天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

小泉首相2006年8.15靖国参拝会見

2017-03-22 09:15:09 | まとめ・資料

【質疑応答】
【質問】 総理、今回はどのような気持ちで参拝されましたでしょうか。
【小泉総理】 これは毎回申し上げているのですが、日本は過去の戦争を踏まえ反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならない。 そして今日の日本の平和と繁栄というのは、現在生きている人だけで成り立っているのではないと。 戦争で尊い命を犠牲にされた、そういう方々の上に今の日本というのは今日があると。 戦争に行って、祖国の為、また家族の為、命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対して、心からなる敬意と感謝の念を持って靖国神社に参拝しております。 今年もこの気持ちに変わりはありません。

 今までの過去5年間の私の靖国神社参拝に対する批判をね、よく考えて見ますと、大方、3点に要約されるんじゃないかと思います。 まず一つはね、中国・韓国は不愉快であると反発しているからやめろという意見。 これはどうですかね、私は日中・日韓友好論者なんです。就任以来、現に中国や韓国との友好交流、様々な分野で拡大を続けております。 そういう中で、どの国ともね、一つや二つ意見の違い、対立あります。 それで、一つの意見の違いがある、不愉快なことあると、それによって首脳会談を行なわないことが良いのかどうかと、私はいつでも首脳会談を行う用意があると言っているんですよ。 しかも、靖国神社参拝を条件にしてね、この参拝をしなければ首脳会談を行うと、するならば首脳会談行わないというのが、果たして良いのかどうか。 私は、これはよろしくないと思っています。

 日本の首相というのは、民主的な手続によって選ばれた首相であります。 日中間、日韓の間には様々な課題もある。私は今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、未来志向で友好を図っていこうと、お互い、相互互恵、相互依存関係、これを深めていこうと、中国の発展、韓国の発展というのは日本に脅威というよりも、むしろ日本にとってもチャンスなんだという事をはっきり表明して、未来志向で友好、交流を進めていこうということを申し上げているんです。 それに対して、私を批判する方、これは、しかし中国が嫌がっていることはやるなと、突き詰めて言うと、中国・韓国が不快に思うことはやるなということでしょ、これについて批判する方をどう思うか。

 もし私が一つの問題で私が不愉快に思う、仮にね、中国・韓国が日本の安保理常任理事国入りに反対しています。 これは日本にとっては不愉快だと、だから私は中国・韓国と首脳会談行わないといったらどちらを批判するでしょう。 私は中国が反対しても、韓国が反対しても、首脳会談いつでも行いましょうと言っているんですよ。 今回もそうですね、私が拒否しているんじゃないんです。という事は、中国の嫌がることは止めなさいというのが靖国参拝批判の一つですね。 中国に不快な思いをさせちゃいけません。中国のいうことを聞きなさい、韓国のいうことを聞きなさい、そうすればアジア外交が上手くいきます。私は必ずしもそうじゃないと思いますね。 一つや二つ、どの国も意見の違いや対立あります、そういうのを乗越えて未来志向で友好関係を進展させていくのが、日本としても他国にしても大事じゃないでしょうか。

 中にはね、小泉はアメリカと親しいと、アメリカのブッシュ大統領が靖国参拝するなと言えばしないだろうと。 そんなことはありません、ブッシュ大統領が靖国参拝するなと私に言ったとしても、私は行きます。 もっともね、ブッシュ大統領はそんな大人気ないことは言いませんけどね。

 もう一つはね、A級戦犯が合祀されているから行っちゃいかんという議論。 これはね、私は、特定の人に対して参拝しているんじゃないんです。この戦争でね、苦しい思いをされ、できれば避けたかった、戦場に行きたくなかった多くの兵士がいるんです。 そういう方々の気持ちを思ってね、何という苦しいつらい体験をせざるを得ない時代に生まれたのだろうかと、そういう犠牲者に対してね、心からやっぱり哀悼の念を表すべきだなと、これ日本の文化じゃないでしょうか。 特定の人がいるから後の人のことは考えなくていいと、一部の、自分では許せない人がいるから、それより圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念をもって参拝するのが何故いけないのか、私はA級戦犯の為に行っているんじゃないですよ。 多くの戦没者の方々に哀悼の念を表す。二度とこのような苦しい戦争をさせてはいけない、そういう気持ちで参拝しているんです。

