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(画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
標記本の当該頁は2図より成る。右の図には男の首と肌けた片脚が波間に見える。その上に「しらじらと みじか夜 船頭の 首にあけ」との賛。夜明けの雲と上弦に傾く月が図の上端部に。(上弦の月か下弦の月かは明け方の弦の位置による。また、上弦の月でも下弦の月でも、明け方には、弦は右上から左下になる。だが、絵では夜明け前の月の形にはなっていない。)
左の図は、水滴を垂らした馬に、鎧兜の一人の武将が影絵姿で描き出されている。やはり朝の雲と半月、そして恐らく左上端部に飛んでいる鳥は時鳥だろう。
なぜ影絵姿でこの武将が表現されているか、それは「ぬけがけ夏の月」という賛が暗示している。
右の図の上の活字にはこう書いてある。
渡守は延金びらり
忽笠の台を異にして空しく盛綱が功名一番の犠牲となりぬ。
渡守の船頭は、盛綱の功名一番名乗りのために犠牲となったようだ。
同様に、左図の下にはこうある。
アー油断のならぬ世間の盛綱其手で桑名の焼蛤と用心ゆめゆめ忘るべからず
これで、これら二つの図が意味するところはほぼ明らかだろう。
右の図の賛にある「みじか夜船頭の首に明け」とは、船頭の首が斬られる事件が起き、早くも朝がきたと。波間に浮かぶ首と片脚は、もちろん犠牲者のそれだと。
誰が斬ったか。犯人はもちろん影絵の男である。
「延金びらり」の「延金」とはここでは刀剣のことだろう。それが「びらり」と一閃。
そして忽ち「笠の台を異にして」の「笠の台」とは、すなわち人の首のことだ。それが斬り落とされた。
彼を斬ったのは盛綱、佐々木盛綱である。
盛綱は、馬でも渡れる浅瀬を教えてくれた渡守の首を斬った。自分の功名をいっそう輝かしいものに見せようと、その事実を隠すため、こんなことをした。
「しらじらと」短い夜が明けるのは、まさにそれが自己の功名のための抜け駆けだったからだ。
そんな白々しい抜け駆けをする「世間の盛綱」にその手は食わない、用心せよとの警告。
謡曲「藤戸」が典拠の図であるが、これは前の頁の「時鳥」に出てくる友切丸の図に緩やかに繋げて解釈できる。
浅瀬を教えてくれた渡守は敵ではないのに、盛綱の「延金」は「びらり」とその首を刎ねたからだ。
前の頁で「さやばしる友切丸や時鳥」の友切丸は、「友」である並べ置かれた刀を、自ら鞘を出て切ったが、盛綱の「延金」は、決して「鞘走って」斬ったのではない。
やはりそこには人間の詰まらぬ意思が働いていたのだ。芋銭はそこを言っている。
影絵姿となって表現されている罪深い盛綱の行為を見た時鳥もその事実に驚いて彼方へと飛んで行ったのだろう。
謡曲の「藤戸」は、盛綱をめぐる人間像をこれほど単純には描いてないが、彼の行為の本質は動かせないのである。