京王と小田急が乗り入れる多摩中央センター駅から歩いてたった5分。ここに一山の雑木林を管理するグループを知りました。通称”どんぐり山”と呼ばれているそうです。中央駅からURが管理する団地群に通じる回廊として存在する斜面林の一部と、まるまる一山を一括して管理を受託して20年以上になるとのことです。
雑木林の主にクヌギとコナラが主体で、エノキやクリの木も少しある。いろいろと手入れをする方々のチームが形成されて定期的に山に入っているとのこと。
毎年20年以上経過した木を順番に伐採して、なるべく古典的な、農家が畑の一部として利用していた雑木林のイメージに合わせて管理しているとのことでした。
たしかに若木が多く、ひこばえが見られ、何よりも日射がよく届くすぐれた林でした。最近、小型の鷹で"ツミ”が繁殖したとの箇所もあり、そして落ち葉も倒木もそのままにして土に返し、もちろん無農薬無肥料のままということであり、かってのこの山の所有者からのアドバイスを聞きながら、市側からの支援も受けながらも、その継続的な活動に感動しました。何度も伺いたい場所です。写真はご案内いただきました東京・千代田区神田小学校の同級生鈴木さんです。ここから歩いて2分の所に住まいがあり、庭のような感覚で接しておられました。
私も来年1年に何回か伺って、主に生息する小鳥とゼフイルス(ミドリシジミ)などの発生状況や植樹移植などを確認し協力しようと思っています。
あくまで自分の個人的な見解ですが、実際問題まずコウノトリの放鳥経過から言いますと、日本中に放鳥された個体の内で、雌3歳が中心になって、繁殖適地をしかもまさに日本中を放浪しています。次から次へと、1羽1羽があらゆる繁殖可能性のある箇所に訪問して現地を肌身で探っています。しかし豊岡市以外での繁殖成功例が今になっても聞こえてきません。多くはそのまま豊岡市の周辺に舞い戻ってしまっています。又一部は衰弱死もあるようです。
その行動経過から考えると、野生状態では現状では日本中に繁殖適地は存在しないとまで思われます。それは、伴侶に恵まれないこともありますが、最大は餌資源の決定的な不足です。そこで若い雌は定着して繁殖することを考えません。
オオハクチョウは、1959-60年の大移動後、着実に個体数を増やしてきていますが、その主役は人間とのかかわり方で、餌付けという「安心安全、3色昼寝付」生活を保障したことに大きな理由があると思っています。
本来冬の期間積雪や河川の凍結によって、本来自然状態では生息不可能な場所で餌付けの実質禁止によって、いずれも1960年度の大移動後、着実に個体数を増やしてきています。
その多くの箇所で何十年も継続してきた白鳥との触れ合いが断ち切られ、同時に本来の野生状態への復帰を強制された結果、オオハクチョウの子孫たちは餌を貰うことしか生きるすべをなくしたペット状態にあったために、衰弱死、あるいは春の北帰に耐えられずに落鳥し、中には秋田県などであったように鳥インフルに冒されて死亡してしまい、多くの越冬地でそこの個体群は全滅し数年後には消え失せたと考えている。
本来、海辺ではアマモなど海藻を、陸地ではマコモを主な食材としています。
それらが豊かに生育していた個所の消滅が引き起こした結果でもあります。
ハクチョウ類はオオハクチョウでは餌付けに実質禁止によって、大きく越冬地を喪失し、かつ全国的に個体数を減じています。
コハクチョウは、戦前から新潟市の佐潟を中心にして、戦後も着実に増加をしてくれています。それは餌が田んぼの落穂を主としていたからです。こちらは、餌付けを段階的に削減し、自力で水田での採餌を教育することにより、冬期間に採餌可能な個所では生き残り、個体数も回復しつつあります。
かって10年以上も前に、新潟県瓢湖で餌付けを実質取りやめた時期がありました。翌年から1万羽単位で有意義にコハクチョウの渡来数が減少したと考えます。 その結果で一番懲りたのはその地域のコハクチョウ自体です。その時を境に餌付けに依存することなく今はほぼ完全に野生化し、ハクチョウ類はファミリー単位で、その生活を楽しんでいるようです。
なぜ、このようなことが生じてしまったのか。
それは行政のあり方と密接に関連しています。
