文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

六義園の亀類やブルーギルなどの外来種ばかり

2009-07-26 17:53:05 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2009-7-26
 六義園にも、外来種としてミシシピーアカミミガメがいることは知っていましたが、その数がかなり増えています。
 それとちょうど拮抗するように日本産のカメ類(ニホンイシガメ屋クサガメなど)がいます。
 この写真には大きなスッポンが1頭、一番手前に映っています。
それ以外にも1頭の不明カメがいました。真っ黒でほっそりとした体形で、でも甲羅干しをしていました。

 外来種のブルーギルがまたまた増えてきている模様です。
結構多数見られました。
 でもクチボソなどのモロコやモエビ等は一切観察できませんでした。
どうしたのでしょうか
 水質はかなり悪くどろどろした感じです。それも気になります。


久しぶりに六義園に行きました(1)

2009-07-26 17:37:18 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2009/7/26
 かっと照りつける太陽が痛いほど皮膚を焦がす。昔よりよほど日差しが強くなったのかと感じる昨今です。妻とUVカットの溶液をたっぷりと顔や腕、喉周りに塗りこ見ました。
 往路は日陰を選んで。それでも暑い。すこし風を感じてほっとします。
入場券は、スイカのカードでかつ65歳以上だとさらに割引ということでした。一般の半値八掛けというところでしょうか。しっかりと年を感じます。
 湖面にはツバメが若干。でも入り口前ではカラスが燕の巣立ったばかりの雛を追い回し。ともかくカラスの幼鳥も多くて、ガーガーうるさい。ムクドリ、キジバト、シジュウガラ、いずれもたいした数ではないが、目白の数はとても多い。水面上には赤とんぼがとても多くほっとする。ヤンマ類も少し。蝶はアゲハ類が多く、アゲハ蝶は2回、青筋は各地で、特にクロアゲハは10回以上目撃し多かった。キチョウを一回。でもモンシロ系、ヒカゲ系も、セセリも、ツマグロヒョウモンも観察できず。
 ここ以外、往路復路とも、トンボも蝶も鳥も何も見ることができなくて、できなくなって、生物多様性の衰弱ぶりを実感しています。

 風は程よく吹いて、景観は来るたびに、園内でのきめ細かい木々の管理状況を見ていて、全国でも指折りの手入れの行き届いた公園なのだと感じています。

 園内で、09年4月に、珍重ヤツガシラが観察されたそうで、東京新聞の写真家堀内さんの名前もあって、複数枚が展示されていました。
 それもあって園内で観察される鳥の写真は30枚ほど展示され、中にアカゲラの写真はありましたが、オシドリの写真のないのがおかしいなと思っています。
 

第54回里山シンポジウム実行委員会会議開催

2009-07-26 17:32:34 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-7-20
 里山シンポジウム実行委員会が久しぶりに開催されました。
今回は、
1 次年度も継続してこの委員会を開催していくか否かを大きなテーマとして開催されま した。
 結果として全員一致で継続をすることを確認できました
また、県の森林課の担当者も出席され、次年度はこの委員会の発足の機会ともなった里山条例が発足して5年目。見直しの作業に入ることが話としてありました。

2 として、地球環境基金からの助成を得て、7月から始まって2週間。中間的な課題を
話しあいました。来訪者が千葉県立中央博物館全体としても前年に比べて落ち込んでいるとの報告もあり、幕張メッセで開催中の恐竜展との競合の話もあって、真剣な議論に。
 

東京国際ブックフエアの開催と、本年度の傾向

2009-07-11 06:23:08 | 組版プロの思考からXMLを考える
2009-7-10
 7月9日より12日まで開催されます。7/10に会場に行きましたが、代表的な大日本印刷のコーナーと、凸版印刷コーナーを主体に見学。
 まさに、大日本印刷の考えるビッグバンの一部がまともに出現していました。

 全域的に、アナログが終わって、ITベースでWEB上での展開を可能にする、具体的な部分が色濃く出てきているという印象。
 その中で大日本のコーナーでは、フオントカラ-書籍作成、その電子化にかけての一連を達成でいる仕組みをトータルで提案しているようです。
 大日本印刷のトータルな構想というのは
川上から川下までを一貫して網羅できるサービス体系を構築するということで、
出版社としては(株)丸善に大きく出資を行い、実質的な子会社化を行い、制作上では規格の統一を講談社をはじめ大手出版社と共同し、川下の最終的レベルではブックオフとの連携によって、売れ残った書籍の処分ルートまでを一括して束ねていこうという戦略とみられる。
 そこには貴重なコンテンツをすべての分野で押さえて
ワンソースマルチメディアを実現するための手段として、ある面で強引に事を進めようという魂胆がはっきり見えてきます。
 すでに、都内の印刷・出版業界では多方面でかなりの影響を受け出しているという話で
す。

 その中で凸版印刷はシャープと組んで、電子出版に関しての新しい?提案を出していますが、何かもう一つピンと来るものがありません。

もう一つは、製品に力のある会社が副数社同じ傾向の展示を始めています。
それは1冊からできる写真集や、書籍のWEB上での作成分野です。
1 オリジナル絵本のWEB作成 まだ市場調査のためのテスト展示とのこと
 パターン化した書籍プランをまとめて、その中から選んでテキスト流し込んで作成する
2 1冊からできる写真アルバム集
 大手のフイルム会社が生み出したサービスをWEBを介して、製本会社が乗り出した仕組 み。可能性が大きいと思います
3 各ブログ会社と提携して、ブログのままで受け入れて、製本手法を複数選択できる
 元素的なオンデマンド会社。印刷業でも中堅の革新性のある会社で著名。今回は組み版パターンを増やし、また、ブログでも"GOO"のようにカテゴリー別に使えるブログに対応して、カテゴリーわけをも行ってきました(まだ評価版)。

 いずれにせよこの分野がこれから数年後に大ブレークするであろうことは目に見えるようです。いずれも市場の特定手法別に、市場を制覇していくだろうことは想像ができます。


千葉県内の里山の現状とは何か。里山を抜本的に再構築するための一つの策として(12)

2009-07-08 21:05:16 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-25
 あえて、山林だけでなく、水田での問題点を、気がついたことを
 千葉県下、農村での行政組織があたかも、擬似的にかっての地主化してしまった事も 

1 千葉県では、随所に千葉県庁や市町村で行政担当者が、まさに地主としか言いようのない乱暴極まりない状態で、何度も何度も、農業従事者に相対しているのを目にしています。その極の一つが、手賀沼、印旛沼周辺で生じている事態なのでしようか。

