天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

日本人の端くれさんから

2017-01-03 22:47:16 | コメント
本来ならば、靖国神社は日本人なら行けば説明不要。魂で理解出来ると私は思います。あの何とも言えない日本人らしさの静かさのようでもあり、絶対に引かない強さのようでもあり何かです…

有志の方々が発信していただいている言葉をそのまま、海外に発信されたら如何かと勝手に想像致しました…



又、別欄にて英霊が被害者だとか云々かんぬん仰る方がおられておりましたが…
大東亜戦争戦争の責任を問うべき犯人は今は生きてはいませんが、子孫は生きております。この子孫は今や地球上をある力で支配しております。

想田や似たような奴は、この子孫達に国際裁判でもなんでもやればええんや。戦争が殺人事件やて?好き放題ぬかしやがる奴や。ほんなら、北朝鮮のミサイル実験は殺人未遂や言うて金正恩を起訴せえよ?世界中の紛争地の指導者を起訴せえよ?

きっとこいつはもし北朝鮮、支那のミサイルが日本に落ちてきたら、自衛隊もっと死ぬ気で国民を守れといけしゃあしゃあと言うんやろな。

つくづく日本のリベラル?は反日しかおらんな。お勉強したら屑になるんやったらお勉強やめて口閉ざして教養身に付けたら如何かと。こやつらは遺族の気持ちが理解出来ないだろう…

当時命懸けで国を護ろうとした日本人達について、現代を生きる我々日本人は感謝こそすれ、一切の批判は出来ない。

何故なら日本は何とか護られ、日本国民の大半が純日本人として生まれているからだ。

日本の歴史は大東亜戦争で終わらなかったのだ。日本の国力の何十倍の敵と戦って原爆も落とされ、都市は空爆され、それでも日本は滅びなかったのだ。連合国による分割統治され民族浄化も行われなかったのだ。そして、今もなお日本語が地球に存在しているわけだ。これは、日本軍がすんなり降伏してたら、今日本人はいないだろう…日本の軍人が飲まず食わずでも最後まで戦い米軍の度肝を抜いたからだ。今まで戦ったどの民族よりも戦慄したからこそ、日本人に恨まれない占領政策を執ったのだ。

想田のような輩でも言論の自由はあるが、こういう日本人もどきが一丁前にのたまえる内はいいが、支那と北朝鮮が来たらおのれの恥を知るのだろうか…


新年、早々長文、乱文、失礼致しました…


私事ではありますが、靖国神社に参拝時の、何時もの私思を言葉にすると…


我も日本を護る為、敵と戦う覚悟だ
日本の為、日本を護る力を我に与えたまえと…

靖国神社職員有志の主張

2017-01-03 18:18:39 | まとめ・資料
 



はじめに

 私たちは、靖国神社職員の有志です。
 終戦後、私たちのこの神社とその思想等についてさまざまな意見が出ています。
 しかし靖国神社当局からはそれらの世論に対して、めったにコメントをしません。
 このような神社当局の対応に、私たち職員有志は非常に歯がゆいものを感じ続けてきました。
 そこで、このサイトにて私たち靖国神社に従事する者の考えを述べさせていただこうと決意した次第です。


 1.靖国神社は「追悼施設」ではない

 私たちの靖国神社は、追悼施設ではありません。
 戦没者の冥福を祈る場所ではありません。
 靖国神社は、戦没者を神様として崇め、すがるための場所なのです。
 こちらが救ってやるのではありません。参拝者は救っていただく立場なのです。
 ここが仏教等の他宗教と神道との根本的な違いです。正反対といっても過言ではないでしょう。
 また神社というものは、戦没者の遺体や遺骨が埋葬されている墓とは、その性質が全く異なるものです。

 他の神社ならばこのことは容易にご理解いただいていると思います。
 伊勢神宮には天照大神が祀られ、明治神宮には明治天皇が神様として祀られています。
 伊勢神宮に参拝する人は天照大神にすがる思いで参拝していることでしょう。
「すがる」という言い方が強すぎるとしても、「天照大神のおかげで何かいいことあったらいいな」くらいの気持ちは、あるはずです。
 明治神宮にしても、明治天皇の冥福を祈るために参拝する人はおそらくいないと思います。皆、神様となられた明治天皇にすがる思いで、あるいは「明治天皇のおかげで何かいいことあったらいいな」という気持ちで参拝していると思います。
 太宰府天満宮など、鬼神を「慰めるために」建立された神社はありますが、天変地異が頻発した建立当時はともかく、今日の参拝者においては「慰める」気持ちではないでしょう。菅原道真公の冥福を祈るつもりで参拝する人はいないでしょう。
 やはり、学問成就のためにすがる思いで参拝していると思います。