戦後の傾斜生産方式によって、エネルギーを薪や炭、石炭などから、すべてを石油に転換をした時に、旧式となったと考えて一部官僚がすべてを無価値と見做して切り捨てたことに端を発していると思います。
地方創生とは、その切り捨てられて生活手段を奪われた地域の、これからをどうするかに関わっています。
良く知られているがごとく、ドイツの森林産業は日本の1/2程度の面積でありながら、ドイツの自動車産業に拮抗する雇用数を確保しているということが大きな
ヒントであり、励みとなります。
今回はモノづくりを「なりわい(生業)」から「セルフパブリッシング(自己責任で公共財を活用)」仕組みの提言です。いくつかの農法、工法、文化など。最先端の生産手段を取り上げてみました。
著作として「里山を復活させるための読本」をシリーズ化して、kindleを主体にして、一部をkobo、そして最近始まったibookstoreで出版を開始しております。
現在すでに「里山」に関わる6冊を販売しています。Windows上から著作者として「荒尾稔」で検索してください。
「里山に託す私たちの未来」というキャッチで、千葉県で40団体ほどと一緒に「里山と谷津田」の現場にも入って、いろいろと勉強をしながら、里山景観を楽しんできました。
しかし、これではいかんな問題だという課題にたくさんぶつかって、現在はその再構築をいかにすべきかというテーマに取り組む中です。
「里山は日本人が最も幸せを満喫できる生活の場であった」とは、里山がすでに過去形になって50年。その素晴らしさが誰も理解できないほどです。ブータン国の里山にあこがれる前に、一度この本を読んでいただけませんか。
1 荒尾稔の著作の一つは、「里山は日本人が最も幸せを満喫できる生活の場であった」
千葉県下の里山と谷津田を10年以上かけて、調べつくしました。日本の里山はブータン国の里山での生活が多く語られますが、千葉県の里山でのなりわい(生業)生活の素晴らしさはそれ以上だったと確信しました
2 里山の病理的な現実と、再生のための総論
2冊目は、この千葉県内の「里山の病理的な現実と、再生のための総論」を読んでいただきたい。何が問題なのか。原因があって結果が今出ているわけだが、その経過には複合した理由があって、1は、戦後を決定づけた農地解放の失敗がある。里山が畑と認識され農地解放された結果である。
でも 販売開始します。里山の病理的な現実とその再生のための総論 著作者 荒尾稔
6冊とは以下のごとくです
1 里山は日本人が最も幸せを満喫できる生活の場であった
2 里山の病理的な現実と、再生のための総論
3 冬期湛水(ふゆみずたんぼ)による人と水鳥との共生 「宮城県蕪栗沼の奇跡」
4 利根川下流域における水鳥の越冬地復活
5 日本の餌付け離れしたハクチョウ類の今後
6 千葉県での2005-2006年度ハクチョウ類の観察記録
自分で全て取り組んでみています。出版の原則からは何とも稚ない内容で。お叱りをいただくことかと存じています。
改めて新時代の到来を実感しています。同時に、印刷・出版業界の硬直化した業界全体が心配で心配でしょうがありません。
今すすめようと模索していることに関して意見交換をよろしくお願い申し上げます。
東日本大震災以降、何が変わってきたのか
あまり意識されていないようですが、京都市での「大文字焼き」で、なぜか被災した個所の木材を排斥するということから始まって、最近は福島県の業者が造ったという花火の打ち上げの中止までに追い込まれる。
これには京都市は、日本の宗教界でも格別な位置付けがあり、宗教的というか一つの思想体系の原点を形成してきた、そこから発せられた情報であったことに、もっともっと深く注目すべきだと考えています。
イベントの主催者側は、災害地の方々を応援したいという心で、かつ誰もが応援し支援してくれて、反対はしないだろ考えていたことで、根強い反対論の強さにつぶされてきたと考えます。
この経過を見ていると、宗教界に根強い、理性では対処できない部分の話になってきたと感じています。