2  日本中で印旛沼周辺は、最も豊かな生産物と水上運輸を含めて、明るく生活をエンジョイできた地域と聞いています。現在は商業は寂れ切って、大規模住宅地に変わりましたが、印旛郡栄町や本埜村の歴史を、ひも解くとよくわかります。
 特に水運と、豊かなお米と、マシジミやウナギ、そして小魚やエビなどの佃煮が名物となり、印旛沼や利根川を交通路とした水運も盛んでした。
 今ではえっと驚きますが、成田市にはいたるところウナギの養殖所もあって、そのあとを見て歩いたこともあります。
 また栄町には、まだ地域の鴨を取って、カモ料理を出す専門店が複数残っています。

3  そうです。かっての手賀沼や印旛沼は自然湖でありました。利根川の氾濫源を形成し、普段はその三日月湖として成立してきています。まさに、霞ヶ浦、手賀沼、印旛沼しかりです。 

2 ところがある日、突然に、それらはすべて、今日からダム湖だと宣言して、地域の利害関係者をすべて切り落としてしまいました。
 いままで金銭価値として評価されていなかった巨大な沼が、大規模なダムとなってしまいました。 ただのものが、紙切れ1枚で、何億トン×@何百円=となって、突然日本のGDPまでをも一気に押し上げる結果となりました。
 代わりにダム化ですから、水位を1年中管理されて、春いちばん水面が高くなるために、沈水植物が発芽できず、それを餌にするミミズ類(イトミミズなど)が涌かず、マシジミ屋ヤマトシジミが全滅し、気がついたらすべての地域を支えていたなりわい(生業)の仕事が、見事にすべて消えてしまったのです。

3 さらに、周辺の大規模な干拓によって、沼及び周辺域を埋め立ててしまった箇所では、なんとそれを払い下げを受けた農家には、国が農家の方々を集めてできあがった土地改良区が、払い下げを受けた農家の監督者として農家への介入が始り、現在に至っています。社会保険庁や教育委員会、と同じレベルで土地改良区は、監督権限を持ち、裁判権を有しています。
 払い下げは、情実を伴ったと聞いています。しかも行政側が、かっての小作農の方々に相対していきましたから、どうしても行政との関係が、擬似的な「小作と地主」の関係にならざるを得ないこととなりました。
  
4 千葉県下の市町村でも、農林水産関係の職に従事している方々の、かなりの方々が行政職でありながら、人を人とも思わないで行動する状態を5年以上つぶさに観察してきました。
 農家をはじめ、私どもNPOや市民に対しての対応でも、荒っぽい対応さは、言語を絶するものさえありました。
 我孫子市でも、とても理解のある中堅の行政の方が、農林水産部に移動されましたので、水鳥保全のより発展が期待できるかなと伺いましたら、180度態度が変わって、ふんぞり返って一切を拒絶。しかも身体的加害まで連想させる言葉まで使われて、
 土地改良区(我孫子市では水田の98%)内へは、ふゆみずたんぼ等の農家への接触さえもまかりならんという話で、すべての動きが凍結になった経過があります。 
 
5 水田をコンクリートで固めた慣行農法とは、あらゆる社会インフラを土地改良区が握り、農家を監視して、裁判権までもって、農家を監督し、結果として場合によっては、陰湿ないじめを通り越して、言うことをきかない農家を金融的に追い詰めて破綻させることをいとわない。
  そのような組織がいまどき温存されているのは驚きです。でも、一言で言って、それらの仕事に従事している方々の多くは、とても苦しんでいると、少し付き合うと、こぼされることが多々です。
 でも縁故で入った方々は(そうは言いませんが)、逃げ場がなくて、結果、典型的な三無主義に落ち込んでしまっている方が、と考えてしまうことも。 

6 これから若者たちのかなりが、現在の加工産業的な、サラリーマン社会から、なりわい(生業)的な一次産業への活路を、なんとかこじ開けてでも入ってくる時代が始まっています。
 その方々が、農業や漁業の世界に入りやすい、危険な世界をセフテイガードを張ってあげられるかがキーワードだと考えると、いままで散々な目にあわされてきた経過から、
 かなりシビアでありますが、問題の提起にしたいと考えています。   

7 現在、環境を配慮した農法と言いながら、それらを市民が発見し考案し普及を進めようとしても 最大の抵抗勢力は、何と農業であり農家でもある。
 その典型例がふゆみずたんぼであり、冬期湛水不耕起栽培による無肥料化した農業の展開です。
 韓国や中国など世界的に広がりだした、生物多様性に貢献度の高い農法であり、農水省も、その 普及を積極的に進めようとしています。
 でも、千葉県では、宮城県、滋賀県、そして豊岡市などのように、篤農家があいつで参加し、市民と農家と、生協と、そして大学や土地改良区まで加わって地域おこしの一つとして、どんどん発展をしていくはずが、千葉県では動きません。
 
8 かっての日本の物作りを支え、現在の日本を型作りをしてきた、日本にとってものつくりにたけた、もっとも貴重な方々を、毎年不条理な原因によって、多数の方々が自殺に追いやられています。
 それが、都会地では「職人」と呼ばれる技能者であり、地方では農林漁業を営み、商店を経営してきた 方々です。
  いま、「きなだやま」の山砂採取問題などの背景に、農家の疲弊をもろにかぶる地域の土地改良区 などの切迫した財政問題等があるという指摘もされています。 

9 千葉県では尋常な状態ではない。農業をはじめ、一次産業ではすべての人々が里山や田んぼから 立ち去ってしまう状況が起こっているとしか言いようがありません。
 実は、千葉県の里山では、これが現実に起こっている事態だと認識しています。
 戦後の土地開放で土地を取り上げられた方々との、怨念ある争いははよく理解できますが、実際に一次産業従事者が45%からたった3%までに、ここまで減少してしまった現実は、異様としか言いようがありません。

10 印旛沼や手賀沼の地域を含めて、千葉県の農家の方々との接点をいろいろと模索してきました。しかし、行政をを含め、私どもにもかたくなに、話までも聞こうとしない姿勢は、異様としか言いようがありません。  
 言ってみれば行政などに対する徹底した不信感です。成田闘争での、特に三里塚の狂騒がよく物語ってくれているように思います。
 農家の方々に、常に聞かされる枕ことばは、「行政の言うことを聞いた連中はみな破産した」。一切耳をふさいできた連中しか生き残っていない。という何とも言いようのない言葉です。

11 今、若者を含めて、千葉県では正直、集落で人を受け入れる雰囲気はとても少ない。
 限界集落で人がいなくなってしまって、そこへ立ち入った若者は、しょうがないで受け入れられていますが。
 
12 あえて書きますが、戦後の行政の行ったことを考えると、江戸時代から歴史的に地域を分散して管理してきた、江戸時代からの悪しき習慣をも含めて、情報公開や、山武杉の失敗例等に関して きちんと総括を行って、農家の方々との信頼関係を再構築しない限り前に進めないと考えています。
 悪縁は早い時期に、切り落とさないといけないと思います


 荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

千葉県内の里山の現状とは何か。里山を抜本的に再構築するための一つの策として (11)

2009-07-08 21:02:05 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-25
千葉県などの、里山を抜本的に再生するための策として、水質の良い水を確保するために
それよりも質の良い里山を育てていくために、なによりも人材育成のために。
 県でしていて椅子水源涵養林を、もっと大事にすることが、その第一歩だと思います。

1 重要な水源涵養林への集中的な資金投入を 
 重要な水源涵養林は、生物多様性保全目的にかなった水源涵養箇所として、また下流域への飲用水、そして農業用水としても、最も本来最も大事で保全すべき個所です。

2 現在、千葉市内等にも、水源涵養林としての指定を受けながらも、その本来目的である水源涵養林としての役割を果しえないまま荒れ果てて放置されている箇所が散見されます。また、今もなお、かっての入会地のまま、手入れを受けられないまま放置され、いつ開発にさらされるかわからない河床が多数あります。
 水源涵養リンといわれながら、法律的には弱く、残土や住宅地、そして採砂によるぶっ壊しまで危険な状態のままとされています。  

3 しかも、所有者から見れば、収入源を断たれ、40年以上経過をしていて、里山での所得の循環の環が断ち切れたまま、現在では、どうしたらよいか、誰も相談にも乗れない状況に置かれています。
 したがって、その物件を悪徳業者にふらふらとはんこを押して売り渡すということも避けられません。
  
4 どう対応すべきなのか
 現状では、利害関係が錯綜し、資金的な課題が見いだせないと、解決策はとても困難としか言いようがありません。

5 まず、県として早急に環境税を導入を推進頂き、その資金を活用して、里山再生基金として、森林伐採、再度の植林、地域に最適なソーシアルビジネスの導入などを含め、人材育成 らやり直すごときが必要と思われます。

6 また、千葉県には森林保全のために活用できる資金が、現在50億円以上、まさに使途未定金として、蓄えられているとの話を間接的ですが聞いています。 
  県自体に、この目的に沿って使える余裕資金や基金や埋蔵金があるとすれば、毎年少しづつ でも県が重要と思われる地域の、水源涵養林として重要と目される個所を農家などから、県自体で買い上げて、それを水源涵養林などとして再構築していける制度の導入なども重要かと思います。

7 土地改良区に埋蔵された使途未定金の活用策 あらゆる手立てを介して、手賀沼や印旛沼土地改良区などに埋蔵されている資金(使途未定金)などを発掘して有効活用する策を 講じられないでしょうか。

8 俗にいうこの「埋蔵金」を地域再生に役立てる。そのためには時限立法も考慮する。 「土地改良区」等にに貯蔵された使途未定金を有効に使って、里山の再構築を進める事が、過去から現在までの、ことの経過から考えて、最善策ではないかと考えています。

9 同時に権利関係を明確にするためにも、正確な測量と、植生などの調査を行ってです。所有権を県に移管して、管理可能にすることが肝要と思います。
  
10 すべての基本は、「人材の多様性への担保」であり、地域を再構築するのだという「気持の高まり」にあると考えています。
 未来に対する明るいビジョンをともして、それに向かって各方面から研鑽を重ねていくこと。目的をもった組織に、組織と人を再構築できるか否か。
  そこにかかってると思われます。


荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。 再構築のためには何が必要か (10)

2009-07-08 21:00:06 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-23
千葉県では、環境税が未だ導入されていません。

 本年度も、4月の里山シンポジウム実行委員会の分科会が行われ、
改めて2回目の訪問となった千葉県東金市の木材市場には、続々と山武杉の丸太を満載したトラックが到着して活気を呈していました。
 でもよく見るとすべて、産廃業者が専用の大型トラックで運んできた山武杉の伐採し、
枝を切りはらった状態のままの丸太です。

 これらは、ひとつは房総半島を横断する高速道路工事にて生じる工事路線上の森林伐採
現場から搬出されたものが多く、また千葉県下の各地で、今、行われている山砂採取を原因とした森林伐採、そして残土廃棄、さらに産廃工事中の箇所からのものもありそうです。

 公共工事や山砂採取では、どうしても、業務上で伐採しなければならない山武杉を
産業廃棄物として処分しなければならず、そのための捨て場として、木材市場が便利だからとせっせと運ばれてきている模様です。

 丸太にした杉が1本100円以下という時代。山に生えている杉をわざわざ切って、丸太に加工して、木材市場に持ち込むという山林所有者は皆無に近い。
 理由がなければ伐採をしません。間伐や全伐を仮に行ったとしても、改めて植林して、
数年~数十年以上も、雑草の退治など手入れを行うことを考えたら、伐採などできるわけがない。

  千葉県では環境税が未整備であるために、環境税がすでに導入され、間伐や全間伐材のとても便利な先として他県から各種のスギなどが、商品の丸太として搬入されてきています。このために、千葉県産の木材価格が、さらにさらに下落しているといわれています。これら木材市場では、それなりにチップとして、ベニア板用としてさばけているようです。
建築の目的等での、本来の木材としては、ほとんど使われていないのが現実だと聞かされています。 当日も、建築用の材木は90%以上が他県産か、外国品のごとくでした。

 挙句に、地球温暖化対策として、国内の森林の間伐や全伐をかなりの程度行わなければならないということで、千葉県にも実質的なノルマがあてがわれているそうです。
 その森林の間伐や全伐のエリアは、伺った市の担当者は、市内の森林の10%超をこの目的に合わせて間伐や全伐を行う必要があると試算しているとのことです
 でも、同時に市内の森林所有者で、協力を申し出た方が皆無だとも話していました。

数年後に、この課題は顕在化して、千葉の里山保全ということでは大きな課題になると思われます


荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

■千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(9)

2009-07-08 20:56:56 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-23
千葉の里山が石炭産業と同じ立場に

 里山を美化して話をすることはいくらでもできます。
個人的には、素晴らしい手入れされた里山を各地で見てきています。
 しかし、日本の庭園のモデルの一つとして見ていくと、なりわいの場としてあったとしても、それが有料の公園として、その大変な手入れをカバーできる場所でしょうか。
 所有者である農家の方々の甚大なご参加をいただけないと、NPOや市民だけの力では継続しての維持管理は、とても大変だろうなと考えています。
ともかく、そのような恵まれた個所はとても少なく、その多くがNPO法人や市民によって維持管理されていると場だと聞くと、頭が下がるだけでなく、その永続的な努力をどのようにして補っていられるのが心配になる。
 まさに、これが心配の基本です。