 当神社にしても同様なのです。
 靖国神社には、中心となる一体だけの主神は、ありません。多数の戦没者が皆、神様なのです。
 死してなお国を守り続ける、護国の英霊なのです。
 この神様方に対して、参拝者の立場で「冥福を祈ってやる」だとは、おこがましいにもほどがあります。明治神宮で「明治天皇の冥福を祈ってやる」、太宰府天満宮で「菅原道真公の冥福を祈ってやる」などと言うのと同じことです。
 靖国神社は、そういう場所ではありません。
 神様方に対して、こういう傲慢な気持ちで臨むつもりの人は、どうか参拝をご遠慮ください。


 2.大東亜戦争に関わる英霊について

 大東亜戦争は、欧米列強によるアジア植民地支配からの解放を成し遂げるための、正義の戦いでした。
 残念ながら日本は多大な犠牲を払いましたが、しかしその目的は達成され、アジア諸国は独立を果たしました。
 当神社に祀られている英霊は、この尊い偉業に命を捧げた方々です。
 この方々を、私たちは神様としてお祀りしています。

 私たちとしてはこの正義の戦いである大東亜戦争について、日本国家には一切謝罪も反省も必要ないと考えています。
 一切の戦争責任を負う必要ないと考えています。
 「侵略戦争」だなどとは言いがかりも甚だしいというものです。
 もちろん、敵国による茶番劇であるあの「東京裁判」なんぞは一切認めません。
 これが私たち職員有志の考えです。
 この私たちの考えは、付属施設である「遊就館」をご覧いただければご理解いただけるかと思います。

 さらにまた、参拝者各位におかれても、私たちのこの主張にご賛同くださる方々ばかりであると信じています。
 対外的な都合によりやむをえず「謝罪と反省」を口にする人(させられる人)であっても、当神社で参拝するということは、その本心においては大東亜戦争を正義の戦いであったと考えている人たちであると信じています。
 私たちはこのような考えで、参拝者の皆さんをお迎えします。


 3.昭和殉難者について

 大東亜戦争後、交戦相手だった国々は、戦時中の日本の国家指導者の方々を「戦争犯罪人」呼ばわりし、あの茶番劇「東京裁判」で惨殺しました。
 こういう被害にあった方々を、国に命を捧げた犠牲者「昭和殉難者」としてお祀りするのは私たちにとって当然のことです。
 内外から批判があることは十分承知しています。特に茶番劇を主宰した旧敵国にとってはさぞや面白くないことでしょう。
 しかしこれは、私たちの「信教の自由」です。何ぴとも妨げることは許されません。私たちが許しません。
 私たちの昭和殉難者合祀を止めることは、いかなる人物にもできません。
 時々、「戦犯分祀」などという意見が出されるようですが、全く無意味な論です。
 昭和殉難者を別の場所で改めてお祀りしたところで、その御神霊が元の場所から消え去るわけではないのです。つまり、相変わらず昭和殉難者の御神霊は靖国神社におわし続けるわけです。
 したがって、昭和殉難者を拝むのがいやだという「戦犯分祀」論者のご要望にお応えすることにはならず、全く無意味です。
 私たちはこういう無意味なことをするつもりはありません。
「『戦犯分祀』してくれなければ参拝できない」などとおっしゃる方は、どうか参拝をご遠慮ください。


 4.政治家による介入について

 私たちの靖国神社は、独立した宗教法人です。国家施設ではありません。
 私たちは国家公務員ではありません。
 私たちのやり方に対して、民間人ならともかく、権力を持った政治家が介入しようとすることは、これは完全に「信教の自由」の侵害行為です。
「戦犯分祀」だとかナンセンスな発言をなし、私たちに介入しようとする行為は、完全に「信教の自由」に対する侵害です。
 ただし、今のところそのような妄言をなす政治家であっても、暴力的実力行使までは企てていないようです。
 たとえばその政治家の働きかけによって警官や裁判所の執行官が当神社の宮司の首根っこ掴んで力ずくで昭和殉難者を「分祀」させる、などといった事態になれば大変なことですが、そういう恐れは今のところ無いようです。
 したがって私たちとしては当面、政治家による「戦犯分祀」などという妄言は無視することとします。
 本来ならば「信教の自由」の侵害者として大いに糾弾したいところですが、中には当神社に対する大口寄付者もいますので、糾弾活動は遠慮しています。


