文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

千葉県内の里山の現状とは何か。里山を抜本的に再構築するための一つの策として (11)

2009-07-08 21:02:05 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-25
千葉県などの、里山を抜本的に再生するための策として、水質の良い水を確保するために
それよりも質の良い里山を育てていくために、なによりも人材育成のために。
 県でしていて椅子水源涵養林を、もっと大事にすることが、その第一歩だと思います。

1 重要な水源涵養林への集中的な資金投入を 
 重要な水源涵養林は、生物多様性保全目的にかなった水源涵養箇所として、また下流域への飲用水、そして農業用水としても、最も本来最も大事で保全すべき個所です。

2 現在、千葉市内等にも、水源涵養林としての指定を受けながらも、その本来目的である水源涵養林としての役割を果しえないまま荒れ果てて放置されている箇所が散見されます。また、今もなお、かっての入会地のまま、手入れを受けられないまま放置され、いつ開発にさらされるかわからない河床が多数あります。
 水源涵養リンといわれながら、法律的には弱く、残土や住宅地、そして採砂によるぶっ壊しまで危険な状態のままとされています。  

3 しかも、所有者から見れば、収入源を断たれ、40年以上経過をしていて、里山での所得の循環の環が断ち切れたまま、現在では、どうしたらよいか、誰も相談にも乗れない状況に置かれています。
 したがって、その物件を悪徳業者にふらふらとはんこを押して売り渡すということも避けられません。
  
4 どう対応すべきなのか
 現状では、利害関係が錯綜し、資金的な課題が見いだせないと、解決策はとても困難としか言いようがありません。

5 まず、県として早急に環境税を導入を推進頂き、その資金を活用して、里山再生基金として、森林伐採、再度の植林、地域に最適なソーシアルビジネスの導入などを含め、人材育成 らやり直すごときが必要と思われます。

6 また、千葉県には森林保全のために活用できる資金が、現在50億円以上、まさに使途未定金として、蓄えられているとの話を間接的ですが聞いています。 
  県自体に、この目的に沿って使える余裕資金や基金や埋蔵金があるとすれば、毎年少しづつ でも県が重要と思われる地域の、水源涵養林として重要と目される個所を農家などから、県自体で買い上げて、それを水源涵養林などとして再構築していける制度の導入なども重要かと思います。

7 土地改良区に埋蔵された使途未定金の活用策 あらゆる手立てを介して、手賀沼や印旛沼土地改良区などに埋蔵されている資金(使途未定金)などを発掘して有効活用する策を 講じられないでしょうか。

8 俗にいうこの「埋蔵金」を地域再生に役立てる。そのためには時限立法も考慮する。 「土地改良区」等にに貯蔵された使途未定金を有効に使って、里山の再構築を進める事が、過去から現在までの、ことの経過から考えて、最善策ではないかと考えています。

9 同時に権利関係を明確にするためにも、正確な測量と、植生などの調査を行ってです。所有権を県に移管して、管理可能にすることが肝要と思います。
  
10 すべての基本は、「人材の多様性への担保」であり、地域を再構築するのだという「気持の高まり」にあると考えています。
 未来に対する明るいビジョンをともして、それに向かって各方面から研鑽を重ねていくこと。目的をもった組織に、組織と人を再構築できるか否か。
  そこにかかってると思われます。


荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。 再構築のためには何が必要か (10)

2009-07-08 21:00:06 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-23
千葉県では、環境税が未だ導入されていません。

 本年度も、4月の里山シンポジウム実行委員会の分科会が行われ、
改めて2回目の訪問となった千葉県東金市の木材市場には、続々と山武杉の丸太を満載したトラックが到着して活気を呈していました。
 でもよく見るとすべて、産廃業者が専用の大型トラックで運んできた山武杉の伐採し、
枝を切りはらった状態のままの丸太です。

 これらは、ひとつは房総半島を横断する高速道路工事にて生じる工事路線上の森林伐採
現場から搬出されたものが多く、また千葉県下の各地で、今、行われている山砂採取を原因とした森林伐採、そして残土廃棄、さらに産廃工事中の箇所からのものもありそうです。

 公共工事や山砂採取では、どうしても、業務上で伐採しなければならない山武杉を
産業廃棄物として処分しなければならず、そのための捨て場として、木材市場が便利だからとせっせと運ばれてきている模様です。

 丸太にした杉が1本100円以下という時代。山に生えている杉をわざわざ切って、丸太に加工して、木材市場に持ち込むという山林所有者は皆無に近い。
 理由がなければ伐採をしません。間伐や全伐を仮に行ったとしても、改めて植林して、
数年~数十年以上も、雑草の退治など手入れを行うことを考えたら、伐採などできるわけがない。

  千葉県では環境税が未整備であるために、環境税がすでに導入され、間伐や全間伐材のとても便利な先として他県から各種のスギなどが、商品の丸太として搬入されてきています。このために、千葉県産の木材価格が、さらにさらに下落しているといわれています。これら木材市場では、それなりにチップとして、ベニア板用としてさばけているようです。
建築の目的等での、本来の木材としては、ほとんど使われていないのが現実だと聞かされています。 当日も、建築用の材木は90%以上が他県産か、外国品のごとくでした。

 挙句に、地球温暖化対策として、国内の森林の間伐や全伐をかなりの程度行わなければならないということで、千葉県にも実質的なノルマがあてがわれているそうです。
 その森林の間伐や全伐のエリアは、伺った市の担当者は、市内の森林の10%超をこの目的に合わせて間伐や全伐を行う必要があると試算しているとのことです
 でも、同時に市内の森林所有者で、協力を申し出た方が皆無だとも話していました。

数年後に、この課題は顕在化して、千葉の里山保全ということでは大きな課題になると思われます


荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

■千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(9)

2009-07-08 20:56:56 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-23
千葉の里山が石炭産業と同じ立場に

 里山を美化して話をすることはいくらでもできます。
個人的には、素晴らしい手入れされた里山を各地で見てきています。
 しかし、日本の庭園のモデルの一つとして見ていくと、なりわいの場としてあったとしても、それが有料の公園として、その大変な手入れをカバーできる場所でしょうか。
 所有者である農家の方々の甚大なご参加をいただけないと、NPOや市民だけの力では継続しての維持管理は、とても大変だろうなと考えています。
ともかく、そのような恵まれた個所はとても少なく、その多くがNPO法人や市民によって維持管理されていると場だと聞くと、頭が下がるだけでなく、その永続的な努力をどのようにして補っていられるのが心配になる。
 まさに、これが心配の基本です。

