文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

文京区内で、郡山・逢瀬田舎体験の皆様との交流会

2006-02-14 16:07:11 | 東京の街角からモニタリングでわかること
 2006/2/13 午後より、文京区・シビックセンター5Fの会議場に、70人ほどの「都会と田舎の交流会」が開催されました。逢瀬地区からも13人ほどが出席され、文京区の」リサイクルグループと、「環境ネットワーク文京」からも5人ほどが出席。中心になって話された中村和夫さんの話しが抜群に良かった。
 とつとつとした話し方でありながら、しっか信念び裏付けられて。

 大変為になりました。
3/11-12には、文京区から大型バスをチャーターして、1泊止まりでの交流会に参加する予定です

千葉県多古町で産業廃棄物処理施設設置を㈱トーホークリーンが

2006-02-12 22:59:12 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
多古町の産業廃棄物処理施設設置に関わる件
桜宮自然公園に隣接して設置する話しを、継続的Ⅱレポートしていきます
千葉県の産業廃棄物課や、当事者の㈱トーホークリーン社、そして多古町役場や町長、反対運動を推進するNPOや任意団体の話しを報告します
まず、今までの経過は
時系列に、アーカイブスとして登録されています

をご覧下さい

● 1/13に開催されたちば県庁内での、産業廃棄物課との会議内容はテープに起こしております
 
 皆様、読んでみて下さい。ある面で話しになりません



千葉県下、乾田での無双網による鴨の捕獲実態

2006-02-12 22:32:55 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
先日、九十九里で白鳥群の初めての塒の場所が出来ました。
といっても一時的で、毎日場所が変わっているようです。
 当初、この白鳥群を発見した方は、干潟町の広大なほ場整備iされた乾田を
たまたま車で走っているときにコハクチョウを16羽ほど発見したとのことです
 これが、実は鴨を捕獲するための、狩猟場であって、方法は田んぼに水を張って
米を撒くという単純な仕組みで、夜間飛来した鴨を50羽単位で一網打尽に捕獲して
鴨料理専門店に卸すという商売の、まさに現場でありました。
 この無双網は、千葉県では合法的な狩猟法であります。 その場所に、昼間白鳥が水を求めて飛来したのでしょう。

 でも、どのくらい鴨を捕獲しているのか、売り上げているのかは、1羽3,000円程度としか分かりません。狩猟者本人しか分からない企業秘密となっておるのでしょう。 他県のごとく10万羽の内の1000羽と、5,000羽しか生存していない鴨のうちから1,000羽となると、本質的に異なります。

 しかも、徹底した乾田化政策の中で、やっと水があって餌がありそうと近づいた鴨群を根絶やしにする勢いです。


印旛沼、手賀沼での鴨群の消長(1)

2006-02-12 22:28:21 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
印旛沼や手賀沼周辺では、今、鴨類が大幅に減少しております。
印旛沼周辺では、とうとう5,000羽を切ってしまうぐらいまでになってしまい
湖沼上でも周辺でも、鴨を見ることも難しい状況です。
 あと、3年後には、1,000羽を切るだろうと悲観的に見ざるを得ないと考えられ
ています。 渡ってきている鴨が餌不足で北帰する体力がないために、春の野草の芽生えをまって、遅れてシベリアへ。
 体力が無くて競争に勝てず、北帰が遅れたために繁殖場所の確保にも
さらに雛は遅れて育つために、秋の渡りまでに十分に育たないまま南下することで
海に落ちてしまう。
 親の生存は平均5年程度ですので、子どもが少ないとどんどん減少することに
なります。
 最大の理由は、餌不足です。
印旛沼周辺は田んぼのほ場整備率が90%を超しています。
手賀沼では99.6%だと手賀沼土地改良区で伺いました。この殆どが冬期に乾田化します。さらに秋の耕起が90%を超していると聞いています。
 このために田んぼの餌(落ち穂や2番穂など)が埋めこまれて、餌がありません
 印旛沼や手賀沼の乾田化は徹底していて、暗渠で全て水を抜きます。砂や土が乾燥してからからに乾燥します。砂漠化です。砂漠に水鳥は生活出来ません。自明の理です。
 乾田の田んぼに水張りがあれば、目立ちます。でもこれらが米を撒いて、鴨を無双網で狩猟するための仕組みであることをご存知でしょうか?
 なかには、1シーズンで1,000羽単位で狩猟している方も存在していると聞いています。
印旛沼の複数の町内には、鴨料理の専門店があって、東京から通人が、たくさん
本物の鴨を食べに来ているとの話しです。