大阪府での橋梁工事に使われる構造物が、ただただ福島県内で製造されたものだというだけで、放射能汚染移管する公式資料があっても、ダメなものはダメとして使わせないという排除の論理で、皆様もびっくりされたと思います。
今まで日本では天災は忘れたころにやってくるが、それは「一過性だよ」「すぐ忘れることができる」という日本人に特に顕著とされる深層心理が働いていると感じてきました。
しかし、放射性のセシウムもストロンチュウムもが30年で、半減期がとか言われ、なかには数千年単位でかかるものもあるとかいわれるようになると、必然的に一過性なことではなくなります。
原子力の本質は、一度解放されると半減期が30年とか数千年とかいう、仏教の根源で言うまさに永遠の時間軸と重なります。
今までの一過性とされる自然災害とは異なり、人類が生み出した未知な災害です。そこが分かってきて、にわかに宗教的な角度からも反発が生じだしているという事が考えられます。
情報の公開性がきちんとされているのか、それが問題とされる昨今、いよいよ難しい段階に来たと感じています。
それは、男の今までの論理に添った社会構造では気が付かない部分があって、それが、子供や幼児の命に直結する問題だと分かってきたからです。
しかしここ2,3日だけでも都内の若い女性たちとの会話で、がっくりすることが続いています。 「千葉の、関東の、東北の」食べ物は買わない。これが常識だという話。小さな子供を抱えたお母さんや、妊娠中の女性はまさにぴりぴりしていてそれに対しての唯一に近い対応策が、食べ物の選択と、居住地の選択にあると。皆さんは、ほとんど確信をもって聞かされます。同時にそれは早く早く遠隔地の北海道や関西以西に移り住みたいと、父親にせがむのだそうです。
そして同時に地域に対しての、新たな根強い差別意識の発生となって浮かび上がってきつつあるように感じるのは私だけかもしれませんが。ても重苦しい気持ちです
私の個人的に存じている、「渡り鳥の仲間たち」研究者の多くの若者が、妻や子供たちが実質北海道や九州に家族単位で避難をすでに行っています。えきる人は静かに着実に移転を終えています。
いろいろと楽観的な見方も出ているようですが、千葉の里山とは、地域の人がほとんど撤収してしまって、放りっぱなしということが現実の箇所です。すでに房総南部では、イノシシやサル、キョン、アライグマなどが、跳梁跋扈して、場所によっては作物をことごとく食べられてしまうために農民などが耕作放棄がひどくなっています。そこへ泣きっ面に蜂で、今度は放射能汚染です。
里山一面が売り物にならない杉や雑木ばかりですから、所有者にとってもっとも有効な管理方法は、一切手をかけないでほったらかしにする、まさに里山の放棄が実態ですから、このまま里山全体が放射能に汚染されたまま放置され続けるという、まさに現実的なタイムスケジュールが最も現実的な見方でしょう。
多くの里山の箇所には、人がまったくいません。したがって、森林内の除染などは、どうなのでしょうか。作業もされないと思います。落ち葉もほったらかし、水の落ち口もそのまま。
したがって、今はまだ放射能の影響がぴんと来なくても、来年春頃には、濃縮された水の落ち口やたまり水、井戸などいたるところで、致命的なレベルの高濃度放射能が測定されて大騒ぎになるだろうと市民側では予測をしているのです。
すでに、よくわかっているオーガニックに詳しい方々は、311の直後からどんどん移動を始めて、地域によっては立ち去って、すでにいません。まず、家族を沖縄や九州や外国に家族を移転させ、次に商売道具を撤収し、逃げも隠れもできない地域の方々や市民団体のメンバーが、当然下を向いて歩くという事態だと理解しています。
千葉県・柏市で、住宅地の側溝のわきから信じがたいほど高濃度の放射能が観測された。衝撃的だ。
でも、先日の里山シンポジウム実行委員会での委員会の中で、本年度はともかく、次年度は深刻だという声が強かったが、改めて同感せざるを得ない。
それは、想像以上に関東圏一帯が放射能に汚染されてしまっているという事実がはっきりするなか、来年度になると収拾つかないほどの、混乱と人員の移動が加速することが予想されだしています。福島県はすでに大変な県外移動の数字がはっきりとしてきていますが、さらに最新情報で茨城県だけでも子供たちが10,000人も県外に出たという話もあります。
