文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

霞ヶ浦の現状を知るための努力(1)

2005-08-23 18:55:58 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 霞ヶ浦での自然再生事業にNPO委員として参加しています。印旛沼の水循環を考える上でも、霞ヶ浦と印旛沼、そして手賀沼は、3つ子の兄弟と言って良いほど似通った環境にあるので、対比しながら考えてみようと思っています
 先日、土浦市の行政区内にある霞ヶ浦の湖岸堤防上を歩きながら、はっと気が付きました。
1 霞ヶ浦とコンクリートの堤防と、斜面林との間には、干拓で出来た蓮田がありました。この地域は、印旛沼とちがって蓮田が主体です。人が生業として維持管理されている場所、昔ながらの蓮田がありました。これは景観として最高です。文句なしに美しい。それは人々が生産の場を絶えず自主管理しているからでしょう。その面からは、何らの手出しも、自然再生法の対象にもならないと思われました。
 
2 地域に住んでいられる方々の発言は、霞ヶ浦の自然再生法での議論でも、印旛沼再生に係る市民・NPO意見交換会でも、以下の発言はほぼ共通でした。
これはすべて共通の認識だと強く感じました
 昔は夏に泳げた、魚がうじゃうじゃいた。
 魚取りが楽しかった。
 子供達が遊んでいた。
 水がきれいで霞ヶ浦で遊ぶのが楽しかった。
等々、

3 霞ヶ浦でも印旛沼でも沈水植物を始め、本来の植生が回復しないのは、生き物の自然の生きるための生活リズムを壊してしまった結果だと思っています。
 でも、それ以上に考えなければならないことは、地域の生活者の方々の、2,500年以上続いてきた農業・漁業の年間での生活リズムも同じように壊れてしまったのではないでしょうか。干潟で遊んだ、魚取りを孫としたい。昔は当たり前に出来たことが否定される。生活のリズムが成り立ちません
 地域の方々の意見は、生活を、文化を楽しめる環境に戻して欲しい。数千年も続いてきた、1年を通じた生活リズムを取り戻したいという切実な叫びと聞きました。
 印旛沼の水循環、霞ヶ浦の自然再生とも、もともと地域の方々が生業の先を印旛沼や霞ヶ浦とし、仕事場としても、自然を管理していたわけで、現在の断末魔とも言われるほど汚れた湖沼をどの様に再生するか、は、つまり、地域の方々が喪失した生活及び文化の再生をどう立て直すのかとの重なるのではないでしょうか。

4 現状は、効率という概念で、霞ヶ浦や印旛沼共に、利水し、治水する事業によって、地域の方々の、生活及び文化を、根元的なところで壊してしまっていると言うことが、根底にあると言うことだと思います。

5 自然湖沼としての1年間のあるべきリズムを回復しなければ、春に干潟と浅瀬が無ければ1年生草本が芽吹けず、それを餌としたり、稚魚のように隠れ蓑にして育つ生き物がどんどん生まれなけれ、生き物が活性化しなければ、自然再生もあり得ません。

6 年間の自然に添った水位管理がキーワードです。
 印旛沼でも、霞ヶ浦でも単に水をためるダムだとしたら、自然な湖沼を生活の中で楽しんだり、収穫したりする仕事が成立しません。
 子供のはしゃぐ声も聞こえません。湖岸も、そこに生活の糧が十分にあって、楽しければ、すばらしくきれいな景観が戻り、結果として水質の浄化が生じると考えることが自然ではないでしょうか。大人と子供が一緒に遊べて、仕事を手伝いながら、親の喜ぶ顔を見ながら成長していく、それが自然でしょう。文化でしょう。生活です。

6 通年、田んぼを乾田化させる、通年同じ水位で水を管理したいという行政側の願望こそが、生態系を破壊するだけでなく、地域で生活してきた皆様の、生活、文化をも壊してしまう結果になっていると感じています。
 
7 湖岸の堤防をどう再構築するか、と言うハードウエアな議論とは本質的で、もっと深い別な事ではないかと考えています。



なぜにこれだけ時間がかかるのか(1)

2005-08-22 02:08:14 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
[satochiba:1252] 2005年7月2日 23:01
ここのところ、立て続けに、このsatochiba上でも最新の明るいNEWSとして、
宮城県田尻町と蕪栗沼の事をご紹介しています。
ここ1ヶ月だけで、
(1) 田尻町と蕪栗沼のラムサール登録内定と、周辺の餌場となる田んぼの一括した登録(世界ではじめて) その前提として、指定箇所の環境直接支払いとの連動化の動き。

