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yabetti2011さんは清水潔のツイートのリンクさせたピースボート川崎哲のブログに対して補足説明したリプライですが、長文で一つ一つに対するリツイートもかなりの数です。つまり共産党の主張と共鳴する川崎哲のブログですから、ほぼ正解に近い歴史認識でそこに共産党のテイストを織り交ぜる歴史を知らない若者が読めば、そちらの側に洗脳されてしまう危険度の高いリプとなっています。yabetti2011のリプを区切って解説を入れていきます。
『靖国神社は、実は、神社神道の神社ですらなく、明治2年に、戊辰戦争の戦死者を祀るために創設された新興宗教の1つ!戦争犠牲者を悼むための場所と勘違いしている人も多いが、そうではない。正しくは「天皇を守るために戦死した軍人を、神として祀る」ことが、この神社の目的』
神道とは土着のシャーマニズムで、宗教と言うよりは習俗であり、元来祭政一致にはなりづらい物です。
奈良時代に仏教が混合し祭政一致化が計られたことがあり、武家政権台頭により仏教が神道を凌駕していき、神道のシャーマニズム化が強化され皇族と神道の関係も乖離するようになります。神仏習合です。
明治政府は皇室を再び政権の座に大政奉還した訳で、皇室のアイデンティティーは神道に立脚し、日本人のアイデンティティーは神道と皇室と共に在る訳ですから、明治政府はそのアイデンティティーを国家の支柱にする必要性があったわけです。今更、武家政権と癒着した仏教つまり、「国家仏教」で国民の統制を取り戻すことは不可能であった訳です。
戦後、神道は占領軍の手で祭政一致の統制が外されシャーマニズムへの回帰が行われます。
従って、靖国神社が国家神道の名残、軍国主義の主柱のような扱いを受けますが、現在の靖国に対する人々の信仰は非常にシャーマニズム、神社神道的であると言えます。
国を支える勝者の神社だったものが、戦後敗者を慰める事を目的とした神社へと靖国の本質が変化しており、国家神道と神社神道は限り無く同質であると言っても過言ではありません。
故に新興宗教の表現は不適切であり、天皇を中心とする国民、国家、所謂國體を護る為に戦死したのであって、天皇の為とする限定的な表現は詭弁に他なりません。
『伊勢神宮を頂点とする神社本庁の組織の神社が、アマテラスオオミカミとか、オオクニヌシノミコトというような、日本古来のカミを祀るのに対して、もともと人であった軍人の戦死者を、カミとして祀るという、宗教としても神道としても、きわめて異例なものなのです。』
特になし。
『しかも、たんに軍人の戦死者ではなく、あくまでも「天皇を守るために戦って死んだ軍人」というのが、カミとして祀られる大前提となっているのです。従って「国を守るために戦って死んだ方々」を悼むという言い方は正確ではないのです。大前提の目的・正体は徴兵制に関係します』
対馬丸の子供達、真岡郵便局の女性達もカミ(英霊)として祀られていますので、この大前提は崩れます。しかもこの目的が徴兵制に関係したのは当時と戦前です。
『徴兵制により軍人となった者に、積極的に国の為(天皇の為)に命を捧げて戦わせる為なのです。江戸時代までは殿様の為に命を捧げて戦うという考え方だったわけですが、明治になってからは徴兵制により国民が軍人として徴用され国のために戦ってくれる事を大前提としたのです。』
『明治政府は、この靖国神社を利用し国(天皇)の為に命を捧げて戦死すれば、必ずや「神」となって、靖国神社に祀られ、天皇や首相をはじめとする国家の権力者が、頭を下げ参拝してくれるはずだから安心して戦って死んでくれという、国家的な「しくみ」を創ったのが悲劇の始まり』
『従って靖国神社は、兵士の士気を高め、国家による戦争を推進する事が目的の神社なのであり、国家の権力者が、その神社に参拝するという事は「国の平和を願うために」というより、国民に対して「国(天皇)のために死んでくれ」というメッセージを発信する事になるのです。』
この徴兵制の論理も時代錯誤であり、全て当時の事、日本は今後徴兵制にはなり得ない。たとえ当時でも誰かの為に死んでくれなどとメッセージを発することはなかった。ここで使われている徴兵制は単なる脅しの文句である。
『政治家達(特に日本会議に属する)が靖国神社に参拝するのは本質的に国家主義、軍国主義を礼賛する意思を表明しているのと同じ事で、参拝するのは戦争犠牲者を悼む為ではなく決して「戦没者の慰霊」でもありません。政治家が表明してもそれはあくまで建前、というか嘘になる!』