 ここまで放置してしまった結果を、再構築することは至難の業であるということ。
事実にいかに直面してうろたえないですむかにかかっています。

1 かっての千葉県の豊かな里山は、40年前に、その前提条件が一気に崩壊してしまって
 現在に至っています。
 いま、千葉の里山からの生態系サービス(里山の恵み)はほとんどない。結果として所有者や管理者が、里山の恵みとして、所得を得ることが出来ない状態が、早や40年以上を経過してしまっています。

2 エネルギー源としての里山の機能
  昭和30年代後半、里山の木材資源(落ち葉、松葉、ほだ木、薪、炭)などは石油に代わって、石炭と同様に一気に切り捨てられてしまいました。
 里山のもっとも重要な現金収入源であり、里山を維持成立させる根底が切り捨てられてしまいました。
それからは、里山を手入れができる根拠が途絶え、手入れをしないことが赤字を減らす最善の策とされてしまいました。
 途端に山が荒れだして、春の筍、旬の春野菜、そして秋のキノコなどの、大切な旬の味も消滅し、都会地への季節の便りも、だんだんと届けられなくなってしまいました。
 大切な都会地のお客先をも失っていくことに

3 さらに追い打ちをかけたのが、初期のダイオキシンたっぷりの除草剤の全国的な利用開始がなされると同時に、千葉県では特に顕著に河川、特に沼地の水草の壊滅的な消滅がおこりました それによる、
 (1) 水草をモク取りとして、秋に収穫し発酵させて、自前で理想的な肥料をつくるための基盤が壊れ自前での農産物を作るに貴重な肥料が絶えた。
 (2) 小魚や、エビ、そしてマシジミやヤマトシジミ等の高付加価値ある漁業の恵みが消えて収入激減を招いてしまいました。里沼、里川部分での生活基盤もことごとく壊れてしまった。 

4 北海道の石炭産業の中心にあった夕張市と同様に、エネルギー革命による没落と、
 農業・水産資源の枯渇を引き起こして、それでも何とか40年間、何とか今まで食いつないできたが、夕張市よりも、ある面では深刻な状況を、さらに通り越していると考えます

5 現象として
 (1)東金市や、木更津市以南、君津などから、山砂の採取ラッシュとなってきている。
  「きなだやま」のごとき、山全体を、国有地を全体壊してしまう。
  千葉銀行総研までもが、最善の政策課題だとの報告書を出す始末
 (2) 千葉県名物の水産物であったはずの小魚の佃煮はほとんど琵琶湖産
  シジミはほとんど島根県の宍道湖産か、琵琶湖さん、あるいは茨城県の涸沼産,
あさりは海外産 
現在、内水面で佃煮用の「モロコ」が全滅状態で、すべて琵琶湖産に皮が硬くて佃煮に使えない「タモロコ」に変わってしまっている。
 (3) アクアラインの通年800円化で、誰が喜ぶか。
 神奈川県側では残土・産廃業者。 日帰りでバスツアーを組める観光業者。
 千葉県側では山砂採取業者と、内陸部の高額所得者(神奈川県でお買い物)とまで、言われています。

荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

 

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(8)

2009-07-08 20:54:53 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-22
千葉県での、里山を含む一次産業への新規参入を意図する若者たちののために
私どもは、いったい何がお手伝いができるのか。


1 千葉県における林業、農業、漁業への若者を中心にして、
 この不況下の中で、新規参入される方々が着実の増えてきているようです。
 いすみ市などでもその傾向と聞いています。いすみ市でも、特に人がいなくなってしまって放棄される寸前になった、限界集落にいつの間にか若者たちが住み着いて。
  独りよがりな方法で、近所の農家から見れば、有機野菜を作り出すと称して、草ぼうぼうでどれが野菜でどこまでが雑草なのかわからない。見ていられない有様。

2 でも、このあいだも、いすみ漁港手前の、魚料理店に出向いたときに、頑張った若者
  が家族で食事中で、その指導をしてきた地域のNPOの代表の人が、とても喜んで、
  励ましていました。落ち着くまでに5年もかかったそうです。

3 しかし、里山への就農にはそこには都会人には想像外の、とても厳しい現実があります。里山などで農業、林業、漁業等への参入は、経営が安定するまでが半端ではありません。いすみ市およびその周辺は、例外的に若者たちの新規就農が多い個所と聞いています。
 それも、その地域が、港湾設備、道路建設、新幹線など、そして大規模郊外店舗展開
 など、グローバリズムに、千葉県での例外的に患わせられることがなかった、その結果だと聞きました。
  逆にいえば、発展性に乏しい、魅力がなかった箇所と言い換えれば、そういうことでしょうか。
 
4 一次産業への若者の参入とはまず、甚大な有形無形の投資行為が必要となる分野で
 あることの正しい認識が必要です。
  コンビニエンスや製造会社にサラリーマンとして勤務することとは違って、その日から収入が保証されるわけではありません。
  野菜で数ヶ月、おコメでは年1回しか売上が回転しません。しかも、納品したらすぐ現金が入るという保証もありません。 
  経営的に安定して採算がとれるまで複数年はざらにかかります。
  初めの数年をがんばり通す、仕事として採算が取れるように成り立たせることの
 難しいこともありあります。 

5 現在、一次産業を目指す若者たちは農家に生まれ、親の背中越しに農業を肌で感じられる若者はほとんどいません。
  そのため技能蓄積のない若い方々では、一次産業参入には、かなりの現場景観を積むための教育を受けなければ、売り物になる農産物を作り出すことは、至難であることが実情でしょう。

  
6 里山の現実はすでに限界農家の問題であり、数千年来地域ごとに蓄積されてきた生きるための、知恵のつまった財産を、ノウハウを、知恵を、文化資産をことごとく喪失してしまうか、してしまった段階に至っていると見ています。
  里山は覆いがたい衰退に陥り、技能や技術を持った方々が超高齢化していて、その技能を継承できないほどの世代間での、技能伝承での情報断絶が生じてしまっています。
 そのために、地域の子供たちが、継承しない、そのような状態の箇所に、何も知らない
 経験不足な若者が入り込むということがどのような結果をまねくのか、
 話を聞くたびにぞっとするというのが現実の姿に近いのです。


7 それは、里山や里沼、里海等を取り巻く、農業などでの一次産業の法律的な整備が十分になされていないことに、問題があるからです。
  大体、江戸時代の村社会の構造のままと現代に至ったと考えるべき状況だけが多く残ってしまっています。
  いま時、常識的なコンプライアンス(法的な準拠)整備が、ほとんどなされていないままの場所と考えてもいいと思ってください。