(2) 田尻町のエコツーリズム指定

(3) 愛知万博「愛・地球」環境に勝れた世界の技術100選に
 日本雁を保護する会「ふゆみずたんぼ」による農業技術が入選

(4) 国連大学の指定する世界で5ヶ所の教育拠点の一つに、田尻を含む仙台広域
 圏が指定を受けました。国連の「持続可能な開発のための教育の10年」ESDが
 今年から始まりましたが、この最初の事例として、田尻も含まれる仙台広域圏 The Greater Sendai Area (仙台、田尻、気仙沼および宮城教育大学)が指定されました。

 田尻町では本年度も、内外の国際的なメンバーの集まる会議が目白押しと
なっています。多様な新規事業関係でパイロット的な課題が続々と固まりつつあり実感です。


なぜこれだけ時間がかるのか(5) 千葉県の里山の保全に欠かせないのは地権者の力、生活者です。

2005-08-22 02:05:55 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1256]2005年7月3日 10:47
千葉県全域は、東京という都市の近郊にあって、市川市や船橋市、松戸市、柏市
そして我孫子市など、東京のベットタウンとしての都市空間としてのエリアと、
それを取り巻く、里山空間とも呼べるエリアが同居した地域特性があります。

 千葉県我孫子市でも、千葉市でも、車で20分走れば純然たる農村、
里山の風景にたっぷりと触れることが出来ます。
 之は、東京都内では絶対に味わえない本来贅沢な空間ではあります。英国人であ
ろうが、世界中で、何処でも最も理想的とされる生活環境の要素に満ちています。

 千葉県の里山や谷津田は、江戸末期、欧米から来訪されたペルーはじめ、
日本の里山の美しさに感嘆した、まさにその地です

 何百年も前から先祖から受け継いできた田んぼや畑、そして里山の、現在の荒廃振りをみると、何かが違う、どこがどうなったのかよく分からないが、農村の活気のなさにいままでの、何百年もの農村生活の連続性がぷっつんと切れてしてしまった感じを強く受けています 
 景観とは、心的原風景の結果という方がいます。
地域の方々の、郷土愛であり誇りの、心の状態の鏡だと言うことでしょう。
 あきらかに、当事者たる地域住人や地権者の総和がはっきりと示されなければ、
残土・産廃などは、プロ化した業者に、悪徳リフオーム業者さながらどんどん食い込まれて、あっという間に、景観が壊されて地域全体の景観価値が激減する事態が頻発しています。
 千葉県は観光立県をうたっています
観光の第一要素は、地域の元気さであり、何より景観に代表される地域の美しさにあると思います。千葉県は都市住民の憩いの場所として、これ以上願ってもない観光エリアにあります。
また、成田国際空港もあって、外国からの観光や商談等で訪れる方々を迎えられる玄関口をもっています。
 ではなぜ、千葉県の行政と里山条例に関わる話しをする場合、すべてに靴の上から足をかく感覚にとらわれてしまうのでしょうか。そこの解明が必要です。



なぜこれだけ時間がかるのか(4) これからは市町村を介して国への提言力を

2005-08-22 02:02:47 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1255] 2005年7月3日 0:30
基本的なポイントは、地方分権法の成立がもたらしたインパクトだと思います。
(1) 国と、県と、市町村がこの法律で、いままでのどちらかと言えば
 上位下達で、実質、命令として国は県に、県は市町村に命令出来た事が
 地方分権で、対等になり、かつお願いをする立場に変わったこと
(2) 個人、NPO、行政(県も市町村も)も、国へ提言をする事が出来る。
 国は受けた提言に関して、必ず回答しなければならない義務を生じる
(3) 国は独自に起案することを原則としてやめて、上記提言者等からの起案を、
 一種のコンペの形式で、最良と思われる事項を選択し、関係者に公開し、
 それをモデルとして検証し、良いと思われる事項に予算を付けて、
 全国に広める。
(4) 同時に、提言された新たな事項に関連する関連法規の改訂等法律的な
 部分での整備を進め、それらを含めて支援する。

 ここで分かることは、国の姿勢が理解出来れば、どんどん提言していくことが
圧倒的に有利なことが分かります。
 県を介するより、市町村がNPOや大学等と組んで、独自の施策を打ち上げ
それをもって、そこで生じ諸課題を国と相談しながら、着実に成果を上げていく
 これが、これからの正しい国と、市町村の関係だと感じています。

 市町村は、大統領制を採用しており、トップの広い意味での経営能力、起案力
地域への愛着心と誇り、そして最も重要な要素として企画力と提言能力が、
そして、市民社会を愛し、倫理観がしっかりとしてなければなりません。

