茨城県近代美術館が発行した『茨城県近代美術館所蔵作品選 中村彝とその周辺』という解説本がある。
発行年は、どんな理由によるものか、奥付にその記載がないのではっきりしないが、私がこの本を手にしたのは1999年3月ごろだから、この1998年の年度内に編集され、発行されたものだろう。
ところで、この本の「中村彝年譜」には大正9年の項目にこう書いている。
8月19日
今村繁三邸で所蔵のルノワールの「泉」、「風景」を見て感動する。
9月1日
第7回院展洋画部の「仏国近代絵画及彫塑」展で特陳のルノワール「裸婦」、ロダン「考える人」を見て感激する。(同本74頁から)
一方、この解説本の論考「中村彝の人と芸術」はこう述べている。
大正9年には院展洋画部に特別陳列されたルノワール「すわる水浴の女」(当時個人蔵。現ブリヂストン美術館蔵)を記憶模写している。従来ルノワール「泉」模写といわれてきたものである。(同本66頁から)
ところで、彝の記憶模写の対象となったルノワール作の「泉」なる作品は、今村邸にはなかったのであり、それは岸本家にあった作品で、現在はブリヂストン美術館にあることは、この本が刊行される以前から既に明らかにされていた。
彝が院展特別陳列でその岸本蔵のルノワールの作品(当時の目録では「裸」という名称)を見て、帰ってから記憶模写したことも、その時点で明らかにされていた。
だから、この解説本の年譜では、8月19日、彝が今村邸から帰ってから「泉」と「風景」を「記憶模写した」とまでは言っていないが、
(1)今村邸で彝がそこにはなかったルノワールの「泉」を見て感動したという年譜の記述は、明らかに間違いである。
(2)また、その論考で「従来ルノワール『泉』模写といわれてきたものである」とこの本の論者が初めて明らかにしたかのように記述している。典拠があり、それを知っているのにその典拠を示さず、自らが初めて明らかにしたかの如く書くことは、公的な出版物に許されるものではない。
しかも、同一の筆者によって、このように年譜と論考とが矛盾した記述を含んでいるのは、真剣にこの解説本を読んでいる人に無用な混乱と誤解を与えるものと言わざるを得ない。
なお、この本には『芸術の無限感』に載っていない、同館蔵の書簡が掲載されているが、その読み方には訂正すべき個所がある。
また、「資料目録」に伊藤隆三郎宛て大正5年8月8日付の書簡が同館にあるように書いてあるが、これは封筒のみで、中身が違うことなど、重要な注釈がないことにも注意が必要である。
さらに、この本に、彝が大島から友人の多湖実輝に出した絵葉書の写真が掲載されている(59頁)が、これは本来、寄贈目録に記載されてなかったものである。
これは、彝の様々な遺品が寄贈されて、しばらく時が経ってから、1枚のレコード・ジャケットの中から偶然出てきたものである。ここにそれを記しておくのも、何かの役に立つだろう。
なぜなら、彝が出したはずの絵葉書が、彝の遺品とされるレコードのジャケットから出てきたのであるから、ここに多少の理由、あるいは解明すべき謎が含まれているかもしれないからである。葉書の文面もかなり意外な内容である。
発行年は、どんな理由によるものか、奥付にその記載がないのではっきりしないが、私がこの本を手にしたのは1999年3月ごろだから、この1998年の年度内に編集され、発行されたものだろう。
ところで、この本の「中村彝年譜」には大正9年の項目にこう書いている。
8月19日
今村繁三邸で所蔵のルノワールの「泉」、「風景」を見て感動する。
9月1日
第7回院展洋画部の「仏国近代絵画及彫塑」展で特陳のルノワール「裸婦」、ロダン「考える人」を見て感激する。(同本74頁から)
一方、この解説本の論考「中村彝の人と芸術」はこう述べている。
大正9年には院展洋画部に特別陳列されたルノワール「すわる水浴の女」(当時個人蔵。現ブリヂストン美術館蔵)を記憶模写している。従来ルノワール「泉」模写といわれてきたものである。(同本66頁から)
ところで、彝の記憶模写の対象となったルノワール作の「泉」なる作品は、今村邸にはなかったのであり、それは岸本家にあった作品で、現在はブリヂストン美術館にあることは、この本が刊行される以前から既に明らかにされていた。
彝が院展特別陳列でその岸本蔵のルノワールの作品(当時の目録では「裸」という名称)を見て、帰ってから記憶模写したことも、その時点で明らかにされていた。
だから、この解説本の年譜では、8月19日、彝が今村邸から帰ってから「泉」と「風景」を「記憶模写した」とまでは言っていないが、
(1)今村邸で彝がそこにはなかったルノワールの「泉」を見て感動したという年譜の記述は、明らかに間違いである。
(2)また、その論考で「従来ルノワール『泉』模写といわれてきたものである」とこの本の論者が初めて明らかにしたかのように記述している。典拠があり、それを知っているのにその典拠を示さず、自らが初めて明らかにしたかの如く書くことは、公的な出版物に許されるものではない。
しかも、同一の筆者によって、このように年譜と論考とが矛盾した記述を含んでいるのは、真剣にこの解説本を読んでいる人に無用な混乱と誤解を与えるものと言わざるを得ない。
なお、この本には『芸術の無限感』に載っていない、同館蔵の書簡が掲載されているが、その読み方には訂正すべき個所がある。
また、「資料目録」に伊藤隆三郎宛て大正5年8月8日付の書簡が同館にあるように書いてあるが、これは封筒のみで、中身が違うことなど、重要な注釈がないことにも注意が必要である。
さらに、この本に、彝が大島から友人の多湖実輝に出した絵葉書の写真が掲載されている(59頁)が、これは本来、寄贈目録に記載されてなかったものである。
これは、彝の様々な遺品が寄贈されて、しばらく時が経ってから、1枚のレコード・ジャケットの中から偶然出てきたものである。ここにそれを記しておくのも、何かの役に立つだろう。
なぜなら、彝が出したはずの絵葉書が、彝の遺品とされるレコードのジャケットから出てきたのであるから、ここに多少の理由、あるいは解明すべき謎が含まれているかもしれないからである。葉書の文面もかなり意外な内容である。