 * コーポレートガバナンスの基本原理の一つで、法律や規則などのごく基本的なルールに沿って活動を行うことを指します。

8 千葉の里山や里地、里海は、問題の一つが、商売、商取引の仕組み、近隣との複合化した、入り組んだ関係など、数百年の時間経過を経た、俗にいうお付き合いの現実の厳しさに、結果としてついていけない事がとても多いと聞いています。 
  農業にとって50年間は一つの世代にすぎません。ために、都会からの移住者は、現状では50年たっても入り込めない。
  新住民と旧住民が共通の価値観を持って協働できなければ、常に無視し合うか、競合するかいう関係のまま複数世代にまでつながっています。 

9 そのうえ、農業でさえも地域での生産物をうまく受けとめてくれる仕組みが、まだ整備されていない 生産農家がどんなに良いものを作っても、販売ルートもブローカーがはびこって、地元が潤えない 固定化してしまった社会構造としか考えられない部分が色濃い。
  
10 お米の販売でもプライベートな企画商品を立案し、いろいろなイベントを組み立て、
 消費者に来訪を頂いて各種サービスに努めるという涙ぐましい努力を注いで、独自に販売する以外国内市場は新規参入が、とても困難という感覚です。地域での地産地消さえも円滑に回っていないと

11 そのくせ消費者からは、まさに、生産物の値段は安ければよい。
 農産物の見栄えが悪ければ買いたたかれ、製品のカタログやシール上で一言たりとも異なっていれば、 農水省等からただちに全品回収の命令が下りかねない。
  そして、消費者側は、一定の品質以上のものでなければ、生産者を即罰則を適用するべきという意見すら見られます。
情報公開が前提にある分、そのアンバランスが目立ちます。

荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(7)

2009-07-08 20:53:05 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-5
なぜ、里山や里地、里沼、里海によって生活が支えられてきた、盤石と思われた一次産業の基盤を江戸時代の前から数百年、営々として十数世代にわたって築き上げてきた地域社会が、これほどもろく崩壊してしまったという事例は、あまり聞いたことがありません。 なぜ、たった40年もしないで、あっという間にあらゆるものを喪失してしまったのでしょうか。特に文化面での壊れ方は尋常でありません。

1 ひとつ言えることは、働き手の意欲喪失の可能性です。
 地域で働くための、最低限の生活を取り巻く環境で、やっていられないという気持ちに襲われる耕作放棄、そして自分の故郷までをも放棄させてしまう、行ってみれば地域の文化までをも崩壊させてしまう、「気持ちの問題」が生じてしまったとしたら、俗にいうモラール崩壊が生じたとすれば、ある面でその意味がわかります。

2  高度経済成長の開始40年、たったの40年で地域社会を崩壊させてしまう結果を知らず知らず引き起こしてしまう。
  生きることへの目的意識を喪失したとしか言いようのない方々が存在していると、最近強く思うようになってきました。
  とても残念なことです。 逆に言って、その方々は自覚がまるでありません。恐ろしいほどです。

3 そのような方々が生じた原因の一つは、戦後の土地解放の深刻な後遺症にあると考えています。
  戦後の農地解放で土地を放棄させられた、かっての地主の方々の怨念が、いまもなお
 延々と行われているごとく感じられてなりません
  たとえば、かって土地を取り上げられた方々の後継者の方々は、土地改良区、JA、肥料や農機具会社、そして圧倒的多数の方々が県や市町村の行政マンとなっておられます。

4 農業にとって40年は、1世代。あっという間のことで、まるで昨日のこと。
  でも、国が方便として、コンクリートによる圃場整備と、慣行農法、そして圃場整備後の資金回収や水管理を介して、農家を監督する立場で土地改良区が設置されました。
  その上で、3ちゃん農業化と、そこでの兼農による所得を2重に所得することを国が認めたことで一般的なサラリーマンには絶対に許されない行為であり、それがあって地域内での所得格差が決定的になり 縁故と世襲化の現実を見せつけられて、かっての地主と小作の新しい関係を突き付けられ、肌身に感じて前途を見限った若者の離農を引き起こし、一気に農業離れが起こってしまったのではないかと想定されます。
 農業だけでなく、地域から飛び出してしまったと感じられるからです。
 それは、いま最も重要な要素である、「気」の問題からです

5 縁故と世襲と、既得権益と、その複合の中で生きるべきなかで、怨念までもが入り混じって 現在、戦前からの金持の方々は、それぞれの地域で、地域社会とは無関係な生活を営んでいるか 行政関係者として行動しているかのように感じられます。
  まるで、地域社会とは没交渉の様な方々が多いという感じを強く抱いています。

6  かっての地主は、地主としての経営を潤滑に維持するためにも、地域社会への、いろいろな奉仕活動や社会貢献を行ってきていました。
  その肝心の情実を喪失してしまい、米国の金融マンの如く、ある面では特権階級化してしまったと感じられてなりません。
  いろいろと各地を見て回りましたが、地域がどのように疲弊しようが、シャッタ-通りが広がっても、地域への感謝の気持ちを喪失したごとく、まるでわれ関せずの生活ぶりのままです。
  犯罪の増加に対しても、目をつぶって防犯対策も行わず、地域の人への投資も関心もなく、子どもたちの教育にも関心を示さず、挙句に、里山や里沼は、このまま放置しておくことがコスト的に最善と広言して、里山や森林への一切の投資を行わない方々となっています。
  
7 かっての地主たちは、それなりに地域社会を活性化するための努力を払わざるを得なかった。 経営者として地域でのバランスを保つことを必要としていたからであり、信念を持って行ってきていたと思います。
  それは地域の豊かさの証であり、資金が地域で完全に循環し、余剰となった資金が地域への社会投資、人材投資。寺小屋開設、神社再生などにぐるぐると回って、結果として、そこで生活することを楽しめる場として相対的ですが、幸福な社会を形成できたと思います。 

8 収入額に無頓着なお米つくり。
  専業農家が悲鳴をあげて、次々と倒産しています。
  現在も田んぼを耕し続けている方々の多くが、サラリーマンとして、JAや行政等に勤務している方々です。
  所得が2重構造となってますので、コメ収入は別途収入であり、所得の確保には頓着しないところがあります。
  ある方の意見では、現在の3ちゃん農家はほとんど行政関係者かJAか 土地改良区の関係者で占められているのでは、との意見もあります。

9 これらの方々が、結果として専業を意図する農家を圧迫し、結果としてやっていられないという気持ちから、主として、若者を中心に、このような地域では生きていけないという気持ちを抱かせ、われがちに生まれ故郷を放棄するという引き金になってしまったとも考えられます。
  まさに、地域社会がモラール面から、短時間で崩壊を生じてしまったといえるのではないでしょうか。