 その上で、どれだけ提言力のある、スタッフを育てることに成功しているかが
実務上での競争力でしょう。

 その様な市長、町長を選挙で選んで、地域で育てることが出来なければ、
そして、行政スタッフ育成に失敗すれば、その市町村の住民は大きな損失を
被る時代です。
 その格差の中で、実は田尻町の最大の秘密でもあり、財産だと思います。

 田尻町で生じていることは、日本雁を保護する会という団体が核となって
NPO、農民、市民、大学、研究家、現業の行政部門、県の試験所、土木事務所
など、行政までも一緒になった大きな渦が出来て、渾然一体となって、
ふゆみずたんぼに邁進し出した結果、生じてきたことだと思います。 
 国に対しての提言能力がなければ、国からの指示待ちでは何も生み出せません

 宮城県でも、県の姿勢は千葉県とどっこいどっこいと見えます。

 新しい時代への提言能力をもった市町村が、全国的な競争状態に入りつつ
あるとの実感です。
 里山シンポジウム実行委員会に起きましても、県は県として尊重し、重視をしつつ自分が所属する市町村単位で、どれだけ提言をもって行政と相対しながら里山保全(広い意味で)に邁進していくことを目指していくべきではないでしょうか

 その点で国への提言が出きるレベルとは、かなりの市民社会の形成が出来上がっていることが前提になるかと思います
 また、里山では、地権者との協働が、なんと言っても重要です。



なぜこれだけ時間がかかるのか(3) 千葉県とのせつない関係

2005-08-22 02:00:30 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1254] 2005年7月2日 23:49
里山シンポジウム実行委員会の1会員として、委員の皆様とご一緒に2年半、里山条例を市民にいかに紹介していくのかのテーマを課題にして里山シンポジウム実行委員会が発足し、この5月には14分科会を、5/21には我孫子市の全面的な応援を頂き、全体会を開催させて頂きました。
 これから3年目にはいります。
 先日、いみじくも金親博榮会長様が、本年度のみどり推進課との話し合いも不調に終わりとメール上で記載されているように、なにか組織論(特に市民と行政の役割)と観念論(行政は市民を指導する?)によって振り回され、肝心の里山をどのように再生していこうとするのか、何が出来るのか等、実際の問題点を話し合っていくことも出来ていないとの発言がありました。その部分での成果が十分得られないまま、時間だけが経過してしまっていると多くの委員も感じられ、当方も強く意識し苦い思いです。

 田尻町での、日本雁を保護する会をはじめとして活き活きと行政と大学と市民や農民が参加してめざましい成果を得つつある、このことで何処が違うか身をもって2つの組織間の動きをパラレルに見ることの出来る立場で 若干気が付いたことを、以下申しあげたいと思います


なぜ最新の明るいnewsが宮城県田尻町からなのか(2)

2005-08-22 01:56:15 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
[satochiba:1253] 2005年7月2日 23:27
昨年12月に開催されました
日本雁を保護する会、田尻町等が主催して
環境創造型農業シンポジウム&第4回ふゆ・みず・たんぼシンポジウム>(2004/12.4-5)には、2日間で延べ850人が参加してシンポジウム及び現場体験が開催されました。
出席者は、JAを主体にした農業関係者や農民がほぼ1/2、行政、NPO、大学関係者、そして田尻町からの行政担当者が、合わせて1/2。東京から、全国からはせ参じた人が1/3以上。盛況でした。
 正式な出席者には、宮城県からは2~3名だけで、中央官庁からは国土交通省、環境省、農水省、そして農村環境整備センター等から20名以上が参加され、それぞれ多様なシンポジウムの中で、講演者としてパネルディスカッション等へ参加されました。
 国からは多様な報告がなされて、びっくりの連続でした
一例として
 田尻町では、町の基幹産業である農業支援として、農政商工課が、蕪栗沼の南部
伸萌地区24haを「ふゆみずたんぼ」として、立ち上げました。助成金も10a当たり10,000円を農家に支払っています。

日本へ渡来する白鳥の多面的な生き方(人の世界とそっくりです)