 ここまで放置してしまった結果を、再構築することは至難の業であるということ。
事実にいかに直面してうろたえないですむかにかかっています。

1 かっての千葉県の豊かな里山は、40年前に、その前提条件が一気に崩壊してしまって
 現在に至っています。
 いま、千葉の里山からの生態系サービス(里山の恵み)はほとんどない。結果として所有者や管理者が、里山の恵みとして、所得を得ることが出来ない状態が、早や40年以上を経過してしまっています。

2 エネルギー源としての里山の機能
  昭和30年代後半、里山の木材資源(落ち葉、松葉、ほだ木、薪、炭)などは石油に代わって、石炭と同様に一気に切り捨てられてしまいました。
 里山のもっとも重要な現金収入源であり、里山を維持成立させる根底が切り捨てられてしまいました。
それからは、里山を手入れができる根拠が途絶え、手入れをしないことが赤字を減らす最善の策とされてしまいました。
 途端に山が荒れだして、春の筍、旬の春野菜、そして秋のキノコなどの、大切な旬の味も消滅し、都会地への季節の便りも、だんだんと届けられなくなってしまいました。
 大切な都会地のお客先をも失っていくことに

3 さらに追い打ちをかけたのが、初期のダイオキシンたっぷりの除草剤の全国的な利用開始がなされると同時に、千葉県では特に顕著に河川、特に沼地の水草の壊滅的な消滅がおこりました それによる、
 (1) 水草をモク取りとして、秋に収穫し発酵させて、自前で理想的な肥料をつくるための基盤が壊れ自前での農産物を作るに貴重な肥料が絶えた。
 (2) 小魚や、エビ、そしてマシジミやヤマトシジミ等の高付加価値ある漁業の恵みが消えて収入激減を招いてしまいました。里沼、里川部分での生活基盤もことごとく壊れてしまった。 

4 北海道の石炭産業の中心にあった夕張市と同様に、エネルギー革命による没落と、
 農業・水産資源の枯渇を引き起こして、それでも何とか40年間、何とか今まで食いつないできたが、夕張市よりも、ある面では深刻な状況を、さらに通り越していると考えます

5 現象として
 (1)東金市や、木更津市以南、君津などから、山砂の採取ラッシュとなってきている。
  「きなだやま」のごとき、山全体を、国有地を全体壊してしまう。
  千葉銀行総研までもが、最善の政策課題だとの報告書を出す始末
 (2) 千葉県名物の水産物であったはずの小魚の佃煮はほとんど琵琶湖産
  シジミはほとんど島根県の宍道湖産か、琵琶湖さん、あるいは茨城県の涸沼産,
あさりは海外産 
現在、内水面で佃煮用の「モロコ」が全滅状態で、すべて琵琶湖産に皮が硬くて佃煮に使えない「タモロコ」に変わってしまっている。
 (3) アクアラインの通年800円化で、誰が喜ぶか。
 神奈川県側では残土・産廃業者。 日帰りでバスツアーを組める観光業者。
 千葉県側では山砂採取業者と、内陸部の高額所得者(神奈川県でお買い物)とまで、言われています。

荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

 

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(8)

2009-07-08 20:54:53 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-22
千葉県での、里山を含む一次産業への新規参入を意図する若者たちののために
私どもは、いったい何がお手伝いができるのか。


1 千葉県における林業、農業、漁業への若者を中心にして、
 この不況下の中で、新規参入される方々が着実の増えてきているようです。
 いすみ市などでもその傾向と聞いています。いすみ市でも、特に人がいなくなってしまって放棄される寸前になった、限界集落にいつの間にか若者たちが住み着いて。
  独りよがりな方法で、近所の農家から見れば、有機野菜を作り出すと称して、草ぼうぼうでどれが野菜でどこまでが雑草なのかわからない。見ていられない有様。

2 でも、このあいだも、いすみ漁港手前の、魚料理店に出向いたときに、頑張った若者
  が家族で食事中で、その指導をしてきた地域のNPOの代表の人が、とても喜んで、
  励ましていました。落ち着くまでに5年もかかったそうです。

3 しかし、里山への就農にはそこには都会人には想像外の、とても厳しい現実があります。里山などで農業、林業、漁業等への参入は、経営が安定するまでが半端ではありません。いすみ市およびその周辺は、例外的に若者たちの新規就農が多い個所と聞いています。
 それも、その地域が、港湾設備、道路建設、新幹線など、そして大規模郊外店舗展開
 など、グローバリズムに、千葉県での例外的に患わせられることがなかった、その結果だと聞きました。
  逆にいえば、発展性に乏しい、魅力がなかった箇所と言い換えれば、そういうことでしょうか。
 
4 一次産業への若者の参入とはまず、甚大な有形無形の投資行為が必要となる分野で
 あることの正しい認識が必要です。
  コンビニエンスや製造会社にサラリーマンとして勤務することとは違って、その日から収入が保証されるわけではありません。
  野菜で数ヶ月、おコメでは年1回しか売上が回転しません。しかも、納品したらすぐ現金が入るという保証もありません。 
  経営的に安定して採算がとれるまで複数年はざらにかかります。
  初めの数年をがんばり通す、仕事として採算が取れるように成り立たせることの
 難しいこともありあります。 

5 現在、一次産業を目指す若者たちは農家に生まれ、親の背中越しに農業を肌で感じられる若者はほとんどいません。
  そのため技能蓄積のない若い方々では、一次産業参入には、かなりの現場景観を積むための教育を受けなければ、売り物になる農産物を作り出すことは、至難であることが実情でしょう。

  
6 里山の現実はすでに限界農家の問題であり、数千年来地域ごとに蓄積されてきた生きるための、知恵のつまった財産を、ノウハウを、知恵を、文化資産をことごとく喪失してしまうか、してしまった段階に至っていると見ています。
  里山は覆いがたい衰退に陥り、技能や技術を持った方々が超高齢化していて、その技能を継承できないほどの世代間での、技能伝承での情報断絶が生じてしまっています。
 そのために、地域の子供たちが、継承しない、そのような状態の箇所に、何も知らない
 経験不足な若者が入り込むということがどのような結果をまねくのか、
 話を聞くたびにぞっとするというのが現実の姿に近いのです。


