目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

前澤友作さんを楽しみに応援しています。

2018-08-27 | 日記
最近、ネットの世界を何かと騒がせているカップルがいますね。

剛力彩芽さんと前澤友作さんです。

剛力さんも前澤さんも

私はお二人のことを全く知りません。

テレビもないので彼女のドラマも何もネットの写真以外その姿を見たことがありません。

ましてや前澤さんのことなんて興味もないし、全く知りませんでした。

ところがその二人が交際を始め、

そのことをSNSを使って公表した頃からネットのニュースでよく二人のことを目にするようになりました。

私にとって、

知らない誰かと誰かが仲良くすることに何の興味もないのですが、

この二人は大金持ちと女優ということで

大騒ぎになっているようです。

周りの人が忠告したり、先行きを心配したり様々な意見があるようですね。

でも私は彼女が本当に幸せなら

どんどん幸せをアピールしていってよろしいんじゃないかと思います。


それとなにより、興味を持ったのは

前澤さんの発言です。

ある記事の中で彼はこう言ってます。

「僕はお金のない社会になればいいと思っている」

そうなんですね、この点は私と一緒なので同志を得たりの気持ちなのです。

これが記事を書こうと思ったきっかけです。

この人は人一倍お金を持っていて

買えないものはないほどの大金持ちなのに、

お金がない社会を望んでいるらしい。

うれしいじゃないですか。

もうかなり前から現在の資本主義のあり方に疑問を感じ、

資本主義の終末期を迎えていると思っています。

でも私たちは未だに

次に来る主義のためのアイデアのかけらも持っていません。

資本主義が崩壊したら次はどんな社会になるのか?

資本主義が次の主義に変わるためには

様々なアイデアが必要なのです。


ところが資本主義の社会で勝ち組になった大金持ちは

新しい主義になったら今の自分の地位が脅かされると思うのか、

どうもお金のない社会を望まない人が多いようですね。

パワーを失いたくないのです。

金のパワーを持った人間が世界を動かしている以上

変化は望めません。



アイデアがなければ次に進むことがなかなか難しい人間社会の中で

やっと一人の大金持ちが

一つの夢を口にしてくれました。

「僕はお金のない社会になればいいと思っている」

発言してくれてありがとう前澤さん。



お金のない社会には愛が貨幣の代用となる、といった人がいます。

それはどういう意味でしょうか?


一人一人が考える必要があります。

お金のない社会なんて本当にできるのだろうか?

お金のない社会ではどんな風に人は暮らしていくのか?



