天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

川崎哲のブログ

2017-01-05 17:07:11 | まとめ・資料


川崎哲(かわさきあきら)
ピースボート共同代表。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員。「アボリション2000」調整委員。2008年から広島・長崎の被爆者と世界を回る「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」プロジェクトを実施。2009~10年、日豪両政府主導の「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」でNGOアドバイザーをつとめた。2014年5月、「集団的自衛権問題研究会」をたちあげ、同代表。著書『核拡散』(岩波新書)で日本平和学会第1回平和研究奨励賞を受賞。雑誌『世界』(岩波書店)をはじめ国内外のメディアに寄稿多数。



川崎哲のブログ

 安倍首相の靖国参拝に世界中から批判の声が上がっています。私自身も、靖国参拝にはキッパリと反対です。ツイッターに以下のような文章を投稿しました。ご意見、ご感想があればお願いします。なおピースボートは、多くの市民団体と共に、安倍首相の靖国神社参拝に抗議する共同声明を出してます。

 安倍首相の靖国参拝は、中韓はもとより、米、EUそして露からも批判を浴びている。国際的には、安倍首相のこの行動を支持する声は一つもない。日本は完全に孤立している。だが悩ましいのは、日本国内には「何となく支持」という声が少なくないであろうことだ。
 一部のゴリゴリの右翼「愛国」派はさておき、「国のために命を落とした人たちを追悼すること自体は悪いことではないのではないか」という感覚を持つ人は少なくないと思われる。とくに若い層にその傾向はある。近現代史の教育が圧倒的に不足しているからと言えるだろう。
 近現代史の教育を受けていない若者からすると「戦争で犠牲になった人を追悼するのに、なぜそんなに外国から批判されなければいけないのか」という疑問や反発もありえよう。そこで「若い者はなっちょらん」などと言っても通じないので、私なりに、靖国参拝がなぜダメかを分かりやすく書いてみたい。

 まず、日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地支配し、そして中国や東南アジアに侵略戦争を行った。それによって2000万人もの命が奪われた。日本でも300万人もの人たちが亡くなった(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下など)。
 戦争には責任者と被害者がいる。日本の侵略戦争を立案、指揮、 遂行していた責任者が「A級戦犯」と言われる人たちだ。靖国神社は、これら侵略戦争の責任者たちを祀っている。そして神社自体が、侵略戦争が正しかったとの歴史観に基づいて運営されている(侵略戦争を賛美する博物館が神社内にある)。
 戦前・戦中の日本は、軍国主義の発展が、国家神道という「国営の宗教」に支えられてきた。政治が宗教を後押しし、その宗教をたたき込まれた人々が戦争を支持するようになっていった。現代世界では「イスラム原理主義武装勢力」があるが、宗教が政治と結びつき暴力を支えるという意味では、似ている。
 靖国神社は国家機関でも何でもない、一宗教法人である。そこに首相や閣僚が公金を使って参拝するのは「政教分離の原則」に反する。これがなぜ問題かというと、かつて戦争を賛美する宗教を政治が後押ししてきた歴史があったからだ。靖国神社は、今でもかつての侵略戦争を賛美する考え方を持っている。

 「戦争で命を落とした人たちにお参りするのは当然のこと」という意見について。「A級戦犯は問題だけれども、戦没者追悼は当然だ」という気持ちを持つ人は多いだろう。ここではっきりとさせておきたいが、靖国神社は戦没者追悼の施設ではない。
 戦争では日本でも多くの人たちが犠牲になったが、靖国神社は 「国のために戦って命を落とした人たち」とそれ以外の人たちを分け、前者を祀っている。政治指導部の命令にしたがい、戦争にかり出された人たちだ。彼らは責任者の過ちによる被害者なのだが、責任者と一緒に「英雄」として祀られている。
 戦争には責任者と被害者がいる。多くの日本兵は被害者だった。(もちろん戦場では侵略者、加害者だったのだが、日本の政治指導部との関係では被害者だ。)本来被害者は、責任者に対し謝罪や補償を求める立場にある。だ が靖国神社は彼らを「英雄」として持ち上げ、責任者の責任をうやむやにしている。
 東南アジアの戦場に送り込まれた日本兵の多くは、補給を断たれ飢えで死んでいる。指導部の無責任な指揮・作戦の結果、棄てられたのだ。「国のために戦った」なんていう”美談"では済まされない。
 最近テレビや映画で、特攻隊やらかつての日本兵を 「国のために戦った若者たち」として美化するような物語が流行っているようだが、私には気持ち悪くてしょうがない。戦争は美しいどころが、むごたらしく凄惨なものなのに。そんな物語をもてはやしてきたマスコミにも責任の一端がある。
 自分探しの若者たちが、いくら探しても見つからな いので、かつて軍国主義の国営宗教にやられて戦争に突っ込んでいった若者に共感し始めているのかもしれない。それだったら早く目を覚ましてほしいものだ。 安倍首相の靖国参拝で世界中から非難囂々の今の状況が、よい冷や水になるとよいが。

 戦争の責任者の責任をうやむやにし、被害者と責任者をまぜこぜにし、被害者を「英雄」にまつりあげる。過去の戦争を肯定したい人たちや、これから戦争したいと考えている人にとっては都合がいい。戦争がも たらす犠牲を神格化する儀式だ。靖国参拝が「戦争への道」「軍国主義」と批判されるゆえんだ。
 戦争の被害者や犠牲者を追悼し、その体験を語り継ぐ取り組みは、戦争を遂行した側の論理に沿ってではなく、被害者たちの人間としての体験に即して営まれていかなければならない。そして、惨劇を生み出した責任と構造を暴き、批判し、二度とくり返さないための教訓と行動を引き出すものであるべきだ。