7 それは、里山や里沼、里海等を取り巻く、農業などでの一次産業の法律的な整備が十分になされていないことに、問題があるからです。
  大体、江戸時代の村社会の構造のままと現代に至ったと考えるべき状況だけが多く残ってしまっています。
  いま時、常識的なコンプライアンス(法的な準拠)整備が、ほとんどなされていないままの場所と考えてもいいと思ってください。

 * コーポレートガバナンスの基本原理の一つで、法律や規則などのごく基本的なルールに沿って活動を行うことを指します。

8 千葉の里山や里地、里海は、問題の一つが、商売、商取引の仕組み、近隣との複合化した、入り組んだ関係など、数百年の時間経過を経た、俗にいうお付き合いの現実の厳しさに、結果としてついていけない事がとても多いと聞いています。 
  農業にとって50年間は一つの世代にすぎません。ために、都会からの移住者は、現状では50年たっても入り込めない。
  新住民と旧住民が共通の価値観を持って協働できなければ、常に無視し合うか、競合するかいう関係のまま複数世代にまでつながっています。 

9 そのうえ、農業でさえも地域での生産物をうまく受けとめてくれる仕組みが、まだ整備されていない 生産農家がどんなに良いものを作っても、販売ルートもブローカーがはびこって、地元が潤えない 固定化してしまった社会構造としか考えられない部分が色濃い。
  
10 お米の販売でもプライベートな企画商品を立案し、いろいろなイベントを組み立て、
 消費者に来訪を頂いて各種サービスに努めるという涙ぐましい努力を注いで、独自に販売する以外国内市場は新規参入が、とても困難という感覚です。地域での地産地消さえも円滑に回っていないと

11 そのくせ消費者からは、まさに、生産物の値段は安ければよい。
 農産物の見栄えが悪ければ買いたたかれ、製品のカタログやシール上で一言たりとも異なっていれば、 農水省等からただちに全品回収の命令が下りかねない。
  そして、消費者側は、一定の品質以上のものでなければ、生産者を即罰則を適用するべきという意見すら見られます。
情報公開が前提にある分、そのアンバランスが目立ちます。

荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(7)

2009-07-08 20:53:05 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-5
なぜ、里山や里地、里沼、里海によって生活が支えられてきた、盤石と思われた一次産業の基盤を江戸時代の前から数百年、営々として十数世代にわたって築き上げてきた地域社会が、これほどもろく崩壊してしまったという事例は、あまり聞いたことがありません。 なぜ、たった40年もしないで、あっという間にあらゆるものを喪失してしまったのでしょうか。特に文化面での壊れ方は尋常でありません。

1 ひとつ言えることは、働き手の意欲喪失の可能性です。
 地域で働くための、最低限の生活を取り巻く環境で、やっていられないという気持ちに襲われる耕作放棄、そして自分の故郷までをも放棄させてしまう、行ってみれば地域の文化までをも崩壊させてしまう、「気持ちの問題」が生じてしまったとしたら、俗にいうモラール崩壊が生じたとすれば、ある面でその意味がわかります。

2  高度経済成長の開始40年、たったの40年で地域社会を崩壊させてしまう結果を知らず知らず引き起こしてしまう。
  生きることへの目的意識を喪失したとしか言いようのない方々が存在していると、最近強く思うようになってきました。
  とても残念なことです。 逆に言って、その方々は自覚がまるでありません。恐ろしいほどです。

3 そのような方々が生じた原因の一つは、戦後の土地解放の深刻な後遺症にあると考えています。
  戦後の農地解放で土地を放棄させられた、かっての地主の方々の怨念が、いまもなお
 延々と行われているごとく感じられてなりません
  たとえば、かって土地を取り上げられた方々の後継者の方々は、土地改良区、JA、肥料や農機具会社、そして圧倒的多数の方々が県や市町村の行政マンとなっておられます。

4 農業にとって40年は、1世代。あっという間のことで、まるで昨日のこと。
  でも、国が方便として、コンクリートによる圃場整備と、慣行農法、そして圃場整備後の資金回収や水管理を介して、農家を監督する立場で土地改良区が設置されました。
  その上で、3ちゃん農業化と、そこでの兼農による所得を2重に所得することを国が認めたことで一般的なサラリーマンには絶対に許されない行為であり、それがあって地域内での所得格差が決定的になり 縁故と世襲化の現実を見せつけられて、かっての地主と小作の新しい関係を突き付けられ、肌身に感じて前途を見限った若者の離農を引き起こし、一気に農業離れが起こってしまったのではないかと想定されます。
 農業だけでなく、地域から飛び出してしまったと感じられるからです。
 それは、いま最も重要な要素である、「気」の問題からです

5 縁故と世襲と、既得権益と、その複合の中で生きるべきなかで、怨念までもが入り混じって 現在、戦前からの金持の方々は、それぞれの地域で、地域社会とは無関係な生活を営んでいるか 行政関係者として行動しているかのように感じられます。
  まるで、地域社会とは没交渉の様な方々が多いという感じを強く抱いています。

6  かっての地主は、地主としての経営を潤滑に維持するためにも、地域社会への、いろいろな奉仕活動や社会貢献を行ってきていました。
  その肝心の情実を喪失してしまい、米国の金融マンの如く、ある面では特権階級化してしまったと感じられてなりません。
  いろいろと各地を見て回りましたが、地域がどのように疲弊しようが、シャッタ-通りが広がっても、地域への感謝の気持ちを喪失したごとく、まるでわれ関せずの生活ぶりのままです。
  犯罪の増加に対しても、目をつぶって防犯対策も行わず、地域の人への投資も関心もなく、子どもたちの教育にも関心を示さず、挙句に、里山や里沼は、このまま放置しておくことがコスト的に最善と広言して、里山や森林への一切の投資を行わない方々となっています。
  
7 かっての地主たちは、それなりに地域社会を活性化するための努力を払わざるを得なかった。 経営者として地域でのバランスを保つことを必要としていたからであり、信念を持って行ってきていたと思います。
  それは地域の豊かさの証であり、資金が地域で完全に循環し、余剰となった資金が地域への社会投資、人材投資。寺小屋開設、神社再生などにぐるぐると回って、結果として、そこで生活することを楽しめる場として相対的ですが、幸福な社会を形成できたと思います。 