 5.異教徒の合祀について

 キリスト教等、異教徒の戦死者遺族の方から時々、合祀に反対する意見を寄せられることがあります。
 しかし、誰を合祀するかしないかは私たちの自由です。これも私たちの「信教の自由」です。
 国家功労者をお祀りするにあたって遺族の意思を確認するつもりは一切ありません。国のために犠牲となった英霊は、もはや遺族だけの独占物ではないと考えるからです。
 かつて一部の心ない遺族が、私たちに対して訴訟を起こしたことがありました。いわく「うちはキリスト教だから故人を合祀するな」とのことでした。
 裁判所まで使って私たちの祭祀を止めようとするとは、まさに「信教の自由」の侵害そのものです。
 幸いにして裁判所は私たちの主張を認めてくださり、侵害者の心ない訴えは退けられました。
 今後海外派兵が盛んになり、自衛隊等で殉職者が出ることもあるでしょうが、どの殉職者を祀り、祀らないかは、その都度その都度私たちだけで判断します。部外者の誰にも相談するつもりはありません。
 今まで自衛隊員は祀られませんでしたが、今後、日本も積極的に世界平和のために戦うようになれば、将来的に自衛隊の殉職者を合祀することもありえると思います。
 さらには憲法改正されて正規軍が組織されれば、「日本軍戦死者」も出てくることが予想されます。その際には戦死者本人の宗教に係わりなく平等に扱うこととなるでしょう。
 これを止めることは誰にもできません。
 私たちの「信教の自由」は、誰にも止められません。


 6.靖国神社は御霊信仰(怨霊信仰)ではない

 時々、当神社のことを御霊信仰(怨霊を怖れて祀る信仰)と誤解している人がいるようです。
 御霊信仰の神社としては、太宰府天満宮や将門神社などが有名であると思います。恨みの思いを抱きながら無念の死をとげた人間に対して、その祟りを怖れ神社を建立して神として祀り、祟りを鎮めるという神社です。
 しかし、当神社の信仰はそのようなものではありません。
 公務に殉じた戦没者も、「戦犯」呼ばわりされた昭和殉難者も、恨み心を抱いて無念の思いで死んでいったわけではありません。
 皆、国家に殉ずる覚悟の上で、すがすがしい気持ちで死んでいったのです。
 ここが大きな違いです。
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 もしも私たちが怨霊信仰者ならば、西南戦争の賊軍の将兵たちこそ祀らねばならないこととなります。国家に背き不届きな行為に走ったため討伐された輩こそ、怨霊となる危険性があると考えてしかるべきです。
 しかし私たちはそういう考えではありません。私たちは怨霊信仰者ではありません。
 当神社は国家のために殉じた者のみを祀る神社ですから、国家に背いた輩はたとえ怨霊になる危険性があろうとも祀りません。そういうことは他の神社にお任せしたいと考えています。
 当神社の神々は、太宰府天満宮や将門神社の祭神のように怨霊を経てから神様になったのではなく、最初から神様なのです。
 参拝者の皆さん方におかれては、戦没者の「祟り」なるものを怖れることなく、明るい気持ちで臨んでいただきたいと思います。
 当神社には、将門神社や首塚のような祟りは全くありません。
 むしろ逆に、「怨霊調伏」だとか「冥福を祈って追悼する」などといった見当違いの礼拝をするほうが、よっぽど神罰が下る恐れがあると思いますよ。

まとめ

私たちの主張を要約します。

①.靖国神社は戦没者の冥福を祈る場所ではなく、戦没者を神としてあがめ奉る場所である。
当神社で戦死者の冥福を祈るのは、明治神宮で明治天皇の冥福を祈ったり太宰府天満宮で菅原道真公の冥福を祈ったりするのと同様、全く的外れな礼拝行為である。

②.大東亜戦争は、欧米列強植民地支配からのアジア解放のための正義の戦いである。

③.茶番劇「東京裁判」によって「A級戦犯」とみなされた昭和殉難者は、国のために命を犠牲にした英霊である。

④.政治家が昭和殉難者について「戦犯分祀すべきだ」などと主張するのは、私たちに対する「信教の自由」の侵害行為である。

⑤.国のために命を犠牲にした方はたとえ異教徒であってもお祀りすることがある。遺族の意思を確認するつもりは一切ない。これも私たちの「信教の自由」である。

⑥.靖国神社は御霊信仰(怨霊信仰)ではない。

以上、各ページでの私たちの主張をまとめました。

 このサイトは靖国神社の公式サイトではありません。職員の有志がその本音を主張するために開設したものです。したがって、ここで述べた主張は靖国神社としての公式見解ではありません。
 しかし大筋においてはあまり変わるものではないと確信しています。
 このサイトの内容の是非について靖国神社当局に問い合わせをなされたら、おそらく当局は決して否定も反対もせず、黙認する(黙して認める)ことでしょう。

