伊豆にある松井石根が建てた興亜観音の殉国七士之碑だが爆破され修復された写真である。
昭和46年12月12日に東アジア反日武装戦線が時限爆弾によって爆破し破壊した最初の事件だがこのグループの主犯格が47年末に東アジア反日武装戦線を結成したと言う方が正確であろう。
戦犯として刑死された松井石根がどうやって建てたのか、または南京事件の責任から建てたのか、と疑問に思われる方もいるだろう。
昭和15年日支両軍の戦没将兵を「怨親平等」に祀るため、私財を投じてこの地に興亜観音を建立し、観音像は松井石根が転戦した南京周辺地等の戦場の土を材料として作られている。
松井は昭和9年8月、現役を退き、予備役となったが、南京入城式で陸軍大将として華々しく箔をつける為のワンポイントリリーフとして復活させられた。
親中派の為にその後直ぐにまた予備役となっているから終戦前に建てられたのである。こんな仏のような人物が南京事件の責任で死刑となるのである。
東京裁判が如何にとんでもないものかが松井の戦犯指名だけをとっても窺えるのである。
昭和49年の三菱重工業東京本社ビルで爆弾を破裂させ、8名が死亡、376人が負傷した所謂三菱重工爆破事件に続く連続企業爆破事件の犯人の東アジア反日武装戦線と言えば誰もが知るところであろう。
彼等の思想の核となるのが日本国家、天皇制、日本民衆の戦争責任の告発である。その結果として新植民地主義的経済侵略企業への攻撃を行動目標としている。
つまり南京事件、慰安婦問題、731部隊、重慶爆撃などの現在の歴史認識の所謂戦争責任として特アと左翼が日本政府に突き付けているものの源流がこの思想なのである。
したがって安倍首相をヒトラーに喩え日本会議を貶め南京事件を蒸し返す言動は彼等反日武装戦線から暴力を消し、フランクフルト学派のマルキストと融合し、より強い反日左翼となって堂々と日本政府と対峙するのである。
安倍四選でも分かる通りこの反日左翼に堂々と向き合える首相は皆無なのだ。