8 収入額に無頓着なお米つくり。
  専業農家が悲鳴をあげて、次々と倒産しています。
  現在も田んぼを耕し続けている方々の多くが、サラリーマンとして、JAや行政等に勤務している方々です。
  所得が2重構造となってますので、コメ収入は別途収入であり、所得の確保には頓着しないところがあります。
  ある方の意見では、現在の3ちゃん農家はほとんど行政関係者かJAか 土地改良区の関係者で占められているのでは、との意見もあります。

9 これらの方々が、結果として専業を意図する農家を圧迫し、結果としてやっていられないという気持ちから、主として、若者を中心に、このような地域では生きていけないという気持ちを抱かせ、われがちに生まれ故郷を放棄するという引き金になってしまったとも考えられます。
  まさに、地域社会がモラール面から、短時間で崩壊を生じてしまったといえるのではないでしょうか。

7 同時にもうひとつの大きな問題
 戦後の農家の方々による、結果としての税金逃れの1手法として 里山は徹底的に分筆されてしまいました
  里山の分筆の実際は、新聞記事によると千葉県茂原市だけで5,000口に分けられた。
 市町村税、県税をも含め、税金の支払の対象外とされる仕組みを一斉に行ってしまっています。
  そして地割のための公式的な測量もされていない部分が全体の60%以上もあって
 ほとんど基礎的な税金も払っていないのですから、当然、相続の問題も生じない仕組みとなっています。


 荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。 千葉県下での一次産業の実情とは (6)

2009-07-08 20:51:23 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-4
1  いま、特に千葉県下では、長年の経過の中で一次産業の基盤が大きく崩れてきています。特に農業の中でも、畑地ではなく、米価の長期低落により低落によって水田関係が極めて厳しい状況です。

2 多くの土地改良区も、会員の農家の経営状況の悪化に引きずられて、財政状況が悪化していると聞いています。
  千葉県で、最近も全国的に突出した、残土産廃や、特に顕著な山砂採取問題が噴出しているのは、この「土地改良区」の経営悪化とは無関係ではないと思っています。
  特に木更津や君津地域などでは農業の疲弊とあいまって、農家も、土地改良区でも有効な所得を獲得する手段が激減し、長期間にわたるがんばりも限界にきて、収入不足が深刻化しています。

3 その中で、里山を開発という名前を持って破壊する行為の対象が、多くが入会地であり、個人所有の里山での問題であった段階から、さらにグレードが上がって、土地改良区単位での課題という段階に至ったのかもしれません。
 言ってみれば、地域全体が所得確保の手段を見失って総失業状態に近いとまで見なされます。

4 千葉県の悲劇は、江戸の時代から、明治を経て、戦後の昭和30年後半まで、高度経済成長と称される産業革命が始まるまでは、日本中で最も豊かの地域の一つでありました。
 それは里山・里沼・里川・里海、そのどこをとっても多様で豊かで、1年中いたるところから「生態系サービス=恵み」が得られたからです。
 たとえば地域の方々は、衣食住、そのすべてを「里山の恵み」によって手に入れることができました。
 しかも、大消費地東京をまじかにして、旬のもの、嗜好品、を適宜提供するだけでいくらでも換金できる力を持って、笑いにあふれた、幸せな家族生活を維持できていたわけです。
 そしてエネルギー関係だけで言っても、ほだぎ、薪、炭等々供給可能な産地として高値でどんどん出荷ができていたわけです。

5 戦後、千葉県は時の知事が「千葉県は農業県」と謳って、永続的な繁栄を千葉県民に高らかに宣言をしたものです。
 それが、高度経済成長とともに180度暗転しました。
 石炭から石油へのエネルギー革命と同時に、エネルギーとしての木材関連が不要とされて、石炭産業と同様にして、一気に谷底へ突き落とされたのです。
 同時に、ダイオキシンいっぱいの除草剤の登場で、沼地が汚染され、沈水植物が壊滅し、もくとりもできなくなり、栄養価の高い発酵飼料が入手できなくなり、また、沼地での小魚エビが捕れなくなって
 「佃煮」作りもダメになり………  里山からの恵みが途絶えて40年。

6 一次産業として、完全循環型に近い素晴らしい、生物多様性にもすぐれたモデルであった箇所の無残な姿を垣間見て、心の底から寂しさと悔しさと、泣けてしょうがありません。

7 個人の里山や不要となった入会地が、業者に切り売りされて、残土捨て場になり、産廃センターとなりとうとう山砂まで掘りとって転売する、というところまで落ち込んでしまった。というところが現状かと思います 
  でも、「きなだやま」の事例の如く、国有地の山を崩して山砂を、東京圏に売って所得を得るということはなんという体たらくでしょうか。

 荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで個人的な意見です。ご了承ください。

■千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(5)

2009-07-08 20:48:32 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-4
千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。

 千葉県の里山の構成要素の一つとしての、水源涵養林から見える里山を考えてみます。
埼玉県、東京都、神奈川県にある水源涵養林と、比較してみて本質的に違う部分がある
ことに気がついてきました。

1 千葉の里山の問題の根源は水の扱いにあります。
 森林保全を前提にした、環境税は、千葉県ではいつ批准されるのか分からなくなっていると聞いています。
 神奈川県や埼玉県では導入直前にあります。それは水源涵養林を大切にしようということで、そのために使おうということが前面に出て県民が納得し、その方向にあると聞いています. しかし、千葉県ではどうでしょうか。
 水源を里山に求めるといっても、それおだけでは県民を説得できるだけの背景が千葉県にはないと思うからです。

2 東京都、埼玉県、神奈川県の3県、そして茨城県でも、貴重な水源としてその涵養のための森林として、その多くが県や東京都の所有となって、民間地でも樹木の伐採や開発行為が実質的に禁止され、その見返りとして所得の保証がされています。
 そして県民にも森林保全のためが主体的な費用として理解されつつあります。

3 現在、CO2排出源対策をも兼ねた形で間伐や全伐が、それぞれ比較的スムースに行われています。
 東京都の如く、企業としての東芝とも提携を行い、また、スギ花粉対策として、従来の杉を伐採して、全面的に植えなおすという荒療治までもが実行に移され出しています。
  勿論、国策としての地球温暖化対策への積極的な参画として、東京都も企業側も高く評価されつつあります。

