美術の学芸ノート

中村彝などの美術を中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、つぶやきやメモなど。

島根県立美術館のシニャック

2015-06-29 14:41:05 | 西洋美術

 島根県立美術館のシニャック作「ロッテルダム、蒸気」は、新印象派関係の展覧会があるたびにしばしば貸し出されている油彩画であるから、よく知られているだろう。
 
 同館の目玉作品の一つと言ってよいかもしれない。ネットで検索すれば画像もすぐに見られ、解説も読める。ここにそれと同じようなものを書いても面白くないだろうから、違うことを書く。
 
 私がこの作品に興味を持ったのは、茨城県近代美術館に同じシニャックの「ロッテルダム」(1906)という水彩画があるからである。

 二つの作品を比べてみる。

 画面左下の突堤と二本の棒杭、三艘の小舟のモティーフ、次に画面前景中央部よりやや右側の小舟は、茨城県の水彩と画面上の位置を含め、ほとんど同一である。
 
 それから画面上の位置は違うが、島根のシニャックの対岸寄り右側に描かれている大きな船のモティーフも、茨城の水彩画の画面中央部上方左側に認められる。

 その他様々な船が行き交い、対岸で煙を吐いている活気のある風景の雰囲気は、島根と茨城の作品に何らかの関係があることを示している。

 ただ非常に違うのは、島根の油彩画の画面上方部左側に見られる構図のポイントとなる橋のモティーフである。

 この橋のモティーフ、欧米語なら実は複数形で表現されなければならないところだ。
 日本語の解説書をすべて読んだわけではないが、このことは、あまり気づかれていないらしい。私も調べてみて初めて気づいた。

 すなわち、二つの橋が重なって描かれているのだ。目立つアーチ形の橋は、鉄道橋であり、その手前にウィレムスブルグという歩行者や車両用の橋があった。

 今、「あった」と過去形で書いたのは、これらの橋はナチス・ドイツに破壊され、今はないからだ。現在ロッテルダムにあるウィレムスブルグは、戦後に建設されたものである。
 
 島根県立美術館のシニャック作品が描かれた視点を探っていくと、これはどうも、当時シニャックが泊まっていたヴィクトリア・ホテル(あるいはそのごく近く)から見て描いたものと私は結論付けた。

 このホテル、ヴィクトリアも今はなく、画家の視点を決定するのに難儀したが、ロッテルダムのミュージアムにある他の作家の作品(1931年作)や、当時の様々な絵葉書資料から確認できる。
 これを書くと長くなってしまうので、ここは、信じてもらうほかはない。

 ただし、その作家の作品は、シニャックの作品よりも、よりパノラミックに遠近感が非常に強調されたもので、今述べた二つの橋がはるか遠方に小さくかすんで見えるに過ぎない。

 私が、地図などで測ったところ、今はないヴィクトリア・ホテルから鉄道橋までの距離は、1500ないしは1600メートルくらいで、シニャックの作品の方が、明らかに肉眼で見た目に近いのではないかと思う。(私は、同じくらいの距離にある遠方の橋をある地点から実際に眺めて確認してみた。)

 島根の作品で、画家のとった視点はわかったが、当時の私にとっての最初の目的である茨城の水彩画の視点は決定づけることができなかった。
 
 画面前景部が同じなのだから、同じくホテルの窓から描いたと思うのだが、肝心の二つの橋が描かれていない謎がまだ解けないからだ。
 
 なお、島根の作品と茨城の作品では、煙の流れる方向が反対である。

 煙といえば、島根の作品のフランス語の題は、Rotterdam.Les Fuméesであるが、このLes Fuméesは、蒸気でもあろうが、当時のロッテルダムの活気のある風景を象徴した煙を意味したものではなかろうか。

 島根のシニャックに見える対岸は、マース河に浮かぶノールデルアイラントであり、マース河は画面前景に向かって流れている。

 


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