霞ヶ浦での自然再生事業の側面として

2006-02-12 22:25:48 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
何ともちぐはぐな話しです。

霞ヶ浦での自然再生事業に関する報告です。
http://blog.goo.ne.jp/tmlarao/c/7f117528cee749d672afb7037241e074
 
霞ヶ浦の土浦市、霞ヶ浦市の地域で、国土交通省が、新たな施策として
「霞ヶ浦田村・沖宿・戸崎地区自然再生協議会」を立ち上げて自然再生推進事業を
行いつつあります。
 日曜日(2005/1/27)に、その9回目の協議会があり、公募委員として参加をし、幾つかの提言をも行ってきました。
 9回目とあって、国土交通省からA~Fまでの地域の内で、AとB地区に関しての起案を詳細に出してきて、議論をして欲しいと。同時にC~Fまでは、公募委員から案を出して欲しいとのことでした。

 それは宜しいのですが、あくまで国土交通省側は堤防に関わる部分だけを議論の対象にして欲しいと申します。

 しかしここの箇所は、10年以上前から先駆的な自然再生事業が行われてきています。その結果として、かなり堤防周辺が自然に再生し、アサザ基金の提唱した消波堤(粗朶)や、水質浄化施設(川尻川ウエットランド)等が連続的に作り込まれ、実は鴨群やサギ類等がびっくりするくらい増加しています。

 かって堤防と、斜面林(霞ヶ浦のかっての天然の堤防)までは、土浦市と霞ヶ浦市のエリアまで田んぼを休耕田と言うことで、一気に蓮田に切り替えられています。そのため鴨群(主にコガモ、オオバン等)は、堤防沖の粗朶堤防がネグラとなり、ハス田が餌場となって、膨大な鴨群の大集結地になってしまいました。その主体な餌が、なんと「アイガモ農法」としてベトナム等からはいったアドラーと呼ばれる「オオアカウキクサ」の外来種との雑種らしく、ハス田の一面を真っ赤に染めて、覆い尽くす勢いです。
 でも、今頃から、寒さから一時的に姿を消します。
 その結果もあって、ハス田への食害問題が生じ、農林水産省が膨大な予算を組んで、ハス田に鳥害防除網を公共工事として取り付けてしまいました。

 それは、別記のごとく、鳥たちが種類を問わず、鳥害防除網(最新型の霞網としか言いようがない)に引っ掛かって、もがいて苦しむ結果を招いて、生き物たちに
跳ね返って来ています。 
 その最も鳥害防除網の最も厳しい箇所が、自然再生事業の中心地と言う困った状況です。
 一方でワンドをつくって、生態系の回復を意図したい。地域の方々は小魚を捕ったり泳いでみたいとかのロマンを語りますが、足下ではたくさんの鳥が死亡し、しかも干からびたまま放置されたまま。その冷血ぶりには、身の凍る気持と、こころから寂しくなります。
 ハス田を仕事の場とする、地域住民の方々の民度が深刻に議論されている現実があります。
 しかも、この鳥害防除網のたくさん設置されている箇所の前に、今回コハクチョウが100羽以上も渡来しているという、何とも念の入った環境となっています。
 結局、自然再生水深事業とは言っても、予想の通り国土交通省は、公共工事がしたく、農林水産省は、渡りに船と鳥害防除網を設置し、環境省の姿は感じられず、3省庁間だけでもの連携も感じられず、生態系の保全とは組織横断的な対処が必須なのだという、自前の事が言葉だけに終わって、省益で動く行政体質がそのまま色濃いという現実を見せつけられている事になります。

