標記本の112ページに、可憐な<茶の花>を描いた「霜香」の図が載っている。
そして、ここには、こんな特異な色彩感覚に満ちた短文が添えられていた。
道の辺の馬糞に燃ゆる
紅梅の思は消へて
白にも黄にも覚束なき
茶の花の我世は
淋しかりけり
「我世」とは誰のことか、芋銭のことか、いや、違うかもしれない。ここではそれはひとまず措く。
それにしても、「馬糞に燃ゆる紅梅の思」とは何だろう。
ひょっとすると、この表現には何か出典があるのでは、と思って探っていくと、実は蕪村に、こんな句があることに気づいた。
紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞
しかも、「白にも黄にも覚束なき茶の花」にも典拠があった。これも蕪村だった。
茶の花や白にも黄にもおぼつかな
芋銭が、上記のこんなに短い文章を構成するのに、ここに掲げた蕪村の二つの句を変形し、組み合わせて書いていたとは驚きだが、その事実は否定できないだろう。
芋銭の書く、一読してちょっと特異な感じで、意味が判然としない不思議な感覚の文章や語句には、時々、このような「典拠」が見出されることがあるのだ。
『草汁漫画』にはこういう<謎>が結構隠されているので、それらを発見していくことも、この『漫画』を読む楽しみの一つとなるのである。
さて、次に、ここに出てきた芋銭における<茶の花>のイメージを探ってみよう。