 それと第3点、憲法違反だから靖国神社参拝しちゃいかんという人がいます。これもね、憲法第19条、第20条、これを良く読んで頂きたい。 私は神道奨励するために靖国神社行っているんじゃありません、今説明したように。 また過去の戦争を美化したり、正当化したりするために行っているんじゃありません。 また軍国主義を称揚する、そういうような気持ちで行っているのではありません。 今申し上げたように、二度と戦争を起こしてはいけないと、戦没者に戦争に行って斃れた方々、こういう方々の犠牲を片時も忘れてはいけないと、そういう気持ちでお参りしているんです。 そして、第19条の思想及び良心の自由はこれを侵してはならない。これどう考えますか、正に心の問題でしょ。これを日本の首相が日本の施設にお参りする、お祈りする、それを、外国の政府もっともだといって、小泉はいかん、小泉を批判する。これが本当に良い事なのかどうか、今の日本の誰にでも許されている自由という問題をどう考えるのか。

 私は伊勢神宮にも毎年参拝しています。その時には何名かの閣僚も随行しています。 別に私は強制していません。そして、皆さんの前で神道形式に則って伊勢神宮に参拝しています。 その時に憲法違反という声起こりませんね。何故なんでしょうか。私はこういうことから、賛否両論あっていいんです、日本は言論の自由認められていますから、今までもこういう事を私は答弁なり、普段の話でしているんです。 今回も全くその同じ気持ちで参拝しているんです。
【質問】 何故、今回、終戦の日の8月15日を選ばれたのでしょうか。
【小泉総理】 これはね、最初、多くの方々が8月15日だけはやめてくれと、様々な方から言ってまいりましたね。そういう方々の意見も聞かなきゃいかんなということでね、敢えて15日を避けて参拝してきました。8月13日、或いは4月、10月、1月と、しかし、8月15日を避けても、いつも批判や反発、そして何とかこの問題を大きく取り上げようとする勢力、変わらないですね。いつ行っても同じです。ならば、今日は適切な日ではないかなと。これから戦没者の追悼記念式典もおこなわれます。私はこれから千鳥が淵の戦没者墓苑にお参りをします。戦没者の追悼式典にも出席します。適切な日だなと判断いたしました。
【質問】 去年、参拝した際は、昇殿をせずに、記帳もしませんでした。今回の参拝では、モーニング姿で、内閣総理大臣と記帳して、昇殿もしたということなんですけれども、その理由についてお聞かせください。
【小泉総理】 今、お話したようにね、今日は戦没者の追悼式もありますし、千鳥ヶ淵の戦没者の墓苑にもお参りしますし、その時にはこの服装で行きますしね、私は、きっちりと昇殿、本殿に参拝した方が、今日は皆騒いでいますから、あのような、去年みたいな形でいくと警備の方も大変でしょ。皆さん、大勢の方々が見えてるしね、そういうことも考えて本殿に参拝するのが適切じゃないかなと思いました。
【質問】 2回目の参拝の時の所感の中では、総理は、終戦記念日やその前後の参拝にこだわって、再び内外に不安や警戒を抱かせることは、私の意に反するとしていました。今日の参拝は、その所感と矛盾するのではありませんか。
【小泉総理】 矛盾しません。それは過去5年を踏まえて、いつ行っても問題にして、混乱にしようとする勢力があるんです。 それは仕方ないんです。そういうことを踏まえて、過去の経験が生きてきたんですね。 いつ行っても参拝に、なんとか争点にしようとか、混乱させようとか、騒ぎにしようとか、国際問題にしようとかいう勢力があるんです。 これに対してね、いけないと言ったって、それは、日本は言論の自由が認められてるんですから、どうにもなりません。 ですから、いつ行ってもこういう騒ぎにしようという勢力があるんですから、8月15日に行っても、適切じゃないかなと。