4 こうやっても東京都の場合でいえば、東京都下の小河内系の水源で都民や企業等の水需要に答えきれるはずもなく利根川からの導水を大規模に行っています。
 でも、基礎的な部分で水ガメとしての奥山や里山の保全がしっかりと行われているのも事実です。
 かって都下で激しく争われた産廃騒動も、今、潮を引くように沈静化してきました。

5 その観点で千葉県をみると、まるで異なります。
 まず、法律的な面でも、千葉県での水源涵養林は、上記3県のごとく、しっかりとは保全されていません。
 現在も千葉県下では、どこからも水源涵養林として、保全されている箇所の話は聞こえてきません。 
 その理由の一つは、里山の所有が89%も、農家などの所有物となっていて、県で管理ができない状態にあります。
 多くは里山の頂上部、中小河川の源流部にあって、里山と呼ばれてはいますが、ほとんど平たんで、まさに岡に近く、現状、最も激しく開発が進んでしまった個所となっています。
 
6 本質的に異なる部分として、かつ千葉県の里山が残土産廃やゴルフ場に、そして山砂採取の危機にさらされる
 最大の問題点、それは水源涵養林としての、里山。
 東京圏で見ると、埼玉県、東京都や神奈川県では昔からから伝統的に水源涵養林として幅広くきちんと管理されてきています。
 しかし、千葉県ではなぜか水源涵養林の多くが、低山の里山であり、かつ下流域の農家の方々の入会地であった。
  本来水源涵養林のある個所は、町の境目などに多く、いままでは入会地として、周辺の農家同士が、肥料としても落ち葉や、季節の旬のキノコや山菜、ほだぎなどを取るなどの目的で利用されてきた箇所が多かったようです。

7  ところが、高度経済成長の開始とともに、燃料革命で一気にエネルギー供給資源としての森林機能を喪失し、石炭産業と同様にして、根源的な利用価値を失い、ために、人も入らず手入れがされない状態となって
 里山からの生産物=生態系サービス=恵みを失ってしまった状況です。
  そのため、かっての里山と違って恵みを生み出せなくなった途端に、その水源涵養林そのものが開発対象となってしまった。
 ゴルフ場や中小の住宅地、残土産廃、よくいって畑に変わってしまった。
  そして最近では山砂採取場所となってしまいました。
 
8 水源涵養林の開発を止める、またこれを禁止する名分がなかったことが、とても残念です。このため、一気に多方面からの開発が進んでしまったわけです。
  開発された個所からは、多様な仕組みで、どこからも汚水が発生してしまいます。
 下流域の土地改良区が、その田んぼの水質悪化のために迷惑料として開発業者から受け取っているのが、使途未定金となります。
  開発にあたり、地域との合意事項を取り付けなければならないことから、購入する企業側では里山を買い取るにあたり、下流域にある「土地改良区」に対して、地代とは別に、
 1M3あたり、相当額の迷惑料を売買契約書の内容に沿って支払うことが行われています。
 その金額たるや莫大で大変な金額です。
 
9 どのくらいかというと、一例で100件の農家規模の土地改良区で5,000万円程度。
 ほかの類似した事例で聞きましたが、ほぼ同規模で4,000万円ということでした。
 7,000haもある、印旛沼土地改良区あたりではどのくらいの金額になっているのでしょうか。
 その金額は莫大であり、かつ「土地改良区」では、使途未定のまま受領していますので、
 使うこともできないまま、使途未定金として滞留しているとされています。まさに「埋蔵金」状態です。
  でも、土地改良区とは、形の上では参加している農家の会員全体のものですので、
 その使えない使途未定金の存在が、保守大国千葉県での権力の源泉となっているとまで
 いわれているようです。

  
 荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp   
*あくまで個人的な意見として受け取ってください。よろしくお願い申し上げます。

なりわいで考えるモノ作りの場としての里山 という観点から 問題提起(4)

2009-07-08 20:46:01 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-5-16
まず、改めて
1 千葉県下の里山の深刻な状況は、
 (1) 都会地の過密の中の里山
 (2) 過疎地の里山
  と、2つの180度まったく異なる観点で考えるべきかと思います。
(1)は、多くの場合、宗教的な背景があって保全されてきた(鎮守の森)などあるいは、貝塚であったり、縄文遺跡であったり、弥生時代を背景にした里山であったりいずれも「食料、水、木材」というような「生態系サービス=命の恵み」にかかわっているとは
考えにくく、今回のテーマの主役ではあり得ないと思います。

2 なりわいで考えるモノ作りの場としての里山こそが
 「里山シンポジウム実行委員会」の本筋としてのいくべき道と考えます。

3 里山と相対することの意味を考える。
 (1) 里山の所有権は憲法で保障されています。個人経営者(主に農家)にある。
  千葉県下の過疎地を中心に里山の89%は、個人の所有地。
  千葉県では、所有権の問題から、ほとんどが行政が立ち入れない里山となっています
 (2) 所有権の小口分散化によって、千葉県茂原市だけで5,000口を超えほとんど、税金が3,000円を下回って、徴収費用を考えて行政側が放置している。そのため 結果として税金逃れとなり、さらに相続逃れとなっているようです。したがってあまり相続が問題になったことがないとのうわさもあります
 (3) なんと測量もほとんどされていない。そのためNPOや市民が、特定の農家の里山を手入れしている途中に、関係のない地権者の土地であったという笑えない事態がいくつも生じています。
  すでに、多くの地権者が、自分の土地の所在がどこからどこまでかも、分かっていない事態になっているようです。 
 (4) 公共工事に引っかかることを夢見ています。
  多くの地権者は、里山が公共工事に引っ掛かることを夢見ているとのことです。
 東金市にある材木市場へはひっきりなしに切り出された山武杉が大型トレーラで搬入されてきます。
 すべてが「産業廃棄物」として持ち込まれているようです。高速道路や山砂の採取に合わせて、山から切り出された木材とのことです。山武杉の廃棄先として持ち込まれているにすぎません. それ以外には、千葉の木材は市場性がほとんどありません。

4 里山は何よりも放置しておくことが最善の行動モデルに
 里山からは、現在市場価値のある産物は全くと言ってよいほど、ありません。したがって投資する意味もなく、放置しておくことが最善となります