千葉県の九十九里にも白鳥の大きなネグラが形成されました

2006-02-12 22:19:41 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
この冬の、千葉県下での白鳥群の渡来は、かってない流れを感じています
 本日(2006/1/30)現在で本埜村周辺域に1,326羽。
九十九里の新しいネグラをも加えると1,700羽ほどとなります。

 本埜村の個体群も順調に増えて、複利計算で増える。ネズミ算の適用段階に
至ってきました。これからどんどん増えて、4~5年で2,500羽を軽く超すことになるでしょう



 いままでは、東北から福島県の浜通り、中通を経由して千葉県本埜村等に渡来していたコハクチョウ群は、おとなしく餌付けに従順でした。
 でも今年の群れは明らかに違います

 特に太平洋側、九十九里に出現した100羽+のコハクチョウの大群は
まず、地域でネグラを確保し、それから三々五々親子単位で、朝早くネグラを飛びたち一気に上昇し、遠方まで採餌に出かけます。、夕方遅く小さな群れ単位で、高いところから急降下してきます。
 これは、雁・白鳥の本来の自然体です。
 ことし越冬に成功しましたら、次年度はもっと多数で飛来すると考えられます
新しい生息地への先遣隊でしょうか。

 現在、東北6県は、それぞれの県内に白鳥だけで10,000羽単位、新潟県は15,000羽を数えます。 合計75,000羽。このような数の白鳥が越冬している箇所は世界中でも稀な地域です.ある箇所ではカラスより多いと揶揄されています

 多分、新潟県の瓢湖や山形県の最上川スワンパーク等から、寒波と氷結に追われて1,000羽~2,000羽以上の群れで一気に太平洋側へ。
 
 その過程で、一群は栃木県の内陸部へ家族単位で、分散し、那珂川へ150羽が
一群100羽が霞ヶ浦へ、 また東京都にも多摩川沿いに下ってきた群れもあります。
 複数群は千葉県の九十九里へ、さらに多くの群れが太平洋に飛びだして海の藻屑に、かろうじて一群が小笠原へ到達したと。

 これは、日本海側にコハクチョウの個体数が増えすぎて、一気に移動したと考えられますが、それ以上に、自立した個体群が新たな越冬地を目指そうとして動いたと理解出来ます。

 私は昭和34~35年の白鳥の大移動をつぶさに経験しています
(丁度高度成長の始まる直前でした)45年ぶりの移動第2弾と考えています。 (あるいは第3弾かも知れません)

 まえから、楢葉の白鳥という名称で、餌付けされた白鳥の個体群は、人に大事な自分の命を託してしまいました結果として、親が子どもに何も教える必要が無くなり、教えることを放棄する。
1日中ぶらぶら餌を待って3食昼寝状態で冬を過ごす
 従って、生存率が高く、体力があるので、たくさん子供を産む。幼鳥が親になる確率が高く年15%もの勢いで、増える。複利で増える。ネズミ算と話しております。しかも野生状態より(10年程度)から18年程度まで寿命が延びてしまうと話しました。

 白鳥でありながら、白鳥としての生き方が分からない、餌付け(飽食)とは白鳥でも人でも同じで、親子でも学校でも、教えることが放棄され、文化の喪失をもたらすと書き続けてきました。

 でも、ここ4~5年、日本海側でも東北地方でも、白鳥に餌を与えなくなってきています。その中で、自立した(人を横目で見ながら、餌を貰えないなら自分で探すか?)白鳥の家族群がどんどん排出してきています。

