目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

この時期だからこそ読みたい詩「平和の詩」

2018-08-09 | 日記


十四歳が読み上げた平和の詩の存在を知りました。

素晴らしい詩です。

涙無くしては読めません。



詩に感動して流す涙に

母の死や、翁長知事の死で傷んだ心が癒された気がします。





生きる 浦添市立港川中学校3年 相良 倫子



私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。



私は今、生きている。



私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。



私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。



ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。



私はこの瞬間を、生きている。



この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。



たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ



私の生きる、この今よ。



七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃え尽くされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。



みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合っ

て生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの

日々を。



摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島

の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。



私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争

を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を超え、あらゆる利害を越えて、平和

である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。



あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。



今を一緒に、生きているのだ。



だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだとい

うことを。



私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。



大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。



これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。



摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。





■14歳が読み上げた「平和の詩」の反響広がる 著名人も絶賛ツイート



■「今を、生きていく」 相良さん、平和の詩朗読


■「命輝かせ生きる」 平和の詩 相良さん(港川中)思い語る



■児童・生徒の平和メッセージ、全戦没者追悼式で朗読 相良さん(詩部門)最優秀 図画部門は志慶眞さん





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翁長知事のご冥福をお祈り申し上げます。

2018-08-09 | 日記
私の母に続いて、沖縄の翁長知事がお亡くなりになられました。

沖縄のために、平和のために、

命をかけて政治に取り組んだ方でした。

尊敬という言葉に値する生き方を貫いた方でした。

沖縄の人々が彼の思いを心に刻んで沖縄の自然を守ってくださいますよう、

心より願います。

私にできることはただ祈ることしかありません。

力足らずで申し訳ありません。



私の好きなブログのひとつ、「思索の日記」の

今日の記事

書いてあることに全く同意見です。

拡散させていただきます。


抜粋ー個人の自由と責任ー精神的自立を育てつつ生きないと、人間の生、価値ある人生にはなりません。

水の国=日本の新生は、民主的な人間関係と社会をつくる一人ひとりの日々の生き方にこそあるはずです。

上位下達と忖度とは無縁の手強い個人が優れた社会をつくるのです。これは原理です。ー

心より翁長知事のご冥福をお祈りします。






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母が亡くなりました。

2018-08-09 | 日記
八月二日、夜九時過ぎに母が亡くなりました。

三日に出かける予定にしていましたが、

間に合いませんでした。


二日は退院してきた家人が近くの病院でリハビリを受ける予約を入れていた日で、

それが済んでから出かけるつもりだったのです。


葬儀は四日の日に執り行われ、

その日のうちに母は灰になってしまいました。


あっという間の出来事で

悲しんでいる暇もありません。

葬式後にはすぐに弟夫婦が相続の話を持ち出すなど、

色々と現実の問題ばかりが浮き彫りになり、

母を偲ぶ会も散々でした。

父の時や妹の時には

まだ母が残っていたので何も問題なく葬儀を終えましたが、

家や土地などの名義人が亡くなってしまうと

後でこんなに面倒なのでしょうか。

全てが想定外の進行でびっくりしています。

いっそのことすべてを放棄して

もうあの家とは関係を切ってしまおうかとも考えます。

自分は遠く離れて気ままに暮らしていたので

実家の家族にあんなにいろいろな問題が発生していることを少しも知りませんでした。

これからのことが思いやられます。

兄弟三人が残り。

上と下の男兄弟が喧嘩状態なのです。

心が痛みますよ。

どうか仲良く暮らして欲しいです。


母が亡くなって悲しんでいる暇もないのです。

何てことでしょう。




こちらに帰ってきたら

もうひぐらしの声が聞こえなくなっていました。

夏は終わったのか?

まだ相当暑いけど。。。。。





今日は立秋。

九十一歳の人生を生きた母の亡骸に別れを告げ、

その冷たくなった頬に触れて「産んでくれてありがとう」と

感謝の言葉を捧げました。


今は実家のことで

喧嘩別れの実情を調べたり、手紙を書いたり電話をかけたりと、

結構な時間を割いています。

何より頭の中の大半を実家の騒動が占めるようになってしまいました。

困りますね。

平和的解決をするために

私は何から始めたらよいのでしょうか。


平和的解決のための仕事がお母さんへの最後の恩返しとなるのでしょう。

私的にも兄弟仲良くが理想ですからね、

やるしかないでしょう。





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