5 入会権の劣化
 本来最も里山保全の中心たる水源涵養林が、収益性がなくなり
 (1) 入会権が形骸化している。しかし慣行として権利としてしっかりと定着。まるで無視できない
 (2) ゴルフ場、残土産廃、住宅地に用途変更されて、その水質悪化等の補償として支払われた多額の資金が「使途未定金」として、資金の性格上、埋蔵金として土地改良区等に滞留しています。その額は膨大となり、入会地が開発対象として、最近は採砂地として、残土捨て場、住宅地等に使われてしまう、大きな理由となっているようです。また、同時にそれが地域での権力の源泉として、保守的な風土が温存されてきた一つの理由となっているようです。

6 個人の所有権ががんになってきている。 
  入会権が問題である以上に、
 (1) 里山条例でも課題は、市民が立ち入ってきれいにした里山を、感謝もせずに、当然のこととして市民が追い出される事態も連続しています。里山がきれいになると、そこで何か作りたいと考え、人の出入りを嫌い「里山ごっこ」を退きたくなる流れとなるようです。
 (2) 市民が入って、里山の再生に力を発揮すると、時間経過とともに、その所有権関係を侵されるのではないかと不安を感じだして、追い出しにかかるのが通例の様です。
そのために市民を排除したいという願望が生み出されてきます
 行政側も、地権者側のアドバイサーとして、結果としてそれを支援するような立場に立ってしまうこともあるようです。


里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp

里山のことを本当にわかって、「食料、水、森林」を語ろうとしているのか 問題の提起(3)

2009-07-08 20:44:11 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-5-16
私どもは、里山のことを本当にわかって、「食料、水、森林」を語ろうとしているのか 問題の提起(3)
里山にかかわるシンポジウムも、ことしの全体会で6回目に至りました。
里山シンポジウム実行委員会も、いままで、いろいろなことがありました
 でも、里山へ向かう時に謙虚な気持ちを持ち続けないと、ある日しっぺ返しを浴びることになります。 とても注意深く、謙虚にならないといけないと思う昨今です。
 テーマが過大であり、十分に咀嚼できた状態で全体会に望んでいるとはとても思えないという危機感からです。
 「食料、水、森林」を、あまりに軽々しく取り扱っていると感じているからです。

 その最大の課題は、都市型の里山と過疎地の里山を同列に扱いかねない発想の問題です。
 その前に、個人的な感想を言いますと、 まず、里山を考えたときに思い浮かぶ言葉は、人の住む里がここまで壊れて、なぜ日本の市民は平気でいられるのか、よくわからないということです。
 日本の市民の”気持ち”がよくわからなくなってきたということです。

 歴史的に考えてみて、
 弥生時代から数千年、江戸時代の完全循環型社会で250年程度、そして日本の明治時代以降でも、現在までほぼ150年間の流れがあります。
でも、戦後昭和30年代までは、少なくとも里山の里は、大きな変化はなかったのではないかと思います。
 戦後、昭和30年代後半からはじまった高度経済成長がはじまって、たった40年程度にここまで日本が変わってしまった。
 それが現代社会にもたらしている、日本国としての精神的な混迷をどうするのかという、
問いかけに関わってきます
事実として、高度経済成長がもたらしたことは、千葉県下の里山で言えば

1 里山経済の仕組みの崩壊
 再生不可能なほどの壊れ方です。人が関与できるレベルを通り越してしまった現実があるといってよいでしょう。

2 里山にかかわる人的資源の枯渇から壊滅へ
 千葉県下でも成田以南は、どこにいっても、人のいないさびれた場所ばかり。
ひとのいない場所は、ある面でおもしろくもおかしくもない場所里山は1万4千年続いた縄文時代の原生から、弥生時代に入って数千年現在まで、日本人の物作りのための絶え間ない介入によって、数千年を経て現代の姿にたどりついています。
 それを維持管理することは大変な努力を必要とするのも事実です。

3 里山をはじめ、その担い手である人を組織的に、他産業へ取り上げてしまった結果、
 里山の現況が、どんどん壊れて、先祖帰りに近く、手入れを始める前の元に戻ってしまってしかも、生物多様性が最低になってしまったがために、どこからも「里山からの恵み」が得られない仕組みになってしまったと考えています。
 これから人手を介して再生するということがいかに困難かは肌身に感じています。

4 この現実を一番痛切に感じているのが地権者たちです。相当苛立ってきているなと
痛切に感じています。
 それは、自分たちの祖先から営々と守り育ってきたものが無価値になって、しかも
 都会人から、「手入れをしてやるから、言うことを聞け」と言われて、馬鹿にされてと
感じだしている方々が、増えてきているごとくです。 
 里山の所有者たちはほとんど農家の方々ですが、なりわいでの経営者でもあります。
とても敏感でもあります。
 本当に注意深く思慮をもって、敬って接しなければなりません。

5 都会人の考えているイメージでは、里山は語れない…と思う昨今です。
  永年にわたって、人の介入を受けなくなっている里山は、里山そのものが生き物として人の介入を拒絶するかの如くに感じられる昨今でもあります。
  それは、里山そのものから拒絶されるだけでなく、最近はその地権者たちからはもっと露骨に言われ、行動で示されるようになってきています。
  地権者に、絶えずあびせられる言葉に、都会人の「里山ごっこ」だけはやめてくれ。
 があります。里山はなりわいの場。ものつくりの場。ある面で神聖な場。

6 最近、あちこちで、里山の手入れを担ってきた「市民団体やNPO」が、地権者に締め出されるケースが増えてきています。
  私自身も3件も、そのような立場におかれて、とても心外だと思いながら、その地権者の心の襞を思いやると、ハッとすることが多く反省もしています。
  同時に、過密都市の中の「里山」と、過疎地にある「里山」とは、改めて180度違うものだということを心に刻むべきだと考えています。

7 里山シンポジウム実行委員会は、里山の地権者の方々を元気づけて、なりわい(生業)を活性化し、さらにできるのであればコミュニティビジネスのごとく、社会貢献ができる場として新たな活性化した社会を作るべく努力をする目的で設立されていると理解しています。

8 もちろん、過密な都会地の里山保全を考えることも、もう一つの柱です。
 でも、その2つを決して混同してはいけないと思うのです。またどちらが強いとか弱いの問題でもありません。

