メナード美術館には、中村彝の描いた俊子像3点がある。
同館では、この3点の俊子像の作品名と制作年を次のようにしている。
婦人像 1913年頃
少女像 1913年頃
少女習作 1914年頃
しかし中村彝の写真図版をこれまでに最も多く掲載している日動出版の『中村彝画集』(1984)の作品目録では、それぞれ以下のようになっている。
婦人像 1913年頃
少女像 1912年頃
少女 1914年頃
ちなみに近年の『中村彝の全貌』(2003)展では、後者を踏襲している。
作品のタイトルと制作年の1,2年の違いは、一般の人にはどうでもよいことかもしれないが、ここは俊子を描いた作品であるし、作品名が紛らわしいので、ある程度はっきりさせておくのが望ましい。
「婦人像」の作品名については、年若い俊子の像を婦人像と呼ぶのはいささかそぐわない感じもする。しかし、従来からこれで通ってきているようであるから、いまさら変更しても混乱が起きるだけだろう。
だが、新たな事実が出てくれば、作品名は変更される場合もある。これに対して、制作年は、研究の進展とともに変更していく方がよいというのが私の考えだ。
ただ、中村屋蔵の「小女」のように、「少女」でも通っていたのを「小女」と表記を改めたのはどうだろうか。いかに作者や、昔の雑誌などがそう表記していたからといって。私は、この作品を「小女」と表記するたびに違和感を感じる。
ところで、メナード美術館の「少女像」だが、実はこの作品は、当時の雑誌にその図版が掲載されており、そこでは「習作」と表記されていた。
この雑誌『現代の洋画』第10号は、1913年1月1日が発行日である。
従ってこれまでに作品はできあがっていたと考えられるから、この作品の制作年は、やはり1912年に訂正すべきだろう。頃というのも要らないと思う。
この作品は、相馬千香子や相馬安雄を描いた作品と同系統の様式と見てよく、明らかに1912年作としてよい。
ただ、この作品を当時の雑誌に従って「習作」とまでする必要があるかといえば、私はないと思う。
メナードでは同じ俊子像の「少女」(1914年頃)を「少女習作」と呼んでいるのだから、ますます混乱してしまう恐れがある。
だが、作品解説などで、「習作」の出典について触れておくことは大切だ。
最後に余談だが、彝の葉書に相馬リチヤアト様宛というのがある。これはもちろん、相馬良(黒光)、千香子、安雄、愛蔵、俊子のことである。ここに俊子の弟、妹の名が出てきたのでついでに触れておく。
同館では、この3点の俊子像の作品名と制作年を次のようにしている。
婦人像 1913年頃
少女像 1913年頃
少女習作 1914年頃
しかし中村彝の写真図版をこれまでに最も多く掲載している日動出版の『中村彝画集』(1984)の作品目録では、それぞれ以下のようになっている。
婦人像 1913年頃
少女像 1912年頃
少女 1914年頃
ちなみに近年の『中村彝の全貌』(2003)展では、後者を踏襲している。
作品のタイトルと制作年の1,2年の違いは、一般の人にはどうでもよいことかもしれないが、ここは俊子を描いた作品であるし、作品名が紛らわしいので、ある程度はっきりさせておくのが望ましい。
「婦人像」の作品名については、年若い俊子の像を婦人像と呼ぶのはいささかそぐわない感じもする。しかし、従来からこれで通ってきているようであるから、いまさら変更しても混乱が起きるだけだろう。
だが、新たな事実が出てくれば、作品名は変更される場合もある。これに対して、制作年は、研究の進展とともに変更していく方がよいというのが私の考えだ。
ただ、中村屋蔵の「小女」のように、「少女」でも通っていたのを「小女」と表記を改めたのはどうだろうか。いかに作者や、昔の雑誌などがそう表記していたからといって。私は、この作品を「小女」と表記するたびに違和感を感じる。
ところで、メナード美術館の「少女像」だが、実はこの作品は、当時の雑誌にその図版が掲載されており、そこでは「習作」と表記されていた。
この雑誌『現代の洋画』第10号は、1913年1月1日が発行日である。
従ってこれまでに作品はできあがっていたと考えられるから、この作品の制作年は、やはり1912年に訂正すべきだろう。頃というのも要らないと思う。
この作品は、相馬千香子や相馬安雄を描いた作品と同系統の様式と見てよく、明らかに1912年作としてよい。
ただ、この作品を当時の雑誌に従って「習作」とまでする必要があるかといえば、私はないと思う。
メナードでは同じ俊子像の「少女」(1914年頃)を「少女習作」と呼んでいるのだから、ますます混乱してしまう恐れがある。
だが、作品解説などで、「習作」の出典について触れておくことは大切だ。
最後に余談だが、彝の葉書に相馬リチヤアト様宛というのがある。これはもちろん、相馬良(黒光)、千香子、安雄、愛蔵、俊子のことである。ここに俊子の弟、妹の名が出てきたのでついでに触れておく。