役行者
2018-08-14 | 日記
昨日、病院からの帰り道でゲリラ豪雨と呼んでもいいほどの
強烈な雨に出会いました。
ワイパーをフルに稼動させてバシバシと窓をぬぐったのですが、
それさえ間に合わないくらいの激しさでした。
怖くなって道路脇に車を止めてしまったくらいです。
雷が頭上に鳴り響き、ドロドロっと空を揺るがすその音に身を縮めました。
休んだのはわずか十五分くらいのことだったでしょうか。
辺りは薄暗く、雨とともに気温が十度以上下がっています。
しばらくエンジンを止めて雨が弱くなるのを待っていると
家人がポツリとこう言い出しました。
そういえばこの近くに、前から興味を持っていた岩があるんだ、そこへ行ってみよう。
その岩のことは確かに前に話していたのを覚えていたので、
雨が弱くなってからその岩の見える場所へ移動しました。
行ってみるとその岩は地面からほとんど垂直に立っていました。
なるほど見事な岩壁で、
幅もなかなか、半端無い広さです。
自然が作った垂直の岩壁の真ん中辺り、
少し左寄りに割れ目がありました。
そこに猫の額ほどの平らな場所が見えて、
誰が置いたのか
石作りの灯篭が置かれているのです。
自然が作った切り立った岩の表面に
それだけが人間の手による造形物でした。
誰が、いつ、どういうわけで、またどのようにして
あそこに石灯籠を置いたのでしょう。
それが石灯籠ということは、かつて一度でも
あそこにお灯明が灯ったことがあったのでしょうか?
その光景はなんとも心惹かれるものでした。
家人は梯子がかけてあったのかもしれないと言いました。
その可能性も大いにあるでしょう。
灯篭の存在がこの岩がただの岩ではないことを物語っています。
弱くなったとはいえまだ雨は降り続いていました。
見ると岩を見渡す道の端に立て札が立っていて、
そこに「役行者」と書いてありました。
看板の下に小さな字で何か書いてありましたが、
雨が降って寒いのと、
まだ空には雷がとどろいてあたりも薄暗いのとで
読む気はすっかり失せていました。
どうやら役行者のゆかりの地らしい、ということが分かっただけで
満足してしまった私たちだったのです。
気持ちの中に、
後でネットで調べればきっと詳しくわかるだろうと、
そんなネット依存の症状があったのですね。
この前の岩を掘って道を作ったという「掘割」に関しても
ちゃんと調べてネットに載せている人がいたのです。
おかげでその経緯がよくわかり、人の手の偉大さに感動したばかりだったので、
きっとまた何か面白い話が待っているだろう、と
期待さえしていました。
そんなわけで帰宅した私は
早速その町のホームページを訪問しようとしました。
ところがです。
その町はホームページを作っていなかったのです。
げ、げ、なんとこの時代にホームページを作らない町があるんだね。
それが驚きでした。
と同時に、
それはあえて作らないでいるのか?
それとも面倒だからなのか?
理由を知りたい気持ちが湧きますよね。
知りたいわん。
役行者所縁の地、で何か見つからないか?