 以上、靖国参拝は「戦争で命を落とした人にお参りし、平和を祈る当然の行為」だと考えているかもしれない人向けに書きました。その気持ちは大切だと思いますが、靖国神社やそこにお参りする政治家たちは、その貴方の気持ちとは全く反対の方向を向いているものですよ、ということが言いたかったです。

2013.12.28 川崎哲---------------------------
---

清水潔へのリプ

2017-01-05 15:28:51 | まとめ・資料

yabetti2011さんのリプ



靖国神社は、実は、神社神道の神社ですらなく、明治2年に、戊辰戦争の戦死者を祀るために創設された新興宗教の1つ!戦争犠牲者を悼むための場所と勘違いしている人も多いが、そうではない。正しくは「天皇を守るために戦死した軍人を、神として祀る」ことが、この神社の目的

伊勢神宮を頂点とする神社本庁の組織の神社が、アマテラスオオミカミとか、オオクニヌシノミコトというような、日本古来のカミを祀るのに対して、もともと人であった軍人の戦死者を、カミとして祀るという、宗教としても神道としても、きわめて異例なものなのです。

しかも、たんに軍人の戦死者ではなく、あくまでも「天皇を守るために戦って死んだ軍人」というのが、カミとして祀られる大前提となっているのです。従って「国を守るために戦って死んだ方々」を悼むという言い方は正確ではないのです。大前提の目的・正体は徴兵制に関係します

徴兵制により軍人となった者に、積極的に国の為(天皇の為)に命を捧げて戦わせる為なのです。江戸時代までは殿様の為に命を捧げて戦うという考え方だったわけですが、明治になってからは徴兵制により国民が軍人として徴用され国のために戦ってくれる事を大前提としたのです。

明治政府は、この靖国神社を利用し国(天皇)の為に命を捧げて戦死すれば、必ずや「神」となって、靖国神社に祀られ、天皇や首相をはじめとする国家の権力者が、頭を下げ参拝してくれるはずだから安心して戦って死んでくれという、国家的な「しくみ」を創ったのが悲劇の始まり

従って靖国神社は、兵士の士気を高め、国家による戦争を推進する事が目的の神社なのであり、国家の権力者が、その神社に参拝するという事は「国の平和を願うために」というより、国民に対して「国(天皇)のために死んでくれ」というメッセージを発信する事になるのです。

政治家達(特に日本会議に属する)が靖国神社に参拝するのは本質的に国家主義、軍国主義を礼賛する意思を表明しているのと同じ事で、参拝するのは戦争犠牲者を悼む為ではなく決して「戦没者の慰霊」でもありません。政治家が表明してもそれはあくまで建前、というか嘘になる!

しかも、日本人として注目すべき最大の視点は、その天皇を掲げた靖国参拝へ現在は、昭和天皇の親拝中止後、平成天皇も、天皇家も参拝しない方針をとっている事である!天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは、 A級戦犯の合祀が原因と言われているが果たして本当にそうでしょうか?疑問が残る

昭和天皇の親拝中止については、富田メモのA級戦犯の合祀が原因の他に別の見方もあって、三木武夫首相が参拝した際、 取材記者に 「私的立場で参拝をした」 との発言で、昭和天皇はそれをきっかけに気持ちの変化が芽生えたとされる説である!つまり公的か私的参拝かの違い


当時マスコミが、私的参拝 か 公的参拝で問われた場合に公的であれば軍国主義を肯定し憲法の政教分離の原則に反し侵略戦争だった大東亜戦争を認めるものだと大きく叩いたようです。しかし私的であっても、建前と判断される靖国参拝が、昭和天皇からすれば戦争の象徴そのものと受け取られると判断した


その判断の大きな理由に、戦争の当事者であると自覚する昭和天皇は犠牲を強いた傷ついた国民に対し責任を感じ(一度死んだ命と暗殺されても構わないお気持で)申し訳ない想いで、戦後全国行脚も行っていて、国民を励まし、国民の復興や再興を願い、平和を気に掛ける一生でした


一度死んだ命とは、昭和20年8月終戦を迎えた後、天皇陛下はマッカーサー元帥を訪ね「戦争の全ての責任は私にある。 殺すのであれば私を殺せ」と仰られています。その時マッカーサーは天皇が命乞いに来たと思っていたから、その逆だった事に神を見たりと感激し天皇擁護論者に変容した経緯があります


戦後の昭和天皇のお姿を、真近に見て全ての想いを汲み取り見守っていたのが平成天皇である、現在の天皇陛下は、幼少の頃、米国人家庭教師ヴァイニング夫人から影響を受け、永続的な平和の基礎となるべき自由と正義と善意との理想を学んでいる。その陛下の満80歳の誕生日御言葉が全てを物語っている。

「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。

終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。


戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。

又、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」と述べている。その協力に大きく貢献したボナー・フェラーズ准将やカワイ・ミチの名も忘れてはいけない!また、昭和天皇も「ヴァイニング夫人を、皇太子の教育係として招いたことは、大きな成功であった」と、後に述べておられる。

多大な犠牲と悲劇や地獄をもたらした第二次世界大戦を経て、戦争に翻弄され辛酸を舐め尽した日本人にとって、戦争から学んだのかを71年間の平和を通して、常に心の一番深い位置に摺り込み考え平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を守る事で戦争に直結する要因を排除してきました。