 また、むしろこだわっているのは、毎回、こだわろうという勢力がいるんですよ、私が、今まで靖国神社の問題も、質問された時以外は答えたことがないんですよ。 自ら、靖国問題をこうだああだと言ったことはなくて、いつも皆さんの質問に答えて言っているわけです。 いろいろな説明や他のことも言いたいんですけれども、一番マスコミが取り上げるのは靖国参拝のことでしょ。 そういうのは、やめた方がいいと言っても聞かないですから、マスコミは。 いつでもこだわっているのはマスコミじゃないでしょうか、或いは、私に反対する方々じゃないでしょうか。 そういうのも踏まえてね、これはいつ行っても同じだなと思いました。
【質問】 来月のご退陣の前に、直接、不戦の誓いと戦没者追悼の意で参拝なさっているんだということを、中国、韓国の首脳と会って、理解を求めるためにご説明する意向はないのですか。
【小泉総理】 今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、その考えを伝えてあります、何回でも。いつでも会えば、中国側が、韓国側が、靖国参拝するなと言えば、いつも、中国側、韓国側の考えと私は違うということを説明している、今、お話したような考えを説明しております。これは平行線です、外交カードにはしないと、一つの条件をつけられて、これに従うか、従わないか、それで首脳会談をする、しないを判断するというのは、私はよろしくないと思っております。私は、これからも中国、韓国と友好的に発展しようと、未来志向でね、考えた方が良いんじゃないかということを、再三、申し上げております。この考えに変わりはありません。
【質問】 今回は記帳されていますが、総理大臣の立場としての参拝ということでしょうか。
【小泉総理】 総理大臣である、人間、小泉純一郎が参拝しているんです。
【質問】 公式な参拝と受け取ってよろしいのですか。
【小泉総理】 職務として参拝しているものではありません。
【質問】 今回の参拝が、総裁選に与える影響についてはどのようにお考えですか。
【小泉総理】 それは総裁候補自体の考え方と、マスコミの皆さんが争点にしたがっている面が強いですから、それいかんでしょうね。
【質問】 改めて、靖国神社に合祀されているA級戦犯の戦争責任については、どうお考えになるか、お願いいたします。
【小泉総理】 それは戦争の責任をとって、戦犯として刑を受けているわけでしょう。それは本人達も認めているし、それはあると思いますが、それとこれとは別です。何回も申し上げているように、特定の人のために参拝しているんじゃないです。戦没者全体に対して、哀悼の念を表するために参拝しているんです。今、言った、主な3点、靖国参拝批判する人、よく考えていただきたい。考えは自由です。

月とスッポン

2017-03-21 08:34:04 | 時事
同じ様に見えても比較にならない程に違いが大きいものの例えであるが、戦後の日本人にはこの違いが認識出来ない人が少なからずいるようだ。


公立中学の元校長と私立幼稚園の理事長で、
共に旭日旗で繋がった教育者である。

丁度一年前に寺井寿男校長(61)が廃駅の金魚を譲り受ける時に校門に一時間だけ紅白幕代わりに旭日旗を掲げ市教委から注意と校長室の旭日旗を撤去させられた。

籠池泰典理事長は生徒に君が代を歌わせ、日の丸旭日旗を振らせ、教育勅語を暗唱させている。

表面的な印象は同じであると見て構わないだろう。公立と私立の違いで立場上日教組を考慮すれば元校長の行為は挑戦者、挑戦的に映る事は頷けるが、理事長の教育姿勢には一点の曇りもない。

彼等を批判、許容しない勢力と擁護し、許容する勢力を対立させて表記しよう。

〈前者〉
左派、マスメディア、日教組、等

〈後者〉
右派、保守、日本会議、等

元校長は旭日旗と"子供を二人産む"の発言の合わせ技で懲戒解雇の話題も出たが定年退職で幕引きとなった。世が世なら教育勅語を読み上げる立場であったのだ。

理事長は日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育て、全ての子供が持っているたくましい生命力と包容力を引き伸ばしていく教育との理念は素晴らしく、教育勅語の暗唱は取り上げるまでのことではない。

ではこれらたいして問題にもならない程度の事が何故問題視、排除されるのか。

戦後軍国主義の排除に伴って忌み嫌われてきたからに他ならない。つまり、流行に流される様に嫌悪感を感じるからとの理由だけなのである。

ではこの二人の違い、月とスッポンとはどんな部分なのだろうか。

一言で言えば、籠池氏の政治利用だ。これから明らかになるだろうが、己の道を貫くのに日本会議を脱退したり、政治家を利用したりと、その行いが教育理念と正反対であり、その夢が破れると徹底した怨みをはらすような行いである。

勿論理事長がスッポンである。

ここで森友学園のツイートを見てそのスッポン具合を示したい。




少なくとも籠池氏は教育勅語の12の徳目のうち
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう。
5.自分の言動をつつしみましょう。
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう。

を実践してはいない。
そして今後、

11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう。

すらも守っていないことが明らかになるだろう。


教育とは己の生き様を見せることではないだろうか、月を見る度に寺井校長の生き様が胸に刻まれる。


天皇、教育勅語、靖国神社vol3

2017-03-20 10:21:31 | 歴史

前号に於いてポツダム宣言を受諾した事に対する無条件降伏の主語は日本軍であり、ポツダム宣言自体は米国の諸条件のついたものである事、というあくまで米国の条件付き宣言であり、それば日本側の条件を包み隠す為の条件であることを示した。

