気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

呉 大和ミュージアム

2018-02-11 | 旅行記

出雲大社を昼過ぎ出発、国道431号を東に進み・・・斐川町三絡から山陰自動車道(有料)に入り、

宍道JCTから三次・広島方向に進むため松江自動車道に乗り換える。

三刀屋木次料金所まで有料区間、この料金所を通過して、・・・何故か料金所の先、いつの間にか左カーブに入る車線を走行している。

このまま高速を直進する予定だが・・・道が違う・・・ハザードランプを点灯して停車、後続の車を右手で追い越させる指示をして、なぜ道を間違えたか確認しにバックする。

と、料金所から係員が走って来た。

スミマセンこのまま進んで一般道に降りてタイヤのチェックを受けて、・・・また本線に上がって下さい。

・・・直進・通行止めの表示は出てた?、チェーン規制・検問の矢印は無かったでしょう?・・・何故か車線が絞られて、そのまま下道に誘導された。

料金所の手前で検問を実施し、適合車両は、そのまま高速を走らせて欲しいのだが、チェックするスペースが無いのか一般道まで降ろされて・・・また坂道を登って本線に戻った。

・・・吉田掛合ICを通過した・・・雪が降らなければ出雲大社から須佐神社を経由して峠を越えてこのICまで走る予定だった。

この付近、結構雪が多い、・・・峠の除雪は難しかったかも知れない。

・・・中国山脈を北から南に走る無料の区間は、「中国やまなみ街道」の名前がついたようです。

平成27年3月22日全線開通とのことで、国と地方字自体で建設を負担したので無料の高速道路です。

島根県松江市から広島県尾道まで約137km、無料区間に入って30数kmも走らない内に県境の表示があり広島県に入った。

県境は中国地方の中央を東西に走る中国自動車道付近かと思ったら、結構北まで広島県が侵食していた。

この広島県の高野から中国自動車道までは、まだ約45㎞も走らなければならない。

この先で故障車や事故発生で突然渋滞にぶつからないように祈りながら進む。

道路は対面通行の片側一車線、トンネル内は路面に積雪が無いので問題ないが、橋の上は横風が強く、路面温度も低くスリップの危険がある。

しばらく走ると、やっと三次東の案内が出てきた。

この先で中国自動車道と交差する。中国自動車道は、北広島、通行止めの表示・・・他にもあるようだ

直進して・・・尾道方面に進む。

途中、世羅から一般道をショートカットと考えたが、所々に雪注意の表示があるので・・・このまま約50km走る

 この案内板の手前で無料区間は終了。

高速道路をそのまま進み、瀬戸内海側を走る山陽自動車道(有料)に入り、広島方面に。

路肩に雪が残っていたり、雪注意の表示も見られる。

50kmくらい走ると、また別の無料高速道路に乗り移る。

広島空港がこのJCTの手前、右側山間部に移って、・・・どのくらいになったでしょう。・・・(こちらに移ったのは、1993年10月でした)

かつての旧広島空港は海に近く、JR広島駅までタクシーが便利だった・・・などと思い出していた。

・・・東広島呉自動車道に乗り換える、・・・青い空、・・・しかし、雲の流れが速かった。

 

・・・空いている高速道路を順調に走り・・・終点の看板が出てきました。

急に交通量が多くなった呉市内をドライブし、岸壁近くの駐車場に駐車、・・・・目指す建物横に・・・いきなりドカーンと展示されていました。

巨大なスクリュー、その向こうに・・・金色に輝く真鍮製か、砲身を左右に振るためでしょうシャフトが目立っていた。

第一印象「イヤー重そう」砲身がさく裂しないようにとはいえ、こんなのをたくさん装備したら・・・紀元前、ハンニバルの象部隊のようです。

戦艦大和の有名な、巨大46cm砲(口径18.1インチ)、砲身長:21.13m、砲身重量:165トン

これを3連装砲台(2510トン)に取付けて、乗用車クラスの重さ1.5トンの砲弾を・・・42km(42、000m)、4kmでなく42kmくらいまで到達できる(最大射程)驚きの仕様です。

呉市訪問の目的は、

2005年開館したこの大和ミュージアムです。

昨秋の訪問スケジュールでは江田島の夕日や・・・釣りも計画したが、今回は無し。

閉館がPM6:00なので、慌ただしく飛び込む。

入って右側にミニドッグがあった。そこに戦艦大和の S=1/10 の姿があった。

鹿児島県枕崎市の沖200㎞の海域で撃沈され、長い年月が経過しました・・・近年、海底探索で菊の紋章がカメラで撮影されTVで放映されました。

船首の菊の紋章は、・・・大きいです。

 46cm主砲が並び、砲身の根元カバーが上下動の可動域を教えてくれる。

艦首の両舷に集中して機銃台が並んでいる。

大和の予備知識は少ないが・・・完成した時は、戦艦至上主義から、空域を制する航空母艦時代に進んでいたといわれる。

水上艇は積載されていた。

もちろん、航空母艦も当時の艦隊の中心に存在していました。

赤城、真珠湾攻撃に参加

 こちらは、これも有名な紫電改(詳細略)

 日本の職人が優秀なのは、このような見本(これは機械加工の仕上げの程度)△記号の数が多い右側が精細仕上げ

を作成し、目標の品質に合格しているか・・・加工開始時、中間時、終了時などとチェックし合否の判定をし、不適合品を除外しているからです。

仕上げ記号が理解できる学力と、根気よく目標に合格するまで学習する国民性でしょうか。

・・・依頼した勢品の見本品は良くできていた・・・合格、しかし数多く生産すると、不適合品が続々混入し・・・

全数検査をすると半分以上が使えない。時間をかけて良品を1~2個生産するのと、量産品で品質を安定させるのは、また違うのですが

そんな隣国で生産した結果、10年も修理が続いたこともありました。

「大和」の概要が掲示されていました。(動画などの撮影は禁止されています。)

 

そして、当時の設計図の一部も

窓の外が輝き始めた。

呉の、元軍港に夕日が沈む

隣のコーナーに進みます。潜水艦や人間魚雷などの横に・・・誰もが知っている機体がありました。

ゼロ戦です。

軽量化からくるスピード、圧倒的な操縦性能、そして付属タンクを装着すれば驚くほどの航続距離、

後年、軽量化による無防備な点を攻め込まれ・・・

訓練し力量の優れた人材育成は時間がかかる、人材は貴重な財産との発想が無く、簡単に補充が利く消耗品との発想がどこかにあったのでしょうか

複雑な思いで大和ミュージアムを後にした。

・・・呉から広島市内に向かうが、退社時のラッシュに若干遭遇。

そして広島市内、平和大通りのホテルに駐車、PM7:00前、八丁堀方向へ散策

しかし、寒風が・・・雪は舞っていないが寒い、地元の人の話でも異常なくらい寒いとか、

厳島神社は雪が残っているのだろうか・・・明日昼頃に参拝しよう。

 

 

 

 

 

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