2004年ごろ気が付きまして、いくつかの論文にもまとめましたが、地域創生を考える上で最もエポックな話です。
ハクチョウ類など、野生の渡り鳥や猿やシカなどに餌付けをする行為とは何かを申し述べます。
ここ10年ほど、この対策で各地を回り対策を指導してきましたが、数年目の「鳥インフル」騒動で流れは変わってきています。
でも本質的な意味は何も解決していません。
日本の戦後、これまで70年間の経過の中で今に連綿と続く大きな問題だと理解しています。ハクチョウ類の問題でありますが、同様なことが戦後の詩作にしっかりと組み込まれていて、だからこそ『地域創生』を必要としているという側面です。
2004年2月ころのこと、福島県の浜通り、楢葉町周辺にたまたまハクチョウ類の越冬状況調査に行った折、楢葉町の小さな堤に600羽以上の白鳥群が越冬していた。地域の方に話を聞くと、1日中この堤にいて、1日2回の餌を待ってのんびりしていると聞きました。
餌付けそのものは、楢葉町役場の土木課の方が軽トラックに餌を満載してきて,餌をもらいに来たハクチョウ類に与えだしました。後で町役場に伺って、どのような予算をコントロールで餌を与えているのかを聞きましたら何と○○補修費(?)の名目で予算化し、選任の職員が米を主体に餌を撒いているとのことでした。
たまたまその時は見学者は殆ど来ていませんでした。実は、当時福島県だけで1万羽近い白鳥群が、60ヶ所ほどで越冬していて、県の鳥獣保護課の方と雑談しながら、福島県下では、餌代やその管理委託人件費等の費用、それぞれ関わりにある白鳥保護団体等への助成金などで県内全体ではで年間2億円を軽く超している模様ときかされました。
そこではじめて気が付きました。
、
これは頭の良いハクチョウ類が、人間を利用しすぎて、白鳥固有の生き方を失った状態だと。
はっと気が付いてみると、千葉県でも印西市本埜地区の白鳥群がよく似た状態だとも。
過重な餌付けによる、生き物の自立喪失は、戦後の日本の文化の反映ではないかとも考えています。私はこの状況を「楢葉の白鳥」現象と呼び、問題を指摘してきました。
まず、日本に渡来するハクチョウ類は極めて頭が良く、人間を徹底的に利用している生き物であると認識して下さい。ペットで言うと、猫ではなく犬に近い。寿命は野生状態では平均10年程度、しかし餌付けされた個体群では18年~20年と言われています。
同時に餌付けされたハクチョウ類は、野生群と比較すると繁殖率は異常に高く、千葉県本埜村の個体群も、いまやネズミ算的な増え方に入っていると見ています。
餌付けは日本では戦後、それも最近の風潮です。戦前は鴨場のごとく狩猟の目的のため等以外での餌付けはされていなかったと思います。
餌付けされたハクチョウ類の親は、シベリアに北帰、繁殖し、夏の終わり頃、ようやく飛べるようになった幼鳥を引き連れて、10月15日~20日頃、越冬地まで一気に南下飛来します。そして本来、白鳥は日本での越冬地での半年間、幼鳥に餌のある場所,餌の取り方,食べられるもの,駄目なもの,タヌキや鷲、犬等からの危険の避け方,仲間との付き合い方などを、付きっきりで教育します。
また、親になれるまで3年間、家族群として毎年、親と行動を共にすると言われ、しっかりと親の行動を見て学習しているといわれています。2年目、3年目の若鳥も一緒になって、1年目の幼鳥の面倒を親とともに一生懸命にに努めます。そして同時に半年後北帰するまでに、幼鳥は越冬地を故郷としてしっかりと認知します。
ハクチョウ類はこのように親鳥と若鳥そして幼鳥とが一緒に行動をすることで家族群(ファミリー)を形成しています。
ところが餌付けされた親は、生きる手段を人に託し、1日中越冬地に留まります。子どもに何も教えようとしません。1日2回の餌を待って、寝たり起きたりの生活です。俗に言う3食昼寝付きの生活で、栄養満点、体力抜群。おいしいものしか食べなくなります。
当然、そのような親の幼鳥は、餌の取り方も、餌場も、本来の危険さえも経験しないまま、4年目には親となって幼鳥を同行してきます。何も知らないままに親になった白鳥は、当然、親と同じで、どこに餌場があって、何が食べられるのかが分からないまま、結果としてすべてにわたって人に命を託します。ここで親になったハクチョウ類は残念ながら子ども達に何も教えられません。それは原体験がないからです。
問題はここです。人間を徹底的に利用しすぎて、白鳥の本来の生活者としての生き方を無くした、白鳥文化を台無しにしてしまった状態と言って良いと思います。人のペットの犬と同じくらいですので、ライフサイクルが人の3倍早く、それ故に、私も親子3世代以上での観察で「楢葉の白鳥現象」に気が付きました。
日本の子ども達の実情を見ていると、餌付けされた白鳥群は、いまの学校の先生や、教わる生徒達と重なりませんか。日本の文化喪失の実態、生き方の原体験の不足、日本文化への関心の薄さなど、日本の今の社会現象の中に「楢葉の白鳥」現象が随所に見られます。問題の本質はここにあると思っています。
でも、幸いなことにこの「楢葉の白鳥現象」は、幸いにも宮城県や山形県、新潟県では、すでに人との共生の定着のなか、人の都合で餌付け箇所が減り、自立化が進んで自然に解消されてきています。
自立喪失は白鳥にとっては、一時的な現象といっても良さそうだと分かってきました。正直、ホットしています。それは人の自立した生き方への、重大なヒントを与えてくれているからです。