 また、私たちの神社で参拝なさる方々は、表向きの言論はさておき、その本心においてはこのサイトに述べられたような私たちの主張にご賛同いただいている方々ばかりだと信じています。
 しかし万一、もしもそうでない方がいらっしゃるならば、どうか当神社への参拝はご遠慮いただきたいと思います。
 宗教施設への参拝とは、同意の心無くしてありえません。反発心を抱きながら頭を下げるなんて、偽りの参拝そのものです。私たちはそんな偽りの参拝はお断りします。これは神道に限らずいかなる宗教施設においても同様であると思います。

清水潔のツイート

2017-01-03 16:21:18 | まとめ・資料





今更聞けない?靖国神社参拝がなぜ問題とされるのか。

「A級戦犯は問題だけれども、戦没者追悼は当然だ」という気持ちを持つ人は多いだろう。ここではっきりとさせておきたいが、靖国神社は戦没者追悼の施設ではない。


以下のブログをリンクさせている。

川崎哲のブログ

 安倍首相の靖国参拝に世界中から批判の声が上がっています。私自身も、靖国参拝にはキッパリと反対です。ツイッターに以下のような文章を投稿しました。ご意見、ご感想があればお願いします。なおピースボートは、多くの市民団体と共に、安倍首相の靖国神社参拝に抗議する共同声明を出してます。

 安倍首相の靖国参拝は、中韓はもとより、米、EUそして露からも批判を浴びている。国際的には、安倍首相のこの行動を支持する声は一つもない。日本は完全に孤立している。だが悩ましいのは、日本国内には「何となく支持」という声が少なくないであろうことだ。
 一部のゴリゴリの右翼「愛国」派はさておき、「国のために命を落とした人たちを追悼すること自体は悪いことではないのではないか」という感覚を持つ人は少なくないと思われる。とくに若い層にその傾向はある。近現代史の教育が圧倒的に不足しているからと言えるだろう。
 近現代史の教育を受けていない若者からすると「戦争で犠牲になった人を追悼するのに、なぜそんなに外国から批判されなければいけないのか」という疑問や反発もありえよう。そこで「若い者はなっちょらん」などと言っても通じないので、私なりに、靖国参拝がなぜダメかを分かりやすく書いてみたい。

 まず、日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地支配し、そして中国や東南アジアに侵略戦争を行った。それによって2000万人もの命が奪われた。日本でも300万人もの人たちが亡くなった(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下など)。
 戦争には責任者と被害者がいる。日本の侵略戦争を立案、指揮、 遂行していた責任者が「A級戦犯」と言われる人たちだ。靖国神社は、これら侵略戦争の責任者たちを祀っている。そして神社自体が、侵略戦争が正しかったとの歴史観に基づいて運営されている(侵略戦争を賛美する博物館が神社内にある)。
 戦前・戦中の日本は、軍国主義の発展が、国家神道という「国営の宗教」に支えられてきた。政治が宗教を後押しし、その宗教をたたき込まれた人々が戦争を支持するようになっていった。現代世界では「イスラム原理主義武装勢力」があるが、宗教が政治と結びつき暴力を支えるという意味では、似ている。
 靖国神社は国家機関でも何でもない、一宗教法人である。そこに首相や閣僚が公金を使って参拝するのは「政教分離の原則」に反する。これがなぜ問題かというと、かつて戦争を賛美する宗教を政治が後押ししてきた歴史があったからだ。靖国神社は、今でもかつての侵略戦争を賛美する考え方を持っている。