詔にも明記してある「國體は護持された」ことに対して戦後の日本はGHQの意向に逆らわず寧ろそれを利用して今日まで軍国主義として否定してきた。

ご存知の通り軍国主義の否定はポツダム宣言にも明記され、シビリアンコントロールと自衛隊という形を保持し、違憲状態としながらも存続し続けてきた。

GHQの最大限の"成果"は教育勅語を禁止し、国家神道を解体、11宮家を臣籍降下させ、靖国神社を焼き払うか宗教法人とするかの二択とした。

これを基盤として日本人の手によって国民主権を十二分に発揮せしめたのである。

つまり、東京裁判という集団リンチのような報復で処刑された戦犯をヒトラーと同一視することが日本人が日本国民として存続していく足枷とし、
反省として"GHQの成果"を受け入れその意思を組む後継者となることを強いたのである。

それを先導し戦後をコントロールしてきた代表が朝日新聞と言っても過言ではない。

要するに中韓の歴史認識問題こそが戦後レジームであり、その体制、東京裁判史観から脱却しようとする安倍政権に襲いかかっている最後の
"抵抗"が森友騒動であり、最終"目標"が皇室の自然解体にある。

しかも、東京裁判史観の"目標"を阻止出来得る勢力は野党でも与党公明党でも自民党ですらなく安倍政権でしか成し得ないかもしれない。

従って日本の安寧と平和と発展は23日の籠池泰典氏の証人喚問に掛かっていると言っても言い過ぎではないだろう。


天皇、教育勅語、靖国神社vol2

2017-03-19 23:29:45 | 歴史
教育勅語を殊更問題視する勢力が日の丸、君が代にも嫌悪感を抱いていることを前号で示したが、
要するに軍国主義否定に伴った明治期の否定である。

つまり明治維新に伴う近代化、JAPANデビューすら気に食わないのであり、靖国神社と有れども例外無く攻撃される。

これら全ての根源は大東亜戦争にあり、あたかも明治期から8月15日までの日本が敵国であるかの様に全否定しようとする。

当たり前だが日本国民は戦前の日本と決別する事で日本国民の継続を許された。その決別の誓いが占領政策であり、手段が戦争の反省である。

反省とは振り返って考える事であるが、明治期まで否定するのは行き過ぎた思考であり、何かしらの意図を持ってでしか成し得ないだろう。

行き過ぎた解釈にポツダム宣言を無条件降伏であるとする解釈がある。これこそが戦後日本人の欺瞞に満ちた解釈であり、あたかも自らの手で日本を存続し得たかのような誤魔化しである。


日本共産党のプラカードであるが、占領政策をまさに待ち望んだ欺瞞の根源であろう。

ポツダム宣言の草案の第12条には「平和政策を遂行する芽が植え付けられたと確信するならば、これは現在の皇室のもとでの立憲君主制を含むこととする」とある。

トルーマンは草案にあった天皇の地位保全の部分を削除し、日本がポツダム宣言を受諾できないようにするためであり、原爆投下前に日本を降伏させたくなかったといわれる。

8月10日になってポツダム宣言を受け入れるのであるが、それは、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」(国体護持変更の要求を含んでいない、という“条件”のもとにポツダム宣言を受諾する)とする受諾声明を発出する。

つまり終戦の詔にある、 『朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。』

「私は、ここにこうして国体を護持して、忠実で善良な国民の偽りのない心を信じ、常にあなた方国民と共にある。」


國體

國體とは、国の基礎的な政治の原則。事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する

(八木秀次)

天皇、教育勅語、靖国神社vol1

2017-03-19 14:58:42 | 歴史


森友騒動で矢面に立たされているものの一つが教育勅語である。

その勅語を発した玄孫の竹田恒泰氏曰く、この勅語は総理の副署、つまり署名が無いために詔の体を成していないとのことである。

従って著作物、お言葉と理解することが正しい見方のようである。

要するに詔のような強制性が無い家訓の様なものであり、日本人としての心構え、目標を言及されたものと考えれば良いだろう。

ところがこの教育勅語が憲法違反であると尾木直樹氏をはじめとした野党議員つまりは支持母体の日教組の意を汲んだ主張が散見される。

その論旨は「戦後の国民主権の民定憲法の精神や立場に反し、矛盾している」である。これをもって憲法違反と主張する事自体が暴論であり、日教組が敵視する日の丸、君が代、自衛隊に対する戦後の一貫したパラドクスであろう。

教育勅語が1948年の衆参両院で訣別宣言、教育勅語の破棄が確認されたとはいえ、国が公教育に於いて教育勅語を復活させたものでもなく、私学の一保育園、小学校での暗唱が直ちに憲法違反と論じる事自体論理破綻である。

しかも、占領過程でGHQによって禁止され国会で廃止となったのである。

従って最初から訴訟する気などなく、只々憲法違反であると声高に叫ぶことだけが目的であり、教育勅語は"恐ろしいもの"であるとの印象操作でしかないのである。