そう思ってネットの世界を探しまくりました。
でもあそこの役行者に関することは何も見つかりません。
謎に包まれています。
あの看板の小さい字の方も読むべきでした。
今度あそこを通る時には立ち寄って写真も撮ってまいりましょう。
反対にネットでわかったこともありました。
愛知県は尾張地方にも三河地方にも
役行者の石象がたくさん見られるのです。
ある像はお寺の境内に、
ある像は神社の片隅に、
ある像は路傍にと、
あちこちにその石像が祀られています。
これは一体どういうことでしょう。
実は還暦をとうに超えた私の時代の人間でも
学校で役行者の関しては何一つ習ったことがありませんでした。
私たち日本人は
役行者の信仰や庚申信仰などの民間信仰と呼ばれるものを
信じ敬ってきたのではないでしょうか。
そのことを現代の日本人はすっかり忘れてしまいました。
私だって今の今まで役行者がこうも人々に愛され祀られてきたのか、
全く知らなかったのです。
それは何故でしょう。
思い当たったのは、明治時代の政策です。
時の明治政府は天皇を現人神と据え置き、日本の神はこの筋のものだけと決めたのです。
明治以前の日本人はありとあらゆるものと言っては大げさですが、
八尾万津の神々を信じて祀る民でした。
天照大神だけが神ではなかったはずです。
聞けば
初詣の儀式さえ神社だけに詣でるように作られた風習のようです。
よくよく考えをめぐらせると、
私が日本人として教育されたきた姿は
日本古来の日本の民とは別の人間像なのかもしれませんね。
考えれば考えるほどそんな気がしてきます。
明治政府がこの国にしたことは
取り返しのつかない悪事だったのではないでしょうか。
その明治時代に戻ろうとするかのような政府が
二十一世紀に存在します。
これは困ったものですね。
その昔夏目漱石の小説を読んだ時に
明治の人間の気質なようなものを素晴らしいと感じ入りました。
でもそれは、
実は明治以前に幼少期を送った人だったから持ち続けていた
古き良き時代の日本人気質だったのでしょうね。
今はそう思います。
人間の持つ心のおおらかさ、暢気、純粋さを
持ち続けている人の割合が多かった時代です。
古いタイプの日本人が
まだ国民の半分いた時代。
だからまだ良かったけれど今の日本はどうでしょう。
国民の四分の3は戦争を知らない人たちになってしまいました。
戦後育ちばかりのこの日本とは
確実に違うはずです。
明治はまだ今よりはいい時代だった気がします。
こうしていつの間にか役行者は
私をはるかな思考の旅へと導いてくれたようです。
突然のゲリラ豪雨と、雷と役行者。
お盆の始まりになんだか楽しいエピソードではないでしょうか。
待望の雨が降り始め、以来毎日降ってます。
これはこれで困るのよ。
お天道様にはなんとかしていただきたいものですわ。
強烈な雨に出会いました。
ワイパーをフルに稼動させてバシバシと窓をぬぐったのですが、
それさえ間に合わないくらいの激しさでした。
怖くなって道路脇に車を止めてしまったくらいです。
雷が頭上に鳴り響き、ドロドロっと空を揺るがすその音に身を縮めました。
休んだのはわずか十五分くらいのことだったでしょうか。
辺りは薄暗く、雨とともに気温が十度以上下がっています。
しばらくエンジンを止めて雨が弱くなるのを待っていると
家人がポツリとこう言い出しました。
そういえばこの近くに、前から興味を持っていた岩があるんだ、そこへ行ってみよう。
その岩のことは確かに前に話していたのを覚えていたので、
雨が弱くなってからその岩の見える場所へ移動しました。
行ってみるとその岩は地面からほとんど垂直に立っていました。
なるほど見事な岩壁で、
幅もなかなか、半端無い広さです。
自然が作った垂直の岩壁の真ん中辺り、
少し左寄りに割れ目がありました。
そこに猫の額ほどの平らな場所が見えて、
誰が置いたのか
石作りの灯篭が置かれているのです。
自然が作った切り立った岩の表面に
それだけが人間の手による造形物でした。
誰が、いつ、どういうわけで、またどのようにして
あそこに石灯籠を置いたのでしょう。
それが石灯籠ということは、かつて一度でも
あそこにお灯明が灯ったことがあったのでしょうか?