2005-08-22 01:50:37 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
[satochiba:0954] 2005年3月2日 12:32
千葉県印旛沼栄町の
新海さんの田んぼのコハクチョウに21羽の群れに、親が2羽という構成は、この時期には良くあるそうです。
 まず心優しい親が1番いて、そこにその前年生まれの、その親の若者白鳥が、3羽よりそい、それに本来の自分の幼鳥が4-5羽。典型的な一家族です。
 それ以外の幼鳥11-12羽は、親から子離れされた幼鳥が複数家族分集まった、集団だと考えられます。
 面倒見の良い大人に従って生きていこうとしているのでしょう
 人と同じで、大変な乱暴者もいれば、「フアントム2羽が排除」「白鳥の湖異変 琵琶湖のコハクチョウ飛来数激減 朝日新聞 20054/1/10
早々子離れして自分たちの白鳥文化生活を楽しむ夫婦もいて、さながら地球を渡り歩く生活者として、多種多様な生き方をもった、生き物だとだと言うことを知っておいて下さい。
 餌付けも、救餌も、じっと人を見て、受け入れているわけで、日本という社会にも、巧みに溶け込める生活の知恵者でもあります。
多様な生活方法を、個体別に選択していく柔軟性があって、この生活困難な日本でも、日本文化に溶け込んで、種としての成功を納めているのでしょう
 人との接点は、ドッグイヤーとして、人の3倍早いわけですが、子ども達への教育効果、どう生きていくべきかを知らせるには最適な媒体だと、常日頃思う最近です


里山の田んぼの部分 千葉の田んぼの現状、一断面です。

2005-08-22 01:46:22 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satosympo] 2004年1月15日 10:36
 里山条例を議論するに当たり、千葉県の数多くの里山・里地を観察してきた立場から、それなりの意見をまとめ、議論のたたき台として報告します。
会員の皆様からの、このメーリング上、委員会等での活発な議論を期待していま
す。1月11日に、千葉県我孫子市より、成田を経由して、佐原市までJRで移動しました。
 広大な田んぼが、見事と言っていいほどの乾田化されています。風景全体が茶色に染まって、心にぐさっとくる一面の灰色の世界と言って良いでしょう。
 現実問題、たまに、田んぼ1枚に一面に水が張ってある箇所がありました。それだけで気持ちがホットします。
 ところがよく見るとこれが、鴨を捕獲するための冬期湛水水田。
無双網と言って、くず米を撒いておいて、夜間鴨を一網打尽に捕獲する仕組みです。 しかもこれが、JRの車内から3ヶ所も望見されました。
 また、成田線で成田周辺の里山の放置された結果の荒れ方を見るに付けて、里山全体が醸し出す雰囲気もこの風景の影響で、このような場所で育つ子供達の乾ききった心のひだが感じられる様です。
 田んぼの乾田化→砂漠化から、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)化を言うまえに、実は子供達の心もが乾燥化しているのではないかと、考えたりします。
 子供を産む前の娘さんや若い母親達の気持ちも知りたいところです。
 現状の田んぼの乾田化とは、想像を絶した現実を引き起こしています
田んぼの畠化でもあり、真の砂漠化です。
年間8ヶ月間は、ゴビ砂漠、ナビブ砂漠と同様、それ以上に過酷な無生物の世界です 実質、無菌状態で、細菌も生きられないといわれます。
生態系ではゼロとなります。
今の日本の田んぼでの農法は、慣例農法と言われ、全国一律に近く 春、一斉に田
んぼの蛇口を開けて、パイプで供給される水を張り、農薬と肥料を大量に投入し、しろかきをします。
 その上で、連休中の休みを利用して田植え、後は、空中散布で、混合農薬を散布します。秋の収穫まで基本的にはそのまま。
 ベンツと揶揄される、1年に4~5日しか稼働しない高価なコンバインで刈り取りをし収穫し、販売業者へ引き渡します。
 誰でもできる農法が理想となって、田んぼを見て廻ることもほとんどない生活で
す。従って、いままで1000年以上も継続してきた、農業を両親の働く場として実体験する機会を持たないまま、息子達は普段はJA職員や公務員となって、しかも農業は専業ではなく兼業として存在しています。
 でも、現状の慣例農法とは、まるでインスタントラーメンをお湯を沸かして作って食べるみたいに聞こえてしまいます。
 砂漠のままの状態から、生態系ゼロからの急激な稲作のスタートですから、何から何まで農薬、肥料等無機化学製品を多用することになります。これらが、一斉大量に供給されるために自然界で排除しにくく、湖沼等での富栄養化の大きな原因の一つともなります。
 同時に、農家の方々自身への農薬の影響、特に年を取ってからの重度の障害の発
生。同時に、またそれを食する日本の市民達、特に子供達への影響がアトピーをはじめ心配です。