同じ事でなく、単なる日本会議の貶め。戦没者の慰霊以外の何物でも無い。
『しかも、日本人として注目すべき最大の視点は、その天皇を掲げた靖国参拝へ現在は、昭和天皇の親拝中止後、平成天皇も、天皇家も参拝しない方針をとっている事である!天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは、 A級戦犯の合祀が原因と言われているが果たして本当にそうでしょうか?疑問が残る』
毎年二回勅使を送り、皇族は参拝しています。今上陛下、今上天皇であり平成ではありません。天皇家も不適切な表現です。
『昭和天皇の親拝中止については、富田メモのA級戦犯の合祀が原因の他に別の見方もあって、三木武夫首相が参拝した際、 取材記者に 「私的立場で参拝をした」 との発言で、昭和天皇はそれをきっかけに気持ちの変化が芽生えたとされる説である!つまり公的か私的参拝かの違い』
『当時マスコミが、私的参拝 か 公的参拝で問われた場合に公的であれば軍国主義を肯定し憲法の政教分離の原則に反し侵略戦争だった大東亜戦争を認めるものだと大きく叩いたようです。しかし私的であっても、建前と判断される靖国参拝が、昭和天皇からすれば戦争の象徴そのものと受け取られると判断した』
御親拝中止は当時三木首相の私的公的参拝が憲法に抵触する可能性で社会問題化し、その様な国論が二分する問題が発生する場に御親拝すれば政治的影響力が作用する為に行けなくなったからです。
安保法案を戦争法案、防衛費を人殺しの予算、との共産党の論理は靖国神社さえも戦争神社に変換します。陛下は靖国が戦争の象徴と受け取られるなどと判断する筈はないのです。
『その判断の大きな理由に、戦争の当事者であると自覚する昭和天皇は犠牲を強いた傷ついた国民に対し責任を感じ(一度死んだ命と暗殺されても構わないお気持で)申し訳ない想いで、戦後全国行脚も行っていて、国民を励まし、国民の復興や再興を願い、平和を気に掛ける一生でした』
戦争の当事者ではないし、戦争には反対されていた。
『一度死んだ命とは、昭和20年8月終戦を迎えた後、天皇陛下はマッカーサー元帥を訪ね「戦争の全ての責任は私にある。 殺すのであれば私を殺せ」と仰られています。その時マッカーサーは天皇が命乞いに来たと思っていたから、その逆だった事に神を見たりと感激し天皇擁護論者に変容した経緯があります』
『戦後の昭和天皇のお姿を、真近に見て全ての想いを汲み取り見守っていたのが平成天皇である、現在の天皇陛下は、幼少の頃、米国人家庭教師ヴァイニング夫人から影響を受け、永続的な平和の基礎となるべき自由と正義と善意との理想を学んでいる。その陛下の満80歳の誕生日御言葉が全てを物語っている。』
『「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。』
『終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。』
『戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。』
『又、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」と述べている。その協力に大きく貢献したボナー・フェラーズ准将やカワイ・ミチの名も忘れてはいけない!また、昭和天皇も「ヴァイニング夫人を、皇太子の教育係として招いたことは、大きな成功であった」と、後に述べておられる。』
『多大な犠牲と悲劇や地獄をもたらした第二次世界大戦を経て、戦争に翻弄され辛酸を舐め尽した日本人にとって、戦争から学んだのかを71年間の平和を通して、常に心の一番深い位置に摺り込み考え平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を守る事で戦争に直結する要因を排除してきました。』
象徴天皇としての在り方と平和への想いを考えて来られた今上陛下の全く誤りのない文章と共産党的な間違った靖国神社の解釈を合わせる事で都合良く皇室と靖国神社を切り離し、首相の参拝を問題化して靖国神社その物を貶め、安倍首相おろしをする野党共闘寄りのリプライであることが伺えます。少しづつ明らかになる正しい歴史観を散りばめ非常によく出来た文章であり、川崎哲よりも有能な人物が書いているとも見られます。
靖国神社はこの様な一般的日本人、背景に他宗教も絡み合い虎視眈々と貶め、反靖国、靖国NOを主張します。ただ一つ言えることは彼等と非常に近しい組織に反天連(反天皇制運動連絡会)が存在し、何処かで必ず繋がりがあると言うことが言えます。