9 決して、過疎地にある「里山」を「私の里山」として、私物化してひけらかすようなことのないように、どれだけ地権者をないがしろにしているのかを、真摯に考えるべき時期かと思います。それは、地権者のおかれた社会的な環境が、いかに厳しいことになって来ているのかを 知ることでもあります。


里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp

改めて、里山、里沼、里海とは何かを問うてみる必要があります (2)

2009-07-08 20:42:48 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-5-14
5月17日に全体会を控えて、「第6回里山シンポジウム」を、改めて深く考えてみたいと思います。

 すでに、全体会の開催趣旨にも、里山の世界はきれいごとではなく、もの作りの場、生業の場として再活性化させるために何を考えなければならないのかを問う場となってきています。
里山のもたらしてくれる「生態系サービス=里山の恵み」が話の中心となっています。
  食料
  水
  木材
という3大素材を里山を介して得ていこうという感え方に沿って立脚しています

今回の「第6回里山シンポジウム」の開催趣旨を再度書き出すと 「今回のシンポジウムでは、里山からの恵みの価値について再評価しようとするもの。
食料や水、木材は、私たちの暮らしに欠くことができないものであり、これらは、かってその多くが里山からの恵みであり、それはみな里山に人の手が加わることによって
もたらされてきたものです。
 里山で得られる地元の資源の価値を再認識し、地元力を見直す、さらに自立した循環の仕組みをつくることが結果的に地域の底力となっていくことを考えていけたらと思います。 そこで、今回は、パネルディスカッションを主体にして、「里山・里海」等が生み出してくれている3つの、「生態系サービス=いのちの恵み」としての基礎素材を、パネラーの方々からお話を伺い、さらに、パネルディスカッションと会場からの質疑応答をベースに課題を掌握していく場として、組み立ててまいります。」 とあります。

今回のこのテーマでは
● 都会化された場での里山保全に関しては、別の機会にしっかりと申し述べます。
●それよりも 過疎化してしまった里山の場で考えなければならないことは、論点を合わせたパネルディスカッションを期待しています。
 もともと里山シンポジウム実行委員会は、地権者を中心にして構成される組織体であると理解しています。
その前提からでこれから提起する内容は、主として過疎化してしまった里山の再生にこそ
主眼のある話であると考えています。
その認識に立って、今回は「里山」を考えなければなりません。

 里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp

里山のリアルな現実的危機 (1)

2009-07-08 20:39:46 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-5-14
 現状、日本国民の3%にまで(昨年までは4%台)下がってしまった一次産業の,
農林水産関連就業者の現実がもたらす 国が、国土保全策を放棄してきたつけが、これからどんどん出てくると思います。

 国土保全の危機の実態の一つが、外国資本による地域全体の買収行為(切売り)として具体的に出現してきたと考えるべきです。

 まさにこれから抱える危機の実態の一部でしょう。
残念ながら、日本国が莫大な借金を抱えこみ、 日本中の地域がどんどん疲弊化し、多くの箇所で人がいなくなって過疎化していってしまう。
 地域全体の崩壊まで突き進んでしまっています。その現実にだれも考えが及んでいません現状、水面下では千葉県でもまじめに、過疎地の里山 → 縄文時代の原生状態に戻す
ということが、各方面で議論されている昨今です。 ということは、なんでもありという状態と理解すべきです
 数年前から、外国資本に観光資源として、地域全体を買収されてしまう可能性を検証
してみた、シュミレーションが報告されています。

 たとえば 秋田県のブナ林を大規模にある国に地域ごと買収されたとしたらどうなるかというリアルな話です。
 たとえば相手が中国だとしたら、中国国内にはない原生林に囲まれた超高級別荘地ができるのではないかというモデルケースです。
 中国では4時間移動しても、砂漠状態のところしか見当たらない。
でも秋田なら飛行機を含めて3時間程度。素晴らしい景勝地が得られる
 すでに、中南米の複数の国の著名観光地では、景勝地の海岸が、鉄条網で分断されて
治外法権的に、「現地人立入禁止」などとされていますが、同じことが起こりうるということが検討されたことがあります。

 おぞましいとしか言いようがない、しかし地域で生きていくにはそれしかない。という意見が主流になりつつあります。

 その流れの中に、千葉県でも、”きなだやま”のような山砂を採取するために山全体を
壊してしまうことも、地域を生き延ばせるための手段として、銀行系のシンクタンクまで
合法性を主張し、認可しようとする動きまでが生じています。

 里山・里海等、本来日本の基礎資源を調達できた場所を、文字通り切り捨ててきて、
地域で生きるすべがなくなってきつつあるが、現実でしょう。
 個人的には、ここ4~5年、里山の抱える危機は、ますます広がり収拾がつかなくなって きたという実感です
 たった40年間で農林水産業への就業者を1/10以下にまで、減らしてしまった最大の原因解析ははっきりとしてきました。
 が、市民や行政側の”気持ち”に最大の原因があるとしたら、解決策が簡単に見出せるとは思えなくなってきているのことも事実です。

 今回の里山シンポジウム全体会のテーマでは、まさに生存を支える資源を里山・里海に
求めるという「生態系サービス=恵み」としています。
 切実で切迫した問題ですが、日本人の”気持ち”が変わらない限り、現状ではまさに
”絵に書いたモチ”状態と考えています。
 このあたりの危機感がどこまで共有化されているかというと、千葉県内でも、とても大きな温度差があると言わざるをえません。
 まさに、鳥インフル、豚インフル騒動と同じように、初めての経験として、免疫のない状態のまま日本人が想定すらしてこなかった事態が起きかけているのだということだと思います。 さらに考査していきます。 


里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp

2 生物多様性とふゆみずたんぼ関連のシンポジウムを開催

2009-07-07 09:58:10 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-7-7

 ふゆみずたんぼは、生物多様性にとても貢献する生物多様性貢献型農法として評価が上がってきています。特に大規模化した導入も各地で始まっています。これはもともと日本雁を保護する会(会長:呉地正行)が、ガンやハクチョウの越冬地形成のための最適な農法を調査中に偶然発見したことが契機になって、すでに膨大な知見が整ってきています。 温故知新による技術体系を最新に組み替えていく手順で、ふゆみずたんぼと里山との連関性が見えてきました。 

