天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ジェンダーフリー

2016-05-23 08:18:09 | コラム
ジェンダーレスとは男女の境界を踏み超えたファッションのことで、特に女性向けファッション雑誌の中で、メンズライクなコーディネート、メンズアイテムを取り入れたコーディネートだそうです。少し理解に苦しみますが、次の写真がジェンダーレスのようです。




【ジェンダーフリー】
社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念にとらわれず、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、「固定的な性役割の通念からの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた策動を指すのだそうです。

『デイリー新語辞典』(三省堂)では、「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること。」と教義されており、主にフェミニスト達により工作されています。

ジェンダーフリーは幾つにも細分化され、考え方も様々です。つまり、性同一性障害の様に生まれつき自分の性に違和感を感じる病的なものは許容範囲なのですが、女性同士、男性同士の結婚となると様々問題が生まれるのも現実です。

つまり外国人男性と日本人男性が結婚して日本国籍を取得する事が可能、勿論女性同士も可能になるのです。

反対派の著名な人として石原慎太郎前東京都知事は、都議会定例会において、
「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」、

「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、ひな祭りやこいのぼりといった伝統文化まで拒否する極端でグロテスクな主張が見受けられる」、

「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」

と強調し、ジェンダーフリー教育を批判しています。

保守主義は、伝統・文化を守る立場です。よって、自動的に保守思想とフェミニズムが相容れない減少が見られます。

日本は果たして男尊女卑的な風潮があったのでしょうか、確かに女性の土俵や山などの立ち入りを禁止することが、男尊女卑なのでしょうか、ここにも差別と区別の混同が存在します。

共産党、社民党主導によるジェンダーフリーという奇矯でいびつな思想が、行政によって教育現場に浸透しつつあります。

この様な奇天烈な思想が国連女性差別撤廃委員会にフェミニストによって皇室の男系男子を問題視し日本の万世一系を破壊せんと画策しているのです。

舛添会見 やるじゃんネットTV

2016-05-22 00:47:06 | 政治
舛添都知事の記者会見で新聞、地上波TVの記者の質問に劣らぬ質問をネットTVがしていることに注目した。

力関係でその足元にも及ばなかったネットTVの人気の台頭を現す質問に心ならずも感動した。

ニコ生七尾氏が都知事問題会見で質問した。

ニコニコ動画のナナオと申します。都庁に寄せられた批判の詳細を申し上げますと、ご存知だと思いますが、政治資金に関しては6,100件でございます。海外出張に関しては4,800件。公用車問題に関しては2,200件です。トータルで13,100件です。
この数は、参考として言いますと、先ほど出ました猪瀬都知事が徳洲会グループから5,000万円を受け取っていた問題で、そのときに都庁に寄せられた件数というのが、2010年11月27日時点で717件でした。
今回これと違う点が2点あるんですが、やはり猪瀬都知事も当時はかなり騒がれたんですが、それの約18倍の声が寄せられているという点と、都民が知事に対して明らかにしていただきたいのは、必ずしも政治資金だけではなくて、海外出張とか公用車の問題もあるんですが、こうした都民の声をどう見ていらっしゃいますか?



舛添 今数字をあげていただきました。大変厳しい数字でございますし、心から真摯に反省して、信頼を回復するしかないと思います。




一方、前都知事の猪瀬氏が辞職した際の電凸と比較というニコ生らしい質問でしたが、チャンネル桜の水島社長も他人事のように第三者の調査に委ねるなどと延命、言い逃れる舛添氏を厳しい口調で

「当事者として説明してもらいたいんです!当事者として!」と質問の時間を与えられないもどかしさから不規則発言でアピールした。企業や宗教団体と絶縁し視聴者の寄付金だけで運営するチャンネル桜もユーチューブ動画再生回数がコンスタントに1万を超えるなど都知事選以降は注目を浴びている。

神社と日本人

2016-05-21 17:00:05 | 歴史
神社の起源は、磐座(いわくら)や神の住む禁足地(俗に神体山)などでの祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、常設ではありませんでした。沖縄の御嶽(ウタキ)のようなものがその始まりと考えられています。



古い神社には現在でも本殿がないものがあり、磐座や禁足地の山や島などの手前に拝殿があるのみの神社、社殿が全く無い神社もあります。

日本全国には8万社ほどの神社があります。しかしその一方で、宮司は1万人ほどしかいないといわれています。つまり、7万社もの神社は常駐している宮司がいない神社ということになります。

そのため、こうした神社では他の神社で宮司を務めている神職が兼務する形で宮司を務めています。

日本全国に7万社もの無人神社があるということは、実は大半の宮司が一ヶ所だけでなく複数の神社で宮司を兼務していることになります。

例えば神社で厄払いの祈願をするとき、神主は、祝詞奏上の前に、神主自らも祓い、
そして祈願依頼者たる参列者も神主が捧持している大麻(おおぬさ)=祓串(はらえぐし)によってお参りする人の頭上を左右に振って罪、曲事、穢れ等を祓い清められることになります。
端的に言えば、神様の前で穢れがあっては失礼であるといったことからきます。