 「戦争で命を落とした人たちにお参りするのは当然のこと」という意見について。「A級戦犯は問題だけれども、戦没者追悼は当然だ」という気持ちを持つ人は多いだろう。ここではっきりとさせておきたいが、靖国神社は戦没者追悼の施設ではない。
 戦争では日本でも多くの人たちが犠牲になったが、靖国神社は 「国のために戦って命を落とした人たち」とそれ以外の人たちを分け、前者を祀っている。政治指導部の命令にしたがい、戦争にかり出された人たちだ。彼らは責任者の過ちによる被害者なのだが、責任者と一緒に「英雄」として祀られている。
 戦争には責任者と被害者がいる。多くの日本兵は被害者だった。(もちろん戦場では侵略者、加害者だったのだが、日本の政治指導部との関係では被害者だ。)本来被害者は、責任者に対し謝罪や補償を求める立場にある。だ が靖国神社は彼らを「英雄」として持ち上げ、責任者の責任をうやむやにしている。
 東南アジアの戦場に送り込まれた日本兵の多くは、補給を断たれ飢えで死んでいる。指導部の無責任な指揮・作戦の結果、棄てられたのだ。「国のために戦った」なんていう”美談"では済まされない。
 最近テレビや映画で、特攻隊やらかつての日本兵を 「国のために戦った若者たち」として美化するような物語が流行っているようだが、私には気持ち悪くてしょうがない。戦争は美しいどころが、むごたらしく凄惨なものなのに。そんな物語をもてはやしてきたマスコミにも責任の一端がある。
 自分探しの若者たちが、いくら探しても見つからな いので、かつて軍国主義の国営宗教にやられて戦争に突っ込んでいった若者に共感し始めているのかもしれない。それだったら早く目を覚ましてほしいものだ。 安倍首相の靖国参拝で世界中から非難囂々の今の状況が、よい冷や水になるとよいが。

 戦争の責任者の責任をうやむやにし、被害者と責任者をまぜこぜにし、被害者を「英雄」にまつりあげる。過去の戦争を肯定したい人たちや、これから戦争したいと考えている人にとっては都合がいい。戦争がも たらす犠牲を神格化する儀式だ。靖国参拝が「戦争への道」「軍国主義」と批判されるゆえんだ。
 戦争の被害者や犠牲者を追悼し、その体験を語り継ぐ取り組みは、戦争を遂行した側の論理に沿ってではなく、被害者たちの人間としての体験に即して営まれていかなければならない。そして、惨劇を生み出した責任と構造を暴き、批判し、二度とくり返さないための教訓と行動を引き出すものであるべきだ。

 以上、靖国参拝は「戦争で命を落とした人にお参りし、平和を祈る当然の行為」だと考えているかもしれない人向けに書きました。その気持ちは大切だと思いますが、靖国神社やそこにお参りする政治家たちは、その貴方の気持ちとは全く反対の方向を向いているものですよ、ということが言いたかったです。

2013.12.28 川崎哲---------------------------
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想田和弘のツイート

2017-01-03 15:52:12 | まとめ・資料




『安倍晋三は「大東亜戦争」はアジア解放のための聖戦だったと言う歴史改ざん主義者(靖国史観)なので、本来ならば真珠湾など参るわけにはいかない。しかし宗主国との関係から参ることになってしまったので、稲田に靖国参拝させたのだと思う。つまりアクセルとブレーキを同時に踏んで取り繕ったつもり。』


『アジア太平洋戦争で亡くなった日本兵230万人のうち、6割は餓死したといわれる。靖国神社は彼らを慰霊するのではなく、国を守った「神」として称揚し祀る施設。現代の政治家が靖国を参拝するのは、食料もないのに兵士を戦地へ送り見殺しにした日本政府の無能と犯罪を覆い隠す行為である。』


『戦死した兵士を「国のために死んだ英雄」として称揚する行為は、米国でも盛んだ。イラクなどで戦死した兵士は「英雄」として讃えられるが、そんな光景をみると違和感を覚える。なぜなら彼らを讃えることで、戦地に送った政治家の罪が棚上げされてしまうから。彼らはそもそも死ぬ必要などなかった。』


『考えたくもないことだが、これから日本でも自衛隊員が戦死した際には、国のために殉じた「英雄」として讃えられることになると思う。そして讃えない人間は「反日」として非難されるであろう。それは自衛隊員を戦地に送った政治家にとっては、実に都合がよい。みなさんに覚えておいてほしい。』


『家族が過労死させられた時に、会社の上司がやってきて「xxさんは会社のために命を捧げて下さった。会社の守護神として祀らせていただきます」なんて抜かしたらどう思うか。靖国神社では単位が会社ではなく国である点が異なるが、基本的にはそれと全く同じことが起きている。』


『くどいようだが、靖国神社は、戦争中に亡くなった日本兵を慰霊する施設ではない。神として賛美し崇拝する宗教施設である。この点を誤解している人が実に多い。しかも遺族が宗教的理由などで「祀るのをやめて欲しい」と申し出ても、聞き入れてもらえない。この点を知らない人も実に多い。』


『補給もないのに戦地に送られ餓死させられたり、帰りの燃料も積まずに特攻させられた無数の人々は、文字通り日本政府に殺されたわけでしょう。殺人事件の被害者と呼んで差し支えないですよ。』