7 同時にもうひとつの大きな問題
 戦後の農家の方々による、結果としての税金逃れの1手法として 里山は徹底的に分筆されてしまいました
  里山の分筆の実際は、新聞記事によると千葉県茂原市だけで5,000口に分けられた。
 市町村税、県税をも含め、税金の支払の対象外とされる仕組みを一斉に行ってしまっています。
  そして地割のための公式的な測量もされていない部分が全体の60%以上もあって
 ほとんど基礎的な税金も払っていないのですから、当然、相続の問題も生じない仕組みとなっています。


 荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで、この意見は荒尾の個人的な意見であります。

千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。 千葉県下での一次産業の実情とは (6)

2009-07-08 20:51:23 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-4
1  いま、特に千葉県下では、長年の経過の中で一次産業の基盤が大きく崩れてきています。特に農業の中でも、畑地ではなく、米価の長期低落により低落によって水田関係が極めて厳しい状況です。

2 多くの土地改良区も、会員の農家の経営状況の悪化に引きずられて、財政状況が悪化していると聞いています。
  千葉県で、最近も全国的に突出した、残土産廃や、特に顕著な山砂採取問題が噴出しているのは、この「土地改良区」の経営悪化とは無関係ではないと思っています。
  特に木更津や君津地域などでは農業の疲弊とあいまって、農家も、土地改良区でも有効な所得を獲得する手段が激減し、長期間にわたるがんばりも限界にきて、収入不足が深刻化しています。

3 その中で、里山を開発という名前を持って破壊する行為の対象が、多くが入会地であり、個人所有の里山での問題であった段階から、さらにグレードが上がって、土地改良区単位での課題という段階に至ったのかもしれません。
 言ってみれば、地域全体が所得確保の手段を見失って総失業状態に近いとまで見なされます。

4 千葉県の悲劇は、江戸の時代から、明治を経て、戦後の昭和30年後半まで、高度経済成長と称される産業革命が始まるまでは、日本中で最も豊かの地域の一つでありました。
 それは里山・里沼・里川・里海、そのどこをとっても多様で豊かで、1年中いたるところから「生態系サービス=恵み」が得られたからです。
 たとえば地域の方々は、衣食住、そのすべてを「里山の恵み」によって手に入れることができました。
 しかも、大消費地東京をまじかにして、旬のもの、嗜好品、を適宜提供するだけでいくらでも換金できる力を持って、笑いにあふれた、幸せな家族生活を維持できていたわけです。
 そしてエネルギー関係だけで言っても、ほだぎ、薪、炭等々供給可能な産地として高値でどんどん出荷ができていたわけです。

5 戦後、千葉県は時の知事が「千葉県は農業県」と謳って、永続的な繁栄を千葉県民に高らかに宣言をしたものです。
 それが、高度経済成長とともに180度暗転しました。
 石炭から石油へのエネルギー革命と同時に、エネルギーとしての木材関連が不要とされて、石炭産業と同様にして、一気に谷底へ突き落とされたのです。
 同時に、ダイオキシンいっぱいの除草剤の登場で、沼地が汚染され、沈水植物が壊滅し、もくとりもできなくなり、栄養価の高い発酵飼料が入手できなくなり、また、沼地での小魚エビが捕れなくなって
 「佃煮」作りもダメになり………  里山からの恵みが途絶えて40年。

6 一次産業として、完全循環型に近い素晴らしい、生物多様性にもすぐれたモデルであった箇所の無残な姿を垣間見て、心の底から寂しさと悔しさと、泣けてしょうがありません。

7 個人の里山や不要となった入会地が、業者に切り売りされて、残土捨て場になり、産廃センターとなりとうとう山砂まで掘りとって転売する、というところまで落ち込んでしまった。というところが現状かと思います 
  でも、「きなだやま」の事例の如く、国有地の山を崩して山砂を、東京圏に売って所得を得るということはなんという体たらくでしょうか。

 荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
 * あくまで個人的な意見です。ご了承ください。

■千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。(5)

2009-07-08 20:48:32 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-6-4
千葉県内の里山の現状とは何か。改めて検証を加えてみます。

 千葉県の里山の構成要素の一つとしての、水源涵養林から見える里山を考えてみます。
埼玉県、東京都、神奈川県にある水源涵養林と、比較してみて本質的に違う部分がある
ことに気がついてきました。

1 千葉の里山の問題の根源は水の扱いにあります。
 森林保全を前提にした、環境税は、千葉県ではいつ批准されるのか分からなくなっていると聞いています。
 神奈川県や埼玉県では導入直前にあります。それは水源涵養林を大切にしようということで、そのために使おうということが前面に出て県民が納得し、その方向にあると聞いています. しかし、千葉県ではどうでしょうか。
 水源を里山に求めるといっても、それおだけでは県民を説得できるだけの背景が千葉県にはないと思うからです。

2 東京都、埼玉県、神奈川県の3県、そして茨城県でも、貴重な水源としてその涵養のための森林として、その多くが県や東京都の所有となって、民間地でも樹木の伐採や開発行為が実質的に禁止され、その見返りとして所得の保証がされています。
 そして県民にも森林保全のためが主体的な費用として理解されつつあります。

3 現在、CO2排出源対策をも兼ねた形で間伐や全伐が、それぞれ比較的スムースに行われています。
 東京都の如く、企業としての東芝とも提携を行い、また、スギ花粉対策として、従来の杉を伐採して、全面的に植えなおすという荒療治までもが実行に移され出しています。
  勿論、国策としての地球温暖化対策への積極的な参画として、東京都も企業側も高く評価されつつあります。

4 こうやっても東京都の場合でいえば、東京都下の小河内系の水源で都民や企業等の水需要に答えきれるはずもなく利根川からの導水を大規模に行っています。
 でも、基礎的な部分で水ガメとしての奥山や里山の保全がしっかりと行われているのも事実です。
 かって都下で激しく争われた産廃騒動も、今、潮を引くように沈静化してきました。

5 その観点で千葉県をみると、まるで異なります。
 まず、法律的な面でも、千葉県での水源涵養林は、上記3県のごとく、しっかりとは保全されていません。
 現在も千葉県下では、どこからも水源涵養林として、保全されている箇所の話は聞こえてきません。 
 その理由の一つは、里山の所有が89%も、農家などの所有物となっていて、県で管理ができない状態にあります。
 多くは里山の頂上部、中小河川の源流部にあって、里山と呼ばれてはいますが、ほとんど平たんで、まさに岡に近く、現状、最も激しく開発が進んでしまった個所となっています。
 
6 本質的に異なる部分として、かつ千葉県の里山が残土産廃やゴルフ場に、そして山砂採取の危機にさらされる
 最大の問題点、それは水源涵養林としての、里山。
 東京圏で見ると、埼玉県、東京都や神奈川県では昔からから伝統的に水源涵養林として幅広くきちんと管理されてきています。
 しかし、千葉県ではなぜか水源涵養林の多くが、低山の里山であり、かつ下流域の農家の方々の入会地であった。
  本来水源涵養林のある個所は、町の境目などに多く、いままでは入会地として、周辺の農家同士が、肥料としても落ち葉や、季節の旬のキノコや山菜、ほだぎなどを取るなどの目的で利用されてきた箇所が多かったようです。