祈祷とは祈願依頼者の祈願内容を神主が仲を取り持って神様に祝詞を通じて奉告することになります。お祓いと祈祷は神社ではセットということになりますから、選択の余地はありません。

七五三やお宮参りは行っても本殿まで上がって祈祷される方が激減したのも戦後の神道指令、信教の自由の為に新興宗教の出現と氏子の減少が色濃く影響しているでしょう。

日本人と神社は切っても切り離せない縁で太古から繋がっているのです。

この神道指令や信教の自由によって勢力を拡大したのが新興宗教です。"貴方には悪い霊が憑いている"などの除霊はお祓いとよく似ていますがビジネスの範疇に入る新興宗教とも言え、日本人には浸透しやすい似て非なるものでしょう。

宗教法人靖国神社が取り壊しを逃れ戦後の他宗教や新しい日本からその存在を守るために宗教法人となり、英霊の為に在り続けているのです。

舛添の巻添え

2016-05-21 03:48:29 | コラム
舛添氏の「節約」感覚を伝える信じ難いエピソードを都庁関係者が披露する。
「知事に就任したばかりの頃、男性職員に『御馳走する』といって、地元のマクドナルドに誘ったのです。お店の前まで来たときに、知事が自宅にクーポン券があることを思い出し、その男性職員に自宅に行って取ってくるよう命じたのです。職員が取りに行っている間、SPと知事は二人きりでマックの前で待っていたというのです」
このエピソードは、舛添氏の度量を測りかねていた都庁職員の間で、瞬く間に広まったという。
(※週刊文春5月19日号より)

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都知事舛添を理解する上で一番わかりやすいエピソードであるが、私利私欲の強さが如実にあらわれた話でもある。

記者会見では精査するの一点張りだが、何処まで他人事なのだかその資質と資格を疑わざるを得ない。

ネット上やメディアでは疑惑と疑念で都知事としての資質が問われてはいるが、国際政治学者として政界に進出し首長となった時点では充分過ぎる資質は待ち合わせ仕事としては申し分ない人物ではあった。

一般論で語る事が適切かは甚だ疑問が残るが、庶民感覚として2億5千万円を3年で完済する人間はそれだけでも稀有な存在であることは間違いない。

クーポン券を自らが取りに帰ることと、職員に取りに帰らせる事は雲泥の差があることに自身は気付いていなかったのであろう。

そもそもこの時点での公私混同が、公用車の温泉通いや三日月の家族旅行など同じ財テク感覚で公務を務めていた証となって噴出しているに過ぎない。

つまり、何でも一つ上を行く庶民感覚の日本人が都知事になると庶民感覚の都民の嫉妬を買ってしまうのであろう。

この"都知事だから当たり前である"との感覚は誰もが羨む"都知事の椅子に座りたい"という素朴な庶民感覚を具現化しただけのものであり、外交気分で豪遊してしまう信じ難い行動の素因でもある。

一連の公金、都民の金の支出は法的責任は逃れても道義的責任にまで都民は寛容ではないだろう。

旭化成、三菱、スズキ、そして

2016-05-19 00:52:28 | 時事


三菱、鈴木と相次ぐ燃費の不正にメディアの論調は厳しいが、企業イメージに取ってデータの改竄や不正は命取りにもなる重大な要因だ。

しかしながら、車選びの基本はフォルムであり、燃費から選択するユーザーは少ないだろう。
燃費を一番に重要視するのは業務用の車両がほとんどだろう。

車好きにとって、燃費性能のデータと実際の路上の燃費は異なる事は承知の上であるし、年々落ちて行く事、またドライバーの癖やキャリーなど積んでいれば落ちることも十分理解している。

リコール隠しに比べて直接安全性に関わる問題ではないので企業トップにとっては何処か寝耳に水な感は否めないだろう。

三菱の場合はトラックの死亡事故を起こした前輪ハブの不良問題とセットにして報じられ企業体質を問われた。

鈴木自動車は同様の燃費不正と言っても5%以下である。幾つかあるデータの最高値を選択したと言うユーザーにとっては目を瞑る範囲の問題の様な気がする。

では何故マスコミは次々にスポンサーにもなりうる大企業をここまで執拗にたたくのだろうか。
この道義的責任とも思える燃費不正は反日の要素が多分に含まれる気がしてならない。

右傾化と叫ばれナショナリズムが勃興してくると、日本人、日本企業が叩かれるそんな気がしてならない。

現に三菱問題を告発したのは共同出資で開発をしていたニッサン自動車であり、その後三菱を傘下に入れている。外国企業まではいかなくとも海外にも会社のあるグローバル企業である。

老舗三菱自動車は後継者問題すら抱えていた。

終身雇用制度もなくなり外国人労働者は増え続けデフレからは抜け出せない、日本の大企業がどんどん減って行く。

何か大きな力の存在を認識せずにはいられない状態にまで日本が追いやられているのではないだろうか。

メイドインジャパンは世界に誇れる商品、そんな神話が崩され始めている。