どうすべきかは、判断ができないが、千葉県は全国でトップの残土や産廃の捨て場となってしまってきています。その傾向からみて、金に釣られて残土産廃の一部業者が、福島方面からの放射能で汚染されたガラクタなどを引き受けて、千葉県内の里山などに捨てに行ったり、現存の施設に残土に混ぜたり、燃やして灰にして埋め立ててしまうのではないのかという、そういうことがおこっても、何の不思議ではなく、それがあっところで別に驚くようなこともない。
市町村も県の行政も、この件に限らないが、全く対応が遅れ、今回も国からの指示待ちで、国の方針に沿ってしか考えないし、頭を使いません。お国柄といわれてもいます。
すでに木更津市の方面で2~3の、問題業者の動きが、残土産廃の監視役の市民団体から指摘が出ています。なによりも放射能汚染ガラクタが廃棄された後に、それでなくても千葉県は土地の全域がが砂地であって、どんどんセシウムなどが地下深く浸透してしまって、地下水を汚染してしまい、それが河川となって下流域に染み出したり流れ落ちることで、下流域が濃縮された放射能に汚染されて、しかもエンドレスに甚大な被害をこうむることが、いま、最も警戒されていることであいます。すでにその事態は残土産廃が仮に埋め立てられたりしなくても、そんなってしまう運命なのだということが、今回の柏市での高濃度放射能汚染騒ぎの本当に恐ろしいところです
でもそれが速や、現実化しそうな恐ろしさがあります。しかも行政等は、全くピンボケで何らかの保全策も期待できないまま、知らされないままに、どうしようもなくなる事態だけは避けたいと願います。このまま時間だけが経過して、外部からの搬入→汚染拡大→雨水が流れ込んで、蒸発し、また蒸発を繰り返して、放射能が考えられない規模とスピードで凝縮されていく。
それがどんどん拡大していくことが、悪夢のような事態です。
千葉の里山を考えたときに、何かもやもやしています。それは、歴史的な遺産であるという観点があまりに薄く、表に出てこないからではないでしょうか
2 言ってみれば、里山の所有者の89%は私有地であり、その多くは農家の方々が、細かく所有しています。
いま、おこっている里山の「残土産廃」「表土」などの問題の根底には、それぞれの農家が、祖先から何百年と継続してきた、里山への、宗教的な、そしてなりわい(生業)としての生産現場への感謝の気持ち、それをも含めて価値観が一気に崩れて来ていることにあるかと思います。
精神面での自己崩壊です。
はっきり言えば、里山の所有者のアイデンティティ(他者や社会によって承認される、社会的な身元を喪失)が消えかかっている、根なし草になってしまっている。
その現実が引き起こしている、社会崩壊の一環として見做してもよろしいのかと
3 今、私どもが生きている日本国は、表向き近代的な法治国家としての日本を形成しています。
しかし、特に農林水産業関係では、あらゆる面で、江戸時代そのままと疑いたくなるような商法、民法のもとで、そのまま現代の社会が形成されているのも事実です。
このためもあって、里山を含む第一次産業が、商売の観点から、がんじがらめになって
現在の厳しい状況においこまれたという意見も
その辺りから、生きた江戸時代の、生活実態への解析と学習が、改めて欠かせないと感じています。
いかの観点で、意見交換をしませんか
1 千葉の里山保全と貝塚や遺跡群保全が重ならないか。
どの程度それが、各地でそれぞれ調べていただけないでしょうか。
たとえば、多古町の「桜宮自然公園をつくる会」の自然公園では、いかがでしょうか
大きな貝塚や遺跡群があると聞いています。多古町こそ、それによっては、可能性として貝塚-縄文遺跡-世界遺産へと結び付けられないでしょうか。
2 千葉の里山の保全等という観点でも、漠然とした考えから、貝塚である、
縄文時代からの遺跡であることがあはっきりとしてくれば、里山保全への強力な「キャップ」を見出して、活動できる機会になると考えられます。
3 そして、それと町並み、景観保全へとかかわって連続して、過去から現代までの
