曇り空広がる山里です。
土曜日の午後から遊びっ放し。

遊び疲れて今日は一人で休む事にしました。
楽しいけれど若い人と遊ぶのはやっぱり疲れますね。

土曜日に近所でイベントがあり、そこで若いオーストラリア人と出会いました。
話をしていると知り合いの若者と共通の友人がある事が判ったようです。

その上その友人が翌日にたまたま遠方からこちらへ遊びに来る事になっていて、また
それを知った彼はぜひ会いたいと云ってしばらく知り合いの家に滞在する事にしたようです。
私たちは翌日の夜遅くまでミュージックパーティーそして昨日はみんなで一日川遊びに参加し、
その後我が家で夕ご飯を食べました。
食後はまたミュージック。
昨日の夜と川原ではインドミュージックを楽しみました。
二人とも同じ楽器を奏でるので知り合ったのもそれがきっかけのようです。
インドのスチールギターだそうですが、私は初めてお目にかかりましたね。
4つの音色が響く楽器だと言います。
ゆっくりとしたインド調は流れる川の波動にピッタリで、そこに居たみんながスゴくハッピーな気持ちになりました。
が、久しぶりにミュージック三昧の日々で楽しかったけど少し疲れたかもしれません。
年かな?
それを云うにはちょっと抵抗が・・・・
でもね、以前は仕事も今より沢山していたし、月に一度の音楽会を主催したり、
毎月誰かの誕生会をして賑やかに暮らすのが常だったんです。
それが去年の腰痛をきっかけにすっかり静かな暮らしへと移行しましたね。
この頃では沢山の人に出会うだけで人疲れがするようにな気がする。
一人が好きな気持ちがどんどん強くなってます。
一人暮らしは気楽です,でも淋しいと云う方も居られるようですが、
淋しさはどんな状況でも産まれるものですし、
二人暮らしに付きものの面倒くささは絶対ですよね。
面倒臭さも始めは楽しいものですが、長く居るとどうしてそう思うようになるんでしょうか?
愛情が稀薄になるのかね?
けれどもこの面倒くさい仕事をこなせばミュージックパーティーで疲れるまで遊んだり、
楽しいハプニング満載のこの人生を楽しめるんです。
もしかしたら、,
結婚は仕事なのかもしれません。
仕事であれば多少の事は堪えて同調指向を持った方が良いに決まってますよね。
結婚が契約だとしたら
子孫を残す事を選ばなかった私たちに残された仕事は仕事は何なのでしょうか。
あら嫌だ、
私ったら今までこんな風に物事を考えた事がなかった気がします。
文章を書きながら、急に気がつきました。

今までは人間対人間の立場での関係性に注目ばかりしていたような気がします。
千差万別の考え方が存在するのですから、
今からは契約としての関係性に注目して見るのも良いかもしれません。
つまりは考え方を変えるって事ですかね。
このアイデアを熟考してみたいです。
今回出会ったオーストラリア人の男性は
1988年生まれの27歳でした。
あなたの産まれたその年に私たちは出会ったのよって云ったら、
88年って素晴らしいことの起こる年だったんだねって、
冗談ぽく云って微笑んでいましたわ。
欧米人らしい応えですね。
しかし時は経ち、
27年も一緒にいるとね、いろいろ有りますよ。
実は楽しい時のその一瞬の合間に激しい衝突がありました。
非日常の時間の中でいつもとは違う波動をよく思ったり思わなかったりしているのでしょうか?
あまり考えないようにします。
文章を書きながら気がついた事に注目して生きましょう。
今日は愚痴の様な気づきの様な徒然なる思いのままに書いてます。
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土曜日の午後から遊びっ放し。

遊び疲れて今日は一人で休む事にしました。
楽しいけれど若い人と遊ぶのはやっぱり疲れますね。

土曜日に近所でイベントがあり、そこで若いオーストラリア人と出会いました。
話をしていると知り合いの若者と共通の友人がある事が判ったようです。

その上その友人が翌日にたまたま遠方からこちらへ遊びに来る事になっていて、また

それを知った彼はぜひ会いたいと云ってしばらく知り合いの家に滞在する事にしたようです。
私たちは翌日の夜遅くまでミュージックパーティーそして昨日はみんなで一日川遊びに参加し、
その後我が家で夕ご飯を食べました。
食後はまたミュージック。
昨日の夜と川原ではインドミュージックを楽しみました。
二人とも同じ楽器を奏でるので知り合ったのもそれがきっかけのようです。
インドのスチールギターだそうですが、私は初めてお目にかかりましたね。
4つの音色が響く楽器だと言います。
ゆっくりとしたインド調は流れる川の波動にピッタリで、そこに居たみんながスゴくハッピーな気持ちになりました。
が、久しぶりにミュージック三昧の日々で楽しかったけど少し疲れたかもしれません。
年かな?

でもね、以前は仕事も今より沢山していたし、月に一度の音楽会を主催したり、
毎月誰かの誕生会をして賑やかに暮らすのが常だったんです。
それが去年の腰痛をきっかけにすっかり静かな暮らしへと移行しましたね。
この頃では沢山の人に出会うだけで人疲れがするようにな気がする。
一人が好きな気持ちがどんどん強くなってます。
一人暮らしは気楽です,でも淋しいと云う方も居られるようですが、
淋しさはどんな状況でも産まれるものですし、
二人暮らしに付きものの面倒くささは絶対ですよね。

面倒臭さも始めは楽しいものですが、長く居るとどうしてそう思うようになるんでしょうか?
愛情が稀薄になるのかね?
けれどもこの面倒くさい仕事をこなせばミュージックパーティーで疲れるまで遊んだり、
楽しいハプニング満載のこの人生を楽しめるんです。
もしかしたら、,
結婚は仕事なのかもしれません。
仕事であれば多少の事は堪えて同調指向を持った方が良いに決まってますよね。
結婚が契約だとしたら
子孫を残す事を選ばなかった私たちに残された仕事は仕事は何なのでしょうか。
あら嫌だ、
私ったら今までこんな風に物事を考えた事がなかった気がします。
文章を書きながら、急に気がつきました。

今までは人間対人間の立場での関係性に注目ばかりしていたような気がします。
千差万別の考え方が存在するのですから、
今からは契約としての関係性に注目して見るのも良いかもしれません。
つまりは考え方を変えるって事ですかね。
このアイデアを熟考してみたいです。
今回出会ったオーストラリア人の男性は
1988年生まれの27歳でした。
あなたの産まれたその年に私たちは出会ったのよって云ったら、
88年って素晴らしいことの起こる年だったんだねって、
冗談ぽく云って微笑んでいましたわ。
欧米人らしい応えですね。
しかし時は経ち、
27年も一緒にいるとね、いろいろ有りますよ。
実は楽しい時のその一瞬の合間に激しい衝突がありました。
非日常の時間の中でいつもとは違う波動をよく思ったり思わなかったりしているのでしょうか?
あまり考えないようにします。
文章を書きながら気がついた事に注目して生きましょう。
今日は愚痴の様な気づきの様な徒然なる思いのままに書いてます。