それらの結果を踏まえて考えると 日本の原点はあくまで農業国であり、2500年以上同じでした。 生き物達は日本の田んぼの耕作スケジュールを熟知していて、それに合わせて年間でのタイムスケジュールを組み立ててきています。
 タイコウウチも、メダカも、秋の借り入れ前になると田んぼの水が切られますの
で、田んぼ横の用水か、羽を使って付近のため池へ移動します。
 ナビブ、ゴビ砂漠では、数千年から1億年以上の経過がありますので生態系もそれなりに適応できています。
 日本の田んぼの砂漠化は、まだ始まって40年。この短い期間ではあらゆる生き物が適応できません。
 そのために、メダカなどまでが絶滅の恐れがあるという現実を招いています。
 昭和40年代初め、田んぼの砂漠化が始まったときに、雁、トキをはじめ、それぞれの高等動物は一斉に姿を消しました。
 雁達は、生活適応できないとして、渡来しなくなったのです。
 生態系でいえば、生き物の頂点にたつ、高等動物としての我々に影響がでないと
は、考えられません。
 生き物としての生態系としての回転率が違うのです。
田んぼの環境が、ナビブ砂漠並みになれば、子供達の知る原風景がまったく変わっ
てしまいます。
 子供達の心のひだに、田んぼの砂漠化がどのように反映しているのか。荒廃した里山の風景が、2重写しになってどのように写っているのでしょうか。
 戦後のこの50年間、人の一生と重ねてみて、我々の周辺には、きちんと永年引き継いできた日本の基本的な農法・里山管理法を放棄してしまった結果。 我々古い世代には、しっかりと植え込まれているものの考え方が崩れてしまいました。
 特に農業が基本であるべき技法が失われて、自然と接点を切り離してしまった結
果、ひょろひょろで手入れがされていない、砂漠のように無感動な若者がたくさん産み出されているのではないでしょうか。
 農家にとって、自分の息子や孫との関係でいえば、農家の親の作った米や野菜までもを、農薬汚染を心配して若い世代は食材とすることをも断りだしていると聞いています。
 安心を求め、スーパで野菜や真空パック入りの餅や求めるような有様だと聞いています。
 すべて、我々の世代がここ50年間で到達した結果です。
責任を負って後継者や孫達に、なんとか自然再生、自然創世をして戻してあげる義務があると、強く感じています

まずご提言です。
 まず、真っ先に、自分の田んぼに水を張ってみてください。従前の農法から地域ごとの、伝承された農法を再度見直してください。 
 先ほどの、栄町の新海さんは、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)でなにが一番変
わったかと聞くと、自分だと。毎日何度も田んぼを見回りに行くと、楽しくてしょうがないと。
 生き物が身近にあふれ出すと、気分が晴れます。同時に、ささやかでもロマンを感じてください
 冬・水・田んぼは、かって当たり前の農法であったと言うことに気が付いたとのことです。新海さんは、本年は特別な思いで、全く新しい農法にチャレンジする事に決めたとのことでした。
 

日本と千葉の里山と谷津田の再生を考える市場価値の課題 (6)

2005-08-21 00:48:15 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 [satochiba:0981] 2005年3月14日 17:24
千葉県での現在も将来も最大の問題は、残土・産廃に代表されるゴミ問題の処理です
 市原市や木更津市など、なんでこんなに地価が下落してしまったのか?不思議です。分かっていることは、複合した原因がありますが、やはり、残土・産廃等による、地域のイメージ低下→地価の下落→将来の人口減少や企業の撤退・倒産・撤収の可能性・現実性にあります。
 さらに市原市周辺での埋め立て海岸では、日本を代表する大企業までもが危険物を垂れ流してきたこと。
 そして里山では、日本最大級の残土・産廃処理センターが、跳梁跋扈してそれへの行政側の弱腰が際立ちます。
 また、市原市で言えば、170haにも及ぶ山林(ゴルフ場2ヶ分)を、色々な理由はあっても、大手ゼネコンが、債権を放棄して撤退してしまったと言うことくらい。 まさに象徴的なことが、幾つも重なっています。
  それら、いままで放置されてきた市町村での、残土・産廃への行政側の弱腰による不作為としか言いようのない事態も、結果として、市民の地域への愛着心喪失をまねき、みるみる地域全体の価値、具体的指数としての地価を引き下げてしまったと考えられます。
 一言で言えば、その様な場所を、好んで新たに購入しようとする企業も、個人も見あたらなくて、早く売ってしまいたいと考える方が多ければ、経済原理で、地価は下がります。
 今回の、大手企業が折角投資をしようと入手した、その地域をほぼただで引き渡すと言うことは、並大抵な判断ではなく、結果として、将来性を見限ったということにほかなりません。
  これでは、地価がますます下落していきます。企業も、家庭も同様に考えられませんか。地域に愛着がなければ、次は、女性や特に子ども達は、だまって立ち去ります。
 先日は市川市の行徳富士と呼ばれる(始めて知りましたが)市街化調整地周辺での残土・産廃業者の傍若無人振りが、日曜日のTVで大きく報道されましたが、問題はその市川市の対応の、あまりな弱腰振りでした。
 地域価値を決定的に引き下げるであろう事態に対して、まるで理解していない事が、最大の課題でしょう。これは、三番瀬の埋め立てが出来るという、甘い見通しが招いた事態と聞いています。
 本日(3/14)の朝のTVでのトップNEWSは、日本各地で住民の争奪戦が始まったと言う内容です。これから毎年、50万人宛、日本人は減少していきます。少子化の結果です。それでなくても、どこから人口が減少していくか、日本の中山間からだと言うことは 明確であります。 だれでもが口にしている事であります。

