これにかかわる有力なデータ提供者も200人をこし、本来は今の段階で花が開くはずでありました。
ところが2005年、理由不明のままで(こうだろうという推測はできますが)、メンテナンス費用を含めて
一切の助成が切られてしましました。
そのまま、生きたままの状態で8年近くデータベースとして新たな情報入力ができないまま、赤字をたれ流したまま現状に至っています。貴重な入力済み・監査済みの情報ですので廃棄もできません。
1 数研出版 生物図版 940円 すべてが網羅されたフルカラーの教材です。
これ1冊があれば高校生としての生物に関わる基礎情報が、その情報収集のきっかけがすべて揃えられる仕様。同様な本は2冊はいらないなと感じました。実に緻密に最新の生物多様性に関わることを含めて、項目としての取り上げ方から写真もその多様性と選択眼のしっかりとした視点を感じてほとほと感心しました。
1-1 高校の先生から、この本を副読本として買わせたという話から、取り寄せてみたがその内容にはびっくり。 副読本は、選抜が厳しいだろうが、科目別にコンビニ的な選択が強くなって、いく傾向か。さらに内容的には百科事典的であると同時に、ここまで手取り足取りフルカラーを駆使しての情報開示を行われてしまったら、若者が疑問を感じてフイールドにて奇心を満たすこともできなくなるなという事の実感がある。
1-2 逆に言えば、副読本は、選抜が厳しいだろうが、科目別にコンビニ的な選択が強くなって、いく傾向か。WEBで提供される各種情報に対応して、あらゆるジャンルで盛りだくさんに、情報の入り口的な役割を担えるようになっていくのか。この項目分けと、ウィキペディアとを連動させればそれだけで必要十分条件を満たすことになりそうな感じです。
この兄弟姉妹読本もあるそうで、恐れ入った内容の副読本だなと感じています。amazonの中古本市場でプレミアム付きで販売されていることも、なんとなく実感しました。
このカテゴリーでの発言はまさに数年ぶりとなります。
指定管理者制度も、NPO法人を立ち上げている市民団体でも、本年度のそしてこれからを考えると、残念ながら明るい部分は感じ取れません。NPO法人でも、その理事等に就任された方々から、いくつもの、参ったというつぶやくばかりを聞かされています。
それは、311以降とても顕著になってきたことで、災害普及に多額の費用が費やされるという背景があって、そちらへ予算が回されるということと、ささやかな予算でも目の色を変えて予算獲得に走る方々が増えていることと、関係性が高いからです。
それと予算配分に、行政等からの重点配分という形で、事前の審査が入りだしてきたことも関係があります。予算配分のための説明会でもあちこちですでに配分先が決まっているのだという影の声がささやかれ、それではこの説明会は名目的なものかという驚きとあきらめの声が聞こえてきます。これではすでにNPO活動等をまじめに取り組める雰囲気ではすでにありません。
1 国の予算、県や市町村の行政組織等からの受託に依存している組織は、本年度本当の意味において予算がゼロになるか、大幅に削減されてしまって参っているようです。特に特定のテーマ別ですが、「普及啓発」活動にかかわる部分の活動は、一方的に削減されています。従来使い勝手が悪くほとんんど応募がなかったような○○○○基金などで、この春は予算枠を3倍も超える申請額と、また応募数が10倍にも膨れがってしまった事例など、そういった話を聞かされました。
2 ここ数年、毎年予算枠を削られ、それでも複数年生き延びてきたNPO法人でも、活動資金を打ち切られて立ち往生があちこちで聞かされます。理事の方々は、参加して登録された結果として、勝手に廃業もやめるわけにもいかないことが隘路となっています。
3 結果として活動を実質中断する先が多いのも事実です。たまに行政なり、企業枠での募集があると殺到することになります。
4 普及啓発は、委託をする側も受託側も、その案件に関して最終的に責任を負わなければならないことがありません。それが大きな弊害となっています。委託する側は、1年間の活動を報告書の形でまとまった資料を受領し、それをロッカーに格納して終わりです。俗にいう「ロッカーのこやし」です。
5 これらの資料が行政にとって利用価値があれば、自分たちの新たな活動分野が開けたと感じると、ある段階でさっと利用して、自分たちの仕事として継続をさせます。
でもそれはほんの一部であって、大学や研究所の方々が審議会等を経てまとめたもの以外にはほとんど利用されません。というか無視されます。そのおりの枕詞が、論文として公式に報告された俗称「科学的な知見」があるか否かということです」。
6 環境系での特に顕著な傾向として、311以降、今まで市民や研究者や大学、博物館等の学者や研究員と比較的フランクに付き合いあえてきた関係性が、しっかりと壊れたと考えています。予算枠がどんどんでぃぼられる中で、東京大学の環境系の学者を主体にして、環境省が作り上げた[生物多様性センター]を囲む形で、「原子力村」と変わらない構造による村社会ができてしまっています。
当然祖国所属するそれを継続するということが学者や研究者には欠かせないこととなって、途端に始まったのが色分け、そして「科学的な知見」と称する論文の量と質を問われる仕組みです。
いろいろと環境にかかわる批判をやり取りすることが困難な状況の陥ってしまって、結果として批判するエネルギーがどこからも聞こえなくなりました。
7 さらに、「普及啓発」の時代は終わった。これからは「実践活動」fだという声が聞こえてきます。