文化的な継続性を担保できるか、否かにかかってきています。観光立国であり、新たな循環型社会を形成するための、地域への投資を促すきっかけにも
4 都市内に残った貴重な森林の多くは、里山として評価がなされていますが、これ自体がほとんど、貝塚や遺跡群であるケース、そしてその一部は縄文の遺跡と考えられないか 現状の法体系で、その角度から保全を考えるヒントにならないか。
でも、千葉県でも里山は農地扱いではなく、「雑地」としてえ、開発の対象となって初めたすしてきたきらいが あると聞いています
千葉県の里山保全を考えたときに
1 千葉県内の貝塚は日本一である。
ということは世界一の規模にある、という話が具体的にどのような意味を持っていることなのかの検証。
2 縄文時代とは、世界史的に稀有な事実として、10,000年以上の継続があります。
とんでもない超長期での、完全自然循環型社会を形成できていたわけです。
3 さらに、縄文時代の1万年だけでなく、江戸時代240年間の江戸時代の里山があります。都市圏に隣接した、千葉県の里山での生産活動こそが、完全循環社会がもたらしたモデルこそが、温故知新として、昔を知り、今を知るという観点で、最も重要であると考えます。
4 千葉の貝塚とはなにか 青森県の三内丸山遺跡と千葉県内の遺跡の違いとは
基本的に、縄文時代の遺跡群 と 貝塚とはどのような関係なのか
論点として、この2つが接点があって、重なるのか。 このあたりをぜひ、皆様と意見交換をさせていただきたい
5 この歴史的な、文化的な価値は、これだけ世紀末を実感させられ、人類の短期化での
猛烈な活動によって、地球温暖化を現実として招来してしまった、その現実に洗われる現代社会として、その分析や研究調査がもたらす研究成果や価値観形成はとても重要だと考えられます。
4 改めて縄文遺跡を世界遺産に登録するという動きは、実によくわかるし、意図も明快です。
従って、千葉県内での縄文時代とはどうなっていたのか、貝塚との関係、その分布と里山との関係を明確にして行く必要性が高いと考えます。
そこでの、これからの最大のキーワードは、貝塚や縄文時代の遺跡群と、現代にまで、その地域、地域ごとに、文明(近代)ではなく、文化(日本文化)の継続性がどうなっているかとそういった部分ではないでしょうか
(略称ボーンセンター)が主催して、「千葉の貝塚群を世界遺産に」シンポジューム
~千葉の貝塚群と街づくりを考える~として千葉県立中央博物館で、開催されました。
主催者発表の如く、70名以上が集まり、盛況でした。
ボーンセンター 10周年改めておめでとうございます。
ことしは、NPO法人ちば環境情報センター(代表者小西由希子)もこの春に10周年記念にて記念誌をだされています。
いずれも早や10年、されど10年の歴史。ボーンセンターの栗原さんも、小西さんもいずれも里山シンポジューム実行委員会の両副会長として、これからも里山保全活動での、車の両輪のごとく頑張っていただいています。
ところで、上記の話ですが、かなり重要な話を、仮定としてですが、伺わせていただきました。
それは、国の文化庁が、 北海道、東北(青森、秋田、岩手等)の縄文時代の遺跡群を、目玉は、青森の三内丸山遺跡でしょうが一括して世界遺産に国内での登録準備中との情報です。
同時に、そこに可能性として少ないらしいのですが、茨城や千葉県の、同じ遺跡群を加えるようなことも検討している模様という話でした。
ここでもう一つ重要な情報として、岩手県平泉の金色堂の
「世界遺産 敗退」の件にかかわる話として金色堂とか周辺の文化遺産の問題ではない
ということがポイントの如くと、聞きました
1 金色堂の周辺域が、あまりに現代風でありふれて、元気のない、日本にどこにもある平凡な町並み
2 3面切りされほじょ整備された、生物多様性に乏しい田んぼ群と過疎化した周辺村落
3 コンクリートむき出しの高速道路など、文明的であっても、指定希望先の世界遺産と周辺の景観とのアンマッチ
つまり、文化面での歴史的な遺産と、いまの、周辺地域での生活実感との間にそのような肝心の文化面での継続性が感じられない点が大きな問題として、クローズアップされてきているという意見です。