を象徴するというのは、簡単なことではありません。日本や英国のように、悠久の歴史を刻んだ皇室や王室が存在していて、その間国民から信任され続けていなければ、君主が国を象徴することはできないのです。
 ですから、天皇は日本国を象徴し、英国女王は英国を象徴すると言えますが、フランス大統領がフランスを、中国国家主席が中国を、アメリカ大統領がアメリカを象徴しているかというと、それは疑問です。
 一個人が国を象徴することは大変困難なことであり、憲法がそのように書いたからといって、象徴になれるものではありません。つまり、天皇はもともと日本国・日本国民統合を象徴する存在であり続けていたところ、日本国憲法が第一条で、その状態を条文に明記しただけの話であり、決して憲法がそのように記したから天皇が象徴になったわけではないのです。
 実際、旧憲法下においても、条文に明記されてはいませんでしたが、天皇は日本国を象徴し、日本国民を統合する存在でした。
 したがって、日本国憲法が公布されたことによって、天皇が象徴になったわけではないのです。

 よく「もはや天皇は象徴に過ぎない」という言い方をする人がいますが、これは適当な表現ではありません。敗戦で憲法が改正されたことで、天皇が主権者から象徴に転落したという意味を込めているのでしょう。
 先ず、「主権者」という概念自体が近代法における考え方であって、旧憲法において主権者を観念することは困難です。天皇主権とも国民主権とも簡単に断定はできません。
 旧憲法下においては天皇の統治権と軍の総攬権(そうらんけん)は、常に政府と統帥部(とうすいぶ)の輔弼(ほひつ)、そして議会の翼賛(よくさん)を通じて行使されるものであり、天皇が好きに政治を動かせるものではありませんでした。
 そして天皇は「祭り主」(まつりぬし)、つまり祈る存在であり、その祈る目的は「国民ひとりひとりの幸せ」と「国の平和」です。したがって、断じて天皇のために国民が存在しているわけではなく、むしろその逆といえます。国民の幸せと国家の平和のために天皇が存在しているならば、果たして天皇は主権者といえるでしょうか。
 明治時代は現在と違って精度の高い選挙は行われていませんでしたから、国民主権が実現しているとは到底いえませんが、かといって、天皇が、世界史における絶対王政の王のような主権者ともいえないわけです。ですから、新憲法の施行により天皇が主権者から転落したという表現は、適切ではありません。
 それに、象徴というのは伝統的な天皇のありかたを上手く表現した言葉です。天皇は古代から原則的に「君臨すれども統治せず」という存在でした。天皇不親政の原則ともいわれています。ですから歴史的に天皇は象徴なのです。
 したがって、やはり新憲法施行によって天皇が象徴に転落したという表現も不適切です。新憲法が施行されたことにより、歴史的・伝統的な本来の天皇のあり方が明文化されたととらえるべきでしょう。
 私は日本人として、象徴としての天皇のありかたに誇りをもっています。 』
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この竹田恒泰氏の日本国憲法第1条をお読み頂ければ"象徴"の意味や意義そして戦後の日本人が如何に象徴を軽視してきてしまったか、が改めて痛感させられたと感じることでしょう。

では何故戦後の日本人はこの様な考え方となり、果たしてそれは間違った方向に進んでしまったのでしょうか。

この戦後日本の歴史観は世代によって纏まりが認められます。

父、子、子供という家族の三世代と明治、大正、昭和という時代という三世代を投影させれば時代の世の中が右、左、右つまり、戦争、平和、戦争とグラフで言えば波形を描いていることがわかります。

これは極当たり前のことで建国から平和な直線を描く国など一つもありません。不幸なことですが内戦や弾圧と言った直線を描く国が存在することは確かです。

先の大戦が終わった事を終戦と呼ぶか敗戦と呼ぶかでも世代間で格差があり、多くの大正生まれが戦い犠牲となってしまったことも、戦争の被害を
国家による被害と捉えるようになっていきます。

当初戦勝国のアメリカは日本が二度と戦争が出来ない国にする必要がありました。この占領政策と被害者としての日本人が共鳴してしまったわけです。

この共鳴が東京裁判史観な訳です。戦勝国による
焚書や戦争観は勝者の歴史により明治からの国家神道を徹底して否定し、日本人でさえこのシステムが日本を戦争へ導き、靖国はその装置であると信じ教育してきたのです。

戦後の教育が日の丸、君が代を避けるのもこの世代特有の歴史観であり、昭和20年4月に大学に入学しそのまま徴兵され9月から復学した哲学者、ものつくり大学総長の梅原猛教授が、スーパー歌舞伎や、法隆寺に建立に関する独特の解釈の『隠された十字架-法隆寺論』など仏教に傾倒し、日本史を陰惨なイメージで空想するのは間違いなく戦争経験に影響されているからでしょう。

敢えていいますが、戦後体制は間違いなく彼等のような"歴史修正主義者"達によってナショナリズムや誇りを根刮ぎ削がれ、後に天皇陛下を一般の老人にすべく生前退位を画策することとなるのでしょう。

このように戦後の殆どの日本人が、人間宣言と解釈したように、三島由紀夫でさえ不敬をはたらき
象徴を軽視してきたのです。