日本の、千葉の里山の再生(5)里山や谷津田の現実をもっと現場で理解しよう (5)

2005-08-21 00:45:09 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0978]2005年3月14日 17:24
 千葉県知事も県の職員も、千葉県の里山や谷津田の現実をもっと現場で理解しよう いま、日本の社会全体が潮止まりの状況に感じます。上げ潮か下げ潮か?
大事なことは現場をともかく見てあるく事です。自分の感性で現状を掌握すること。更に高めていく、潮の逆転の動き出しは間もなくはじまり、ものすごい流れとなるでしょう。
先日、千葉県香取郡多古町で聞いた農家の話しは、悲惨でした。
湧水が、絞り水がたっぷり出る谷津田の田んぼを、利根川の水道水に切り替えられて。 山のてっぺんですから工事が長期化して難航し、結果田んぼからの収入100に対して、水道の蛇口方式の用水費用と負担金が80に近い数字と言う事例を知りました。負担金の金利が年率5%とも。責任者の工区長の息子が、
殆どの農家が耕作を放棄して働きに出ていますから、ただで引き受けているそうです。
農家の方々は外で働いた賃金で不足分を支払うか、滞納しているとのこと。
いろいろな経過はあるでしょうが、結果として、耕作を放棄し、地域全体の付加価値を引きさげ、後継者をつぶす結果となって、すばらしい景観を提供して頂ける箇所がまた一つ消滅した。この様な話しをいくつか聞いています。
 ひとつ、現場を見ていないという議論の大事なことは、この問題でも、千葉県での例えば用水の授権者であるべき農家の方々からの聞き取りであり、発言聴取ではないでしょうか。
 何処でも感じることは、行政側の一歩的な思いこみによる錯誤が多いことです。

 

千葉県の里山を、どのようにして再生させるか(4)

2005-08-21 00:42:27 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0978]2005年3月14日 17:24

ちばの里山の景観はかって世界有数であったと断じて良いかと思います
それは、地域に密着して、24時間365日、生活の糧を得るために働く事で生業が成り立つ場であったと考えられます
 そこに、人の生活しない箇所が生じると、どうなるのでしょうか?
所得が得られなくなると、どうなるのでしょうか
 それこそ、元気なのは、残土・産廃業者だけ人っ子一人いない、里山が連綿と続く、信じられないような地域となってしまいます。 猪、鹿、鳥、猿、それに多様な外来種いずれも、山、そのものがスギやヒノキの単純林で、生産物が乏しく、里山にはずれで 農家の人の作った農産物を力づくで奪い合うという状況になっています。
 地域が自立出来なくなって、いまは、久しい。
地域の跡継ぎがいない。後継者がいなければ、どんどん耕作放棄田がますます増える地域に対しての愛着心が涌かない。子ども達も大人になれば出て行ってしまう。
地域文化の崩壊が起こる。
 悪循環です。さらに残土・産廃の捨て場となれば、相互間での不信も起こり、地域の治安までが悪化し、安心・安全まで脅かされる 国土の67%を森林で占められている日本この国土の維持管理にはどれだけの人材やボランティア等が、森林に張り付いていかなければなら無いのか。
2,000年以上にわたり、かっては日本人の90%以上が農家であって、そ子が生活の場であったが故に維持管理されてきている森林や里山。
 その維持管理機能を喪失して久しい。
今、気が付くと、自動車始め輸出すれば、貨幣は日本に流入しますが、その半作用として農産物は国内自給率が下がり(輸出先から、逆に農産物等の輸入をする必要から)国土の67%を投資不足のまま放置してしまっています。森林も生き物です。
 巨大な不良債権化していることに、いつ国民全体が気が付くのでしょうか。
 森林の木材価格は東南アジア価格。すでに10~20年前に比較して、1/10に落ちています。
50年物のスギが150円、おにぎり1コの価格と同じです。森林が産み出すGDPは、おにぎりが産み出すGDPに対して、200万分の1のGDPです。
計算根拠が、全く壊れているとしか、いいようがありません。


ちばの里山をどのように再生させるべきか(3)本質的な問題点は?

2005-08-21 00:40:14 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0977]   千葉県は観光立県を標榜しています。でも里山の実態は、
景観とは、生活者の日常生活との結びつきがあって、はじめて美しく保つこと
ができます。これもよく知られていることです
 今、千葉の里山をじっと観察していると、はっと気が付くことがあります。
まず、人がいません。散歩をしたり、森の手入れをする林業の方々や、農家の方にも、お目にかかった事が殆どありません。
 しんとしています。次いで、生活のにおいや、手入れしている感じがしません。
つまり、生活者が、観察者が、何処にもいないのです。
 生き物の殆ど見られません。
日本の里山が、なぜ美しかっかったかといえば、良く手入れされていたからです。生産物を入手するためにこまめに管理されていました。
 江戸時代のごとく、人が地域の密着してこそ、人の力で、里山の景観が保全されていたには確かだと思います。しかし、ということは今は、人がいないのです。なぜか? 生活の場ではとっくになくなってしまったからです。
さらにこれからは、
 日本中の里山、なかんずく中山間地帯を中心にして、これからぼろぼろと人の姿が消えていくことになると思います。
 毎年50万人単位で人口が減っていくことがほぼ確定しているからです。
ますます都市部に集中し、地方では生活しやすく、文化レベルの高い、地価の高い地域に人々が集中して生活することになると思います。
 まさに、猪と鹿と鳥と……、猿と狸が加わって、里山では、林業も農作物も駄目と言うことで、収入が得られる保証がありません
 木材市場は、ここ15年ほどで、何と1/10に下落しています。50年物杉が、木材市場まで自分で運んでたったの150円です。
 お米は、これから、更に下落するのではないかと、農家の方々も怯えています。
若い女性が、1週間、一度もお米を食べない方が40%と言う調査報告まで出ています。お米の市場もどうなるかと。
 森林も、田んぼも、それ自体がお金を産み出す仕組みを喪失してしまった事がはっきりとしてきました。問題の本質は、所得の保障を含めた、人の生活者としての立場を再生できる仕組みの開発にあると思います。
 ちなみに、ヨーロッパ、特にEU、ドイツのごとく、環境税は、森林の維持管理費用として使われています。
 景観保全とは、その作業に費やす時間を、土建方式での作業時間単価で換算したら、非常に費用のかかる世界となります。
いかにして、お金のかからない管理方法を案出するかがキーワードだと考えます。


ちばの里山をどのように再生させるべきか(2) 千葉県は観光立県を標榜。

2005-08-21 00:37:07 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0976] 2005年3月14日 17:06掲載
日本の江戸時代とは、人口の90%以上が農業で生計を立てている農業国であった
ことはよく知られています。
 日本は島国であり、万が一の時も移動する事もできず、逃げ場が無く、そのために有限な生活出来る資源を、里山や里海に求めました。
 そして、24時間365日、フルタイム体制で生活する地域に密着し、里山等で産み出される創意と工夫あふれる物産を産み出し、資源の活用にいそしんだ体制でした。だからこそ、また、絶えず手入れを怠たれない事情から、里山も里海も、すばらしくきれいな景観を形成出来ました。
 しかもそれは、手入れに参加することが、誰が経験しても美しく、庭造りに似て
楽しみを持って、自発的に行うことができました。
 だから誰もの目が輝き、生活を楽しむことができ、同時に微妙な感覚を味わえる
余裕のある生き方を追求して、それでも飽き足らない俳人や墨客をたくさん育成され浮世絵や水墨画、かわら版など、庶民の美意識を満たすための出版業や、美術家
が排出し、日本のセラミック(瀬戸物)が、ヨーロッパに輸出されたときに、
そのパッキングとして使われた浮世絵が、すごく注目されて、ゴッホ等の画家にも
大きな影響を与えたことは、よく知られています。
 世界に例のない、一代庶民文化の華が、江戸を中心にして栄えた分けです。
 同時に、地域ごとにとんでもない知識人がごろごろと育ち、そして幕末に日本に
来訪した欧米人の、里山の美しさへの絶賛の嵐。嵐。そして美術品への関心へと向かってきたのでしょう。

 それらは結果として、江戸時代の昔に、240年にも及ぶほぼ完全な生活者の真のボランティア精神があってこそですでも、誰も自分が、今で言うボランティアだと言っても笑われるだけでしょう。
日本で経験された240年間にも及ぶ、完全リサイクル社会の原体験でのノウハウが、今ほど世界中から渇望され、貴重と思われている時代は無かったと思います。
 先日、来日した、アフリカ・ケニアの副環境大臣で、アフリカでの植林事業に関して、「ノーベル平和賞を」受賞されたワンガリ・マータイさんが、日本の慣用語で”もったいない”という言葉を聞いて、ひどく驚き、感激し、この言葉を世界中に広げたいと発言されています。
 この言葉に代表される、農民としてのモノの考え方が、2500年来の日本のすべての骨格であり、その精神の中核がの一つが”もったいない”ということだと理解します。





 

ちばの里山をどのように再生させるべきか(1) 江戸末期、日本の里山の景観を見た外国人は

2005-08-21 00:31:13 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0975]
東京湾学会誌 2巻1号 東京湾の水土
外国人の見た幕末の東京湾(上)
-湾岸地域の景観を中心に- 筑紫敏夫  千葉県立中央博物館 
 記事内からの抜粋です。
今、千葉県下の里山や谷津田、沼や湖沼の景観という観点から見たときに、その活き活きとした姿に、始めて接した外国人が何を感じ、何に感動したかを知ることは、最高の情報価値があると考えています。

 2)陸上からの視線
 日本の農業や耕地については,上陸して見聞した記録に,より一層詳しい記述がある。日米和親条約締結のために来航していたペリー艦隊のウイリアムズは,ある日の午後、任務が急に暇になったので、同僚の博物学者のモロー博士と連れ立って,密かに「横浜の向うの一番近い丘続き」を歩いた。その時の「日誌」の記録は次のようなものである(E・224・225頁・1854 年3月14日<嘉永7年2月16日>) 
 「丘の上に着くと,花や珍しい植物が見つかりそうに思えた,雑木林や木の浸った丘の斜面を選んで,田園へ進んで行った。麦や油菜の畑を横ぎって,森の端から森の端へと渡り歩いた。(中略)麦の生育ぶりはすばらしく,土壌は,これまで見たうちでは一番黒ずんだ沃土であった.それに,至る所、畝の列も鮮かに耕されていた.土地が非常に肥え,また、よく耕されており,風景は実に美しい。これらの丘の上からは,人家はほとんど見られず,農舎をもった農場も村落も目に映らなかったが、ここかしこに一家から遠く離れて野良仕事に精を出す農夫や木こりの姿が目にとまった.(中略)後一,二週間もすれば,田園は初夏の装いを見せ始めることであろう.われわれは学校の遠足のように気持をはずませて数マイルを歩いた.海岸を見下ろす所へやって来ると,眼下に細長く横たわる村落が認められ,一本の小路がそこへ下りて行っている。われわれはこの道を下って行ったが,その村へ立ち寄ることは避けた.この高い場所から見渡した美しい眺望は,今の今まで,外国人の目にはいっさいが閉ざされたままであったのだな,という思い入れも手伝ってか,私にとつては,なかなか忘れられそうにないものとなつた.この一帯は実によく手入れをされた作付状態を示しており,さすがに日本が桐密な人口を支え得るであろうことを,否,現に支えていることを物語っていた.」




日本の里山を考える(5) イギリスでのカントリーサイト

2005-08-21 00:29:14 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1007] 日本の里山を考える(5) イギリスでのカントリーサイト(日本の里山に相当するらしい)との対比
チョークエスカープメントと谷津田-英国と日本の里山保全-
講師:原慶太郎先生(東京情報大学教授)

 原廣太郎先生の講演を、聞かせていただきました。
 かって、先生がイギリスに留学されたときの、原体験とその折りの写真をもって、日本とイギリスでのカントリーサイト(ケビンショートさんが里山と翻訳されたそうです)の相違点と、その地政学的な観点からの解説、そして何よりも、実際にその場所を1ヶ年にわたって実地に原体験した事項から、先生なりの対比論が展開されました。
 山の斜面林が、急峻であり、またブナを主体に単純な林相で、利用価値がないと放置されて来たそうです 
 また、英国は早い時期に産業革命を経験し、石炭産業を主体にして発展していった経過から、結果として国土をかなり痛めてしまい、繁栄の陰で、失ったモノが多数あると、人はパンのみにあらずとして、失って始めて気が付くその点が、まだそこまで言っていない日本。特に、英国人は、若者の国米国の若さを苦く感じて。

 ドーバーの白い崖でイメージされる、チョークエスカープメントという言葉を始めて聞きましたが、、一種の石灰岩の分厚い層の上に、薄く表土が乗っている。最後の氷河期まで一面氷に覆われてていたために、生物多様性上での種の数が決定的に少ない特徴がある。さらに数千年の歴史的経過で、小麦畑と、羊が放牧された風景を形成。植生の種類の少なさが、日本の里山と稲作に代表される、アジアモンスーン地帯で形成された里山との相違点が話を伺っていて、極めて明瞭となりました。
 日本で、イギリスの方々が、かって直面し、金銭的な豊かさの陰で喪失した自然環境を、再構築しようとして努力している姿。 それは、日本でも誰もがまもなく気が付く部分を先取りしてくれています