影響力のある前澤さんが

お金のない社会に興味を持っていると

社会に向かって発信してくれることは素晴らしいと思います。

もっとみんなでお金のない社会について話すきっかけになればいい。。。。



きっといいアイデアが浮かぶと思います。

剛力さんとのハッピータイムも

大いに公表したらいいと思います。

幸せな人が、幸せをそのまま楽しんで人を幸せにする、

人はそれを一緒に喜べる社会になって欲しいです。

また最近父親になったりゅうちぇるという男の人。

この人のこともネットの写真しか知らないのです。

でもこの人は気持ちがまっすぐな人だなって気がします。

刺青を入れたことで色々と非難されているようですが、

彼の言うことに共感します。

様々な価値観が許容され、偏見を持たない社会であって欲しいのです。

刺青に対する考え方だって、

そろそろ変えた方が良い時期ではないでしょうか。

ワールドカップでも多くの選手が刺青を入れているのが垣間見えました。

刺青は悪の印のような考え方は非常に

了見の狭いものだと思いませんか。

リュウチェルさんに対しては、

公表して良い仕事を取り損なったなどという記事も読みました。

が、信念を持って自分でしたことに責任を持ち、

金のために信念を曲げない人こそが

これからの世に必要なのです。

内緒で刺青を入れて、

良きパパのふりをしてベビー用品のコマーシャルに出て大金を稼ぐ。

金が第一の世の中ならそれが利口な生き方でしょう。

でも彼はそんな生き方を選ばないと思います。


これからは金のために生きるのはやめましょう。

リュウチェルさんは実に立派だと思いました。

自分の父親も自分が生まれた時に背中に龍の刺青を入れたと話していますが、

父親が刺青を入れたことを

恥ずかしいとも嫌だとも思わず、それを誇りに思っていることがすごいです。

とても素直な人で、その理由を受け入れて肯定的に捉えています。

そこが他の人にはなかなかできないことだと思いませんか。

彼が日本の芸能界でどんなスタンスで生き残っていくのか先はわかりませんが、

金のためならどんな嘘もつくようなタレントにはなってほしくありませんね。


ありのままの姿が受け入れられる世の中になって欲しいものです。



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水出し緑茶/悪くない

2018-08-27 | 日記
残暑が厳しいですね。

お見舞い申し上げます。

今日は水出し茶の話を書いておられるブログを発見しました。

それで私も以前は水出し烏龍茶を飲んでいたことを思い出したのです。

そうそう、

お水で出したお茶はとても美味しいのですよ。

思い出したわ。

私が水出し烏龍茶を飲んだのは

タイの島に長期滞在していた頃の事です。

二十年以上も毎年タイの島に通ったのよ。

いつも二、三ヶ月の滞在でした。

楽しかったわね、あの頃。

バンガロー暮らしの唯一の欠点は火が使えないこと。

持参のお茶の葉もお湯がなければね、宝の持ち腐れはないですか。

初めはそう思いました。

でもある日、そうだ水で出してみようと閃いて

やってみたらとても美味しいお茶ができちゃった。

何でもやってみるものね。


それからはもう水出し茶は毎日の楽しみとなったのです。

私はお茶が大好きなんです。

中でも一番好きなのはやっぱり緑茶。

でも水出しは烏龍茶も美味しいです。

烏龍茶は水出しの方が美味しいかもしれません。

ほんの少しの茶葉を多めの水でゆっくりと抽出すると

まろやかに美味しいし、その上経済的です。

私たちは朝食後にお茶の用意をし、

三時の食後にいただきました。

注、三時は私たちのお昼です。


三時間以上かけて出す水出し烏龍茶のイメージがあったので、

緑茶はどんなものかと早速用意してみました。

まずはいつものお茶の葉の量で

いつもの三百CCの急須に水を入れてそのまま放置。

ちょっとそこまで出かけてきました。

帰ってから飲んでみるとしっかり緑茶の味が出ていましたね。

渋みもしっかり。。。。

すっきりと美味しいです。

水出し、いいですね。

お湯があるのがあまりにも当たり前になっていて、

水で出すという方法をすっかり忘れていました。

暑い時に熱いお茶が美味しいのよ、なんて言って

いきがってたかな。

今年のような暑い夏は、

冷たいお茶が良かったと思います。

でもまだまだ暑いので

思い出したこの方法で冷たいお茶をしばらく楽しめそうです。

良かったー。

多分緑茶もほんの少しの葉っぱでゆっくりと抽出する方法が美味しいような気がします。

明日はそれを試してみよう。




暑くて伸びきっているスージー。

この間転んだ時に思いっきり膝を打ち付けた障子の敷居。

ちょうどこの板の上に膝頭が当たるように絶妙の距離で何もないのに蹴躓く。

誰が私を転ばしたのよって話です。

その時に負傷した膝小僧がようやく新しい皮膚で覆われました。

ほぼ完治。

子供の頃、膝小僧の傷は年中でした。

お転婆だったのです。

どうやら今もあまり変わっていないようで。。。。。とほほ。





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箒プラス雑巾

2018-08-27 | 日記
こんにちは

家人のリハビリの付き添いから戻ったところです。

相変わらず暑いし、

三時を過ぎるまで外仕事は無理でしょう。

お昼休みにしましたの、そこでおしゃべり。うふふ


この前に書いた掃除の話ね、

箒で掃除、感心なことに毎日続けています。

箒でさっと掃くのって簡単ですよね。

毎日の運動みたいになってます。

毎日掃いても埃が集まるってすごいですよね。

古い家ですから埃っぽいし、猫が複数住んでますの。



集めているゴミの種類や量が目で見えるってことも

掃除心を掻き立てる要因かもしれませんね。

掃除機だと見えないでしょ。

紙パック式に比べれば

サイクロン式になってからはゴミの目視化が少しは進んだけれど

やっぱり毎朝この目で直視すると違います。

それに何より、

掃除しやすいように物を床に置かなくなりました。

今は家人がほとんどベッド生活なので

部屋を散らかすのは私一人です。

自分が片付けるのも全て自分がしたことなので

できるだけ速やかに片付けるようになりました。

散らかさないように意識してます。

以前は自分を棚に上げて

全部相手がしたことのように責任転嫁し、

現実逃避していたことに気がつきました。

何しろ、自分がやった認識がなければ

それは相手がやったに決まっている、という強固な理論を盾に取り、

自分がやって忘れてしまった失敗ごとも

全て相手のせいにして怒って気分を解消していたのです。

ひどい話。

他人のせいにして怒っていれば自分の行いに気がつかないで時がやり過ごせるでしょ。

そうして忘れていってしまうので

いつまでも学べません。

ものすごい自己中、というかバカですよね。

告白するのも恥ずかしい。


自己中を自分から披露してました。

私自己中です。

それが看板。

そんな私でしたから、

今は自分の行いに気がつくためにいろいろなことが起きているような気がしています。

自己中の実がついに熟しかけてきたのでしょうか、





何はともあれ、

そんなわけでホウキ掃除の始まりは

私にとても深い認識を与えてくれる良き作業の始まりとなっております。

今のところ。



ホウキ掃除ってなかなか優れた作業です。

なんとなく禅っぽい。

できるなら箒プラス雑巾ができるようになりたいです。

雑巾がけも素晴らしい。

永平寺の坊さんが毎朝お寺の廊下を雑巾掛けしている写真を

どこかで目にしたことがあります。

以前にはわからなかった、

雑巾がけをする意味がやっと少しわかってきて、

あのシーンを見るこちらの心境が

大いに違っているのを感じます。

ちょっとは成長しているかしら?



日本の昔ながらの暮らし方に共感して

それを踏襲しようとしている外国人の人の動画を見ましたが、

私の気持ちもどんどん彼女のそれに近づいていくような今日この頃です。

ワタシが日本に住む理由 | BSジャパン


どれだけ出来るのかわかりませんが、

ホウキに雑巾掛けが加わればもっと気持ちが楽になる、

そんな気がします。



今日はこの間川に行った時に見た、魚影をお見せします。





三メートルくらいの高さの岩の上から下を見下ろすと、

三十センチほどの大きな魚が泳いでいるのが見えました。

肉眼ではもっとはっきりと見えたけれど私のカメラの性能ではこれが精一杯。

水深は三メートルくらいありそうです。

山の奥の渓流です。

おそらくヤマメでしょう。

主かと見紛う大きさです。

滅多に出会えないお姿ですよ。







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