 特に、新潟や宮城県では顕著で、餌付けの問題は殆ど語られなくなってきています。同時に家族単位で分散し、かつ個体数は低くなってきていました。

 ここで、この寒波が、白鳥たちに、新たなフロンティアな場所の確保を目指すという分かりやすい、新しい動きを導き出したとも考えています。

本埜村の白鳥群 (2)

2006-02-05 22:26:19 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 2006/1/29 本埜村の白鳥を守る会の出山様から、かってないことを聞きました
この日曜日、あまりに白鳥の見学者が増えて、かつ殺到したために、夕方の餌まきの折りに、白鳥群が、餌をまくと、どどっと身をひいたと言うのです。
 これは、あまりのひとの多さに、始めて白鳥群が拒絶反応を示したと言うことらしいです。
 来訪する人々は、中高年(50~70)程度の中高年の夫婦連れの比率がとても高いのが特徴です。
 白鳥の姿を観察することは、中高年にとっての、特別の癒しの意味があるのかなと感じています。それは東京都杉並区の善福寺公園のコハクチョウを見に行ったときにも、強く感じました
 なにか、特ベスのことがあるのでしょうか



     

本埜村の白鳥群

2006-02-05 22:18:20 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 千葉県印旛沼本埜村に、現在何と1,350羽以上(2/1現在)の白鳥群が越冬中です。
2月に入りましたが、更に増加する可能性すらあります。
2006年1月上旬までは、1,050羽程度でしたから、急に300羽も増えた事になります。実は、1,050羽までの増加は、俗に言う「想定の範囲内」でした。昨年が850羽でしたから、15%程度の伸びは予想されます。
 でも、1月の300羽は、寒波による影響であり、アメリカコハクチョウ及びモドキが12羽いると言うことは、岩手県北上市の大堤の個体群が、何らかの原因で一気に避難しにきたと考えることが妥当かなと思われます。
 北上市には、アメリカコハクとコハクの番い(クロチャン一家)及びその直径の子どもたちが、嘴斑がまちまちの個体がすでに100を超しています。
 その家系と思われる個体群は、2001~2年度にも観察されています
 
 

田尻町ラムサールフェスティバルが開催されました。

2006-02-05 21:49:03 | Ramnet-J.日本の湿地保全に統合的対応
 2006/2/3~5 宮城県田尻町国際ホールにて、3日間にわたる「田尻町ラムサールフェスティバル」が開催され、本日閉幕しました。
 400人以上が全国から参集し、はじめの2日間は、結果として各種の発表に参加した子どもたちの活き活きとした内容に、参加した大人たちがほぼ全員うるうるしてしまって、子どもたちに食われてしまったとの話しです。新たな農法の始まりから、新生日本への方向性までが見えてきたと感じ取った方々が殆どだったようです。新しい農業文化への後継者たち、子どもたちが育ちだしてきたという感覚が合ったのです。日本中から、特に農業の第1線で活躍しておられる「篤農家」の方々が集合され、全農やパルシステムのような方々も、複数の大学の先生方、NPO団体など、また鳥の研究家も多数参加し、結果あらゆる分野の方々が集まりました。
 また、兵庫県豊岡市の「コウノトリ」に関わる行政や農民、NPO、そして子どもたち。田尻町の「ふゆみずたんぼ」の関連した方々も、子どもたちがたくさん集まって、それぞれすばらしい発表を行ってくれました。3日目の分科会は4つのテーマに分かれて行われました。
 そして、最後に、宣言文を高らかに歌い上げてフェスティバルを羽閉幕となりました。
 今回は、ラムサール条約に田尻町の「蕪栗沼及び周辺農地」が指定された事が大きな意味を持つと同時に、4年に1度のラムサール国際会議そのものが、世界的な環境オリンピックとしての性格を持ちだしているのだとの発表もあり、次の韓国階差に向かって、韓国の主催団体へのエール交換の意味あいも出てきたのかなと感じました。