7  ところが、高度経済成長の開始とともに、燃料革命で一気にエネルギー供給資源としての森林機能を喪失し、石炭産業と同様にして、根源的な利用価値を失い、ために、人も入らず手入れがされない状態となって
 里山からの生産物=生態系サービス=恵みを失ってしまった状況です。
  そのため、かっての里山と違って恵みを生み出せなくなった途端に、その水源涵養林そのものが開発対象となってしまった。
 ゴルフ場や中小の住宅地、残土産廃、よくいって畑に変わってしまった。
  そして最近では山砂採取場所となってしまいました。
 
8 水源涵養林の開発を止める、またこれを禁止する名分がなかったことが、とても残念です。このため、一気に多方面からの開発が進んでしまったわけです。
  開発された個所からは、多様な仕組みで、どこからも汚水が発生してしまいます。
 下流域の土地改良区が、その田んぼの水質悪化のために迷惑料として開発業者から受け取っているのが、使途未定金となります。
  開発にあたり、地域との合意事項を取り付けなければならないことから、購入する企業側では里山を買い取るにあたり、下流域にある「土地改良区」に対して、地代とは別に、
 1M3あたり、相当額の迷惑料を売買契約書の内容に沿って支払うことが行われています。
 その金額たるや莫大で大変な金額です。
 
9 どのくらいかというと、一例で100件の農家規模の土地改良区で5,000万円程度。
 ほかの類似した事例で聞きましたが、ほぼ同規模で4,000万円ということでした。
 7,000haもある、印旛沼土地改良区あたりではどのくらいの金額になっているのでしょうか。
 その金額は莫大であり、かつ「土地改良区」では、使途未定のまま受領していますので、
 使うこともできないまま、使途未定金として滞留しているとされています。まさに「埋蔵金」状態です。
  でも、土地改良区とは、形の上では参加している農家の会員全体のものですので、
 その使えない使途未定金の存在が、保守大国千葉県での権力の源泉となっているとまで
 いわれているようです。

  
 荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp   
*あくまで個人的な意見として受け取ってください。よろしくお願い申し上げます。

なりわいで考えるモノ作りの場としての里山 という観点から 問題提起(4)

2009-07-08 20:46:01 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-5-16
まず、改めて
1 千葉県下の里山の深刻な状況は、
 (1) 都会地の過密の中の里山
 (2) 過疎地の里山
  と、2つの180度まったく異なる観点で考えるべきかと思います。
(1)は、多くの場合、宗教的な背景があって保全されてきた(鎮守の森)などあるいは、貝塚であったり、縄文遺跡であったり、弥生時代を背景にした里山であったりいずれも「食料、水、木材」というような「生態系サービス=命の恵み」にかかわっているとは
考えにくく、今回のテーマの主役ではあり得ないと思います。

2 なりわいで考えるモノ作りの場としての里山こそが
 「里山シンポジウム実行委員会」の本筋としてのいくべき道と考えます。

3 里山と相対することの意味を考える。
 (1) 里山の所有権は憲法で保障されています。個人経営者(主に農家)にある。
  千葉県下の過疎地を中心に里山の89%は、個人の所有地。
  千葉県では、所有権の問題から、ほとんどが行政が立ち入れない里山となっています
 (2) 所有権の小口分散化によって、千葉県茂原市だけで5,000口を超えほとんど、税金が3,000円を下回って、徴収費用を考えて行政側が放置している。そのため 結果として税金逃れとなり、さらに相続逃れとなっているようです。したがってあまり相続が問題になったことがないとのうわさもあります
 (3) なんと測量もほとんどされていない。そのためNPOや市民が、特定の農家の里山を手入れしている途中に、関係のない地権者の土地であったという笑えない事態がいくつも生じています。
  すでに、多くの地権者が、自分の土地の所在がどこからどこまでかも、分かっていない事態になっているようです。 
 (4) 公共工事に引っかかることを夢見ています。
  多くの地権者は、里山が公共工事に引っ掛かることを夢見ているとのことです。
 東金市にある材木市場へはひっきりなしに切り出された山武杉が大型トレーラで搬入されてきます。
 すべてが「産業廃棄物」として持ち込まれているようです。高速道路や山砂の採取に合わせて、山から切り出された木材とのことです。山武杉の廃棄先として持ち込まれているにすぎません. それ以外には、千葉の木材は市場性がほとんどありません。

4 里山は何よりも放置しておくことが最善の行動モデルに
 里山からは、現在市場価値のある産物は全くと言ってよいほど、ありません。したがって投資する意味もなく、放置しておくことが最善となります


5 入会権の劣化
 本来最も里山保全の中心たる水源涵養林が、収益性がなくなり
 (1) 入会権が形骸化している。しかし慣行として権利としてしっかりと定着。まるで無視できない
 (2) ゴルフ場、残土産廃、住宅地に用途変更されて、その水質悪化等の補償として支払われた多額の資金が「使途未定金」として、資金の性格上、埋蔵金として土地改良区等に滞留しています。その額は膨大となり、入会地が開発対象として、最近は採砂地として、残土捨て場、住宅地等に使われてしまう、大きな理由となっているようです。また、同時にそれが地域での権力の源泉として、保守的な風土が温存されてきた一つの理由となっているようです。

6 個人の所有権ががんになってきている。 
  入会権が問題である以上に、
 (1) 里山条例でも課題は、市民が立ち入ってきれいにした里山を、感謝もせずに、当然のこととして市民が追い出される事態も連続しています。里山がきれいになると、そこで何か作りたいと考え、人の出入りを嫌い「里山ごっこ」を退きたくなる流れとなるようです。
 (2) 市民が入って、里山の再生に力を発揮すると、時間経過とともに、その所有権関係を侵されるのではないかと不安を感じだして、追い出しにかかるのが通例の様です。
そのために市民を排除したいという願望が生み出されてきます
 行政側も、地権者側のアドバイサーとして、結果としてそれを支援するような立場に立ってしまうこともあるようです。


里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp

里山のことを本当にわかって、「食料、水、森林」を語ろうとしているのか 問題の提起(3)

2009-07-08 20:44:11 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-5-16
私どもは、里山のことを本当にわかって、「食料、水、森林」を語ろうとしているのか 問題の提起(3)
里山にかかわるシンポジウムも、ことしの全体会で6回目に至りました。
里山シンポジウム実行委員会も、いままで、いろいろなことがありました
 でも、里山へ向かう時に謙虚な気持ちを持ち続けないと、ある日しっぺ返しを浴びることになります。 とても注意深く、謙虚にならないといけないと思う昨今です。
 テーマが過大であり、十分に咀嚼できた状態で全体会に望んでいるとはとても思えないという危機感からです。
 「食料、水、森林」を、あまりに軽々しく取り扱っていると感じているからです。

