気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

出雲は雪が少なかった

2018-02-06 | 旅行記

松江や福井・金沢などの都市では例年にない大雪が続き、またもや多くの車両が路上でやむなく青空駐車。

事前に大雪注意報が出されていたのに、・・・道路が白くなりそうと判断出来たら、国道は検問を実施しチェーン規制を早めに行って欲しい。

国道は動脈です、全体の通行量を減らして除雪を行いながら、雪道を走れる車は何とかその地域から脱出できるように通行止めは避けて欲しい。

ドライバーの忍耐や沿線の人々の好意がマスコミに取り上げられ、管理する当事者の不適切な対応がまたも見逃され、・・・今後も再発するだろうと思うとスキー場へ足が向かなくなりそう。

・・・山国の日本は多くの山脈が走り、尾根と谷間が平地に向かい複雑に走っています。

この地形の影響で雪雲の流れと気流の上下流が100m離れただけで大きく異なる地域もあり、積雪も違ってくるようです。

出雲の地は、西側が開けた海岸線を持ち、東に向かって平地が続き、北側と南側に防風林のように山並みが続く。

・・・風の抜けが良いからか何故か出雲地方は雪が少なかった。

国土省のライブカメラをチェックしても、出雲の平地では路面が露出しているのに、裾野からは道路が真っ白、雪が積もっています。

・・・前回2015年11月の訪問時は、出雲大社の東隣の古代出雲歴史博物館に駐車したので、・・・ここを通っていなかった。

1月11日、10時、高浜川に架かる宇迦橋の大鳥居の近くで停車、ここが参道の入口。

高さ23m、鉄筋コンクリート製、中央の額(扁額)はタタミ6畳もあるとのこと。

(鈴鹿ICを出てすぐ、道路に架かる椿大神社の赤い大鳥居も大きいが、高さはこちらの方がありそう)

出雲の地は、鳥居の向こうに見える宇迦山(ウカヤマ)が西から東に屏風のように走り、裏側の北の日本海からの風をさえぎっているかのようです。

・・・橋を渡り、新門通りの参道を進みます。気温も低く早朝の人通りは数えるほどです。

左側の松の木の先、左に入ると 竹内まりあ さんの実家(旅館)があるようです。

緩やかなのぼり坂の先にある高台が勢溜(セイダマリ)と呼ばれています。江戸時代はこの一角は特に賑やかだったのでしょう。

そして、石段の上に優雅な正面鳥居が建っています。

出雲大社では、一の鳥居、二の鳥居などと順番には呼んではいないようですので、どこから参拝されても歓迎のようです。

この一番目立つ正面鳥居が、勢溜の鳥居、木製です。

いつものグーグルで確認しましょう。

勢溜の信号を右に行くと古代出雲歴史博物館があります。

今回は信号を左折し、

スターバックスの横を通り、その先を右折し、出雲大社の駐車場に車を入れます。

天候は、チラホラ小雪が舞うが・・・傘は持たなくても大丈夫。

駐車場の東端、境内との境に小川が流れています。お城の外堀のようですが、後ろの山から流れ出した清流です。

川には、欄干付きの立派な橋が架かっています。

では、橋を渡り境内に入ります。

足立美術館や玉造温泉では結構積雪があったのですが、ここで作業される方に聞いても、このようにほとんど降らなかったようです。

この先右側、松並木の参道に鉄製の鳥居があります。(三番目の鳥居)

(2015年12月、2016年1月のブログ ~ 出雲大社 旅行記)・・・前回と重複しないようにしないと

・・・斜めに進み、手水舎に向かいましょう

まもなく、こんな親子連れが出迎えてくれました。

因幡の白うさぎ、

この石碑の右側には、縁むすびの碑が

縁結び・・・なるほどここにも縁結び・・・出雲大社は、若い女性に特に人気のようです。

右手前方に進むと、参道中央の松並木に合流しました。

正面に鳥居が見えます。四番目の鳥居になります。

この鳥居は、毛利さんの名が刻んである銅製の歴史ある鳥居です。

右側の境内の案内図を

左側には、遷宮の御挨拶があります。

 伊勢神宮も橋を架け変えたり、遷宮には長い期間必要とされるようですが、ここ出雲大社は伊勢神宮と異なり

隣に用地を用意していないので本殿は移さず、大屋根などが葺き替えられています。

2008年4月からの遷宮は、2013年に本殿遷座祭が斎行され、2016年3月にほぼ完了しました。

 胴鳥居の正面に本堂が見えるのですが、拝殿の東端が中心のラインに重なり、スッキリしない。

鳥居ー拝殿-本殿と くの字 に並んでいるので、この位置からの画像は・・・難しい。

・・・拝殿の西側に建築中の建物があります

なるほど、遷宮の御挨拶に記されていた、2期工事のようです。

ここ拝殿で参拝します。2礼・4拍・2礼です。

何故(シ)四なのでしょう、幸せの(シ)と説明されるガイドさんがおられました。

拝殿の裏に周ると本殿があります。

正面階段の上の門が「八足門」(ヤツアシモン)正月三が日は内部に入れるようです。

江戸時代初期の建造ですが、まもなく解体され、1744年現在の位置に移築再建された年代物です。

御祈祷を申し込めば、この階段の先(八足門の左側)から内側に入り、

楼門の近くでお祓いを受けられます。

ご朱印帖は左の「御守所」で・・・神社名は記されず、参拝 の文字と日付、社印 のスッキリした形です。

「八足門」の前に、ミッキーマウスのような大きな赤い丸印が3つ、4か所にあります。

江戸時代の・・・さらにその昔から・・・神話の物語がありました。

・・・発掘されて神話の世界が・・・現実の出来事となり

(出雲大社のHPより画像1点と文書を引用します。)

古代には3本の大木を鉄輪で束ねて1本の柱とし、高さ16丈(48メートル)の御本殿でありました。
千家國造家(出雲大社の宮司家)に伝わる古代御本殿の平面図「金輪御造営差図」が、その壮大な御本殿の容姿を今に伝えています。
平成12年には境内より、古代御本殿の御柱が「金輪御造営差図」そのままに3本束ねの姿で発掘され、今の世に顕現しました。

・・・とあります、

拝殿の東側にある宝物殿の入り口横には

再現された柱が展示されています。

先程の床にある赤丸は・・・八足門から、このような巨大な橋脚だったようです。

伝承によると平安時代は本殿の屋根まで高さ約48m、

その本殿に上る階段の橋脚で、・・・この様な物が並んでいたと言われています。

古事記、日本書紀に登場する重要な社(ヤシロ)です。

皇族や天皇陛下のお名前も見られます。

では西側(左)に周って、もう一か所重要な所に

西側のほぼ中央右側に進み

案内板があり

奥にある一番高いのが御本殿です

更に本殿の裏(北側)に周ってみます。

摂社の中でも大国主大神の親神を祀る素鵞社(ソガノヤシロ)があり重要文化財です。

振り返って本殿を反対側から見るとこの様に、スッキリしています。

平安時代には、このような本殿のみが高い所におかれていたようです。

 瑞垣(ミズガキ)の外で四天王?・・・白うさぎが守っていました。

戻って、

 

 境内の西側からのパノラマ写真です。

左端に半分だけしか映っていませんが長屋のように続く建物は、この出雲大社だけの特別な建物です。

十九社(ジュウクシャ)重要文化財・・・全国から八百万の神様が集まられた時、ここに宿泊されるそうです。

境内の東西の端に、向き合って建てられています・・・そうです、神無月(旧暦10月)、いやこの地では神有月(神在祭)期間中、十九ある扉が開かれます。

撮影ポイントは、下の画面で左端中程 十九社横から眺めた、拝殿裏と本堂です。

神楽殿は省略

帰り際、胴鳥居の横で、神馬神牛像に挨拶し

世界共通、撫でるとご利益があると伝わるので

ピカピカです。

多少雪が舞い始めた出雲大社から、・・・稲佐の浜へ

 

荒れた冬の海に、何故か砂浜に目立つ岩山が一つあります。

昔ははるか沖合にあり「沖御前」と呼ばれ弁財天が祀られていたそうです。

現在は、豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)・・・?、時々、一般の方と話題が神社の話になり、・・・主祭神が〇?、と登場する神様に詳しい方が多いのに驚かされます。

・・・全国から集まる神々は、宿泊する十九社は分かり難いので?、ここの浜に集合し、その後宿泊する十九社に向かうそうです。

さて、この後、須佐神社に行きたいが、休憩して情報を収取すことに、

新門通りで、お店の人に駐車場を教えて頂き、・・・通りから西側に入った先に大きな駐車場がありました。

日本ぜんざい学会壱号店

食べ物の登場が少ないので、時には甘味も・・・シュークリームのように丸くふっくらした焼き餅入りです。

・・・ヤマタノオロチ、須佐神社・・・積雪が無ければ25㎞、30~40分なのだが、その先山道を走り、松江道路まで20㎞

除雪作業が済んでいれば大丈夫なのだが、引き返すことになると面倒なので断念し、

太陽が出ているでしょうか?・・・雪模様と言われる瀬戸内海に向かうことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇族の方々・・・天皇陛下の文字も見えます。

 

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