その光景はなんとも心惹かれるものでした。
家人は梯子がかけてあったのかもしれないと言いました。
その可能性も大いにあるでしょう。
灯篭の存在がこの岩がただの岩ではないことを物語っています。
弱くなったとはいえまだ雨は降り続いていました。
見ると岩を見渡す道の端に立て札が立っていて、
そこに「役行者」と書いてありました。
看板の下に小さな字で何か書いてありましたが、
雨が降って寒いのと、
まだ空には雷がとどろいてあたりも薄暗いのとで
読む気はすっかり失せていました。
どうやら役行者のゆかりの地らしい、ということが分かっただけで
満足してしまった私たちだったのです。
気持ちの中に、
後でネットで調べればきっと詳しくわかるだろうと、
そんなネット依存の症状があったのですね。
この前の岩を掘って道を作ったという「掘割」に関しても
ちゃんと調べてネットに載せている人がいたのです。
おかげでその経緯がよくわかり、人の手の偉大さに感動したばかりだったので、
きっとまた何か面白い話が待っているだろう、と
期待さえしていました。
そんなわけで帰宅した私は
早速その町のホームページを訪問しようとしました。
ところがです。
その町はホームページを作っていなかったのです。
げ、げ、なんとこの時代にホームページを作らない町があるんだね。
それが驚きでした。
と同時に、
それはあえて作らないでいるのか?
それとも面倒だからなのか?
理由を知りたい気持ちが湧きますよね。
知りたいわん。
役行者所縁の地、で何か見つからないか?
そう思ってネットの世界を探しまくりました。
でもあそこの役行者に関することは何も見つかりません。
謎に包まれています。
あの看板の小さい字の方も読むべきでした。
今度あそこを通る時には立ち寄って写真も撮ってまいりましょう。
反対にネットでわかったこともありました。
愛知県は尾張地方にも三河地方にも
役行者の石象がたくさん見られるのです。
ある像はお寺の境内に、
ある像は神社の片隅に、
ある像は路傍にと、
あちこちにその石像が祀られています。
これは一体どういうことでしょう。
実は還暦をとうに超えた私の時代の人間でも
学校で役行者の関しては何一つ習ったことがありませんでした。
私たち日本人は
役行者の信仰や庚申信仰などの民間信仰と呼ばれるものを
信じ敬ってきたのではないでしょうか。
そのことを現代の日本人はすっかり忘れてしまいました。
私だって今の今まで役行者がこうも人々に愛され祀られてきたのか、
全く知らなかったのです。
それは何故でしょう。
思い当たったのは、明治時代の政策です。
時の明治政府は天皇を現人神と据え置き、日本の神はこの筋のものだけと決めたのです。
明治以前の日本人はありとあらゆるものと言っては大げさですが、
八尾万津の神々を信じて祀る民でした。
天照大神だけが神ではなかったはずです。
聞けば
初詣の儀式さえ神社だけに詣でるように作られた風習のようです。
よくよく考えをめぐらせると、
私が日本人として教育されたきた姿は
日本古来の日本の民とは別の人間像なのかもしれませんね。
考えれば考えるほどそんな気がしてきます。
明治政府がこの国にしたことは
取り返しのつかない悪事だったのではないでしょうか。
その明治時代に戻ろうとするかのような政府が
二十一世紀に存在します。
これは困ったものですね。
その昔夏目漱石の小説を読んだ時に
明治の人間の気質なようなものを素晴らしいと感じ入りました。
でもそれは、
実は明治以前に幼少期を送った人だったから持ち続けていた
古き良き時代の日本人気質だったのでしょうね。
今はそう思います。
人間の持つ心のおおらかさ、暢気、純粋さを
持ち続けている人の割合が多かった時代です。
古いタイプの日本人が
まだ国民の半分いた時代。
だからまだ良かったけれど今の日本はどうでしょう。
国民の四分の3は戦争を知らない人たちになってしまいました。
戦後育ちばかりのこの日本とは
確実に違うはずです。
明治はまだ今よりはいい時代だった気がします。
こうしていつの間にか役行者は
私をはるかな思考の旅へと導いてくれたようです。
突然のゲリラ豪雨と、雷と役行者。
お盆の始まりになんだか楽しいエピソードではないでしょうか。
待望の雨が降り始め、以来毎日降ってます。
これはこれで困るのよ。
お天道様にはなんとかしていただきたいものですわ。