 里山里海サブグローバル生態系評価・ふゆみずたんぼ報告
●日時: 2009年7月18日 午前10:00~16:00 ●場所:千葉県立中央博物館 IF 講堂

里山シンポジウム委員会では、ふゆみずたんぼの報告をを午前中に行います

午前の部:ふゆみずたんぼ報告 司会: 荒尾 稔
(里山シンポジウム実行委員会・千葉県生物多様性センター共催)
10:00-10:05 趣旨説明 
「水田(里地)が結ぶ、里山から里海までの流域としての生物多様性」
いま、東南アジアの水田のもつ生物多様性の力に関する科学的な知見は、今回の千葉県からの発信をはじめ、「ふゆみずたんぼ・不耕起栽培」及び関連情報として、全国各地で蓄積され、揺るぎのない「生物多様性」に係る根幹情報として定着しつつあります。また、千葉県が中心になって里山や里海での<科学的なデータによる合意形成>に関して情報蓄積が進むことにより、「流域という単位での情報の蓄積と解析」が可能な状況となりつつあります。「生物多様性」を里山から里地、そして里海まで流域として掌握検証する場が形成されることを目指します。

10:05-10:35 特別講演 「ふゆみずたんぼ~過去・現在・未来~」
 日本雁を保護する会・ラムサール・ネットワーク日本共同代表  呉地 正行
江戸時代の会津農書に、冬の田んぼに水を張り土壌を肥沃化させる「田(た)冬(ふゆ)水(みず)」という農法が登場します。それを乾田化が極度に進行した現代の冬の水田に甦らしたのが、「ふゆみずたんぼ」。水田の湿地機能を高め、水辺の生物多様性を高め、その力を活かして持続可能な水田農業をめざす「ふゆみずたんぼ」の取組みは、宮城で始まり、今では各地に広がってきた。昨年(2008)のラムサール条約COP10では、水田の湿地システムとしての生物多様性向上に注目した「水田決議」が採択され、来年(2010)に名古屋で開催される生物多様性条約COP10へ向け、この決議を活かす取組みが始まり、その中核にあるのが「ふゆみずたんぼ」です。

10:35-11:50 千葉県における「ふゆみずたんぼ」報告 
概要報告、水質に関して  小倉 久子
植生 雑草類 金子 是久
鳥類 神 伴之
プランクトン類  林 紀男
 
11:50-12:00 「水田稲作の無肥料・無農薬化」には、水田(里地)と里山との融合利用が必要
 日本不耕起栽培普及会会長  コメンティター岩澤 信夫

●午前中開催の本事業は「独立行政法人環境再生保全機構地球環境基金」の助成を受けて実施します


午後の部:里山里海SGA関東中部クラスターレポート報告 司会: 小倉 久子
(千葉県生物多様性センター・千葉県立中央博物館 共催)

最後に午前の部と午後の部の一緒になっての総合討論を行います。
総合討論・質疑応答

詳細は
里山里海サブグローバル生態系評価・ふゆみずたんぼ報告

「生物多様性と私たちのくらし」 展示会のご案内(1) 内見会

2009-07-07 07:04:21 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-7-3
 7/4開催から開催される「千葉県立中央博物館」と共同した展示会を開催いたします
生物多様性にかかわる8つの展示のうちで、6番目の「生物多様性と私たちのくらし」部分を、地球環境基金からの助成金を得て、、公式HP里山シンポジウム実行委員会として、自発的に開催する内容です。
 

ミツバチの問題を取り上げた分科会を開催しました

2009-05-24 17:51:47 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-4-25 千葉県佐倉市の敬愛大学のキャンパスで、「ミツバチの激減の現状・原因を考える勉強会」です。 里山とミツバチ問題は、日本の農業にとって奥深いテーマ。秋に再度予定。今回は基礎の勉強会

「里山と水循環」「里山と農業」「里山とミツバチ問題」の3分科会を連続的に開催しました。 60人ほどの参加者で会場はいっぱいとなり、とても熱のこもった分科会となりました。ミツバチの問題では、3つの角度から専門家に話をお願いしました。
①今話題のみつばち問題とは    日本不耕起栽培普及会会長 岩澤 信夫氏   農家の方々への農法に関するコンサルタントとしての立場から   
②セイヨウミツバチとニホンミツバチ (株)イカリ消毒研究員 邑井 良守氏
③研究員でハチ類の専門家      千葉県立中央博物館  宮野 伸也氏
意見交換は分科会代表として、 里山シンポジウム実行委員の荒尾 稔が担当しました。
 欧米では、家畜として飼育され、ナッツの如く受粉対象が3ケ月間同じ種類を受粉させられることによる、各地に蔓延しているストレス原因説が根強く
 しかし日本では、もっと深刻な事態として、ネオニコチノイド系の農薬による壊滅的な被害が重なっているという感じが見えてきた分科会と認識しました。
 一昨年から田んぼの斑点病(原因はカメムシ)対策として空散で撒いている、ニコチン系の農薬、ネオニコチノイド系といわれています。田んぼで大量に使いだされ、ミツバチを含む昆虫が一気にいなくなってきたといわれます
 今年の秋に第2回目を開催予定ですが、節足動物全体が著しい影響を受け、トンボやイナゴがいなくなった。生態系の生き物調査が、対象の昆虫がいなくなって成立しないとまで言われる現場のことを考えると、極めて気の重い状況です。
これからの課題ということで
   

第6回里山シンポジウム全体会が開催されました。

2009-05-24 17:32:18 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009/5/17
 千葉県佐倉市志木コミュニティセンターで、第6回里山シンポジウム全体会が開催され、300名以上の参加を得て、滞りなく無事開催されました。
 本年度は「里山と食料と水と木材」というメインテーマです。
サブテーマは、「さとやま空の生態系サービス」ということで、これを「里山からの恵み」と翻訳しなおして、理解しています。
 パネラーとして
食料は、地元佐倉市の酒の醸造元「(株)旭鶴」の杜氏である田中素子さん
水は、「水資源開発問題全国連絡会」共同代表の嶋津暉男さん
木材は、「千葉県農林水産部森林課」課長の伊藤道男さん
コーディネーターとしては江戸川大学の吉田正人さんの構成でパネルデイスカッションを
行い、会場からの質問に回答する形で運営されました。また会場からの直接の質疑応答がなされました。