 その最大の課題は、都市型の里山と過疎地の里山を同列に扱いかねない発想の問題です。
 その前に、個人的な感想を言いますと、 まず、里山を考えたときに思い浮かぶ言葉は、人の住む里がここまで壊れて、なぜ日本の市民は平気でいられるのか、よくわからないということです。
 日本の市民の”気持ち”がよくわからなくなってきたということです。

 歴史的に考えてみて、
 弥生時代から数千年、江戸時代の完全循環型社会で250年程度、そして日本の明治時代以降でも、現在までほぼ150年間の流れがあります。
でも、戦後昭和30年代までは、少なくとも里山の里は、大きな変化はなかったのではないかと思います。
 戦後、昭和30年代後半からはじまった高度経済成長がはじまって、たった40年程度にここまで日本が変わってしまった。
 それが現代社会にもたらしている、日本国としての精神的な混迷をどうするのかという、
問いかけに関わってきます
事実として、高度経済成長がもたらしたことは、千葉県下の里山で言えば

1 里山経済の仕組みの崩壊
 再生不可能なほどの壊れ方です。人が関与できるレベルを通り越してしまった現実があるといってよいでしょう。

2 里山にかかわる人的資源の枯渇から壊滅へ
 千葉県下でも成田以南は、どこにいっても、人のいないさびれた場所ばかり。
ひとのいない場所は、ある面でおもしろくもおかしくもない場所里山は1万4千年続いた縄文時代の原生から、弥生時代に入って数千年現在まで、日本人の物作りのための絶え間ない介入によって、数千年を経て現代の姿にたどりついています。
 それを維持管理することは大変な努力を必要とするのも事実です。

3 里山をはじめ、その担い手である人を組織的に、他産業へ取り上げてしまった結果、
 里山の現況が、どんどん壊れて、先祖帰りに近く、手入れを始める前の元に戻ってしまってしかも、生物多様性が最低になってしまったがために、どこからも「里山からの恵み」が得られない仕組みになってしまったと考えています。
 これから人手を介して再生するということがいかに困難かは肌身に感じています。

4 この現実を一番痛切に感じているのが地権者たちです。相当苛立ってきているなと
痛切に感じています。
 それは、自分たちの祖先から営々と守り育ってきたものが無価値になって、しかも
 都会人から、「手入れをしてやるから、言うことを聞け」と言われて、馬鹿にされてと
感じだしている方々が、増えてきているごとくです。 
 里山の所有者たちはほとんど農家の方々ですが、なりわいでの経営者でもあります。
とても敏感でもあります。
 本当に注意深く思慮をもって、敬って接しなければなりません。

5 都会人の考えているイメージでは、里山は語れない…と思う昨今です。
  永年にわたって、人の介入を受けなくなっている里山は、里山そのものが生き物として人の介入を拒絶するかの如くに感じられる昨今でもあります。
  それは、里山そのものから拒絶されるだけでなく、最近はその地権者たちからはもっと露骨に言われ、行動で示されるようになってきています。
  地権者に、絶えずあびせられる言葉に、都会人の「里山ごっこ」だけはやめてくれ。
 があります。里山はなりわいの場。ものつくりの場。ある面で神聖な場。

6 最近、あちこちで、里山の手入れを担ってきた「市民団体やNPO」が、地権者に締め出されるケースが増えてきています。
  私自身も3件も、そのような立場におかれて、とても心外だと思いながら、その地権者の心の襞を思いやると、ハッとすることが多く反省もしています。
  同時に、過密都市の中の「里山」と、過疎地にある「里山」とは、改めて180度違うものだということを心に刻むべきだと考えています。

7 里山シンポジウム実行委員会は、里山の地権者の方々を元気づけて、なりわい(生業)を活性化し、さらにできるのであればコミュニティビジネスのごとく、社会貢献ができる場として新たな活性化した社会を作るべく努力をする目的で設立されていると理解しています。

8 もちろん、過密な都会地の里山保全を考えることも、もう一つの柱です。
 でも、その2つを決して混同してはいけないと思うのです。またどちらが強いとか弱いの問題でもありません。

9 決して、過疎地にある「里山」を「私の里山」として、私物化してひけらかすようなことのないように、どれだけ地権者をないがしろにしているのかを、真摯に考えるべき時期かと思います。それは、地権者のおかれた社会的な環境が、いかに厳しいことになって来ているのかを 知ることでもあります。


里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp

改めて、里山、里沼、里海とは何かを問うてみる必要があります (2)

2009-07-08 20:42:48 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
2009-5-14
5月17日に全体会を控えて、「第6回里山シンポジウム」を、改めて深く考えてみたいと思います。

 すでに、全体会の開催趣旨にも、里山の世界はきれいごとではなく、もの作りの場、生業の場として再活性化させるために何を考えなければならないのかを問う場となってきています。
里山のもたらしてくれる「生態系サービス=里山の恵み」が話の中心となっています。
  食料
  水
  木材
という3大素材を里山を介して得ていこうという感え方に沿って立脚しています

今回の「第6回里山シンポジウム」の開催趣旨を再度書き出すと 「今回のシンポジウムでは、里山からの恵みの価値について再評価しようとするもの。
食料や水、木材は、私たちの暮らしに欠くことができないものであり、これらは、かってその多くが里山からの恵みであり、それはみな里山に人の手が加わることによって
もたらされてきたものです。
 里山で得られる地元の資源の価値を再認識し、地元力を見直す、さらに自立した循環の仕組みをつくることが結果的に地域の底力となっていくことを考えていけたらと思います。 そこで、今回は、パネルディスカッションを主体にして、「里山・里海」等が生み出してくれている3つの、「生態系サービス=いのちの恵み」としての基礎素材を、パネラーの方々からお話を伺い、さらに、パネルディスカッションと会場からの質疑応答をベースに課題を掌握していく場として、組み立ててまいります。」 とあります。

今回のこのテーマでは
● 都会化された場での里山保全に関しては、別の機会にしっかりと申し述べます。
●それよりも 過疎化してしまった里山の場で考えなければならないことは、論点を合わせたパネルディスカッションを期待しています。
 もともと里山シンポジウム実行委員会は、地権者を中心にして構成される組織体であると理解しています。
その前提からでこれから提起する内容は、主として過疎化してしまった里山の再生にこそ
主眼のある話であると考えています。
その認識に立って、今回は「里山」を考えなければなりません。

 里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp