(画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
芋銭の『草汁漫画』は、同じ頁の2図または前の頁とその後の頁とが意味的な繋がりを持っていることがしばしばある。
そういう意味的な繋がりを自ら感じて読むことは、この本を読むことの面白さの一つであろう。
夏の部の47頁と48頁の図も、その図像内容に意味的な繋がりがある。(48頁の題目「ぬけがら」は恐らく「ぬけがけ」の誤植だろうから、ここでは後者で表記する。)
先ず47頁の「時鳥」だが、これは、帯刀した一人の武将の図と蕪村の句「さや走る友切丸や時鳥」の文字が大きく書かれているだけのものだ。
「鞘走る」という言葉、ご存じだろうか。刀が自然に鞘を抜け出すことを言うらしい。
そんなバカなと思うだろうが、名刀、怪刀、妖刀などと呼ばれる妖しい光を放つ刀はそんな性質を持っているとされる伝説が多い。
端居して刀の手入れをしていると、虫がブンブン飛んできて自らその刀に斬られに行ったとか、如何にもありそうな話ではある。
蕪村の句で友切丸と称するのは、それが別の長い名刀と並べ置かれたところ、神秘的に鞘走って、その刀が斬られてしまったという伝説に基づくようだ。
鞘走る名刀は、まさに生命と感情を持った生き物のようである。
そんな友切丸が夏の鳥である時鳥の鋭い鳴き声に対比されて、実景というよりも不思議に観念的な、瞬間の音と光の景を眼前させる一片の詩的絵画を描き出したというのがこの句だろう。
芋銭の図の方、武将の周りに大蛇のようなものが描かれているのも、友切丸の過去の鞘走った伝説に関連があるのかも知れない。
では、この「時鳥」と次の頁の「ぬけがけ」とはどんな意味的な繋がりがあるのだろうか。それを見ていこう。